【岸柳島】がんりゅうじま 落語演目 あらすじ
【どんな?】
渡し舟に乗り合わせた町人と侍。
戦わずして勝つの極意が披露。
間抜け武士の横柄と横暴を笑います。
別題:巌流島 桑名船(上方)
【あらすじ】
浅草の御廐河岸から渡し船に乗り込んだ、年のころは三十二、三の色の浅黒い侍。
船縁で一服つけようとして、煙管をポンとたたくと、罹宇が緩んでいたと見え、雁首が取れて、川の中に落ちてしまった。
日頃よほど大切にしていたものと見え、たちまち顔色が変わる。
船頭に聞くと、ここは深くてもう取ることはできないと言われ、無念そうにブツブツ言っている。
そこへ、よせばいいのに乗り合わせた紙屑屋が、不要になった吸い口を買い上げたいと持ちかけたので
「黙れっ、武士を愚弄いたすか。いま拙者が落とした雁首と、きさまの雁首を引き換えにいたしてくれるから、そこへ直れっ」
ときたから紙屑屋は仰天。
いくら這いつくばって謝っても、若侍は聞かばこそ。
へたに仲裁をすれば、今度はこっちにお鉢がまわりそうだから、誰もとりなす者はいない。
あわれ、首と胴とが泣き別れと思ったその時、小者に槍を持たせた七十過ぎの侍が
「お腹立ちでもござろうが、取るに足らぬ町人をお手討ちになったところで貴公の恥。ことに御主名が出ること、乗り合いいたししたる一同も迷惑いたしますから、どうぞご勘弁を」
と詫びたが、かえって火に油。
「しからば貴殿が相手。いざ尋常に勝負をさっしゃい」
けんかが別のところに飛び火した。
「それではやむを得ずお相手するが、ここは船中、たってとあれば広き場所で」
「これはおもしろい。船頭、船を向こう岸にやれ」
さあ、船の中は大騒ぎ。
若侍は袴の股立(袴の左右両脇の開きの縫い止め部分)を取り、襷を掛けて、この爺、ただ一撃ちと勇んで支度する。
老人の方はゆっくりと槍の鞘を払い、りゅうりゅうとしごく。
対岸近くなると、若侍は勢いこんで飛び上がり、桟橋にヒラリと下り立った。
とたんに老人が槍の石突きでトーンと杭を突くと、反動で船が後戻り。
「あ、こら、卑怯者。船頭、返せ、戻せ」
「これ、あんなばかにかまわず、船を出してしまえ」
「へいっ。ざまあみやがれ、居残り野郎め。満潮になって、魚にでもかじられちまえ」
真っ赤になって怒った若侍、なにを思ったか、裸になると、大小を背負い、海にざんぶと飛び込んだ。
こりゃあ、離されて悔しいから、腹いせに船底に穴を開けて沈めちまおうてえ料簡らしいと、一同あわてるが、老侍は少しも騒がず、船縁でじっと待っていると、若侍がブクブクと浮き上がってきた。
「これ、その方はそれがしにたばかられたのを遺恨に思い、船底に穴を開けに参ったか」
「なーに、落ちた雁首を探しにきた」
【しりたい】
原話のキモは無手勝流
『呂氏春秋』の「察今編」にこんな話があります。
其の剣、舟中より水中におつ。にわかにその舟にきざみていわく、「これわが剣のよりておちし所なり」と。
これが「岸柳島」の原典と見られていましたが、ちょっと違うと思います。
これは「舟に刻みて剣を求む」という故事に過ぎません。
『呂氏春秋』は中国の戦国末期、紀元前239年、呂不韋が雑家に編集させた書です。
雑家とは、諸子百家のひとつで、儒、道、法、墨、農、名など諸家ごちゃまぜの流派です。
ですから、この書は百科事典のような役割を果たしてきました。広く浅く、という。
乗っている舟から剣を落とした人が、あわてて舟べりに印をつけてその下の川底を捜したという故事です。
古い物事(剣)にこだわって、状況の変化(舟)に応じることができないでいる男の愚かぶりが描かれています。
原話は、塚原卜伝(1489-1571)の逸話です。
塚原卜伝は戦国期の武術者です。常陸(茨城県)の鹿島神流から出て、鹿島新当流という新流派を打ち立てました。
「剣聖」とも呼ばれ、並みいる武芸者とは少々格が違います。
しかも、長生きしたせいか、逸話がたいへん多く残っているのですね。
その中に、『甲陽軍鑑』に載っている無手勝流の逸話があります。
この書はつい最近までは偽書の疑いがありましたが、山本勘助(?-1561)も実在したとされるようになって、資料的価値もにわかに出てきています。
『甲陽軍鑑』での話の舞台は琵琶湖ですが、すじだては「岸柳島」とまったく同じです。
この噺の軸足は「舟に刻みて剣を求む」ではなく、「戦わずして勝つ」にあるのだと思います。
日本では昭和48年(1973)に公開されたワーナー映画『燃えよドラゴン』(Enter the Dragon、龍争虎闘)。
この作品の前半部にも無手勝流のサイドストーリーが描かれていました。
無手勝流の勝者は、もちろんブルース・リーが演じています。
巌流島か、岸柳島か
この話は、安永2年(1773)刊の『坐笑産』中の小ばなし「むだ」を始め、さまざまな笑話本に脚色されています。
その後、上方落語「桑名船」として口演されたものを東京に移す際、佐々木小次郎の逸話をもとにした講談の「佐々木巌流」の一節が加味され、この名がついたものです。
そのせいか、もとは若侍を岸に揚げた後、老人が、昔、佐々木巌流(小次郎)がしつこく立ち合いを挑む相手を小島に揚げて舟を返し勝負をしなかった、という伝説を物語る場面がありました。
この説明がなければ、「巌流」といってもなんのことかわからず、むしろ「岸柳島」の演題が正しい、と三遊亭円朝(出淵次郎吉、1839-1900)が述べています。
こちらも志ん生の十八番
古くは三遊亭円朝、四代目三遊亭円生(立岩勝次郎、1846-1904)が演じ、初代柳家小せん(鈴木万次郎、1883-1919)を経て、先の大戦後は五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)が抱腹絶倒のくすぐり満載で大ヒットさせました。
志ん生が昭和31年(1956)に演じた「巌流島」は、志ん生自身の数少ない貴重な映像の一つとして残っています。
六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79)、八代目林家正蔵(彦六=岡本義、1895-1982)、三代目三遊亭小円朝(芳村幸太郎、1892-1973)などの大看板も手掛けました。
上方では、東海道の桑名の渡し場を舞台にしています。
志ん生のくすぐり
●若侍が舟中に飛び込んできて
「あー、これッ。もっとそっちィ寄れッ。じゃまだッ。町人の分際でなんだその方たちは。あー? うー、人間の形をしてやがる。生意気にィ……あー、目ばたきをしてはならん。……息をするなッ」
●果たし合いが決まって舟中の連中
「あのじいさんは斬られる。するってえと、返す刀であの屑屋を斬る。そいからこんだ、てめえを斬る。斬らなきゃオレが頼む。『えー、そっちが済みましたらついでに……』」
「床屋じゃねえや」
●置いてけぼりの若侍をののしって
「ざまあみやがれ、宵越しの天ぷらァ」
「なんだい、そりゃ?」
「揚げっぱなしィ」