とみきゅう【富久】落語演目



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【どんな?】

すべてが崖っぷちの久蔵。
富くじ当たって土俵際でうっちゃった佳品。

【あらすじ

浅草阿部川町の長屋に住む幇間の久蔵は、人間は実直だが大酒のみが玉に瑕。

酒の上での失敗であっちのだんな、こっちのだんなとしくじり、仕事にあぶれている。

ある年の暮れ深川八幡の富くじを、義理もあってなけなしの一分で買った。

札は「松の百十番」。

一番富に当たれば千両、二番富でも五百両。

久蔵、大神宮さまのお宮(神棚)に札をしまい、
「二番富でけっこうですから当たりますように」
と祈る。
「そうしたら堅気になり、二百三十両で売りに出ている小間物屋の店を買って、岡ぼれしている料亭「万梅」の仲居・お松っつあんを嫁にもらって」
と楽しい空想にふけりながら、一升酒をあおってそのまま高いびき。

夜中にすきま風で目を覚ますと、半鐘の音。

火事は芝金杉見当だという。

しくじった田丸屋のだんなの店はその方角だ。

久蔵、ご機嫌を取り結ぶのはこの時とばかり、押っ取り刀で火事見舞いに駆けつけると、幸い火は回っていない。

期待通りだんなが喜んで、出入りを許されたので久蔵は大喜び。

さっそく、火事見舞い客の張付けに大奮闘するが、ご本家から届けられた酒を見ると、もう舌なめずりで上の空。

だんなが苦笑して
「のむのはいいがな、おまえは酒でしくじったんだから、たんとのむなよ」
と言ってくれたので、大喜びで冷酒をあおっているうち、またもへべれけで寝入ってしまう。

夜更けに、また半鐘の音。

今度は久蔵の家がある浅草鳥越方向というので、だんなは急いで久蔵を起こすと、
「万一のことがあれば必ず店に戻ってこい」
と、ろうそくを持たせて帰す。

とんだ火事の掛け持ち。

久蔵、冬の夜空を急いで長屋に戻ると既に遅く、家は丸焼け。

しかたなく田丸屋に引き返すと、だんなは親切に店に置いてくれたので、久蔵は田丸屋の居候になる。

数日後、深川八幡の境内を通ると、ちょうど富くじの抽選。

「ああ、そう言えばおれも一枚買ったっけ」
と思い出したが、
「どうもあの札も火事で焼けちまった」
と、あきらめめ半分で見ていると
「一番、松の百十番」
の声。

「あ、当たったッ」

久蔵、卒倒した。

今すぐ金をもらうと二割引かれるが、そんなことはどうでもいい。
八百両あれば御の字だ。

「札をお出し」
「札は……焼けちまってないッ」
「当たり札がなければダメだ」
と言われ、
「よくも首っくくりの足を引っ張るようなまねをしやがったな、覚えてやがれ、俺は先ィ死んでてめえをとり殺す」
と、世話人にすごんでみても、ダメなものはダメ。

あきらめきれずに泣く泣く帰る途中、相長屋の鳶頭にばったり。
「火事だってえのに何処へ行ってたんだ。布団と釜は出しといてやった。それにしても、さすがに芸人だ。りっぱな大神宮さまのお宮だな。あれも家にあるよ」
「ど、泥棒ッ。大神宮さまを出せッ」
と半狂乱で喉首を締め上げたから、鳶頭は目を白黒。

やっと事情を聞いて
「なるほど、千両富の当たり札とは、狂うのも無理はねえ。運のいい男だなァ。おまえが正直者だから、正直の頭に神宿るだ」
「へえ、これも大神宮さまのおかげです。近所にお払いをいたします」

底本:八代目桂文楽

しりたい

八代目文楽の名人芸   【RIZAP COOK】

江戸時代の実話をもとに、円朝が創作したといわれる噺ですが、速記もなく、詳しいことはわかりません。というか、円朝作というのはうそでしょう。

それよりも、この噺の演者は、なんといっても八代目桂文楽が代表格です。文楽はすぐれた描写力で、冬の夜の寒さ、だんなと幇間の人間関係まで見事に浮き彫りにし、押しも押されぬ十八番に練り上げました。ここでのあらすじも文楽版をテキストにしていますが、強いていえば、人物の性格描写が時に類型的できれいごとに過ぎるのが、この師匠の難点だったでしょう。

そんなことはありませんよ」   【RIZAP COOK】

文楽の「富久」について、榎本滋民が気のきいた一文を残しています。

駆け出そうとする久蔵を、旦那が呼び止めて、類焼した場合には、遠慮なくうちを頼ってこいといってやるのだが、絶品とうたわれた八代目桂文楽の演出では、その前置きに、「そんなことはないよ」と、打ち消して見せる。念頭に浮かびがちな、いまわしい状況を、まず断定的に否認してやることによって、相手の不安の軽減を計る。さらに、「そんなことはない」とくり返してから、柔らかに逆転の「けど」をそえ、「もしものことがあったら、よそへ行くな。うちへ帰ってきておくれよ」という主文に接続させる。窮迫した者に、援助を確約しながら、その表明に、恩着せがましさをもたせまいとつとめるデリカシーが、この簡潔な否定の前置きに、十分働いている。表記の上では、なんの綾も曲もない否定文にしかすぎないものが、練達のいい回しによって、真情あふれる、味わい深いことばになるのも、話芸なればこそである。

