【赤坂】あかさか 川柳 ことば 落語 あらすじ
成城石井.com ことば 噺家 演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席
赤坂と御油の間で頭痛がし 拾二智01
ここでの「赤坂」は東海道の一宿。江戸から数えて36番目の宿。三河(愛知県東部)。今の愛知県豊川市赤坂町。
34番目の吉田、35番目の「御油」と続いて、飯盛り女がい多くいたということから、朝まで遊んでしまったので頭が痛い、ということなのでしょうか。
江戸から34番目は吉田宿。吉田→御油→赤坂は東海道のほぼ中間点。
道中ついついゆるみが出て、遊んでしまう客が多かったそうです。それでも「頭痛」とは。いったいどんな遊びだったのでしょう。
「夏の月御油よりいでて赤坂や」は芭蕉。
五十七人は赤坂さしてにげ 十一11
この「赤坂」は中山道の赤坂宿。美濃(岐阜県)の不破郡赤坂村。今の岐阜県大垣市。江戸から数えて56番目の宿。盗賊の熊坂長範が大暴れして討たれた地として有名です。
熊坂は源義経に討たれたといわれますが、その地がかつての青墓宿。
時代が変わると近くに赤坂宿が設けられたため、謡曲「熊坂」「烏帽子折」では赤坂宿が舞台となっています。
東海道の赤坂とはおおざっぱには近くですが、国がまるで違います。
「五十七人」とは熊坂の手下は70人だったという言い伝えから、熊坂とともに討ち死にしたのが13人いたことから、残り57人は命からがら青墓から赤坂に逃げて込んだ、という意味でしょうか。
江戸の人はご丁寧にも人数を勘定して句に埋め込んだのですね。こっちのほうにびっくりです。あまりよいセンスとも思えませんが、川柳には時折みられる律儀句です。
牛若は千拾四人きり給ふ 五23
これも。熊坂+手下13人+五条橋の千人斬り=1014人とは。