【桜川慈悲成】さくらがわじひなり 噺家 落語 あらすじ
落語中興の祖
【芸種】はなし
【活躍地】江戸
【本名】八尾大助(八尾大五郎)
【生没年月日】宝暦12年(1762)-天保4年(1833)
【出身地】芝宇田川町に住む
【前歴】金工・杉浦如泉の弟子で則久 ※鞘師、陶商の説もあり
【ネタ】『落噺常々草』の「腹曲馬」は「鉄拐」の元ネタ。『延命養談数』の「火の玉」は「悋気の火の玉」の元ネタ。
【出典】Wiki
【蛇足】初代烏亭焉馬と並ぶ、落語中興の祖。戯作者岸田杜芳に入門し、親の慈悲成→桜川慈悲成→芝楽亭。狂歌、戯作、茶番などを得意とし、咄の会を行う。初代烏亭焉馬の咄の会に出席すると同時に、武家屋敷にも出入りして自分の咄の会を主催。黄表紙『天筆阿房楽』、咄本『三才智恵』なども。
■桜川慈悲成の年譜
宝暦12年(1762) | 誕生 |
天明8年(1788) | 杜芳門人親慈悲成の名義で黄表紙『戯作書始 天筆阿房楽』など、100余種を刊行 |
寛政10年(1798) | 『鶴の毛衣』 |
寛政11年(1799) | 『腮の掛金』 |
寛政12年(1800) | 『虎智のはたけ』 |
文化7年(1811) | 『落噺常々草』 |
天保4年(1833) | 『延命養談数』。死去 |
天保9年(1838) | 息子が二代目襲名 |