【そのこと褞袍で一分二朱】
そのことどてらでいちぶにしゅ
「そのことばかり」の地口で「そのこと羽織」があります。
その「そのこと羽織」からの連想で「そのこと褞袍」となったものです。身近な衣類の、羽織から褞袍への連想です。
意味は「そのこと」を言っているだけ。ただそれだけ。
そんな調子ならば、「そのことどてらでアイラブユー」なんかでもよいかもねむ。
「一分二朱」は、深川の揚げ代をさします。この料金で「三切り」だったとか。「切り」は短い時間(正確な時間は不明)で遊ぶことを称していました。
ちょんのまの、カジュアルでイージーな遊びを「一分二朱」で表現しているつもり。
終わりがないことを「きりがない」と言うのは、ここから来ているという説もあります。女との行為があんまり気持ちよくて終われずにいる、サル顔のバカ野郎が目に浮かびます。
さて。
「そのこと褞袍で一歩二朱」は、河竹黙阿弥の『忠臣蔵後日建前』に出てくるせりふです。「女定九郎」と通称された江戸歌舞伎のげてもの狂言(台本)です。慶応元年(1865)初演。
維新直前につくられた、男の役を女に仕立てたやけのやんぱちの芝居です。
江戸時代=徳川幕府も終焉を迎えていたので、江戸の人たちももうわかっていたので、この頃の歌舞伎はめちゃくちゃでした。
あんまりのめちゃくちゃぶりに、昭和58年(1983)に珍しく公演があったものの、それ以来、お蔵入りのまんまです。
「一分」は千文。「二朱」は五百文。合わせて千五百文です。ああ、ややこしい。
ところで。
褞袍は、厚く綿を入れた防寒用の上着です。丹前ともいいます。長着の一種です。
丹前の由来は、旗本に仕える使用人の旗本奴たちの間で流行し、これが一般にも広まりました。
丹前は綿の入った広袖の長着で、布地は派手な縞柄のものが多く、これを丹前縞といいます。丹前については後述します。
厚手の生地でできた、中綿が入っていないものもあります。こうなると、かぎりなく半纏に近づきます。
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これは羽織
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こちらは褞袍、つまり丹前
褞袍と半纏の違いはなにか。
褞袍は半纏よりもずっと丈の長い着物です。生地の中に綿が入っているので、厚みがあるのが特徴です。
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渋谷氷川神社の例祭での半纏姿
かぎりなく褞袍ともいえる綿入れ半纏は羽織風の腰あたりまでの上着であるものですが、地方によっては、これを丹前、または褞袍と呼ぶこともあります。
北関東、東北、北海道あたりでは、掻い巻き(寝巻きとも)と呼ばれる寝具を丹前と呼びます。
丹前の始まりは江戸初期のこと。当時、神田の堀丹後守邸の前にあった湯女風呂のことを丹前(堀丹後守の屋敷前という意味)と呼びました。
湯女風呂というのは女性が接客する湯屋のこと。人気の湯女であったのが勝山でした。湯女とはいまでいうソープ嬢です。
客は、人気の勝山にモテたくて、彼女が考案した浴衣や装束を着て行ったそうです。この装束を丹前風と呼びました。
要は、羽織、法被、半纏、褞袍、綿入れ半纏、丹前、掻い巻き、寝巻きなどの定義は、地方によってまちまち。混沌としています。