初節句のお返しに人形を。いい年した大人が青っぱなのガキにそそのかされて。
【あらすじ】
長屋の神道者の赤ん坊が初節句で、ちまきが配られたので、長屋中で祝いに人形を贈ることになった。
月番の甚兵衛が代表で長屋二十軒から二十五銭ずつ、計五円を集め、人形を選んでくることになったが、買い方がわからない。
女房に相談すると、「来月の月番の松つぁんは人間がこすからいから、うまくおだててやってもらいな」と言う。
馬鹿正直な甚兵衛がそれを全部しゃべってので、本人は渋い顔。
行きがかり上、しかたなく同行することになったが、転んでもただで起きない松つぁん、人形を値切り、冷や奴で一杯やる金をひねり出す腹づもり。
人形屋に着くと、店番の若だんなをうまく丸め込み、これは縁つなぎだから、この先なんとでも埋め合わせをつけると、十円の人形を四円に負けさせることに成功。
候補は豊臣秀吉のと神宮皇后の二体で、どちらに決めるかは長屋に戻り、うるさ方の易者と講釈師の判断を仰がなければならない。
そこで、さっき甚兵衛が汚い人形と間違えた、青っぱなを垂らした小僧に二体を担がせて店を出る。
ところがこの小僧、とんだおしゃべりで、この人形は実は一昨年の売れ残りで処分に困り、だんなが「店に出しておけばどこかの馬鹿が引っかかって買っていく」と吹っ掛けて値段をつけた代物で、あと二円は値切れたとバラしたから、二人はまんまとだまされたとくやしがる。
その上、若だんなが女中おもよに言い寄るシーンを話し、十銭せしめようとするのでまたまた騒然。
帰って易者に伺いを立てると、早速、卦を立て「本年お生まれの赤さんは金性。
太閤秀吉公は火の性で『火剋金』で相性はよろしからず。
神宮皇后さまは女体にわたらせられるから、水性。
水と金は『金生水』と申して相性がよい。神宮皇后になさい」というご託宣。
二人が喜んで帰ろうとすると、「見料五十銭置いていきなさい」
これで酒二合が一合に目減り。講釈師のところへ行くと「そも太閤秀吉という人は、尾州愛知郡百姓竹阿弥弥助のせがれにして幼名を日吉丸……」と、とうとうと「太閤記」をまくしたてる。
「それで先生、結局どっちがいいんで」 「豊臣家は二代で滅んだから、縁起がよろしくない。神宮皇后がよろしかろう」
それだけ聞けば十分と、退散しようとすると「木戸銭二人前四十銭置いていきなさい」
これで冷や奴だけになったと嘆いていると「座布団二枚で十銭」。
これで余得はなにもなし。
がっかりして、神道者に人形を届けにいくと、甚兵衛が、ちまきは砂糖をかけなくてはならないからかえって高くつくという長屋の衆の陰口を全部しゃべってしまう。
神道者は「お心にかけられまして、あたくしを神職と見立てて、神宮皇后さまとはなによりもけっこうなお人形でございます。そも神宮皇后さまと申したてまつるは、人皇十四代仲哀天皇の御后にて……」と講釈を並べ立てるから、松つぁん慌てて「待った待った、講釈料は長屋へのお返しからさっ引いてください」
【しりたい】
インチキ祈祷師はいつの世も
上方落語で、三代目三遊亭円馬が明治末年に東京に移植しました。
神道者は、神道系の祈祷師のことで、京都の白河家か吉田家の支配を受け、烏帽子・狩衣姿で鈴を振ってお祓いして回ります。
俗に拝み屋、上方では「祓いたまえ屋」とも呼ばれましたが、仏教系の願人坊主同様、かなり胡散臭い手合いでした。江戸では「しんどうじゃ」と読みます。
江戸の人形屋
人形屋は、大店は俗に十軒店(じっけんだな)、現在の日本橋室町三丁目付近に集まっていました。
そのほか露店で主に土人形や市松人形を安く売る店がそこここにありましたが、この噺の人形は節句の武者人形で、相当値段が張りますから、十軒店のちゃんとした店でしょう。
頭が木彫り、胴体は藁と紙の衣装人形です。
隠れた円生の十八番
円馬の元の型は、人形屋の主人が親切から負けてくれる演出でした。
それを、三代目桂三木助と六代目三遊亭円生が直伝で継承し、それぞれ得意にしていました。
円生では、長屋から集金せず、辰んべという男が博打で取った金を、前借するという段取りです。
現在聞かれる音源は、東京のものは円生の吹き込みのみです。
【人形買い 三遊亭円生】