【そろそろと北山しぐれ】そろそろときたやましぐれ むだぐち ことば 落語 あらすじ
「来た」と「北」を掛け、そこから、京都の北山から降りおろす時雨を出しています。
「北山時雨」はポピュラーな冬の季語。
昭和初期の小唄勝太郎から現代の川中美幸まで、歌謡曲の歌詞にもけっこう取り上げられています。
ここで厄介なのは、「来た山」としゃれる場合、慣用的に意味が複数あることです。
まずは、単純明快に誰かがやってきたの意。
ただ、「そろそろと」が付く場合、単に「そろそろ待ち人がやってきた」というほかに「やっとこっちの思惑通りになってきた、しめしめ」というニュアンスが加わることがあるので、要注意。
次に「腹が来た山」から「急に腹が減った」というスラング。
江戸時代には「腹が減った」ことを「腹が来た」と言いました。時雨は予期せず降ることから。
そこからもう一つ「気まぐれ」の異称にもなりました。
次に、同じ「来た」でも、異性に気があること。
「あいつは俺にきた山」など。
これは「恋心がきざした」ということでしょうが、一説には、京の北山の麓に、昔口寄せの巫女(霊媒)が出没したところから、「口寄せ」→接吻とエロチックな意味が付いたとか。
「北山」のしゃれには、ほかに「北山桜」「北山寒烏」「北山の宝心丹」など、これも多数。