くふうのいしゃ【工夫の医者】落語演目



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【どんな?】

ばかばかしくてハイカラな明治の噺。

別題:新治療 頓知の医者(上方) 蘭方医者(上方)

【あらすじ】

藪で名高い先生の所へ、金さんが診察にやってくる。

のっけから、先生の所はいつ来ても病人が来ていたことがないと、嫌味を言われたので、先生、信用を取り戻そうと、薬なしで病を治すことを考えだしたと大きく出る。

「へえ、どういうんです」
「薬を使わず、理屈で治す。これはドイツの医者でもまだ発明してない」

金さんが、
「それじゃあ、あっしはさなだむしがわいたんですが、ひとつその理屈で治してほしい」
と頼むと、先生すまして
「それはわけない、蛙を飲め」
「どういうわけで?」
「腹の中へ入れば虫をくう」
「蛙が後に残ってあばれます」
「そんなら蛇をのみなさい」
「蛇が腹の中でのたくったら?」
「「ナメクジをのむ。蛇はとろける」
「ナメクジが残ったら?」
「雀をのむんだ」
「腹の中に巣を作られちゃ困ります」
「そうしたら鷹をのめばいい。雀をくっちまう」
「鷹が残ったら?」
「鷲」
「鷲が残ったら?」
「狩人」
「狩人が残ったら?」
「鬼をのむ」
「こっちがのまれる。それで、鬼が残って腹ん中を突っ付きまわしたら?」
「それなら節分の豆をのみなさい。鬼は外だ。もしいけなければ熱燗で一杯やれば、鬼は焼け死ぬ」
「その酒はなんといいます?」
「鬼殺し」
「先生、あなた頭がおかしくなりましたね」
「なに、鐘馗(=正気)だ」

底本:初代三遊亭円遊

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【しりたい】

鼻の円遊の爆笑編

原話は、天保8年(1837)刊の笑話本『落噺仕立ておろし』中の「声の出る薬」とみられます。

もともと、小咄程度の短い藪医者噺を、初代三遊亭円遊(竹内金太郎、1850-1907、鼻の、実は三代目)が独立させて、明治24年(1891)、速記に残したものです。

明治31年(1898)、円遊門下の初代三遊亭小円遊(鳥羽長助、1870-1902、鳥羽長の)の速記では「新治療」と題して、「工夫の医者」から「疝気の虫」につなげ、さらに、最初に出てきた患者(ここでは棟梁)が再び登場。

疝気の治療薬に、葵の葉三枚だけ処方されたので怒ると、「これは三つ葵(徳川の紋章)、虫はサナダ(=真田)であるから、病はじきに癒えます(=家康)」と、地口でオチるという、三編の小噺のオムニバスとしていました。

上方版はエロ噺

上方バージョンの「蘭方医者」は艶笑落語です。

最後に傘と竿を持った書生を患者が飲まされ、出てくる時に体内にそれらを置き忘れたので、患者は悶絶。医者が、「外科に行ってくれ。カサ(傘=瘡)がサオ(=男根)にかかった」というものです。

題名の「蘭方」はオランダ医学のことですが、「乱暴医者」と掛けてあるのでしょう。

話だけでなく、実際に飲ませてしまうのが東京と違ってしつこいところ。最後は「地獄八景」と同じく、「鬼を飲んだら、大王(閻魔大王=大黄)で下す」というオチも使われました。

上方でも、東京の「工夫の医者」そのままの「頓知の医者」があります。ただし、「頓知の医者」という演目は、東京では「金玉医者」の別題でもあります。ややこしいことです。

原話「声の出る薬」

よく声が出るように、ナメクジをのみ、そのあと、消化薬として蛙をのんだあと、雉→狐→狩人→庄屋→鬼→鬼殺しと、「虫拳」よろしく、次々に天敵をのんでいく小咄があります。

落語とは、順番とのむものにかなり異動があります。

藪医者の小咄5連発!

その1

ある医者のところに、盗人が忍び入った。タンスをかついで逃げるところを、女房が発見。「あれえ、どろぼおうッ」とだんなを起すと、盗人が居直って、「やいっ、手向かいしゃあがると、たたッ斬るぞ」。脇差を抜いたので、先生、薬箱から調合用の匙を出し、「これでもかッ」と、ひらめかす。アーラ不思議、盗人は「こりゃかなわん」と、タンスを捨てて退散。女房、びっくりして、「どうして逃げたの?」と聞くと、先生、「当たり前だ。この匙でどれだけ人を……」

安永2年(1773)刊『聞上手』中の「庸医匕」

その2

長屋の子供が道で遊んでいて、医者に蹴飛ばされた。親が怒ってねじこもうとすると、大家がなだめて、「足で蹴られただけで済んだのはめっけもんだ。今まであの先生の手にかかって、生き延びた患者は一人もねえんだ」

 安永6年(1777)刊『春-』中の「藪医者」

その3

ある男が、二階から落ちて気絶。女房が、あわてて三、四軒隣の、下手村毒庵先生を頼んだ。先生、みるなり、エヘンエヘンと咳払いして「はあ、こりゃもう息が切れた。もうとても助からんて。来るのが一日遅かったわ」

安永10年(1781)刊『民話新繁』中の「野父医者」

その4

閻魔大王が、明日をも知れない大病に。地獄の医者が、いろいろ手を尽くしても、容態は悪化の一途。最後の手段で、「シャバ(=この世)の名医を連れてこい」と青鬼が言いつけられた。「かしこまりましたが、シャバに参りましても、どれが名医だか分かりません。どうやって見分けましょう?」「そりゃ、門口に幽霊がいない医者が名医だわ」。教えられて青鬼、さっそくシャバで、片っ端から医者の玄関先をのぞいて回る。ところが、どこもかしこも、盛り殺された恨みの幽霊がうじゃらうじゃら。「こりゃいかん」と閉口して、新道(路地裏)に回ると、新しい格子と、医者の表札のある小さな家。ここには幽霊は一人もいない。これこそ名医と喜んで、入ってみれば昨日から開業した医者。

天明2年(1782)刊、『笑顔はじめ』中の「閻魔」

その5

医者同士が、今までに殺した数を自慢しあう。「拙者は、三十人ばかり」「はて、それは少ない。して、医者におなりなすって何年に?」「いや、去年から」。

安永2年(1773)刊『口拍子』中の「医の年数」

いやはやですが、今でもシャレで済まないのが怖いところです。

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