【いもりの間違い】いもりのまちがい 落語演目 あらすじ



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【どんな?】

夢の中で、家主の娘に恋わずらいした源治。
ここはもう、黒焼きを使って……。
惚れ薬が話題。
ホントに、こんなのがあればねえ。

噺のお約束:いもりの黒焼き=惚れ薬

別題:薬違い

【あらすじ】

呉服商伊勢屋の娘に恋患いした、源治。

伊勢屋は長屋の家主でもある。

ところが、当人は一度もその娘を見たことがない。

夢の中でさらしのふんどしを一本買いに行ったところ、娘が出てきて、
「あの方は家の長屋にいる人だから、おアシを取っちゃいけないよ」
と言いながらこっちを横目で見た時、思わずブルブルっと震えがきた。

(引き続き夢で)それから湯に行って、出て来ると外に娘が立っている。

「おまえさんの家が、どこだかわからなかった」
「さあ、おうちに行きましょう」
と言って、一緒に帰ってくると、さっそく娘が
「おかみさんは? お独り身でございますか」
と聞くなり、上がり込み、それから二人で差し向かう。

茶を飲んで焼き芋をつまんだところで目が覚めたという、「見ぬ恋に焦れる」という、いじらしさ。

見舞いに来た友達が、
「そういうのに一番効き目があるのが、いもりの黒焼きだ」
という。

つまり、惚れた相手の身につけるものに振りまけば、たちまち恋がかなうという惚れ薬。

これを、少しおめでたい六兵衛に買ってこさせ、機会をうかがうと、伊勢屋の物干しに娘の襦袢が干してあったので、これ幸いと屋根伝いに潜入し、襦袢にいもりの粉をたっぷりと振りかけて帰った。

二、三日待ったが、娘からなんの音沙汰もない。

焦れていると、やっと待望の手紙が来た。

無筆なので、友達に代わって読んでもらう。

父親は墓参で留守、母親は耳が遠いから、私から源治さんに直接お話ししたいからちょっと来てほしい、とのこと。

「なんだかわからねえが、定めて薬が効いてきたのだろう」
と、喜んで行ってみると、予想に反して娘は意外に年増。

「まあ、年増も悪くない」
と源治がほくそ笑むと、娘が切り出したのは、なんと家賃の催促。

「あなたは八か月もためているので、あと三日以内に払えなければ店を空けて出ていってほしい」
という、恐ろしく冷酷な宣言。

それだけ。

がっかりして帰った源治、また病がぶり返し、六兵衛を呼びつけて、
「おめえ、たしかにいもりを買ったのか」
と念を押すと
「あ、しまった。ヤモリ(家守=家主)の黒焼きだった」

【RIZAP COOK】

しりたい

昔も今も同じ、男の願望

原話は安永10年(1781=天明元)刊の笑話本『民和新繁』中の「ほれ薬」です。

昔も今も男の考えることは、いっこうに変わらないようです。

上方には別話の「いもりの黒焼き」があります。

惚れた女にいもりの粉をかけようとした男が、間違って米俵にかけてしまい、俵が追いかけてくるため「苦しい、苦しい」と言いながら逃げるドタバタ劇。

友達が「なにが苦しいねん?」と聞くと「飯米に追われ(生活が苦しい意)てます」というオチになります。

こちらは、三代目桂米朝(中川清、1925-2015)が復活して演じました。

民話の「惚れ薬」をそのままいただいたもので、こうした話は全国各地に伝わっているようなのです。

本編「いもりの間違い」の方も、おそらく類似の民話が原型なのでしょう。

三代目小さんの速記

三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)の明治29年(1896)の速記では「いもりの間違ひ」と題しています。本サイトでもそれにならっています。

薬違い

「薬違い」の題で演じられる時はオチが少し違っていて、「あっ、しまった。薬違いだ」としていました。「道理で家賃の催促をされた」となる場合もあります。

七代目雷門助六(島岡大助、1899-1961)の速記が残っていますが、現在ではやり手はいません。

いもりの黒焼き

原料は伊吹山産のいもりのつがい。

伊吹山は滋賀県と岐阜県の境にあります。神宿る山。白猪(古事記)、あるいは大蛇(日本書紀)が神だとされていますが、どちらも不気味で強そうな動物です。『古事記』ではヤマトタケルが山の神(白猪)を退治します。読みは多くが「いぶきやま」。

薬草が採れることで有名。特産はさしも草(よもぎ→もぐさの原料)。お灸に使います。その連想から、和歌では「伊吹山」は「燃ゆ」との縁語に使われます。

そういうわけで、伊吹山のいもりも霊的なイメージがつきまといます。そこらへんのただのいもりでないところがミソ。

交尾中のものを黒焼きにすると媚薬になると伝えられてきましたが、効果の方はかなり怪しいもの。

黒焼きは「霜」とも呼び、漢方薬に「伯州散」という、黒焼きを用いたものがあるほか、猿の脳味噌、蛇、オケラ、孫太郎虫などのゲテモノを黒焼きにして薬用にしました。

動物だけでなく、草の根を用いたものもあります。

大坂高津宮南側(大阪市南区瓦屋町)の黒焼き屋は、天正年間が創始という老舗で有名でしたが、昭和54年(1979)に廃業。

井原西鶴(1642-93)の「好色五人女」(貞享3=1686年刊)に登場するほか、各種の洒落本などにも見えます。

江戸でも元禄年間(1688-1703)からはやり始め、下谷黒門町(台東区上野1丁目~3丁目)や山下御成街道に「元祖黒焼き」の看板を揚げた店が軒を並べました。

東京にも戦前まで残っていました。

桂米朝は「東京・上野の鈴本(演芸場)の近くに、二軒の黒焼き屋が並んでいて、片方が『本家いもりの黒焼き』と看板を上げていて、おかしかったのを、覚えています」と『米朝ばなし 上方落語地図』(桂米朝、講談社文庫、1984年)の中で語っています。

いもりとやもりは、江戸時代にはよく混同されていました。いもりは爬虫類、やもりは両生類と学校で習っても、現代でもまあ、どっちでもいいような動物でしょう。

ことばよみいみ
襦袢じゅばん
たな
そう
洒落本 しゃれぼん遊郭を舞台にした艶本

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