【邪魔に楢の木椋ろんじ】じゃまにならのきむくろんじ むだぐち ことば 落語 あらすじ
成城石井.com ことば 噺家 演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席
一見すると「邪魔になる」というだけのむだぐち。
「なる」と「なら」を掛けているわけです。何回か口に出して唱え、ことばのリズムを味わうと、自然にもう一つダジャレが隠れていることがわかります。
「じゃまに」と「山に」です。
最後の「椋ろんじ」。これがなかなか難物です。
辞書を引いてみれば、「むくろんじ」はムクノキ。落葉樹で、皮または実を煎じるとぶくぶく泡が出て、シャボン玉の液に。
「茶の湯」で、隠居が煎茶の泡を出すのに、青黄粉といっしょにぶち込んだのが、これでした。
木自体はなんの変哲もなく、「むくろ(ん)じは三年磨いても黒し」という諺から「進歩がない」ことのたとえでした。
「あってもさして役に立たない、うどの大木」ということで「邪魔」とつなげたと思われます。
考えてみれば、ほとんど愚かしいダジャレばかりのむだぐちに、しかつめらしい解釈などは本来、ヤボの極み。
遊び心という視点では、これはなにとなにを掛けて後にどうつなげているのか、謎解きのようなおもしろさがあるのもまた確かなのですが。
そこで、引っかかった「椋ろんじ」について、木だけに掘り返してみます。以下は、筆者(高田裕史)の私見です。
結論をいえば、これは「むぐらもち」のダジャレ。あの「モグラ」のことです。
ではなぜか。答えは、安政4年(1857)初編刊の滑稽本『妙竹林話七偏人』(梅亭金鵞作)に隠れていました。「山椒味噌まであればよい」と。
『七偏人』の主人公は七人の侍ならぬ七人の遊冶郎(=放蕩野郎)。なにかといえば七人が雁首そろえ、遊ぶことしか頭になし。
この連中が好むのは茶番です。
江戸中あっちこっちで野外芝居の趣向をこしらえ、最後にタネあかしで見物人をあっと言わせるのが生きがい。
で、今日も今日とて、ああだこうだとむだぐちを叩きあいながら、相談に余念あリません。その一人、虚呂松(きょろまつ)が、演出に熱が入りすぎて腹が減ったと七輪で餅を焼き始めます。
いわく「不器ッちやうに大きな網で、土俵のそとへ二、三寸はみ出すから」。……以下、「邪魔に楢の木」と、このざれぐち。
この男、でっぷり太って大食い。
キーワードは「餅」とわかります。
そこで「むぐらもち」→「モグラ」は太っている人のたとえだと。おまけに「もち」が出ます。
最後の「山椒味噌」。山椒の実が丸くてごろごろしているところから「ころり山椒味噌」。
これも大食い、肥満の異称です。
餅網が大きすぎ、七輪という土俵からふくれた餅がはみ出してコロコロリ。
「味噌でもつけて食っちまおう」というところ。
これで「むくろんじ」→「むぐらもち」のつじつまがどうにか合いました。