【豆屋】まめや 落語演目 あらすじ
【どんな?】
商いの噺。物売りの豆屋、売れても売れなくても客に怒られる始末。
【あらすじ】
ある、ぼんくらな男。
何の商売をやっても長続きせず、今度は近所の八百屋の世話で豆売りをやることにして、知り合いの隠居のところへ元手をせびりに行く。
隠居からなんとか二円借りたにわか豆屋、出発する時、八百屋に、物を売る時には何でも掛け値をし、一升十三銭なら二十銭と言った後、だんだんまけていくもんだと教えられたので、それだけが頭にこびりついている。
この前は売り物の名を忘れたが、今度は大丈夫そうで
「ええ、豆、そら豆の上等でございッ」
と教えられた通にがなって歩いていると、とある裏路地で
「おい、豆屋」
「豆屋はどちらで」
「豆屋はてめえだ」
「一升いくらだ」
と聞くので
「二十銭でございます」
と答えると
「おい、お松、逃げねえように戸を閉めて、しんばり棒をかっちまえ。薪ざっぽうを一本持ってこいッ」
豆屋はなんのことかと思っていたら、
「この貧乏長屋へ来て、こんな豆を一升二十銭で売ろうとは、てめえ、命が惜しくねえか」
と脅かされ、二銭に値切られてしまった。
その上、山盛りにさせられ、こぼれたのまでかっさらわれて、さんざん。
泣く泣く、また別の場所で
「豆、豆ッ」
とやっていると、再び
「豆屋ァ」
の声。
前よりもっとこわそうな顔。
「一升いくらだ」
と聞かれ、
「へい、二…十」
を危うくのみ込んで
「へえ、二…銭で」
「おい、お竹、逃げねえように戸を閉めて、しんばり棒をかっちまえ。薪ざっぽうを一本持ってこいッ。一升二銭なんぞで買っちゃ、仲間うちにツラ出しができねえ」
と言う。
もう観念して
「それじゃ、あの一銭五厘に」
「ばか野郎。だれがまけろと言った。もっと高くするんだ」
豆屋がおそるおそる値を上げると
「十五銭? ケチなことを言いやがるな」
「二十銭? それっぱかりのはした銭で豆ェ買ったと言われちゃ、仲間うちに…」
というわけで、とうとう五十銭に。
いい客が付いたと喜んで、盛りをよくしようとすると
「やいやいッ、なにをしやがるんだ。商売人は中をふんわり、たくさん詰めたように見せかけるのが当たり前だ。真ん中を少しへこませろ。ぐっと減らせ、ぐっと。薪ざっぽうが見えねえか。よし、すくいにくくなったら、升を逆さにして、ポンとたたけ」
「親方、升がからっぽです」
「おれんとこじゃ、買わねえんだい」
【しりたい】
江戸の野菜売り 【RIZAP COOK】
江戸時代、この豆屋のように一種類の野菜を行商で売り歩く八百屋を「前栽売り」と呼びました。
落語ではほかに「唐茄子屋政談」「かぼちゃ屋」の主人公も同じです。いずれも天秤棒に「前栽籠」という浅底の竹籠をつるして担ぎ歩きます。
同じ豆屋でも枝豆売りは子持ちの貧しい女性が多かったといいます。
十代目文治のおはこ 【RIZAP COOK】
かつては「えへへの柳枝」と呼ばれた七代目春風亭柳枝(1893-1941)がよく演じましたが、その後は、十代目桂文治(1924-2004)が伸治時代から売り物にしていました。
評逸なおかしみは無類で、あのカン高い声の「まめやァー!」は今も耳に残っています。
立川談志(松岡克由、1935-2011)は、豆屋を与太郎としていました。
逃げ噺の代表格 【RIZAP COOK】
「豆屋」は短い噺ですが、オチもなかなか塩が効いていて、捨てがたい味があります。
持ち時間が少ないとき、早く高座を下りる必要のあるときなどにさらっと演じる「逃げ噺」の代表格です。
古くは、六代目三升家小勝(1908-71)の「味噌豆」、八代目桂文楽(1892-1971)の「馬のす」、五代目古今亭志ん生(1890-1973)の「義眼」、六代目三遊亭円生(1900-79)の「四宿の屁」「おかふい」「悔やみ」など、一流の演者はそれぞれ自分の逃げ噺を持っていました。
薪ざっぽう 【RIZAP COOK】
「真木撮棒」と書きます。すでに伐ったり割ったりしてある薪で、十分に殺傷能力のある、コワイ代物です。
「まきざっぽ」とも言います。
ちなみに、「真木」は檜の美称。
「真木割く」という枕詞がありますが、「檜」に掛かります。
たんに「まき」と言った場合、「ま」は「き」の美称となります。
「まき」は「立派な木」くらいの意味。
古来、杉や檜をさします。
古語に「真木立つ山」という言葉がありますが、これは、杉や檜が生い茂った山で、神の気配を感じさせる山のことです。