【看板のピン】かんばんのぴん 落語演目 あらすじ
【どんな?】
賭場の若い衆。
親分の見事な手さばきに見惚れた。
どこかで真似したくなった。
鉄火場が舞台、珍しい博打噺。
鸚鵡返しと同型です。
【あらすじ】
鉄火場で、若い衆が今日もガラッポン、丁だ半だとやっている。
ところが今日は、もうけた奴は先に帰り、残ったのはピイピイになった連中ばかりで、さっぱり場が盛り上がらない。
そこへ現れたのが、この道では年季の入った親分。
景気付けに一つ筒を取って(サイコロを振って)もらいたいと頼まれたので、
「オレは四十二の時からバクチはやめているが、てめえたちがそういうなら」
と、壺皿の前に座る。
一っ粒の勝負で、賽粒を一つ無造作に笊に投げ入れると、上手の手から水が漏れたか、粒が壺皿の外にポロリとこぼれ、一が出ている。
いっこうにそれに気づかないようで、
「さあ、張んな」
……このじじい、相当に耄碌してタガがゆるんだんだろう、こいつはタダでいただき、とばかり、みんな一に張る。
「親分、本当にいいんですかい」
「なにを言いやがる。そう目がそろったら、看板のこのピン(一の目)は、こうして片づけて……オレがみるところ、中は五だな」
「あれっ、これ看板だとよ」
壺の中は、ちゃんと別の粒。
五が出ていたので、一同唖然。
「ばか野郎、オレだからいいが、ほかの野郎なら銭は全部持ってかれちまう。銭は返してやるから、これに懲りたらバクチはするな」
と、小言を言って帰ってしまう。
ばかな奴もいるもので、これに感心して、自分もまねしたくてたまらなくなった。
別の賭場へ行って、
「オレは、バクチは四十二の時に止めた」
「てめえ、まだ二十六じゃねえか」
むりやり筒を取ると、わざとピンをこぼして、
「さあ、張んな。みんな一か。そう目がそろったら、看板のピンは、こうして片づけて」
「あれ、おい、ピンは看板かい」
「オレが見るところ、中は五だな。みんな、これに懲りたらバクチは……あっ、中もピンだ」
底本:五代目柳家小さん
【しりたい】
小さん代々のマクラ噺
もともと独立して演じられることは少なく、三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)は「三で賽」、四代目小さん(大野菊松、1888-1947)は「竃幽霊」、若いころセミプロの博打打ちだった三代目桂三木助(小林七郎、1902-61)は「狸賽」と、それぞれ博打噺のマクラにつけていました。
五代目小さん(小林盛夫、1915-2002)は、師匠四代目小さん直伝の噺を初めて独立させ、「看板のピン」として磨きをかけました。
六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の師匠)、大阪では、東京からの移植で桂米朝(中川清、1925-2015)も演じていました。
現行では、中のサイの目は「三」で演じられます。
一っ粒
「チョボイチ」ともいいます。
一個のサイコロを用い、出た目が当たると賭金の4倍から5倍返しになるので、ギャンブル性がより強いものです。
サイコロを三つ使う「狐チョボ」もあります。
鉄火
鉄火はプロの博徒、鉄火場は賭博場です。
もともと鉄火場の勝負には素人を入れなかったといいます。
むろん血の雨が降りやすいからで、「鉄火」の語源も、場が白熱して焼けた鉄のように熱くなることからとされています。
素人のバクチ好きは「白無垢鉄火」といい、三代目桂三木助は「へっつい幽霊」のレコードで説明抜きに使っていますが、今ではもちろん通用しないでしょう。
ピン
サイコロの目の「一」のことで、賭博用のサイコロでは、ピンの部分もすべて黒塗りです。
【語の読みと注】
白無垢鉄火 しろむくでっか:素人のばくち好き