【雪中梅】せっちゅうばい 落語演目 あらすじ
【どんな?】
うーん、こんな人情噺もあってもよいかも。たまには乙なおもむきで。
【あらすじ】
音羽桜木町に住む、日雇い稼ぎの多吉。
二十三歳になるが、母一人子一人で大変な孝行者。
その母が病気で寝付き、おまけに雨天続きで仕事がなく、年も越せないありさま。
かといって、気が小さく、知人の家を回っても金を貸してくれと、言い出せない。
そうこうするうちの大晦日の夜も更けて、牛込の改代町あたりに差しかかると、ふと目についたのが穂積利助という手習いの師匠の屋敷。
酒宴の後らしく、裏口が開いているので、多吉はつい出来心で忍び込み、たちまち捕まってしまう。
泣いてわび、素性を残らず話したので、利助も同情し、親孝行はいいが、以後、決して盗みはならぬ、おまえは愚かなる者で、読み書きもできぬからそのような料簡も起こすのだから、今後は字も習えと、厳しくさとし、一両くれた上、餠や料理もどっさり持たせて帰す。
ところが、多吉が喜んで帰ってみると、母親が死んでいる。
今度は泣きの涙、その日のうちに葬式を出し、年が明けて四十九日まで、欠かさず墓参を続ける。
四十九日の日、帰ろうと隣の石塔を見ると、何か置いてあるので手に取ると大金が入った紙入れ。
本郷二丁目、絹谷彦右衛門という豪商の名刺が入っていたので、あわてて届けたところ、彦右衛門はその正直に感心して使用人に雇い、やがてめでたく一人娘の婿に納まるという出世話。
出典:三代目春風亭柳枝
【うんちく】
明治の人情噺 【RIZAP COOK】
三代目春風亭柳枝(鈴木文吉、1852-1900、蔵前の)が作ったらしい、「おかめ団子」にも似た、とはいえ、あまり人の心を動かさないできばえの人情噺です。
明治26年(1893)1月、柳枝自身の速記があるほかは口演記録はなく、今となっては風俗資料としてのみ、貴重なものでしょう。
ちなみに、柳枝の没年は円朝のそれと同年でした。意外に早逝です。
こういう噺はあらすじではなく、掲載記録そのものを紹介したほうがよいでしょう。
題名の雪中梅は、冬の寒さに耐え、雪中に花を咲かせる梅ですが、内容との関連は不明。
主人公が不孝な境遇に耐えて、やがて花を咲かせる寓意とも考えられますが、あるいはこの柳枝の速記が正月に掲載されたので、単にめでたい意味で梅の一字を入れただけかもしれません。
同タイトルで末広鉄腸(1849-96)作の政治小説が、この七年前に出版されていますが、関連はなさそうです。
音羽桜木町 【RIZAP COOK】
おとわさくらぎちょう。文京区音羽1丁目、関口2丁目、小日向2丁目にまたがっていました。
護国寺の門前町で、元は寺領でしたが、元禄10年(1697)に町が開かれた際、大奥の中老桜木に町地が下賜されたところから、この地名がついたといわれます。
桜木町の路地を入ったところに私娼窟があり、揚げ代は「ちょんの間二百文」だったとか。
志ん生の「お直し」で有名な「ケコロ」がせいぜい百文でしたから、えらく高いですね。
参考文献:『江戸文学地名辞典』(浜田義一郎編、東京堂出版、1997年)ほか
牛込改代町 【RIZAP COOK】
うしごめかいたいちょう。新宿区改代町。
江戸川橋の東南200mほどで、音羽桜木町とは目と鼻の先です。
落語では「ちきり伊勢屋」にもちょっと登場します。
改代町の南側一帯、神楽坂にかけては、旧幕時代にはぎっしりと武家屋敷、旗本屋敷が並んでいました。