せん八、逝く

せん八、逝く

柳家せん八師匠が、2022年9月11日、腹膜炎のため、都内の自宅で亡くなりました。74歳でした。

せん八師匠は、昭和23年(1948)2月5日、群馬県太田市の出身。本名は吉沢博。昭和43年(1968)に四代目柳家小せん(飯泉真寿男、1923-2006)に入門、せん松を名乗りました。

昭和48年(1973)9月、二ツ目に昇進して「せん八」に改名。このときの同時昇進には、春風亭一朝、三遊亭勝馬(→三代目三遊亭小金馬→2018年没)がいました。

昭和57年(1982)12月、真打ちに昇進しました。このときの同時昇進には、初代古今亭志ん五(2010年没)、七代目三遊亭円好(2007年没)、四代目吉原朝馬、春風亭一朝、三代目三遊亭小金馬(2018年没)、六代目古今亭志ん橋、立川談生(→鈴々舎馬桜)、立川左談次(2018年没)、六代目立川ぜん馬がいました。10人のうち6人が故人。

最後の寄席出演は、令和3年(2021)1月5日、浅草演芸ホールでした。

ご冥福をお祈りいたします。

柳家せん八師匠

(2022年9月18日、古木優)

やなぎやこえんじ【柳家小袁治】噺家



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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)に
【前座】1967年2月、柳家マコト
【二ツ目】1972年11月、柳家さん治
【真打ち】1981年9月、柳家小袁治
【出囃子】おはん
【定紋】陰剣片喰
【本名】関根誠
【生年月日】1948年10月12日
【出身地】東京都千代田区
【学歴】東京都立三田高校
【血液型】A型
【ネタ】金明竹 井戸の茶碗
【出典】落語芸術協会HP 柳家小袁治HP 柳家小袁治Twitter 柳家小袁治FB
【蛇足】



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やなぎやさんぱち【柳家さん八】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会 落語協会相談役
【入門】1966年6月、七代目立川談志に
【前座】1968年5月、五代目柳家小さん門下で、柳家そう助
【二ツ目】1971年11月、二代目柳家さん八
【真打ち】1981年9月
【出囃子】東雲節
【定紋】蔦
【本名】清水聰吉
【生年月日】1944年10月3日
【出身地】東京都江戸川区平井
【学歴】東京都立江東工業高校
【血液型】B型
【ネタ】
【出典】落語協会HP 柳家さん八Wiki  
【蛇足】東京大空襲夜話

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やなぎやさんきち【柳家さん吉】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1957年4月、五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)に、柳家小二三で
【前座】1957年秋
【二ツ目】1960年11月、柳家小三郎で。62年、柳家さん吉に
【真打ち】1973年3月
【出囃子】南公(おはん)
【定紋】片喰
【本名】榑井くれい昌夫
【生年月日】1938年1月18日-2022年2月15日 心不全 84歳
【出身地】新潟県中蒲原郡村松町(五泉市)
【学歴】新潟県立村松高校
【血液型】AB型
【出典】落語協会HP 柳家さん吉Wiki
【蛇足】剣道 テレビレポーター

かわやなぎせんりゅう【川柳川柳】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【前座】1955年7月、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の師匠)に三遊亭さん生で
【二ツ目】1958年3月
【真打ち】1974年3月。1978年、五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)門下に、川柳川柳で
【出囃子】三味線ブギ
【定紋】結び橘
【本名】加藤利男
【生年月日】1931年3月23日-2021年11月17日 90歳
【出身地】埼玉県秩父市
【学歴】横瀬村尋常小学校
【血液型】A型
【出典】落語協会HP 川柳川柳Wiki
【蛇足】「ラ・マラゲーニャ」「ガーコン」「ジャズ息子

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転宅、残念

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柳家小三治師匠がお亡くなりになりました。10月7日。寂しいもんです。BS-TBSでは、落語研究会でかつて小三治師匠があげた「転宅」を放送するというのを知って録画しました。なんせ深夜の放送でしたから、翌日見たところ、なんと柳家花緑師匠が出ていました。まずい顔だなあ、という苦い印象だけでしたが、あれはいったいなんだったのでしょうか。こんな局面(放送局と掛けている)で羊頭狗肉をひっさげてもしょうがないとは思うのですが。残念です。

