【法華長屋】ほっけながや 落語演目 あらすじ
【どんな?】
法華とは日蓮宗のこと。江戸の町では、浄土宗と並ぶ庶民の生活を支えていました。
【あらすじ】
宗論は どちらが負けても 釈迦の恥
下谷摩利支天、近くの長屋。
ここは大家の萩原某が法華宗の熱心な信者なので、他宗の者は絶対に店は貸さない。
路地の入り口に「他宗の者一人も入るべからず」という札が張ってあるほどで、法華宗以外は猫の子一匹は入れないという徹底ぶりだ。
今日は店子の金兵衛が大家に、長屋の厠がいっぱいになったので汲み取りを頼みたいと言ってくる。
大家はもちろん、店子全員が、法華以外の宗旨の肥汲みをなりわいとする掃除屋を長屋に入れるのはまっぴら。
結局、入り口で宗旨を聞いてみて、もし他宗だったらお清めに塩をぶっかけて追い出してしまおうということになった。
こうして、法華長屋を通る掃除屋は十中八九、塩を見舞われる羽目となった。
これが同業者中の評判となり、しまいにはだれも寄りつかなくなってしまった。
ところが物好きな奴はいるもので、
「おらァ、法華じゃねえが、しゃくにさわるからうそォついてくんできてやんべえ」
と、ある男、長屋に入っていく。
酒屋の前に来て
「おらァ、自慢じゃねえが、法華以外の人間から肥を汲んでやったことはねえ。もし法華だなんてうそォついて汲ましゃあがったら、座敷ン中に肥をぶんまける」
と、まくしたてた。
感激した酒屋の亭主、さっそく中に入れて、
「仕事の前に飯を食っていけ」
と言うので、掃除屋、すっかりいい気になって、
「芋の煮っころがしじゃよくねえから、お祖師さまに買ってあげると思えばよかんべえ」
と、うまいことを言って鰻をごちそうさせた上、酒もたらふくのんで、いい機嫌。
「そろそろ、肥を汲んでおくれ」
「もう肥はダミだ」
「どうして」
「マナコがぐらぐらしてきた。あんた汲んでくれろ。お祖師さまのお頼みだと思えば腹も立つめえ」
「冗談言っちゃいけねえ」
不承不承、よろよろしながら立ち上がって肥桶を担いだが、腰がふらついて石にけっつまづいた。
「おっとォ、ナムアミダブツ」
「てめえ法華じゃねえな」
「なーに、法華だ」
「うそォつきやァがれ。いま肥をこぼしたとき念仏を唱えやがったな」
「きたねえから念仏へ片づけた」
【しりたい】
浄土宗対日蓮宗 【RIZAP COOK】
絶えたことのない宗教、宗旨のいがみあいという、普遍的テーマを持った噺です。
それだけに、現代の視点で改作すれば、十分に受ける噺としてよみがえると思うのですが、すたれたままなのは惜しいことです。
速記は、明治27年(1894)7月の四代目橘家円喬(柴田清五郎、1865-1912)を始め、初代三遊亭円右(沢木勘次郎、1860-1924、→二代目円朝)、初代柳家小せん(鈴木万次郎、1883-1919、盲小せん)、四代目春風亭柳枝(飯森和平、1868-1927)、八代目桂文治(1883-1955、山路梅吉)と、落語界各派閥を問わずまんべんなく、各時代の大看板のものが残されています。
それも昭和初期までで、先の大戦後は、六代目円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の)がたまに演じたのを最後で、まったく継承者がいません。
一般新聞に宗教欄が消えた頃と時期を一致させています。
昭和20年まではもちろんそうでしたが、昭和30年代までは、一般紙には必ず宗教欄が用意されてあって、各宗派の僧侶や宗教研究者がなにやかやとまじめに寄稿していました。
それがいまの日本では、公の場で宗教を語ることがどこかタブーとなってしまっているのはいびつです。
だんだんよく鳴る法華の太鼓 【RIZAP COOK】
原話は不詳で、池上本門寺派の勢力が強く、日蓮=法華衆徒の多かった江戸で、古くから口演されてきました。
日蓮宗は「天文法華の乱」や安土宗論で織田信長を悩ませたように、排他的・戦闘的な宗派で知られています。
そういう点では浄土宗や浄土真宗と変わりません。
浄土宗と日蓮宗(法華宗)がつねに対立宗派として、江戸のさまざまな場面で登場するすることは、江戸を知る上で重要なポイントです。
法華にからんだ噺は、ほかにも「堀の内」「甲府い」「清正公酒屋」「鰍沢」「おせつ徳三郎」など、多数あります。
晩年の三遊亭円朝は、自作「火中の蓮華」の中に「法華長屋」を挿入しています。
明治29年(1896)、妻(お幸)の勧めもあって、円朝は臨済宗から日蓮宗に改宗していたのです。
お祖師さま 【RIZAP COOK】
「堀の内のお祖っさま」で、落語マニアにはおなじみ。本来は、一宗一派の開祖を意味しますが、一般には、日蓮宗(法華)の開祖・日蓮上人を指します。
汲み取り 【RIZAP COOK】
別称「汲み取り屋」で、東京でも昭和50年代前半まで存在しました。
水洗が普及する以前、便所の糞尿を汲み取る商売で、多くは農家の副業。
汲んだ肥は言うまでもなく農作の肥料になりました。
葛西(江戸川区)の半農半漁の百姓が下町一帯を回りました。
汲み取りにストライキを起こされるとお手上げなので、「葛西肥汲み」は江戸時代には、相当に大きな勢力と特権を持っていました。
摩利支天 【RIZAP COOK】
まりしてん。インドの神です。
バラモン教の聖典「ヴェーダ」に登場する暁の女神ウシャスが仏教に取り込まれたといわれています。
太陽や月光などを神格化したもので、形を見せることなく難を除き、利益を与えるとされ、日本では、中世から武士の守護神となりました。
楠木正成が信仰したことはよく知られています。
この噺に摩利支天が登場するわけは、そんな薄っぺらな知識で理解できるものではありません。
「髭曼荼羅」を見てもわかるように、日蓮宗は仏教以外の神々をも守護神として奉じています。
日蓮をさまざまな形で支えた神々、ということです。
摩利支天もその一つで、日蓮を守護する神とされています。
「下谷摩利支天」というのは、寺の俗称です。
正しくは「妙宣山徳大寺」という日蓮宗の寺院。
摩利支天をウリにした日蓮宗の寺という意味です。
かつては下総(千葉県北部)の中山法華経寺の末寺でしたが、いまは普通の日蓮宗の寺院です。
台東区上野四丁目、アメヤ横丁近くの密集地にあって、山手線からも眺められます。
この寺のすごいことは、上野の戦争(1868年5月15日)でも、震災(1923年9月1日)でも、空襲(1945年3月10にち)でも、焼失しなかったこと。これは奇跡的です。
よほど霊験あらたかなのだと篤信されているのです。
現在も厄除けの寺として、信仰を集めています。
つまり、この寺の近所の長屋が舞台だということが、「法華」をテーマにした噺であることを、はじまりから暗喩しているわけですね。
江戸にはそんなものをテーマにしても笑ってくれるだけの、法華の壇越(信者)が多かったということです。