【位牌屋】いはいや 落語演目 あらすじ
ドケチも極まる
成城石井
【どんな?】
すさまじいケチんぼうの噺。
ブラック噺の極北です。
オチがきいてます。
別題:位牌丁稚
【あらすじ】
ケチでは人後に落ちない、だんな。
子どもが生まれ、番頭の久兵衛が祝いに来ても、
「経費がかかるのに何がめでたい」
と小言を言う。
なにしろ、この家では奉公人に魚などくわせたことはなく、三年前に一人、目を悪くしたとき、まじないにメダカを三匹呑ませただけなのだから、とても赤飯に尾頭付きどころの騒ぎではない。
八百屋が摘まみ菜を売りに来ると、八貫五百の値段を、
「八貫を負けて五百で売れ」
と言って怒らせ、帰ると、こぼれた菜を小僧に拾わせて味噌漉しいっぱいにしてしまう。
今朝の、芋屋との会話。
五厘だけ買った。
だんな「小僧を使いにやったが、まだ帰らないから、ちょいと煙草を貸しとくれ」
芋屋「おあがんなさい」
だんな「いい煙草だ。いくらだい? 一銭五厘? 商人がこんな高い煙草のんじゃいけない。家はどこだい?」
芋屋「神田堅大工町です」
だんな「家内多か?」
芋屋「女房とせがれが一人で」
だんな「買い出しはどこでしなさる」
芋屋「多町でします」
だんな「弁当なぞはどうしている?」
芋屋「出先の飯屋で食います」
だんな「そりゃもったいない。梅干しの一つも入れて弁当を持って出なさい。茶とタクアンぐらいはあげるから、ウチの台所でおあがり。いや、うまかった。食うのがもったいないから置き物にしたいぐらいだ。時に、これを一本負けておきな」
この会話をそっくり繰り返す。
三回目に「家はどこだい」と始めたところで、芋屋は悪態をついて帰ってしまう。
嫌がられても五厘で二回負けさせ、たばこをタダで二服。
そのだんな、小僧の定吉に、注文しておいた位牌を取りに仏師屋へやる。
それも裸足で行かせ、
「向こうにいい下駄があったら履いて帰ってこい」
と言いつけるものすごさ。
定吉と仏師屋の親父の会話。
定吉「小僧を使いにやったが、まだ帰らないから、ちょいとたばこを貸しとくれ」
親父「てめえが小僧じゃねえか」
定吉「商人がこんな高いたばこをのんじゃいけねえ。家はどこだい?」
親父「ここじゃねえか」
定吉「家内多か?」
全部まねして、今度は位牌をほめる。
「いい位牌だ。食べるのはもったいないから、置き物にしたいくらいだ。形がいい。時に、これ一本まけときな」
「おい、持ってっちゃいけねえ」
ちゃっかり位牌を懐に入れ、オマケの小さな位牌もぶんどって、一目散に店へ。
「下駄は履いてきたか」
「あ、あわてたから片っぽだけ」
「しょうがねえ。そりゃなんだ」
「位牌です」
「同じオマケなら、なぜ大きいのをぶんどってこない」
だんなが小言を言うと、定吉は
「なーに、生まれた坊ちゃんのに、なさい」
底本:六代目三遊亭円生
【しりたい】
吉四六話が原話
後半の、位牌を買いに行くくだりの原話は、文政7年(1824)、江戸で刊行された『新作咄土産』中の「律義者」。
現行とオチまでまったく同じですが、前半のケチ噺は、宇井無愁(宮本鉱一郎、1909-92、上方落語研究)によると、豊前地方(大分県)の代表的なとんち民話、吉四六話を二編ほどアレンジしたものということです。
上方落語「位牌丁稚」が東京に移されたものとみられますが、詳細は不明です。
昭和以後では、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の)、三代目三遊亭小円朝(芳村幸太郎、1892-1973)などが、時折「逃げ噺」の一つとして演じました。
位牌屋
仏師屋ともいいます。
「仏師」は仏像を彫刻する人、もしくは描く人で、それぞれ木仏師、絵仏師と呼びました。
後世、それらが衰退し、江戸時代に入ると、死者の霊を祭る位牌が一般に普及したため、位牌を作って売る者を仏師屋と呼ぶようになったわけです。
人間は死ねば仏になるから、位牌も仏像も同じ感覚で扱われたため、この名称が転化したものと考えられます。
ブラック噺
かなりすごいオチで、これゆえにこそ、この噺は凡百のケチ噺と区別され、ブラックユーモアの落語として異彩を放っているわけです。
世の善男善女の非難をかわすため、この「生まれた坊ちゃんのになさい」という最後っ屁につき、「たんなるあほうな小僧の、無知による勘違い」と言い繕う向きもありますが、どうしてどうして、確信犯です。
かなりの悪意と嫉妬と呪詛が渦を巻いていると解釈する方が自然でしょう。
それをナマで表してしまえばシャレにならず、さりげなく、袖の下にヨロイをチラチラと見せつけるのが芸の力というものでしょうね。
【語の読みと注】
吉四六 きっちょむ
宇井無愁 ういむしゅう:上方落語研究家
豊前 ぶぜん:大分県