ときそば【時そば】落語演目



成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

【どんな?】

落語と言えばこれでしょうか。
みんなが知ってる「なんどきだい」のアレ。
名人がやるとがぜん映えますね。
侮れない噺なんです。

別題:時うどん(上方)

あらすじ

夜鷹そばとも呼ばれた、屋台の二八にはちそば屋。

冬の寒い夜、屋台に飛び込んできた男、
「おうッ、何ができる? 花巻きにしっぽく? しっぽくゥ、しとつ、こしらえてくんねえ。寒いなァ」
「今夜はたいへんお寒うございます」
「どうでえ商売は? いけねえか? まあ、アキネエってえぐらいだから、飽きずにやんなきゃいけねえ」
と最初から調子がいい。

待って食う間中、
「看板が当たり矢で縁起がいい、あつらえが早い、割り箸を使っていて清潔だ、いい丼を使っている、鰹節をおごっていてダシがいい、そばは細くて腰があって、ちくわは厚く切ってあって……」
と、歯の浮くような世辞をとうとうと並べ立てる。

食い終わると
「実は脇でまずいそばを食っちゃった。おまえのを口直しにやったんだ。一杯で勘弁しねえ。いくらだい?」
「十六文で」
「小銭は間違えるといけねえ。手ェ出しねえ。それ、一つ二つ三つ四つ五つ六つ七つ八つ、今、何どきだい?」
「九ツで」
「とお、十一、十二……」

すーっと行ってしまった。

これを見ていたのがぼーッとした男。

「あんちきしょう、よくしゃべりやがったな。はなからしまいまで世辞ィ使ってやがら。てやんでえ。値段聞くことねえ。十六文と決まってるんだから。それにしても、変なところで時刻を聞きやがった、あれじゃあ間違えちまう」
と、何回も指を折って
「七つ、八つ、何どきだい、九ツで」
とやった挙げ句
「あ、少なく間違えやがった。何刻だい、九ツで、ここで一文かすりゃあがった。うーん、うめえことやったな」

自分もやってみたくなって、翌日早い時刻にそば屋をつかまえる。

「寒いねえ」
「へえ、今夜はだいぶ暖かで」
「ああ、そうだ。寒いのはゆんべだ。どうでえ商売は? おかげさまで? 逆らうね。的に矢が……当たってねえ。どうでもいいけど、そばが遅いねえ。まあ、オレは気が長えからいいや。おっ、感心に割り箸を……割ってあるね。いい丼だ……まんべんなく欠けてるよ。のこぎりに使えらあ。鰹節をおごって……ぶあっ、塩っからい。湯をうめてくれ。そばは……太いね。ウドンかい、これ。まあ、食いでがあっていいや。ずいぶんグチャグチャしてるね。こなれがよくっていいか。ちくわは厚くって……おめえんとこ、ちくわ使ってあるの? 使ってます? ありゃ、薄いね、これは。丼にひっついていてわからなかったよ。月が透けて見えらあ。オレ、もうよすよ。いくらだい?」
「十六文で」
「小銭は間違えるといけねえ。手を出しねえ。それ、一つ二つ三つ四つ五つ六つ七つ八つ、今、何どきだい?」
「四ツで」
「五つ六つ七つ八つ……」

