【赤犬】あかいぬ 川柳 ことば 落語 あらすじ
成城石井.com ことば 噺家 演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席
赤犬が紛失したと芝で言い 明五鶴03
「赤犬」と「芝」とをかませた連想から、この句の舞台は薩摩上屋敷(港区芝5丁目)あたりであることがわかります。芝では赤犬がいなくなるといわれる、当時の都市伝説があります。赤犬は薩摩屋敷のへんで忽然と消えるのだと。
江戸の人が嫌う肉食を、薩摩侍は好むからだ、という噂がまことしやかに信じられていました。その噂はあらかたまことだったのでしょう。それを江戸の人々は気味悪がっていたのですね。赤犬は美味だというのも通り相場。
そもそも赤犬とは、べつにそういう種類の犬がいるわけではありません。茶毛の犬を赤犬と称するだけのこと。
とすれば、日本古来の犬はおおよそが赤犬となります。柴犬なんかですね。そうか、柴犬ならぬ芝犬となる。ということだったのですね。
赤犬は食いなんなよと女郎言い 明八義06
この句の「女郎」は品川遊郭の、ということになりますね。芝の近所の遊郭です。
赤犬を食って精力みなぎったまんま来られたんじゃ、威勢よく突かれてアタシのカラダがどうにかなっちまうからさ、てなぐあい。
麹町芝の屋敷へ丸で売れ 拾20
川柳で「芝」とセットに語られる「麹町」は、入り口にあった山奥屋という獣肉店をさします。
ここの獣肉店に「芝の屋敷」(薩摩屋敷)から注文が入った、しかも「丸」で。「丸」は一匹丸ごとのことですから、上得意さんだったという詠みです。
いまでも「駒形どぜう」などで「丸」と注文すれば、割いていないまんまのどじょうが皿にどっさり盛られてきますよね。こっちのほうが「さき」よりお得です。
いのししの口は国分でさっぱりし 明六智04
薩摩産の「国分」は高級煙草で、肉食のあとには煙草で口内をさっぱりさせる、と。国分煙草は「国府煙草」とも記され、元禄年間(1688-1704)あたりから嗜まれていました。薩摩地方の食風習に「えのころ飯」というのがありました。
「えのころ」とは犬ころの意。皮を削いだ犬体からはらわたを取り、そこに米を詰めて蒸し焼きにして、その米を食べるというもの。
大田南畝(覃、直次郎、1749-1823)が『一話一言補遺』に記しています。美味なんだとか。
家畜のはらわたに米などを詰めて蒸し焼きにする食風習は太平洋全体に散見されます。珍しくはありません。
ハワイのカルアピッグも祝祭用の豚の丸焼き料理で、同類といえます。
犬食文化は、中国(とりわけ玉林市)、朝鮮半島、台湾、沖縄など広域にわたり、日本も例外ではありません。古代からほそぼそながらも連綿と続いてきた食文化でした。
なにも、薩摩だけのものではなかったのです。現代のわれわれが犬食を毛嫌いする感覚は、明治に入ってきた西洋風価値観が、旧来の価値観に上塗りされたからです。ご先祖さまはけっこうつまんでいたのでした。
よかものさなどと壷からはさみ出し 明五信06
「よかものさ」と薩摩訛りで「上物だ」と、自慢げに壷漬けの獣肉を箸でつまんでいる薩摩武士の奇矯な食道楽ぶり。江戸ではこのように詠まれていたのですね。