【提灯屋】ちょうちんや 落語演目 あらすじ
【どんな?】
町内に新しい店。
無筆でなんの店かわからず。
それが提灯を造って売る店で。
上方から東京にもってきた噺。
滑稽噺の秀作です。
【あらすじ】
無筆が多かった昔の話。
町内でチンドン屋が、広告を配って歩いている。
長屋の連中、広告を見てやってきたと言えば向こうで喜び、お銚子の一本も出すかもしれないと、さっそく出かける相談。
ところがあいにく、誰も字が読めず、何屋なのかわからない。
そば屋ならもっとのびた字を書きそうなものだし、寿司屋なら握った字を書いてあるはず、てんぷら屋か、はたまた中華料理か、変わったところで、大阪ではすっぽんをまるというから、こう字が丸まったところを見てすっぽん屋かしら、いや、かしわ(鶏)料理屋だろうと、食い意地が張って、片っ端から食い物屋の名前を並べ立てても、らちが明かない。
そこへ米屋の隠居が来たので、読んでもらうと、これが食い物ではなく、提灯屋の新規開店の広告。
一同がっかり。
「当日より向こう七日間は開店祝いとして、提灯のご紋、笠の印等は無代にて書き入れ申し候。柏町一丁目五番地、提灯屋ブラ右衛門」と、あった。
万一、書けない紋があるときは、お望みの提灯をタダでくれるというので、「大きなことを抜かしゃあがる。それなら証拠の広告を持って、タダでもらってこようじゃねえか」と、一座の兄貴分が計略を巡らす。
とても書けないような紋を言い立て、へこましてやろうという算段だ。
まず一人目が、
「鍾馗さまが大蛇を輪切りにした紋を書いてみろ」
と判じ物で迫り、降参させる。
鍾馗さまは剣を持っていて、うわばみを胴斬りにしたから、まっ二つに分かれて片方がうわ、もう片方がばみ。併せて、剣かたばみ、というわけ。
二人目は
「仏壇の地震てんだが、書けるか?」
仏壇に地震がくれば、りんもどうもひっくり返るから、りんどう崩し。
これで、ぶら提灯を二つせしめた。
三人目は「髪結床看板が湯に入って熱い」という、妙な紋。
髪結床の看板はねじれていて、熱いからうめろというので、合わせてねじ梅。
四人目は
「おめえだな、提灯をただくれるてえのは」
と、最初からもらったも同然というずうずうしさ。
この男のが長い。
「算盤の掛け声が八十一で、商売を始めて、もうかったが持ちつけない銭を持って、急に道楽を始めた。家に帰らないから嫁さんが意見がましいことを言う。なに言ってやんでえベラボウめ。男の働きだ。ぐずぐず言うならてめえなんぞ出ていけってんで、かみさんを離縁しちまった」
という紋。
謎解きは、八十一は九九、もうかったから利があり、これでくくり。かみさんが去っていったから、合わせてくくりざる。
出す提灯、出す提灯、みんなタダで持っていかれた提灯屋、もうなんとでも言ってきやがれ、とヤケクソ。
一方、町内は提灯行列。
そこへ、隠居までやってきた。
さあ、こいつが元締めかと、提灯屋はカンカン。
隠居、よりにもよって一番高い高張提灯がほしいと抜かす。しかも二つも家まで届けろというから、念がいっている。
「で、紋だが」
「ほうら、おいでなすった。鍾馗さまが大蛇を輪切りにして、仏壇の地震でもって、八十一が商売始めて、もうかってかみさんを離縁したって言おうてんだろう」
「落ち着きなさい。私の紋は丸に柏だ」
「うーん、元締めだけあって、無理難題を言ってきやがる。丸に柏、丸に柏と……あッ、わかった。すっぽんにニワトリだろう」
【しりたい】
提灯屋の集団
噺の中に「傘の印」とあるように、傘を合わせてあきなっているところも多く、その場合、傘の形をした看板に「ちゃうちん」と記してありました。より詳しくは「花筏」をお読みください。
もちろん、この噺でわかるように、紋の染物屋も兼ねた、三業種兼業のマルチ企業だったわけです。
判じ物
判じ物は、狭義では絵や文字から、隠された意味を解かせるもので、現在の絵解きパズルに当たります。単なるなぞなぞ、なぞかけを意味することもあり、この噺で持ち込まれる難題は、そちらに当たります。
江戸っ子はシャレ好きで、地口、なぞかけなど、さまざまなクイズを楽しみ、時には賭けの対象にしました。
代表的ななぞかけには、
宵越しのテンプラ→揚げ(=上げ)っぱなし
金魚のおかず→煮ても焼いても食えない
やかんの蛸→手も足も出ない
などがあります。「宵越しのテンプラ」などは、現在でもエスカレーターが上りだけで下りがないビルなどに使えそうですね。
『浮世断語』(三代目三遊亭金馬著、河出文庫から復刻)」はいちおしです。
江戸っ子学の宝庫で、こうしたなぞかけ、判じ物についてわかりやすく解説し、実例も豊富に載っています。
残る速記は五代目小さんのだけ
落語としては上方が本家で、東京に移植したのは三代目三遊亭円馬(橋本卯三郎、1882-1945、大阪→東京)と言われますが、はっきりしません。
円馬から四代目柳家小さん(大野菊松、1888-1947)を経て、五代目小さん(小林盛夫、1915-2002)に継承されました。現在、小さん一門を中心に演じられていますが、手掛ける者は多くはないようです。
速記、音源とも、長らく五代目のものだけでしたが、柳家小三治(郡山剛蔵、1939-2021)、三遊亭小遊三などのCDも出ています。上方では、露の五郎兵衛が演じていました。
発掘された原話
原話はずっと不明とされていましたが、武藤禎夫(1926-、東大→朝日新聞社→共立女子短大、近世舌耕芸)は、明和6年(1769)刊『珍作鸚鵡石』中の「難題染物」を原型としてあげています。
これは、提灯屋は登場しませんが、大坂・嶋の内に「難題染物」の看板を掲げる店があり、そこの主人が無類の囲碁好き。今日も友人と碁盤を囲んでいるときに「一つ足らん狐の一声」という紋の注文が来ます。わからずに考え込むと、友人が、「九曜の紋(大円の周りを八つの小円が囲む)なら十に一つ足らず、狐の一声なら『コン』で、合わせて紺の九曜」と、教えるというすじです。
紋を注文するのに、なぞかけで出すという趣向が、確かに「提灯屋」の原話と思わせる小咄です。
【語の読みと注】
鍾馗 しょうき
判じ物 はんじもの:謎かけ