しりたい

夜鷹そば   【RIZAP COOK】

夜鷹は、本所吉田町や柳原土手やなぎはらどてを縄張りにした、「野天営業」の街娼ですが、その夜鷹がよく食べたことからこの名がつきました。

ですから、本来は夜鷹の営業区域に屋台を出す夜泣きそば屋だけに限った名称だったはずなのです。

夜泣きそば(夜鷹)は一杯16文と相場が決まっていて、異名の二八そばは二八の十六からきたとも、そば粉とつなぎの割合からとも諸説あります。

夜鷹そばの値上げ

種物たねものが充実して、夜鷹そばが盛んになったのは文化ぶんか年間(1804-18)から。

ちなみに、夜鷹の料金は一回24文で、それより8文安かったわけですが、幕末には20文に、さらに24文に値が上がりました。

明治になると、新興の「夜泣きうどん屋」に客を奪われ、すっかり衰退しました。

何どきだい?   【RIZAP COOK】

冬の夜九ツ刻ここのつどきはおよその刻、午前0-2時。

江戸時代の時刻は明け六ツから、およそ2時間ごとに五四九八七、六五四九八七とくり返します。

後の間抜け男が現れたのは四ツですから、夜の10-0時。

あわてて2時間早く来すぎたばっかりに、都合8文もぼられたわけです。

ひょっとこそば   【RIZAP COOK】

この噺を得意にしていた三代目桂三木助(小林七郎、1902-61)は、マクラに「ひょっとこそば」の小ばなしを振っています。

客が食べてみるとえらく熱いので、思わずフーフー吹く、「あァたのそのお顔が、ひょっとこでござんす」

これは、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の)もやりました。

蛇足   【RIZAP COOK】

それまでそばの代金の数え方を「ひいふうみい」とする演者が多かったのを、時刻との整合から、「一つ、二つ」と改めたのは三代目三木助でした。

なるほど、こうでなければそば屋はごまかされません。今ではほとんど三木助通りです。

たしか、先代・春風亭柳橋だったと記憶しますが、「何どきだい?」「へい九ツで」のところで、お囃子のように、二人が間を置かず、「なんどきだーいここのつでー」とやっていたのが、たまらないおかしさでした。

これだと、そば屋も承知でいっしょに遊んでいるようで、本当は変なのですが。

もっとも古い原話   【RIZAP COOK】

享保きょうほう11年(1726)、京都で刊行された笑話本『軽口初笑かるくちはつわらい』中の「他人は喰より」がもっとも古い形です。

それによると、主人公は中間ちゅうげん(武家屋敷の奉公人)、そば(そばきり)の値段は六文で、「四ツ、五ツ、六ツ……」と失敗します。

享保のころは、まだ物価が安かったということでしょう。

この噺は夜鷹そばの屋台が登場するため、生粋きっすいの江戸の噺と思われがちですが、実は上方落語の「時うどん」を、明治中期に三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)が東京に移したものです。

なんだかんだいっても、弟子の真打ち襲名披露で三代目古今亭志ん朝(美濃部強次、1938-2001)が本牧亭でやった「時そば」、これはすこぶるの絶品でした。



成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

評価 :1/3。

どうかん【道灌】落語演目

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【どんな?】

ご隠居と八五郎とのやりとり。
太田道灌の故事がためになる滑稽噺。
鸚鵡返しの、前座がよくやる噺です。

別題:太田道灌(上方) 横理屈

あらすじ

八五郎が隠居の家に遊びに行った。

地口(駄洒落)を言って遊んでいるうち、妙な張りまぜの屏風絵が目に止まる。

男が椎茸の親方みたいな帽子をかぶり、虎の皮の股引きをはいて突っ立っていて、側で女が何か黄色いものを持ってお辞儀している。

これは大昔の武将で歌詠みとしても知られた太田道灌が、狩の帰りに山中で村雨(にわか雨)に逢い、あばら家に雨具を借りにきた場面。

椎茸帽子ではなく騎射笠で、虎の皮の股引きに見えるのは行縢(むかばき)。

中から出てきた娘が黙って山吹の枝を差し出し引っ込んでしまった。

道灌、意味がわからずに戸惑っていると、家来が畏れながらと
「これは『七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき』という古歌をなぞらえて、『実の』と『蓑』を掛け、雨具はないという断りでございましょう」
と教える。

道灌は
「ああ、余は歌道にくらい」
と嘆き、その後一心不乱に勉強して立派な歌人になった、という隠居の説明。

「カドウ」は「和歌の道」の意。

八五郎、わかったのかわからないのか、とにかくこの「ナナエヤエー」が気に入り、自分でもやってみたくてたまらない。

表に飛び出すと、折から大雨。

長屋に帰ると、いい具合に友達が飛び込んできた。

しめたとばかり
「傘を借りにきたんだろ」
「いや、傘は持ってる。提灯を貸してくんねえかな。これから本所の方に用足しに行くんだが、暗くなると困るんだ」

そんな用心のいい道灌はねえ。

傘を貸してくれって言やあ、提灯を貸してやると言われ、しかたなく「じゃしょうがねえ。傘を貸してくんねえ」
「へっ、来やがったな。てめえが道灌で、オレが女だ。こいつを読んでみな」
「なんだ、ななへやへ、花は咲けどもやまぶしの、みそひとだると、なべとかましき……こりゃ都々逸か?」
「てめえは歌道が暗えな」
「角が暗えから、提灯を借りにきた」