榎本滋民『殺し文句の研究 PARTⅡ』(読売新聞社、1987年)から

なるほど。鋭く豊かな視点に脱帽です。

志ん生の「媚びない久蔵」   【RIZAP COOK】

五代目古今亭志ん生の「富久」も、文楽のそれとはまったく行き方の違う名品でした。

文楽が久蔵の実直さ、気の弱さを全面に出すのに対し、志ん生は酒乱と貧乏ゆえの居直り、ふてぶてしさを強調しました。志ん生の久蔵は、決してだんなに媚びてはいません。

ながらく貧乏していた志ん生は、久蔵の不安、やるせなさ、絶望感、それを酒に逃避する弱さを、自らの貧乏体験からはじき出して放埓に演じ、それが観客を勘違いさせて感動に結び付けていました。評論家諸氏は「志ん生は貧乏のどん底だった」といったりしますが、どうも違和感があります。たしかに「どん底」ではあったのかもしれませんが、「貧苦」とは無縁です。どこか楽しんでいたふしもあり、本人は「貧困」「貧窮」とは異なる次元での楽観した生活だったように思えます。

火事で家に急ぐ場面でも、文楽は「しょい、しょい、しょいこらしょっ」と様式的。志ん生は「寒い寒い、寒いよォ」と嘘も飾りもない裸の人間そのまま。両者の違いがはっきり出ています。

浅草阿部川町   【RIZAP COOK】

東京都台東区元浅草三、四丁目から寿一、二丁目。町名主が駿河(静岡県)の阿部川から移住してきたことから、この名があります。

もともと寺社地だったところが町屋になったためか、今でもこのあたりは寺ばかりです。江戸の頃は、裏長屋や同心などの御家人の住居が多く、正徳3年(1713)、町奉行所の直轄御支配地になっています。江戸時代には、役所が担当・管轄することを「支配」と呼んでいました。現代の「支配」とは意味合いが異なります。

大神宮さまのお宮   【RIZAP COOK】

大神宮とは伊勢神宮のことです。「神宮」は天皇家となにがしかの関係がある、ということを示しています。熱田神宮、鹿島神宮、香取神宮、平安神宮、明治神宮など、いろいろあります。こんなこと、ガッコ―ではおせえてくれませんな。

伊勢神宮というのは、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)をあわせて総称です。内宮は天照大神をまつり、外宮は豊受大御神をおまつっています。この神さま天照大御神の食事係りです。さらには、衣食住、産業の守り神としても崇敬されています。そこまで敷衍されるのは、この神さま、じつはお稲荷さまと同一神だともいわれています。その話はいずれどこかの項目で。

さて。

この噺の大神宮さまとは伊勢の神さまを祭る神床をさします。歳末になると家々に回ってくる伊勢神宮の御師が神床を配ります。御師は旧年のお祓いをしに回ります。御師とは下級の神職者で、全国を分担して巡回していたようです。御師は来年の御札(神符、大麻)も配りますから、この来年用のを神棚にまつるのです。神棚はどんな貧しい長屋住まいにもあったようです。

大神宮信仰は、江戸では水商売や芸人に多くあったといわれています。縁起をかつぎ、霊験に誓い、大神宮の神床をおのれの経済力以上に大きなものをまつったりしていました。

神床は伊勢神宮の神明造を模したもので、これを「大神宮の御宮」と呼んでいました。

江戸の末期になると、都市部の町人に経済力が備わって、伊勢参宮ができるほどになりました。とはいえ、生涯一度のもので、大半の人々には夢のまた夢。江戸にいながら参拝できるようにと、伊勢神宮が代用品に売り出していたのがこれらの品々です。

それすら高価なので、買うのは芸者や幇間など花柳界の者が中心。芸人の見栄で、無理しても豪華なものを買う習わし、というのが本心だったようです。見栄を張って生きているのですが、富くじはこのあたりに隠しておくのが通り相場だったようです。」

伊勢の御師  【RIZAP COOK】

いせのおんし。伊勢神宮の下級神官で、全国を回って、伊勢暦や大麻(天照大御神のお札)を売るのがつとめです。ほかの神社では御師を「おし」と呼びますが、伊勢神宮だけは「おんし」と呼びならわしています。

伊世よりも 三河は顔が のどかなり   二31

伊勢の御師 さて銭の無い さかりに来る   五12

転宅を 奇妙にさがす 伊勢の御師   六39

このネットワークは全国の最新情報を仕入れてくるため、事情通の人たちでした。今と違って引越し先を探すのは骨の折れることですが、そこはプロで、どこまでもやってくる、考えようによってはそらおそろしい人たちでした。伊勢神宮以外の神社でも同じような御師が多数巡回していましたが、伊勢神宮だけは数も多いし、配る(売りさばく)商品も多かったようです。

「三河」は三河万歳。笑わせるわけです。伊勢の御師はもっともらしくふるまうものですから、笑いはなく、年末年始に顔を出す二様のよそびとは雰囲気がかなり違っていたのですね。

糊屋

久蔵の長屋の火事、出火元は糊屋のばあさんからで、「爪に火をともすようにしていたんで、そこから火が出た」とかいったフレーズがあったりします。

糊屋のばあさんは、「出来心」など多くの噺に出てきますが、「糊屋のばばあ」「糊屋のばあさん」と言われることが多く、その人柄などはまったく描かれないようです。不思議な謎の人物です。

落語の妙におもしろいところです。

糊屋というのは、ご飯粒をつぶして洗い張り用の姫糊をつくって売って歩く職業です。糊屋のばあさんも売って歩いていたのでしょうか。



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