柳家小三治のプロフィル
1939年12月17日~2021年10月7日
東京都新宿区出身。出囃子は「二上がりかっこ」。定紋は「変わり羽団扇」。本名は郡山剛藏こおりやまたけぞう。1958年、都立青山高校卒業。同学年に女優の若林映子わかばやしあきこ、一学年下には仲本工事と橋爪功。ラジオ東京(現TBS)「しろうと寄席」で15週勝ち抜いて注目されました。59年3月、五代目柳家小さんに入門。みんなが納得したそうです。前座名は小たけ。63年4月、二ツ目昇進し、さん治に。69年9月、17人抜きの抜擢で真打、十代目柳家小三治を襲名。76年、放送演芸大賞受賞。79年から落語協会理事に。81年、芸術選奨げいじゅつせんしょう文部大臣新人賞受賞。2004年に芸術選奨文部科学大臣賞を、05年4月、紫綬褒章しじゅほうしょう受章。10年6月、落語協会会長に。14年5月に旭日小綬章きょくじつしょうじゅしょう受章。6月、落語協会会長を勇退し、顧問就任。10月、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。21年10月2日、府中の森芸術劇場での落語会で「猫の皿」を演じました。これが最後の高座に。10月7日、心不全のため都内の自宅で死去。81歳。戒名は昇道院釋剛優しょうどういんしゃくごうゆう。浄土真宗ですね。69年に結成された東京やなぎ句会の創設同人の一。俳号は土茶。

小三治師匠が得意とした主な演目(順不同)

花見の仇討ち」「もう半分」「宿屋の富」「大山詣り」「三年目」「堪忍袋」「船徳」「不動坊火焔」「睨み返し」「長者番付」「粗忽の釘」「子別れ」「お化け長屋」「藪入り」「鹿政談」「芝浜」「三軒長屋」「蛙茶番」「死神」「お神酒徳利」「厩火事」「千両みかん」「小言幸兵衛」「あくび指南」「うどん屋」「癇癪」「看板のピン」「金明竹」「小言念仏」「大工調べ」「千早ふる」「茶の湯」「出来心」「転宅」「道灌」「時そば」「鼠穴」「初天神」「富士詣り」「百川」「薬缶なめ」「蝦蟇の油」「一眼国」「二人旅」「お直し」「湯屋番」「明烏」「たちきり」「五人廻し」「山崎屋」「禁酒番屋」「品川心中」「鰻の幇間」「青菜」「野ざらし」「二番煎じ」「粗忽長屋」「猫の皿」「厩火事」など。柳家なのか三遊亭なのか、演目だけでは判断つきません。晩年は滑稽噺ばっかりでした。 まくらが異様に発達進化したのは、柳家の芸風に由来するのではないでしょうか。「小言念仏」(マクラが魅力) 「千早ふる」 (細部まで小さん流) 「転宅」、また聴きたいです。

(古木優)

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柳家小三治、逝く 

青山高校の12月生まれ同士



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柳家小三治師匠が亡くなりました。残念です。9月25日、テレ東系「新美の巨人たち」で新宿末広亭が特集された折、ちょっとだけですが、登場していて、この演芸場のの空間を気持ちのいいほどほめちぎっていました。お声がちょっとヘンだなあ、なんて思いましたが、あれが見納めでした。寂しいもんです。

高田馬場のあたりをうろうろしていた頃、手塚治虫、楳図かずお、天本英世なんかをよく見かけました。小三治師匠も。ムトウとかで。1980年前後の話です。

永六輔が仕切るNHKのテレビ番組にも出ていました。物故の名人上手のものまねなんかやって客を笑わせ、「こんなことやってるから、あたしゃ、出世が遅れたんですな」なんて、ひとりごちていました。小ゑんにいじめられてたんでしょうかね。