しりたい

前座の悲哀「道灌屋」   【RIZAP COOK】

「道灌」は前座噺で、入門するとたいてい、このあたりから稽古することが多いようです。

前半は伸縮自在で、演者によってギャグその他、自由につくれるので、後に上がる先輩の都合で引き伸ばしたり、逆に短く切って下りたりしなければならない前座にとっては、まずマスターしておくべき噺なのでしょう。

八代目桂文楽(並河益義、1892-1971)が入門して、初めて教わったのもこの「道灌」。

一年間、「道灌」しか教えてくれなかったそうです。

雪の降る寒い夜、牛込の藁店という席に前座で出たとき、お次がまったく来ず、つなぎに立て続けに三度、それしか知らない「道灌」をやらされ、泣きたい思いをしたという、同師の思い出話。

そのとき付いたあだ名が「道灌屋」。

たいして面白くもないエピソードですが、文楽師の人となりが想像できますね。

志ん生や金馬の「道灌」

あらすじの参考にしたのは、五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)の速記です。

どちらかというと後半の八五郎の「実演」に力を入れ、全体にあっさりと演じています。

かつての大看板でほかによく演じたのが、三代目三遊亭金馬(加藤専太郎、1894-1964)でした。

金馬では、姉川の合戦のいくさ絵から「四天王」談義となり、ついで「太平記」の児島高徳こじまたかのりを出し、大田道灌に移っていく段取りです。

太田道灌   【RIZAP COOK】

太田道灌(1432-86)は、長禄元年(1457)、江戸城を築いたので有名です。

この人、上杉家の重臣なんですね。

主人である上杉(扇谷)定正に相模国糟谷で、入浴中に暗殺されました。

歌人としては、文明6年(1474)、江戸城で催した「江戸歌合」で知られています。

七重八重……   【RIZAP COOK】

『後拾遺和歌集』所載の中務卿なかつかさきょう兼明親王かねあきらしんのう(914-87、前中書王さきのちゅうしょおう)の歌です。

行縢   【RIZAP COOK】

むかばき。狩の装束で、獣皮で作られ、腰に巻いて下半身を保護するためのものです。

【道灌 立川談志】

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評価 :1/3。

ふだんのはかま【ふだんの袴】落語演目

  成城石井.com  ことば 噺家 演目  千字寄席

【どんな?】

「おうむ」という形式の噺。
付け焼き刃が次第にばれちゃって。
噺家の技の見せどころです。

【あらすじ】

上野広小路の、御成街道に面した小さな骨董屋。

ある日、主人が店で探し物をしていると、顔見知りの身分の高そうな侍がぶらりと尋ねてきた。

この侍、年は五十がらみ、黒羽二重に仙台平の袴、雪駄履きに細身の大小を差し、なかなかの貫禄。

谷中へ墓参の帰りだという。

出された煙草盆でまずは悠然と一服するが、煙草入れは銀革、煙管も延打で銀無垢という、たいそうりっぱなもの。

そのうち、ふと店先の掛け軸に目を止めた。

「そこに掛けてある鶴は、見事なものだのう」
「相変わらずお目が高くていらっしゃいます。あたくしの考えでは文晁と心得ますが」
「なるほどのう、さすが名人じゃ」

惚れ惚れと見入っているうち、思わず煙管に息が入り、掃除が行き届いているから、火玉がすっと抜けて、広げた袴の上に落っこちた。

「殿さま、火玉が」
と骨董屋が慌てるのを、少しも騒がず払い落とし
「うん、身供の粗相か。許せよ」
「どういたしまして。お召物にきずは?」
「いや、案じるな。これは、いささかふだんの袴だ」

