【三味線栗毛】しゃみせんくりげ 落語演目 あらすじ

  成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

【どんな?】

老中次男坊の角三郎とあんまの錦木。
若い頃に交流があり、いずれともに出世して。
講釈ネタ。志ん生がやっていました。
志ん生は講談師に転業したことも。

あらすじ

老中筆頭、酒井雅楽頭の次男坊、角三郎。

ちょくちょく下々に出入りするのでおやじからうとんじられ、五十石の捨て扶持をもらって大塚鶏声ヶ窪の下屋敷で部屋住みの身。

そうでなくとも次男以下は、養子にでも行かない限り、一生日の目は見ない。

ところが角三郎、生まれつきののんき者で、人生を楽しむ主義なので、いっこうにそんなことは気にしない。

あしたは上野の広小路、あさっては浅草の広小路と、毎日遊興三昧。

今日も両国で一膳飯屋に入ったと言って、用人の清水吉兵衛にしかられ、
「あんまを呼んであるのでお早くお休みを」
と、せきたてられる。

今日呼んだあんまは、名を錦木という。

療治がうまくて話がおもしろいので、角三郎はいっぺんに気に入った。

いろいろ世間話をするうち、あんまにも位があることを知る。

座頭、匂頭、検校の順になり、座頭になるには十両、匂頭では百両、検校になるには千両の上納金を納めなければならないことを聞く。

錦木は、
「とても匂頭や検校は望みの外だから、金をためてせめて座頭の位をもらうのが一生の望みです」
と話す。

「雨が降って仕事がない時はよく寄席に行くもんで」
と言って、落語まで披露するので、角三郎は大喜び。

その上、
「あなたは必ず大名になれる骨格です」
と言われたから、冗談半分に
「もし、おれが大名になったら、きさまを検校にしてやる」
と約束した。

錦木は真に受けて、喜んで帰っていった。

そのうち錦木は大病にかかり、一か月も寝込んでしまう。

見舞いに来た安兵衛に、
「あの下屋敷の酒井の若さまが、おやじが隠居、兄貴の与五郎が病身とあって、思いがけなく家を継ぐことになった」
という話を聞き、飛び上がって布団から跳ね出す。

さっそく、今は酒井雅楽頭となって上屋敷に移った角三郎のところにかけつけると
「錦木か、懐かしいな。武士に二言はないぞ」
と約束通り、検校にしてくれた。

ある日のこと。

出世した、今は錦木検校が、酒井雅楽頭にご機嫌伺いに来る。

雅楽頭は、このほど南部産の栗毛の良馬を手に入れ、三味線と名づけたと話す。

駿馬にしては軟弱な名前なので、錦木がそのいわれを聞いてみた。

「雅楽頭が乗るから三味線だ」
「それでは、家来が乗りましたら?」
「バチが当たるぞ」

【無料カウンセリング】ライザップがTOEICにコミット!

うんちく

名人から名人へ 【RIZAP COOK】

原話は不詳で、講釈(講談)種とみられます。

明治の大円朝から、四代目橘家円喬と二代目三遊亭小円朝に伝承されました。

その衣鉢を継いだ昭和(戦前戦後も含め)の三代目小円朝、五代目古今亭志ん生、二代目三遊亭円歌らがよく演じました。

三代目小円朝は地味にしっとりと演じ、角三郎を闊達だが書物好きのまじめな青年として描きました。

逆に志ん生は、自由奔放な人間像を造形しました。

志ん生はマクラに両国の見世物小屋の描写を置き、山場の少ない噺に明るい彩を添えています。

さらに、小円朝は、後半の栗毛の話の聞き手を吉兵衛に代え、志ん生はそのまま錦木で演じましたが、噺の連続性からは志ん生のやり方が無難でしょう。

率直に言って古色蒼然、おもしろいとは言えない噺なので、しばらく後継者がありませんでした。

近年は、柳家喬太郎、古今亭菊之丞らが意欲的に手掛けています。

酒井雅楽頭 【RIZAP COOK】

さかいうたのかみ。譜代の名門、酒井家の本家で、上州前橋十二万五千石→播州姫路十五万石。

代々で最も有名なのは、四代将軍家綱の許で権勢を振るい「下馬将軍」と呼ばれた忠清(1624-81)。大老にまでなったこの人物が失脚してから、酒井家からは当分老中は出ていません。

この噺では、あるいは父親を酒井忠清、角三郎を嗣子忠挙ただたかに想定しているのかも知れませんが、詮索は無意味でしょう。

鶏声ヶ窪 【RIZAP COOK】

酒井家の上屋敷は丸の内、大手御門前。下屋敷のある鶏声ヶ窪は、旧駒込曙町で、文京区本駒込一、二丁目あたりです。

この付近には、下総古河八万石で、やはり大老を務めた土井大炊頭下屋敷もありました。

地名の由来は、その屋敷内から怪しい鶏の声がするので、地中を掘ってみると金銀の鶏が出てきたことによるとか。

一膳飯屋については「ねぎまの殿さま」、按摩の位については「松田加賀」を、それぞれお読みいただけると、さらに詳しい情報を得られるでしょう。

江戸高名会亭尽「白山傾城ヶ窪」歌川広重(初代)画、天保9年(1838)刊

円喬の苦悩 【RIZAP COOK】

小島政二郎(1894-1994)の小説「円朝」に、この噺を得意にした円朝門下の四代目橘家円喬(1865-1912)が、按摩の表現のコツがつかめず、苦悶する場面があります。

特に話し方、声。ゆえあってしばらく師匠を離れ、大阪に行った円喬が、答えが出ないまま、あるとき夢に見た円朝の教えは「耳で話せ」。それが開眼のきっかけになります。

ことばよみ意味
酒井雅楽頭さかいうたのかみ
捨て扶持すてぶち役に立たない人へ与えられる米
大塚鶏声ヶ窪おおつかけいせいがくぼ文京区本駒込1、2丁目
酒井忠挙さかいただたか
座頭ざとう
匂頭こうとう
検校けんぎょうあんまさんの最高位
駿馬しゅんめ良馬
土井大炊頭どいおおいのかみ古河藩主

  成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

おすすめ

コメントを残す