83年頃、土曜日の午後、FM北海道の師匠のオーディオ番組をよく聴きました。師匠は相当な音マニアで、ジャズを中心に、たまにはクラシックやボサノバも。私的には、藤岡琢也をもしのぐものすごさでした。

89年春、ある人の病気見舞いで聖路加国際病院に赴いた朝。道端にでっかいバイクを横付けして、病院に入るところをお見掛けしました。あれは、私のようにどなたかのお見舞いのためだったのか、あるいはご自身の定期診察ででもあったのか。細身に黒ずくめのそのスタイルは永六輔にも似て、どこか洗練されていて素っ気なくて、あこがれを抱く光景でした。六代目林家正蔵のスタイルをまねていたのを、後日知ったときにはホント、びっくりしました。

どこまでも、すっとぼけた、ものまねにたけた、さりげなさを最良とする噺家さんだったのですね。

以前、雲助師匠だけが迫っているもんだと思い込んでいました。その視点は間違いではないと思うのですが、両者の差異は大人と子供くらいあったように感じます。「しろうと寄席」で15週勝ち抜いた果てに、「大学に進まず落語家に入門する」という爆弾発言で、番組ファンは「誰に入門するのか」注目していたそうです。

1959年のことですから、文楽、志ん生、三木助、円生、正蔵などなど、あまたの名人上手がわんさか。わんさかの中から小さんを選んだのは慧眼だったのかもしれません。兄弟子に小ゑんがいたことが少なから不幸だったのでしょうけど。それでも天才の器がまったく違っていました。小ゑんは天災でしたか。

若林映子あきこさんとは同じクラスだったのかどうか、いまだわかりませんが、同窓だったことはたしかです。ウッディ・アレンの監督第一作は若林映子さん主演のものでした。ビックリです。むちゃくちゃな映画でしたが、アレンはアジアン・ビューティーが大好きなんですね。彼女は12月14日、師匠は12月17日。お二人とも近いお生まれです。最後に。これほど余韻を帯びた噺家、もういません。志ん朝が逝ってちょうど20年。ともに贅言せずとも客を笑わせる噺家でした。小ゑんとは根底が違っていたようです。

柳家小三治のプロフィル
1939年12月17日~2021年10月7日
東京都新宿区出身。出囃子は「二上がりかっこ」。定紋は「変わり羽団扇」。本名は郡山剛藏こおりやまたけぞう。1958年、都立青山高校卒業。同学年に女優の若林映子わかばやしあきこ、一学年下には仲本工事と橋爪功。ラジオ東京「しろうと寄席」で15週勝ち抜いて全国的に注目されました。59年3月、五代目柳家小さんに入門。前座名は小たけ。63年4月、二ツ目昇進し、さん治に。69年9月、17人抜きの抜擢で真打、十代目柳家小三治を襲名。76年、放送演芸大賞受賞。79年から落語協会理事に。81年、芸術選奨げいじゅつせんしょう文部大臣新人賞受賞。2004年に芸術選奨文部科学大臣賞を、05年4月、紫綬褒章しじゅほうしょう受章。10年6月、落語協会会長に。14年5月に旭日小綬章きょくじつしょうじゅしょう受章。6月、落語協会会長を勇退し、顧問就任。10月、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。21年10月2日、府中の森芸術劇場での落語会で「猫の皿」を演じました。これが最後の高座に。10月7日、心不全のため東京都内の自宅で死去。81歳。戒名は昇道院釋剛優しょうどういんしゃくごうゆう。浄土真宗ですね。69年に結成された東京やなぎ句会の創設同人の一。俳号は土茶どさ

