たてかわきっしょう【立川吉笑】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語立川流
【前座】2010年11月、六代目立川談笑に吉笑で
【二ツ目】2012年4月
【出囃子】東京節
【定紋】丸に左三階松
【本名】人羅真樹ひとらまさき
【生年月日】1984年6月27日
【出身地】京都市
【学歴】京都市立堀川高校→京都教育大学教育学部数学科
【血液型】A型
【出典】立川吉笑公式HP 立川吉笑Wiki
【蛇足】新作路線 2022年10月30日、NHK新人落語大賞を「ぷるぷる」で受賞 180cm 70kg 『中央公論』(中央公論新社)に「炎上するまくら」連載中 新作ユニット「ソーゾーシー」(春風亭昇々、瀧川鯉八、玉川太福、立川吉笑)

2022年NHK新人落語大賞に吉笑さん

2022年11月23日、「NHK新人落語大賞」が発表されました。10月31日に東京のイイノホールで行われたものですが、落語立川流の立川吉笑さん(京都教育大→立川談笑、38)が優勝したこと、やっと明らかになりました。なんすか、この3週間の「間」は。よくもまあ、関係者のみなさんも、黙ってられたもんですなあ。さて。競争者はほかに、林家つる子(中大文→林家正蔵、35)、三遊亭わん丈(北九州市大文→三遊亭円丈→三遊亭天どん、39)、露の紫(姫路学院女短大→露の都、48)、桂源太(関学商→桂雀太、26)、桂天吾(関学→桂南天、26)の6氏。吉笑さんは、自作の新作「ぷるぷる」で勝負しました。八五郎が松ヤニをなめていたら、乾いて唇がくっついてしまって「ぷるぷる」としか言えなくなってしまうという、文句なしに笑っちゃうマンガのような噺です。彼に大賞を授けた審査員は次の5氏。桂文珍(72)、三遊亭小遊三(75)、片岡鶴太郎(67)、赤江珠緒(47)、堀井健一郎(64)の各氏で、なんと全員が10点をつける50点満点での優勝でした。小遊三師匠は、体調芳しくない柳家権太楼師匠の代審です。ちなみに、司会は林家たい平師匠と南沢奈央さんでした。立川流では2005年の立川志ら乃師(明大文→立川志らく、32)以来、17年ぶりの受賞となりました。「NHK新人落語大賞」は、若手落語家の登竜門といわれる大きな賞ですから、これからの活躍は大いに期待できるでしょう。なによりも、吉笑さんは、月刊誌『中央公論』(中央公論新社)誌上で「炎上するまくら」(2022年12月号で第72回)を連載するといった、ほんまもん(?)の文化人。落語界の枠をぶっこわすかもしれない、型破りな活躍を楽しませてくれそうです。(古木優)

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柳家さん吉、逝く

柳家さん吉師匠が、2022年2月15日、心不全で亡くなりました。84歳でした。

柳家やなぎやさん吉。1938年1月18日-2022年2月15日。落語協会。新潟県村松町(五泉市)出身。本名は榑井昌夫くれいまさお。地元の高校を卒業後、昭和32年(1957)6月に五代目柳家小さんに入門。前座名は「柳家小二三」。昭和35年(1960)11月、二ツ目に。柳家小三郎に改名。昭和37年(1962)、「柳家さん吉」に改名。

昭和48年(1973)3月、三升家勝弥(七代目三升家小勝、1937-92、安達勝美)、橘家円平(1931-2020、阿部雄厚)、三遊亭さん生(川柳川柳、1931-2021、加藤利男)、三代目吉原朝馬(1930-78、西澤貞一)、柳家小のぶ(1937-、本田延吉)、柳家かゑる(十代目鈴々舎馬風、1939-、寺田輝雄)、三升家勝二(八代目三升家小勝、1938-、小林守巨)、桂小益(九代目桂文楽、1938-、武井弘一)、林家枝二(七代目春風亭栄枝、1938-2022、天津征)とともに、計10人で真打ちに。

