【地見屋】じみや
【どんな?】
今でも通用する、元手いらずのおいしい商売。
【あらすじ】
どん底生活で失業同然の熊五郎。
きれいな着物を着て、うまいものを食って、女に惚れられて、働かなくても飯がくえるような、いい商売はないものかと思いを巡らすうち、ふと気になったのが、長屋の隣に住んでいる独り者。
ついぞ商売を聞いたことがない。
見るからに羽振りがよさそうなので、ワリのいい仕事をしているに違いないから、ひとつ談判して、腕づくでも仲間にしてもらおうと物騒なことを考え、隣へ出かけていった。
前々からうさん臭いとにらんでいたので
「てめえは昼間はグーグー寝ていて、夜出かけて朝帰ってくるからには、ドのつく商売だろう。さあ白状しねえ」
とカマをかけて脅す。
男は、
「自分の商売は素人には説明しにくい商売だ」
と言う。
熊五郎は
「人殺しと言い立てるぞ」
と脅迫して、ようやく聞き出したところによると、男は地見屋。
つまり、文字通り地面を見て歩き、金目のものを拾って横流しする「拾い屋」。
お上の目がヤバイが、腕によっては元手いらずの上、相当もうかると聞き、熊は喜んで、
「俺もやってみるから一口乗せろ」
と頼むが、「組合」の加入金兼技術の指導料五十銭が前金でいるとのこと。
熊公は一文なしなので、強引に後払いということにさせ、秘訣を無理矢理聞き出す。
男の教えたところでは、現ナマは夜中から夜明けにかけてが一番拾いやすいという。
「仲間うちでは、五銭でも現金を拾うと酒を呑んで祝うんだよ。悪い月でも三、四十円、運がよければ百円以上拾うね。そうすると、仲間に赤飯を配るんだ」
熊は、家のガラクタを残らず売り飛ばした一円をふところに、日が暮れきらないうちから両国、日本橋横山町あたりを地面ばかり見ながら捜索するが、夜中まで足を棒にしても、まるでダメ。
しかたなく、一円を「前祝い」に回して、一杯景気をつけようと屋台のおでん屋に飛び込む。
呑むうちに気が大きくなり、親父相手に大ボラを吹きまくった末、勘定を払おうとすると、なけなしの一円がない。
ばかな話で、あまり下ばかり向いていたから、金を拾わずに落としてしまったらしい。
親父に代金代わりに半纏を召し上げられ、しょんぼりと帰ってみると、例の地見屋が祝杯中。
親父橋の近くで、一円入った汚いがま口を拾ったという。
見ると、まさしく熊が落としたがま口。
「泥棒め、さあ返せ」
「拾うのが商売だから返せねえ」
「返さねえと警察ィ引っ張ってくぞ」
と強引に取り返したが、
「オイオイ、五十銭しかねえぞ」
「へえ、そいつは講習料にさっ引いといた」
【うんちく】
白樺派のご一行
『花々と星々と』(犬養道子、中公文庫、1974年)によると、大正末期、暇を持て余した白樺派の文士連中が、シャレによく、郊外から銀座まで、地見屋よろしく金拾いに出かけたとか。
「オレは○銭」「僕は×銭」と、「収穫」を互いに披露しては、ゲラゲラ笑いあっていたそうで。
そろいもそろって華族の御曹司で学習院の同窓生。
貧乏文士を装ってもいざとなれば、金などいつでも無尽蔵に親から搾り取れるこの連中に、どん底、最底辺のかなしみや悲惨さなどわかろうはずはありませんが、それにしてもこれは……愚かしくもサイテイの行為ですね。
ちなみに、白樺派というのは、志賀直哉、武者小路実篤、有島武郎、柳宗悦などの連中をさします。ああ、バカラシ。
もう一つの演出
長く途絶えていたのを、四代目三遊亭金馬(松本龍典、1928-2022、→金翁)が復活しましたが、めったにやる人もいないようです。
ほとんど改作に近い別演出もあります。あらすじは以下の通り。
長屋の吉兵衛が地見屋という怪しげな商売をやっているというので、大家が、泥棒にちがいないと後をつけますが、くたくたになって、あきらめて帰るハメに。吉兵衛が汚い財布を井戸端で拾ったと喜んで帰ったので、大家がよくよく見ると「あっ、オレの財布だ」と。
まともな大家なら、そんな怪しげな者には店を貸しませんし、それを承知で貸すような大家なら逆にヤボな詮索はするはずもありません。こちらは理屈的には、少し無理があるでしょう。
西鶴ゆかりの噺
原話は、貞享2年(1685)刊の井原西鶴(1642-93)作の『西鶴諸国ばなし』巻五の七「銀がおとしてある」です。浮世草子ですね。
これは、大坂の正直者の男が江戸へ出て、かね拾いすなわち地見屋をやって成功し、金持ちになるという筋です。
これをもとに、四代目柳家小三治(浦出祭次郎、1875-1927、→二代目柳家つばめ)が明治末年に作ったもので、小三治自身の明治44年(1911)の速記が残っています。
地見屋のお仕事
ここでは、ほとんど金だけを目的に拾って歩くわけですから、今でいう拾得物隠匿で、文字通りの裏稼業です。
もう少し堅気の古紙回収業に近く、合法的な商売に「よなげや」と「残土屋」がありました。
前者は、どぶ川に腰まで浸かってふるいで鉄くずを拾う商売。
後者は庭を掘り返して余った土を、煉瓦の灰やブリキ缶などのゴミごと買い取るものです。
埋立地に持って行って高く売るほか、ゴミの中から慶長小判など、思わぬ宝物を見つけて大もうけすることもままあり、この種の商売は始めればやめられないものだったとか。
「土一升金一升」とか「穴埋めをする」という言葉は、ここからきたとは、三代目三遊亭金馬(加藤専太郎、1894-1964)の説です。
ロンドンでも
蛇足ながら、地見屋やよなげやに似た商売は、英ビクトリア時代のロンドンにもありました。
地下の下水道に潜り込み,金目の物をさらう「ショアワーカー」「トッシャー」と呼ばれた人々や、テムズ川の底泥から、石炭や金属片を拾う貧乏者がそれです。
どこの国でも、都市のどん底暮らしは似るのですね。