【寄合酒】よりあいざけ 落語演目 あらすじ
【どんな?】
金がないのにわいわいがやがや。
がさつで喧しくてにぎやかな噺。
別題:ん廻し 田楽食い(上方)
【あらすじ】
町内の若い衆が、金がないので肴をめいめい持ち寄りでのむことにしたが、これが大混乱。
数の子を煮てしまう奴がいたり、山芋を糠味噌に漬けたり、せっかく乾物屋の餓鬼をチョロまかしてせしめた鰹節を、二十本もいっぺんにかいてしまって、大釜でグラグラ。
うどん屋をやるんじゃないと、ぼやいていると、そのダシで行水してしまい、後は全部捨ててバケツ一杯だけ残した奴が現れ、世話人は頭を抱える。
しかたがないのでそのバケツを持ってこいと言うと、いま褌を洗濯しているのがいると、いう。
「すまねえ。知らないから。絞って持っていこうか?」
「冗談じゃねえ」
とっておきの鯛は、料理しているところにどこかの犬がきて、ちょんと座って動かないので、
「そんなのは頭を一発食らわして追っ払え」
と言われて頭を食べさせ、
「胴体を食らわせろ」
と言うから胴体をやってしまい、まだ動かないので尻尾まで食らわせて、とうとう全部犬の腹へ。
大騒ぎしているところへ豆腐屋から田楽が焼き上がってくる。
運がつくように、「ん」がつく言葉を一つ言うごとに田楽を一枚食わせると取り決めた。
各自ない頭を絞り、しまいには
「オレ、せんねんしんぜんえんのもんぜんにげんえんにんげんはんみょうはんしんはんきんかっぱんきんかんばんぎんかんばん、きんかんばんこんぼんまんきんたんきんかんばんこんじんはんごんたんひょうたん、かんばんきほうてん」
とお経のような文句を一息に並べ立て、五十六本せしめる奴も出る始末。
負けずに、算盤を用意しろと大きく出た男
「半鐘でジャンジャン、ボンボンボン、あっちでジャンジャンジャンジャン、こっちでジャンジャンジャンジャンジャン、消防自動車が鐘をカンカンカンカンと五百」
「おい、こいつに生の田楽を食わせろ」
「なぜ」
「消防のまねだから、焼かずに食わせるんだ」
底本:六代目三遊亭円生
【しりたい】
ルーツは元和年間
原話になる小ばなしは数多くあります。ルーツは古く、大坂夏の陣の終わった直後の元和年間(1615-24)に刊行された『戯言養気集』中の「うたの事」が最古の形です。
ここではすでに「ん」の音の入った単語を並べ、田楽を取り合うパターンが確立しています。
その後、寛永5年(1628)刊の安楽庵策伝(平林平太夫、1554-1642)著『醒睡笑』中の「児の噂」でも、僧たちの「ん」の字遊びの中に、田楽欲しさに稚児が割り込むという筋になっています。
小ばなしによっては「ん」の言い合いではなく、ゲームが謎掛けやダジャレ(たとえば医者の本尊で薬師如来=八串もらえるなど)になる場合もあります。
田楽食いのパターンは終始変わっていません。
初代春団治の十八番
上方噺では、「田楽食い」として長く親しまれ、後半の「ん」の字の言い合いから、「ん廻し」の別題もあります。
初代桂春団治(皮田藤吉、1878-1934)の爆笑編で知られ、レコードも残されています。
そのやり方が二代目桂春団治(河合浅次郎、1894-1953)、さらに三代目桂春団治(河合一、1930-2016)に継承されたほか、父の五代目笑福亭松鶴(竹内梅之助、1884-1950)譲りで、六代目笑福亭松鶴(竹内日出男、1918-86)も得意にしていました。
東京には明治期に移され、先の大戦後は、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の)のものでした。
古くは、後半の「ん廻し」に重点が置かれました。
どちらかといえば近年、東京でさかんに演じられるようになって、前半の、材料をメチャクチャにするくだりがより派手に演じられるようになり、その分、笑いも多くなっているようです。
ますます短くなる噺
オチは、本来、この先があって、「矢を射て、当たるとタイコがドン、ドンドンドン……」と際限なく繰り返す男がいるので、「そんなにたくさんっじゃ、焼くのが間に合わねえ」「いいよ、焼かず(=矢数)で食う」というものでしたが、長くなるので春団治が現行のところで切り、円生もこれにならっていました。
田楽のくだりまでいかず、時間の関係でさらに短く切る場合も最近は多く、ますます本来の「ん廻し」の要素が薄れてきています。
田楽
起源については、「味噌蔵」で紹介した通りです。
なお、田楽は店構えの豆腐屋のほか、上燗屋とも呼ばれた屋台のおでん屋、田楽茶屋という専門店でも売っていました。
田楽茶屋は、出合茶屋(ラブホテル)を兼業していることが多かったといいます。
田楽と男女の濡れ事、何か縁がなさそうでしっくりきませんが、なに、どちらも焼けることに変わりはないようで。