【志ん生のひとこと011】しんしょうのひとこと011 志ん生雑感 志ん生! 落語 あらすじ
成城石井.com ことば 噺家 演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席
今夜はフナが化けて出るかな?
承前。昭和36年(1961)11月14日(火)、午後。
志ん生夫婦は、クルマで「小春園」に向かった。
京成高砂駅の近くにある釣り堀。下町の、その奥つ方の果てにある。
なぜカミさんを連れていったのか。
エサの取り換え、タバコの点火、その他諸々の世話をさせるためだった。
この日の志ん生はツイていた。
一尺もあるヘラブナを釣りあげたし、夕方までに4-5匹の釣果。
ご機嫌で帰宅した。
まずは祝杯を。
あつらえた鰻丼に、残り酒をタレ代わりにかけて頬張った。
その後、本牧亭から新宿末広亭中席へ。
艶笑噺「氏子中」をやってみせ、場内を沸かせた。
朝は次男の志ん朝と「民謡ジョッキー」を聴き、午後はフナを釣り上げ、夜は「氏子中」で客を魅了した。文句なしの一日だった。
本牧亭の楽屋では、釣り談義に花が咲いた。
八代目林家正蔵(岡本義、1895.5.16-1982.1.29、→彦六)にはこんなことを。
「魚もまずくなりましたネ、魚だって苦労してますからネ、昔みたいにノンビリしてらんないから、味だって変わりまさあネ」
例によって、数段すっ飛ばしたご意見開陳である。意味不明。
その夜。
就寝前でのひとことが、上のあれ。ふるってる。
釣り上げたヘラブナはどうなったのだろう。
翌日のこと。
あわれ、庭の池に浮いていた。凍死だったらしい。
11月15日といえば、もう冬支度だったのだ。今とはようすが違う。
フナの菩提を弔うなら、色っぽい噺はどうも場違いだった。「後生鰻」あたりがぴったりだが、あいにく11月では、こちらも季節外れで、しょうがない。
倒れる30日前。青天の霹靂は目前だ。
高田裕史
参考資料:「週刊読売」(1961年12月4日発売)