【ライオン】らいおん 落語演目 あらすじ
【どんな?】
明治40年(1907)の上方噺「動物園」が原型。
いまや年季の入った古典落語のひとつです。
別題:動物園(上方)
【あらすじ】
失業中の男。
ヤケになって、このところほとんど家にも帰らない。
いよいよ切羽詰まり、知人の家へ相談に行くと、月に二百円(明治の終わりの!)稼げるいい商売があるから、やってみないかと誘われた。
その職場というのが、今度新しくできた動物園。
「へえ、聞いてますが、世にも珍しい白いライオンがいるとかいう」
「実は、そのライオンになってもらいたい」
要するに、これはインチキ。
そんなライオンがいるわけがないから、ぬいぐるみでこしらえたが、実によくできていて、本物のライオンみたいだ。
そこで、その中に人間を入れ、ノッシノッシと歩かせて、客をたぶらかし、呼び物にしてたんまり稼ごうという魂胆。
「勤務」は朝の9時から午後4時までで、うまくいけばボーナス3千円も出るし、ライオンのエサ用に客が買った牛肉も、全部おまえのものになる、という。
もちろん、お上に聞こえれば手が後ろに回るから、女房子供にも絶対に秘密。
こういうヤバい商売でなければ、そんな大金をくれるわけがない。
「ナニ、要領を覚えりゃ簡単さ。ライオンてえのは、猛獣だから落ち着いて歩かなくちゃいけない。胴を左右にひねって、少し右肩を下げて……」
ともかく、歩き方を教わると、イチかバチかやってみる気になり、開場当日の朝、行ってみると、満員の盛況。
この動物園はサーカスと同じ興行方式で、あやしげな弁士が登場。
「ここにご覧に入れまするは、当館の呼び物、世にも珍しい真っ白いライオン……」
口上を述べると、楽隊もろとも緞帳が上がる。
ぬいぐるみの中の先生、次第に興奮してきて、「月200円ならいい商売だ。生涯ライオンで暮らそうか」などと、勝手なことを思いながら、大熱演。
すると、また例の弁士が現れた。
「ええー、こちらにご覧に入れまするは、東洋の猛獣の王、虎でござーい。本来は黒と黄のブチでございますが、ここにおります虎は珍しい黒白のブチでございます」
口上が終わると、「ウオウー」と、ものすごいうなり声。
「えー。今日は特別余興といたしまして、ライオンと虎の戦いをご覧に入れます」
柵を取り外したから、驚いたのはライオン。
虎がノソリノソリと入ってくる。
「うわーッ、話がうますぎると思った」
これがこの世の見納めと、
「南無阿弥陀仏ッ」
と唱えると、虎が耳元で
「心配するな。オレも200円でやとわれた」
【しりたい】
上方の創作落語 【RIZAP COOK】
大阪の二代目桂文之助(1859-1930)が、明治40年ごろ「動物園」と題して自作自演。
ただし、元ネタは英国の笑話とか。オリジナルでは、反対に主人公が虎になります。
どちらにせよ、着想が奇抜でオチも意外性に富むので、古くから人気があり、東京でも八代目春風亭柳枝、七代目雷門助六、六代目春風亭柳橋などが好んで演じました。
現在でも主流は上方落語です。桂米朝一門が若手に至るまで、多くの落語家のレパートリーです。
東京では、七代目助六が「ライオンの見世物」、八代目柳枝と柳橋はオリジナル通り「動物園」。三遊亭金馬は「ライオン」で演じます。
動物園事始 【RIZAP COOK】
動物の見世物は、江戸時代にはおもに両国橋西詰の仮設見世物小屋で公開されました。
大型動物では、虎、豹、象、狒狒、鯨などさまざまありましたが、「唐獅子」として古くから存在を知られていたはずのライオンは旧幕時代の記録はなく、明治以後の輸入です。
虎は江戸初期から公開され、慶安元年(1648)の記録があります。
明治4年(1871)に湯島聖堂で最初の博覧会が催され、サンショウウオと亀を公開。さらに翌々年(1873)、ウィーン万国博出品のため、国内の珍獣が集められ、一般公開されました。
こうしたイベントのたびに、徐々に動物が増え、博覧会場が手狭になった関係で、明治15年3月、日本初の西洋式動物園が上野に開園。
ライオンの上野動物園への初輸入は明治35年(1902)。その後、キリン、カバなども続々お目見えしました。入場料は開園当初、大人1銭、子供5厘。
次いで、明治36年(1903)4月に京都市動物園(岡崎公園内)、大正4年(1915)元旦に大阪・天王寺動物園が、それぞれ開園しています。
【語の読みと注】
弁士 べんし:無声映画などで内容の説明する人