【あた坊】あたぼう ことば 落語 あらすじ
あたりまえだ、当然だ。
悪態やタンカによく使われる、「当たり前だ」「当然だ」を意味する江戸語ですが、これ、高座の噺家始め一般の解釈では「当たり前(あたりめえ)だ、べらぼうめ」が縮まった形とよく言われます。
「べらぼう」は、寛文年間(1661-73)に評判になった見世物に由来し、「ばか」の意味ですから、「当たり前」の後に江戸下町の職人特有の、罵言の形の強調表現が付いた形。
この説明にはいささか、補足が必要です。
言葉の変化としては、以下の順番になります。
「当たり前」→「あたりき」→「あた」
どんどん縮まり、もっとも短くなった「あた」に、擬人化の接尾語「坊」が付いた形ですね。
「坊」は親しみをこめた表現で、「あわてん坊」などと同じです。
これは文政2年(1819)にものされた随筆『ききのまにまに』に「当り前といふ俗言を、あた坊と云ことはやり」とありますから、そう古い造語ではなさそうです。
本来「べらぼう」とは別語源なので、誤解されやすいのですが、「坊」という語尾が同じなので、語呂合わせでいつの間にか結びついたのでしょう。
原型の「当たり前」は労働報酬、それこそもらってアタリメエ、という分け前のこと。
「あたりき」は、少し乱暴な職人言葉で、「あたりきしゃりき」とも。これは、擂粉木の意味の「あたりぎ(当たり木)」と掛けて洒落たものです。
蛇足です。
江戸初期に兵法家にして新当流槍術の達人、阿多棒庵なる者がおりまして、この人物はなんと、柳生兵庫助利厳に槍術の印可を授けた、いわば師匠なのですが、この名をはじめて耳にしたとき、これはてっきり「あたぼうあんが強えのは、あったぼうだべら棒め」という洒落が語源ではないかと思い、ほうぼう調べてはみたものの、残念ながらいまだ、そんな資料は探し出せていません。
なあんだ。
阿多という姓ですから、九州の、それもそうとうに古い一族の御仁なのでしょう。
「八百ぐれえあたぼうてんだ」
「なんだい、あたぼうてえなあ」
「江戸っ子でえ。あたりめえだ、べらぼうめなんかいってりゃあ、日のみじけえ時分にゃあ日が暮れちまうぜ。だから、つめてあたぼうでえ」