郡山剛蔵くんを大きく舵切りさせた「しろうと寄席」は、聴取者が参加するラジオ公開放送演芸番組です。一般の聴取者が得意の芸を披露して、プロの審査員に評定され、番組が進行します。ラジオ東京(JOKR、現TBSラジオ)で昭和30年代前半に放送されました。ちなみに、一般人が放送に参加できるようになったのはNHK「素人のど自慢」が初めて。戦前ではあり得ないことでしたから、民主日本の画期でした。「しろうと寄席」もこれに倣ったのですね。放送期間は1955年3月9日~62年10月29日。番組開始時では大正製薬の単独提供だったのが、終了時には日電広告に。開始時では毎週水曜21時30分~22時。終了時では毎週月曜14時10分~15時に。司会は牧野周一(声帯模写)。審査員は、桂文楽(落語)、神田松鯉しょうり(講談)、コロムビアトップ・ライト(漫才)。主な出身者には、牧伸二(ウクレレ漫談)、柳家小三治、入船亭扇橋(落語、俳号光石)、片岡鶴八(声帯模写、片岡鶴太郎の師匠)など。フジテレビで昭和40年代前半に放送されたテレビ番組もありますが、これは別番組です。

小三治師匠が得意とした主な演目(順不同)

花見の仇討ち」「もう半分」「宿屋の富」「大山詣り」「三年目」「堪忍袋」「船徳」「不動坊火焔」「睨み返し」「長者番付」「粗忽の釘」「子別れ」「お化け長屋」「藪入り」「鹿政談」「芝浜」「三軒長屋」「蛙茶番」「死神」「お神酒徳利」「厩火事」「千両みかん」「小言幸兵衛」「あくび指南」「うどん屋」「癇癪」「看板のピン」「金明竹」「小言念仏」「大工調べ」「千早ふる」「茶の湯」「出来心」「転宅」「道灌」「時そば」「鼠穴」「初天神」「富士詣り」「百川」「薬缶なめ」「蝦蟇の油」「一眼国」「二人旅」「お直し」「湯屋番」「明烏」「たちきり」「五人廻し」「山崎屋」「禁酒番屋」「品川心中」「鰻の幇間」「青菜」「野ざらし」「二番煎じ」「粗忽長屋」「猫の皿」「厩火事」など。柳家なのか三遊亭なのか、演目だけでは判断つきません。晩年は滑稽噺ばっかりでした。 まくらが異様に発達進化したのは、その柳家の芸風ゆえんだったのではないでしょうか。「小言念仏」(マクラが魅力) 「千早ふる」 (細部まで小さん流) 「転宅」 はまた聴きたいです。

(2021年10月7日 古木優)

【柳家小三治 人形町末広の思い出】

2002年7月14日 第27回朝日名人会 有楽町朝日ホール

人形町末広は、慶応3年(1867)に創業して、昭和45年(1970)1月に閉場しました。現在は読売新聞社の子会社が建っています。お隣に「うぶけや」。看板は4人の、当時最高峰の書家が1字ずつ揮毫したそうです。爪切り、しびれます。

落語演目

 



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やなぎやせんぱち【柳家せん八】噺家

  【RIZAP COOK】  ことば 演目  千字寄席

【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】昭和43年(1968)4月、四代目柳家小せんに
【前座】せん松で
【二ツ目】昭和48年(1973)9月、せん八に改名
【真打ち】昭和57年(1982)12月
【出囃子】可愛い魚やさん
【定紋】花菱
【本名】吉沢博
【生没年月日】昭和23年(1948)2月5日-令和4年(2022)9月11日 74歳
【出身地】群馬県太田市
【学歴】群馬県立太田高校
【血液型】A
【ネタ】
【出典】
【蛇足】

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れいれいしゃばふう【鈴々舎馬風】噺家

  【RIZAP COOK】  ことば 演目  千字寄席

【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)に入門
【前座】1956年12月、小光で
【二ツ目】1960年3月、かゑるで
【真打ち】1973年3月。76年5月、十代目鈴々舎馬風に
【出囃子】本調子のっと
【定紋】鈴、裏梅
【本名】寺田輝雄
【生年月日】1939年12月19日
【出身地】千葉県野田市
【学歴】国際文化美容学校
【血液型】AB型
【出典】馬風一門HP 落語協会HP 鈴々舎馬風Wiki
【蛇足】落語協会元会長、同会最高顧問

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