【片棒】かたぼう 落語演目 あらすじ
ケチが葬式すれば
成城石井.com ことば 噺家 演目 志ん生 円朝迷宮 むだぐち 故事成語
【どんな?】
息子三人に自分の葬式案を語らせるおやじ。三者三様に大あきれ。けちの噺。
別題:赤螺屋(上方)
【あらすじ】
赤螺屋吝兵衛という男。
一生食うものも食わずに金をため込んだが、寄る年波、そろそろ三人の息子の誰かに身代(財産)を譲らなくてはならない。
かといって、今のままでは三人の了見(思い)がわからず、誰に譲ったらいいか迷ってしまう。
ある日、息子たちを呼んで、「俺がかりに、もし明日にでも目をつむったら後の始末はどうするつもりか」
と一人ずつ聞かせてもらいたいと言う。
まず、長男。
「おとっつぁんの追善(供養)に、慈善事業に一万両ほど寄付する」
と言い出したから、おやじ、ど肝を抜かれた。
葬式もすべて特別あつらえの豪華版。
袴も紋付きも全部新規にこしらえ、料理も黒塗り金蒔絵の重箱に、うまいものをぎっしり詰め、酒も極上の灘の生一本。
その上、車代に十両ずつ三千人分……。
吝兵衛、ショック死寸前。
「と、とんでもねえ野郎だ、葬式で身上(財産)をつぶされてたまるか」
次ッ! 次男。
「お陽気に、歴史に残る葬儀にしたい」
と言いだしたから、おやじはまたも嫌な予感。
案の定、葬式に紅白の幕を飾った上、盛大な行列を仕立て、木遣、芸者の手古舞に、にぎやかに山車や神輿を繰り出してワッショイワッショイ。
四つ角まで神輿に骨を乗せて担ぎ出す。
拍子木がチョーンと入った後、親戚総代が弔辞で
「赤螺屋吝兵衛くん、平素粗食に甘んじ、ただ預金額の増加を唯一の娯楽となしおられしが、栄養不良のためおっ死んじまった。ざまあみ……もとい、人生おもしろきかな、また愉快なり」
と並べると、一同そろって
「バンザーイ」
「この野郎、七生まで勘当(縁切り)だっ!!」
次ッ! 三男。
「おい、もうおまえだけが頼りだ。兄貴たちの馬鹿野郎とは違うだろうな」
「当然です。あんなのは言語道断、正気の沙汰じゃありません」
やっと、まともなのが出てきた。
おやじ、跡取りはコレに決まったと安心したが、
「死ぬってのは自然に帰るんですから、りっぱな葬式なんぞいりません。死骸は鳥につつかせて自然消滅。これが一番」
「おいおい、まさかそれをやるんじゃ」
「しかたがないから、まあお通夜を出しますが、入費(費用)がかかるから、一晩ですぐ焼いちまいます。出棺は十一時と言っといて八時に出しちまえば、菓子を出さずに済みます。早桶は菜漬けの樽の悪いので十分。抹香は高いからかんな屑。樽には荒縄を掛けて、天秤棒で差し担いにしますが、人を頼むと金がかかりますから、あたしが片棒を担ぎます。ただ、後の片棒がいません」
「なに、心配するな。俺が出て担ぐ」
成城石井.com ことば 噺家 演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席
【しりたい】
元は上方噺
宝永2年(1705)京都板『軽口あられ酒』巻二の七「きままな親仁」が原話といわれています。
この板本では親仁に名前はありませんが、これが東京に行って「片棒」となると、赤螺屋ケチ兵衛という名前が付きます。
またまた吝兵衛登場!
今回の屋号はあかにしや。
「あかにし」は田螺で、金を握って放さないケチを、田螺が殻を閉じて開かないのにたとえたものです。だから、田螺はケチを暗示しているのです。
上方ではケチは当たり前なので、あまりケチ噺は発達しなかったようです。
葬式
この噺にあるように、かつて富裕層の間では、会葬者に、上戸は土瓶の酒、下戸には饅頭、全員に強飯と煮しめなどの重箱を配ったものです。
ケチ兵衛ほどしみったれていなくとも、ぐずぐずして会葬者が増えれば、それだけ出すものも出さねばならず、経費もかさむ勘定です。
今も昔も、葬儀の費用はばかになりませんが、明治から大正の初期ぐらいまでは、よほどの貧乏弔いでない限り、どこの家でも仰々しく葬列を仕立てて斎場まで練り歩いたので、余計に物入りだったでしょう。
さまざまなくすぐりと演出
笑いが多く、各自で自由にくすぐりを入れられるため、現在もよく演じられます。
全体のおおまかな構成は、三代目三遊亭金馬(加藤専太郎、1894-1964)のものが基本になっています。
戦後では、「留さん」こと九代目桂文治(1892-1978、高安留吉、留さん)が、自分自身がケチだったこともあって、ことのほか得意にしていました。
会葬者一同の「バンザーイ」や、飛行機から電気仕掛けで垂れ幕が出るギャグ、鳥につつかせる風葬というアイデアも文治のものです。
葬列に山車を繰り出す場面を入れたのは、初代三遊亭銀馬(大島薫、1902-1976)でした。
長男は松太郎、次男を竹次郎、三男梅三郎と、皮肉にも松竹梅で名前をそろえることもあります。