2022年2月9日に亡くなった七代目春風亭栄枝師匠とは、1973年の大量真打ち昇進でお仲間でした。奇しくも同じ月、日をおかずに亡くなったことになります。

春風亭栄枝、逝く

春風亭栄枝しゅんぷうていえいし、83歳。本名は天津征あまつただし。2月9日、急性腎障害で亡くなりました。東京都豊島区西巣鴨の出身。1957年3月、八代目春風亭柳枝に入門。前座名は春風亭枝二。師匠の没後、八代目林家正蔵門下(彦六)に移って林家枝二に。73年10月、真打ちに昇進。83年7月、七代目春風亭栄枝を襲名しました。ジャズばかりか狂歌や都々逸にも詳しく、『蜀山人しょくさんじん狂歌ばなし』(三一書房、1997年)がありました。弟子に春風亭百栄師匠がいます。

三遊亭円丈、逝く

【RIZAP COOK】

2021年11月17日、「新作落語のカリスマ」の異称をもつ三遊亭円丈(本名、大角弘)師匠が、心不全でお亡くなりになっていました。76歳でした。

名古屋市瑞穂区出身。昭和39年(1964)、六代目三遊亭円生師匠に入門。昭和53年(1978)に真打ちに昇進しました。出囃子は「官女」。定紋は「三ツ組橘」。これは六代目圓生一門の定紋でもあります。一門中六人抜きで真打ちに昇進したときには、円生師匠がつきっきりで回ったそうです。それほどの才能の持ち主だったのですね。信じがたいことですが。
『小説・落語協団騒動記』(金原亭伯楽、本阿弥書店、2007年)では、騒動のさ中、いろんなところでいろんな情報をこちょこちょまき散らす落ちつきのない落語家のように描かれていました。自著『御乱心』とはようすが違っていました。

らくごかのかず【落語家の数】

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先日、五反田のとあるビルで、落語を聴きました。

立川半四楼立川談慶の、です。

半四楼は45歳の前座だというのがウリでした。

しかも。

東大出てて、間組や三菱商事なんかで海外駐在経験があって、スペイン語ができるんだそうです。

なんだか、すごいです。

前座ですから、噺そのものはうまいわけではありませんでした。

でも、一生懸命やってて、なんの噺か忘れましたが、頭から湯気が出てる雰囲気でした。

その気迫というか一途な熱演に、近頃見ない風景だったのか、心動かされてしまいました。

落語家はたんにはなしの巧拙ばかりではなくて、このような「余芸」も芸の内で、これをも含めたすべてが「落語家」なのでしょう。

明治から、そんな落語家はうじゃうじゃいたもんです。

変わり種、というやつですね。

落語家って、われわれが抱くイメージとはおよそ異なる出自だったりするもんです。

そこがまたうれしいとこだし、楽しめるひとあじなんです。

会では、談慶師が「文七元結」を熱演したのですが、私はよく覚えておらず、この45歳の前座さんに強烈な印象を受けた次第。

談慶師も慶應義塾大学経済学部卒の元ワコール社員ですから、これはこれでお見事です。

「お互い学歴の無駄遣いをしているね、と楽屋なんかよく言うんです」とは、談慶師のひとこと。自慢でしょうかね。乙な土産話となりました。

立川半四楼、前座、45歳、東大卒。

このかましかたは、落語家の船出としては、とりあえず大成功かもしれません。

ところで、現在、日本には落語家と称する人たちは何人いるのでしょうか。数えてみました。

落語協会   305人
落語芸術協会 180人
三遊一門会  58人
落語立川流  58人
上方落語協会 280人
総計  881人

 2019年11月23日現在

ざっと900人弱、というところですね。日本相撲協会所属のお相撲さんは900人弱だそうですから、いい勝負です。

東京の落語家がざっと600人、関西の落語家がざっと300人、という具合です。

ほかに、名古屋、仙台、金沢もの若干名いるそうですが、「ざっと900人」の中に入れ込める人数です。

ただいま、落語家は900人、です。すごいなあ。

古木優

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