これを聞いていたのが、頭のおめでたい長屋の八五郎。

侍の悠然としたセリフにすっかり感心し、自分もそっくりやってみたくなったが、職人のことで袴がない。

そこで大家に談判、ようやくすり切れたのを一丁借りだし、上は印半纏、下は袴という珍妙ななりで骨董屋へとやってくる。

さっそく得意気に一服やりだしたはいいが、煙管は安物のナタマメ煙管、煙草は粉になっている。

それでもどうにか火をつけて
「あの隅にぶる下がってる鶴ァいい鶴だなあ」
「これはどうも、お見それしました。文晁と心得ますが」
「冗談言うねえ。文鳥ってなあ、もうちっと小さい鳥だろ。鶴じゃねえか」

これで完全に正体を見破られる。

本人、お里が知れたのを気づかずに、さかんに、いい鶴だいい鶴だとうなりながら煙草をふかすが、煙管の掃除をしていないから火玉が飛び出さない。

悔しがってぷっと吹いた拍子に、火玉が舞い上がって、袴に落ちないで頭のてっぺんへ。

「親方、頭ィ火玉が」
「なあに心配すんねえ。こいつはふだんの頭だ」

【RIZAP COOK】

【しりたい】

発掘は彦六   【RIZAP COOK】

原話は不詳で、古い速記はありません。

八代目林家正蔵(彦六)が、二つ目時代に二代目蜃気楼龍玉(1867-1945)門下の龍志から教わり、その型が五代目柳家小さんに継承されました。

八代目春風亭柳枝も持ちネタにし、柳枝の最後の弟子だった、三遊亭円窓が復活して手掛けています。

御成街道  【RIZAP COOK】

おなりかいどう。神田の筋違御門(万世橋)から上野広小路にかけての道筋で、現在の中央通りです。

将軍家が上野寛永寺に参詣するルートにあたり、この名が付きました。

上野広小路寄りの沿道には、刀剣や鎧兜などを扱う武具商が軒を並べていました。

仙台平  【RIZAP COOK】

せんだいひら。主に袴地に使われます。

仙台平の袴は武家の正装用で絹地の最高級品。

「平」とは、たていと(経)とよこいと(緯)を交互に織り込む手法で「平織り」を略した言い方です。

武家以外にも、富裕層の町人も使いました。

一般には、5月5日(端午)から8月末日まで一重袴として使いました。

9月1日から5月4日までは裏地付きの袷袴でした。

五つのひだの筋が崩れずに美しさを保ち、派手でもないので、気品と落ち着きが漂う装いです。

八五郎が借りたのは、小倉木綿です。

結城木綿とともに実用使いでした。

剣術の稽古袴での小倉木綿は「駄小倉」と呼ばれていました。

「三軒長屋」の楠運平が履くのが駄小倉です。

江戸詰め藩士などは、社交上、装飾を施した細身の刀を身につけました。

延打  【RIZAP COOK】

のべ。雁首と吸口が同じ材料でできた煙管です。

落語や歌舞伎では、演じる人物の階級で煙管の持ち方が異なります。

殿さまは中ほどを握って水平に構え、武士や町人はやや雁首近くを握って下向き。

百姓は雁首そのものをつかむ、など。

文晁  【RIZAP COOK】

ぶんちょう。江戸後期の文人画家、谷文晁(1763-1840)のこと。

洋画の技法を取り入れた独自の画風で知られ、渡辺崋山の師匠でもありました。

三遊亭円朝の後期の作に「谷文晁の伝」があります。

五代目小さんのくすぐりより  【RIZAP COOK】

大家が、店賃を持ってきたかと勘違いすると八「そこが欲の間違えだ」

大家が、一昨年貸した鳴海絞りの浴衣をまだ返さないといやみを言うと、八「留んとこで子供が生まれたんで、『こんなボロでよけりゃ』ってやっちゃった。あの子が大きくなりゃあ、オシメはいらなくなるから、そんとき返しに…」

