【吝嗇屋】しわいや 落語演目 あらすじ
【どんな?】
「しわい」とはケチのこと。
ケチもここまできわまると至芸。
ケチの達人です。
【あらすじ】
ケチ道をきわめた男。
飯を食う時に、一年間一つの梅干で済ませるという自慢を聞いてせせら笑い、
「まだ修行が足りねえ、オレなら梅干を食わずににらんでいて、口がすっぱくなったところで飯を食う」
とやっつける。
それに挑戦しようという男が現れ、夜訪ねると、先生、明かりも点けない真暗がりで裸で座っている。
「寒くないか」
と聞くと、
「よく見ろ、頭の上から大石を吊るしてあるから、いつ落ちるかと冷や汗をかくので、それで温まる」
と言う。
大変な野郎があるものだと降参して退散しようと、履物を探すからマッチを貸してくれと頼むと
「てめえはそれだからダメだ。目と鼻の間をゲンコツで殴り、その火で探せ」
と言うので、
「そんなことだろうと思って、初めから裸足で来ました」
「オレもそうだろうと思ったから、あらかじめ畳を裏っ返しておいた」
【しりたい】
吝兵衛、しつこく登場!
「吝嗇」はもともと上方言葉です。
「しわん坊」「しわいの根っこ」「赤螺屋」「六日知らず」「始末屋」などの同義語があります。
ほかに「伊勢屋」ともいいますが、これは、質屋の屋号に多く、質屋はケチが多いと一般的通念の連想から。
落語ではケチの苗字(屋号)が「あかにしや」か「吝嗇屋」、名前を「吝兵衛」「吝左衛門」「吝右衛門」などとしています。
ケチ噺いろいろ
一席の独立した噺としては「味噌蔵」「死ぬなら今」「位牌屋」「片棒」「あたま山」などがあります。
「吝嗇屋」は、どちらかというと、ケチの小ばなしのオムニバスとも呼べる軽い噺です。
似たような小品に、「二丁ろうそく」「始末の極意」があります。この三席は互いに、内容が一部重複していますが、それぞれにケチぶりを競います。
吝兵衛流「ケチ道実践」
「吝嗇屋」では、以下の噺をよく付け加えます。
●火事で全焼した家におき火をもらってこいと小僧に言いつけ、断られると、
「今度こっちが焼けても、火の粉ひとつやるもんか」
●蒲焼きのにおいで飯をかっこんでいた男が鰻屋にかぎ賃を請求され、金をチャリンとばらまいて
「音だけ持って帰れ」
だそく
本場・大阪のケチ道の極意は、「生き金」を使うことにあり、むやみに節約ばかりするのは「シブチン」「しみったれ」として、かえって軽蔑されるとか。
要するに、五円使ったら十円となって戻るような、有効な投資こそ大切、ということなのでしょう。
西洋では「スコットランド人」がケチの代名詞とされています。