【四代目麗々亭柳橋】よだいめ れいれいていりゅうきょう 噺家 落語 あらすじ
【芸種】落語
【所属】柳派→三遊派→柳派
【入門】1874年、三代目麗々亭柳橋に、初代春風亭小柳で。初高座は神田区白銀町(千代田区神田司町2丁目辺か)の寄席豆蒔亭で「釜泥」。14歳 ※読売新聞1900年8月22日付4面による
【前座】
【二ツ目】
【真打ち】1978年、四代目麗々亭柳橋。日本橋木原店で
【出囃子】
【定紋】
【本名】斎藤亀吉
【生没年月日】万延元年9月15日-明治33年8月21日(1860-1900) 享年41
【出身地】江戸
【前歴】京橋八官町(中央区銀座8丁目)の時計店の奉公 ※京橋八官町は八官という名のオランダ人に与えた土地とされるところからの由来
【血液型】
【ネタ】父親をまねて。道具を使う人情噺が中心。「四谷怪談」「九州吹き戻し」「茶碗屋敷」「唐茄子屋」「おかめ団子」「稽古屋」など。
【出典】Wiki
【蛇足】三代目麗々亭柳橋(斎藤文吉)の長男。父親の没後、柳派の噺家と不和に。1895年には柳派の内紛で三遊派に移籍。1899年、和解して柳派に復帰
円朝逝去(8月11日)の10日後、芝日蔭町1丁目(港区新橋2、3丁目)の自宅で死去。墓所は浅草本願寺寺中の宗恩寺(浄土真宗大谷派、台東区西浅草1-6-7)。釈春麗院柳演居士
三代目の次男は二代目桃川如燕、三代目の三男は五代目麗々亭柳橋と、父、本人、2人の実弟こぞって芸人家族だった。読売新聞1903年11月3日付34面の特集「三十年間全国人物 千人評」中、「麗々亭柳橋(落語柳派元祖)」の評言には「伯は先代柳橋、仲は今の桃川如燕、叔は今の柳橋、子供三人束ねても親爺の一人に及ばず」とある。「伯は柳橋」が四代目麗々亭柳橋のこと
参考文献:『口演速記 明治大正落語集成』(暉峻康隆・興津要・榎本滋民編、講談社、1980-81年)、『名人名演落語全集 第9巻 昭和篇4』近代落語家歿年譜(斎藤忠市郎・山本進他編、立風書房、1981-82年)、『古今東西 落語家事典』(諸芸懇話会+大阪芸能懇話会、平凡社、1989年)、読売新聞、朝日新聞