【雷飛行】かみなりひこう 落語演目 あらすじ
【どんな?】
今のところ、三代目今輔だけ。
すこぶるとんでも、奇妙奇天烈な珍品です。
【あらすじ】
頃は大正。
なじみの芸者を連れて日光へ遊びにきた男。
ふと好奇心がわいて、芸者を先に東京に帰すと、一人で山奥まで足を踏み入れた。
ところが、慣れない山奥で案の定道に迷い、日も暮れたので困っていると、遠くに人家の灯。
「これはありがたい、一晩泊めてもらおう」
と近づくと、なんと、りっぱなお屋敷。
「はて、こんな所に」
といぶかしがりながら案内を乞うと、取り次ぎに出てきた男
「きさま人間か」
よくよく見ると、素っ裸の虎の革の褌。
ここは日光屋雷右衛門という、雷の元締めの屋敷だったから、男は仰天。
とにかく、中に入れてもらうと、貫禄十分の雷が、座敷で酒をのんでいる。
横を見ると、天人のように美しい娘が一人。
雷右衛門の一人娘で、名前は稲妻とか。
一目惚れした男、娘に酌をしてもらい、あれこれお世辞を並べているうちに、娘もまんざらでなさそうで、いつしか二人は深い仲になった。
実は、例の芸者とも、もう夫婦約束をしてあるのだが、そんなことはきれいに忘れ、ずるずると娘といちゃついて二日、三日と過ぎるうち、とうに二人の仲を悟った雷親父
「オレも野暮なこたあ言わねえ。ただ、こうなったら、家の養子になってもらおう」
もとより惚れた仲、二つ返事で承知したが、先方にはまだ条件がある。
「養子になるんなら、やっぱり雷にならなくちゃあいけねえ」
「へえ、人間でも雷になれますか?」
「そりゃあ、修業しだいよ」
というわけで、雷学校に入って勉強する羽目になった。
東京から来たから、東雷と名を変えて、一心に修行に励むうち、まだ成績が足りないが、元締めの養子だから卒業させてやってよかろうということになり、いよいよ卒業飛行の日。
先生が、
「おい東雷。うっかりすると雲を踏み外して落っこちるから注意しろよ。太鼓のたたき方でスピードが変わるから、むやみにたたいたり低空飛行をするな。それから、てめえは助平だから、飛行中に下界の女なんぞ見ちゃあならねえ。必ず墜落するから」
こまごまと注意され、いよいよ雲に乗って出発。
針路を南に取って、ピカリピカリと稲妻を光らせながら進むうち、いつしか東京上空へ。
浅草あたりに来かかると、実によく下界が見える。
ひょいと見ると、前の婚約者の芸者が、やらずの雷というやつで、男としっかり抱きあっている。
「こら、あんまりそばへ寄るな。私は雷は虫が好かないんです、だって。ばかにしてやがる。一番脅かしてやろう」
焼き餅半分、ゴロゴロガラガラとあんまり電気を強くしたものだから、東雷、あえなく雲を踏み外して墜落。
「あー、恥ずかしい。落第(=落雷)だ」
底本:三代目古今亭今輔
【しりたい】
大正後期の新作
大正10年(1921)3月の『文藝倶楽部』に掲載された三代目古今亭今輔(村田政次郎、1869-1924、代地の、せっかちの)の速記が、唯一の資料です。
もちろん、ネタ元と思われる笑話などもなく、第一次世界大戦前後の「飛行機ブーム」を当て込んだ新作と思われます。
今輔自身の創作かもしれませんが、これもはっきりしません。
同じ月の『文藝倶楽部』には、これもやがて文明の花形となる自動車を題材にした「自動車の蒲団」(二代目三遊亭金馬・演)の速記もあり、科学文明の時代に突入していく「大正新時代」の世相がしのばれます。
「際物」の宿命として、当然ながら今輔以来、今日まで手掛けた演者はありません。
雷の登場する噺
雷の噺としては「雷の子」「へその下(艶笑)」「雷夕立」などがありますが、いずれも小咄程度で、古典落語では長編は見当たりません。
雷学校
昇学校から宙学、雷学校と、もちろんすべてダジャレ。くすぐりもほとんどダジャレを並べただけです。
たとえば、雷学校で、東雷が教授に質問。
「あそこで勉強しないで遊んでいるのは?」
「フーライ(=風来坊)だ」
「頭を抑えていやな顔をしているのがいます」
「あれはキライ(=嫌い)じゃ」
「雲に乗って行ったり来たりしているのは?」
「オーライ(=往来)」
こんな調子です。東雷先生の本名は中山行夫。本職は会社員としてありますが、これだけはダジャレではなさそうです。
【語の読みと注】
褌 ふんどし