八五郎が骨董屋で、「今日は墓参りで、供の者にはぐれて…」とやりはじめると、親父が「この方がお供みてえだ」

【語の読みと注】
御成街道 おなりかいどう
仙台平 せんだいひら
袷袴 あわせばかま
煙草入れ たばこいれ
煙管 きせる
延打 のべ
文晁 ぶんちょう
筋違御門 すじかいごもん



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かんばんのぴん【看板のピン】落語演目

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【どんな?】

賭場の若い衆。
親分の見事な手さばきに見惚れた。
どこかで真似したくなった。
鉄火場が舞台、珍しい博打噺。
鸚鵡返しと同型です。

あらすじ

鉄火場で、若い衆わけえしが今日もガラッポン、丁だ半だとやっている。

ところが今日は、もうけた奴は先に帰り、残ったのはピイピイになった連中ばかりで、さっぱり場が盛り上がらない。

そこへ現れたのが、この道では年季の入った親分。

景気付けに一つどうを取って(サイコロを振って)もらいたいと頼まれたので、
「オレは四十二の時からバクチはやめているが、てめえたちがそういうなら」
と、壺皿の前に座る。

一っ粒の勝負で、賽粒さいつぶを一つ無造作にざるに投げ入れると、上手の手から水が漏れたか、粒が壺皿の外にポロリとこぼれ、一が出ている。

いっこうにそれに気づかないようで、
「さあ、張んな」

……このじじい、相当に耄碌もうろくしてタガがゆるんだんだろう、こいつはタダでいただき、とばかり、みんな一に張る。

「親分、本当にいいんですかい」
「なにを言いやがる。そう目がそろったら、看板のこのピン(一の目)は、こうして片づけて……オレがみるところ、中は五だな」
「あれっ、これ看板だとよ」

壺の中は、ちゃんと別の粒。

五が出ていたので、一同唖然。

「ばか野郎、オレだからいいが、ほかの野郎なら銭は全部持ってかれちまう。銭は返してやるから、これに懲りたらバクチはするな」
と、小言を言って帰ってしまう。

ばかな奴もいるもので、これに感心して、自分もまねしたくてたまらなくなった。

別の賭場へ行って、
「オレは、バクチは四十二の時に止めた」
「てめえ、まだ二十六じゃねえか」

むりやり筒を取ると、わざとピンをこぼして、
「さあ、張んな。みんな一か。そう目がそろったら、看板のピンは、こうして片づけて」
「あれ、おい、ピンは看板かい」
「オレが見るところ、中は五だな。みんな、これに懲りたらバクチは……あっ、中もピンだ」

底本:五代目柳家小さん

しりたい

小さん代々のマクラ噺

もともと独立して演じられることは少なく、三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)は「三で賽」、四代目小さん(大野菊松、1888-1947)は「竃幽霊」、若いころセミプロの博打打ちだった三代目桂三木助(小林七郎、1902-61)は「狸賽」と、それぞれ博打噺のマクラにつけていました。

五代目小さん(小林盛夫、1915-2002)は、師匠四代目小さん直伝の噺を初めて独立させ、「看板のピン」として磨きをかけました。

六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の師匠)、大阪では、東京からの移植で桂米朝(中川清、1925-2015)も演じていました。

現行では、中のサイの目は「三」で演じられます。

一っ粒

「チョボイチ」ともいいます。

一個のサイコロを用い、出た目が当たると賭金の4倍から5倍返しになるので、ギャンブル性がより強いものです。

サイコロを三つ使う「狐チョボ」もあります。

鉄火

鉄火はプロの博徒、鉄火場は賭博場です。

もともと鉄火場の勝負には素人を入れなかったといいます。

むろん血の雨が降りやすいからで、「鉄火」の語源も、場が白熱して焼けた鉄のように熱くなることからとされています。

素人のバクチ好きは「白無垢鉄火しろむくでっか」といい、三代目桂三木助は「へっつい幽霊」のレコードで説明抜きに使っていますが、今ではもちろん通用しないでしょう。

ピン

サイコロの目の「一」のことで、賭博用のサイコロでは、ピンの部分もすべて黒塗りです。

【語の読みと注】

白無垢鉄火 しろむくでっか:素人のばくち好き

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