粗忽の釘 そこつのくぎ 演目

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これまた滑稽噺の極北。こんなのんきなあわてん坊は憎めません。

別題:我忘れ 宿がえ(上方)

【あらすじ】

粗忽者の亭主。

引っ越しのときは、おれに任せろと、家財道具一切合切背負ってしまって動けない。

おまけに、あわてて荷物といっしょに家の柱まで縛ってしまう始末。

結局、ツヅラだけ背負って、先に家を出たはいいが、いつまでたっても帰らない。

かみさんが先に着いて気をもんでいると、朝早く出たのが、げんなりした顔でやっと現れたのが夕方。

なんでも、大通りへ出て四つ角へ来ると、大家の赤犬とどこかの黒犬がけんかしているので、義理上
「ウシウシ」
と声を掛けると、赤の方が勢いづき、ぴょいと立ち上がった拍子に自分が引っくり返った。

ツヅラを背負っているので起き上がれず、もがいているのを通りがかりの人に助けてもらったとたん、自転車とはち合わせ。

勢いで自転車が卵屋に飛び込み、卵を二百ばかり踏みつぶす、という騒動。

警官が来て取り調べのため、ずっと交番に行っていたという次第。

ようやく解放されたが、自分が探してきた家なのに、今度は新居を忘れた。

しかたがないから引っ返して、
「大家に頼んで連れて来てもらった」
というわけ。

かみさんはあきれ果てたが、
「とにかく箒を掛ける釘を打ってもらわなければ」
と亭主に金槌を渡す。

亭主は
「大工で専門家なので、これくらいは大丈夫だろう」
と安心していたら、場所を間違え、瓦釘という長いやつを壁に打ち込んでしまった。

長屋は棟続きなので、
「隣に突き抜けて物を壊したかもしれない」
とかみさんが心配し
「おまえさん、落ちつけば一人前なんだから」
と言い含めて聞きに行かせると、亭主、向かいの家に入ってしまい、いきなり
「やい、半人前なんて人間があるか」
と、どなってしまう。

すったもんだでようやく隣に行けば行ったで、隣のかみさんに、
「お宅は仲人があって一緒になったのか、それともくっつき合いか」
などと、聞いた挙げ句、
「実はあっしどもは……」
と、ノロケかたがたなれそめ話。

「いったい、あなた、家に何の用でいらしたんです」と聞かれて、ようやく用件を思い出す。

調べてもらうと、仏壇の阿弥陀さまの頭の上に釘。

「お宅じゃ、ここに箒をかけますか?」
と、トンチンカンなことを言うので、
「あなたはそんなにそそっかしくて、よく暮らしていけますね。ご家内は何人で?」
「へえ、女房と七十八になるおやじと……いけねえ、中気で寝てるんで、もとの二階へ忘れてきた」
「親を忘れてくる人がありますか」
「いえ、酔っぱらうと、ときどき我を忘れます」

底本:三代目三遊亭小円朝

【しりたい】

江戸の引っ越し事情

「小言幸兵衛」「お化け長屋」でも、新しく店(たな=長屋のひと間)を借りに来るようすが描かれますが、だいたいは、たとえば大工なら棟梁か兄貴分が請け人(身元引受人、保証人)になります。

夜逃げでもないかぎり、元の大家にきちんと店賃を皆済した上、保証人になってもらう場合も当然ありました。

大家は町役を兼ね、町内の治安維持に携わっていましたから、店子がなにかやらかすと責任を取らされます。

そこで、入居者や保証人の身元調査は厳重でした。

この噺のように、新居まで付き添ってくれるというのはよほど親切な大家でしょうが、違う町に移る場合は、新しい大家が当人の名前、職業、年齢、家族構成などすべてを町名主に届け、名主が人別帳(にんべつちょう=戸籍簿)に記載して、奉行所に届ける仕組みになっていました。

店賃

たなちん。この噺のあらすじは、三代目三遊亭小円朝の速記を参考にしましたが、自転車が登場することでわかる通り、明治末から大正初期という設定です。

この当時はインフレで物価騰貴が激しかったようです。

『値段の風俗史』(朝日文庫)で見ると、二部屋、台所・便所付きの貸家または長屋で、明治32年(1899)で75銭、同40年(1907)で2円80銭、大正3年(1914)で5円20銭と、7~8年ごとに倍倍ゲームではねあがっています。

さかのぼって江戸期を見ると、長屋の店賃は文化・文政期(1804-30)で、通りに面した表店(おもてだな)で月1分程度、二部屋・九尺二間の裏店(うらだな)で400文ほど。幕末の慶応年間(1865-68)で六百文ですから、まっとうにやっていれば、十分暮らしていけたでしょう。

自転車の価格、卵のねだん

自転車は明治22年(1889)ごろから輸入されました。国産品は明治40年代からで、50~150円しました。前記の店賃でいうと、なんと最低1年半分に相当します。

卵は大正2年(1912)ごろで1個20銭。昔はけっこう贅沢品でした。200個ぶっつぶせば、都合40円の損害です。

粗忽噺の代表格

江戸時代から口演されてきた古い噺。文化4年(1807)にはすでに記録があります。「粗忽長屋」「粗忽の使者」「堀の内」などと並んで代表的な粗忽噺ですが、伸縮自在なため古くからさまざまなくすぐりやオチが考えられました。

最近では、このあらすじのように明治・大正の設定で演じられることが多くなっています。明治期では、円朝門下の初代三遊亭円左が、前の家との距離を、視線の角度と指で示すなどの工夫を加えました。

オチはくだらないので、現行では「ここに箒をかけますか?」で切る場合が多くなっています。「ここまで箒をかけに来なくちゃならない」などとする場合もあります。

故人では六代目春風亭柳橋、五代目柳家小さんがよく演じ、三笑亭夢楽も小円朝直伝で得意にしていました。ウケやすい噺なので、若手もよくやります。

松曳き まつひき 演目

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粗忽噺。殿さまと三太夫さらには八五郎も入って、粗忽者同士の珍妙やりとり。

別題:粗忽大名(上方)

【あらすじ】

ある大名の江戸屋敷。

殿さまがそそっかしく、家老の田中三太夫がこれに輪をかけて粗忽者。

同気相求めるで、これが殿さまの大のお気に入り。

ある日、殿さまが、
「庭の築山の脇にある赤松の大木が月見のじゃまになるので、泉水の脇にひきたいが、どうであるか」
と三太夫にご下問。

三太夫が
「あれはご先代さまご秘蔵の松でございますので、もし枯らすようなことがありますと、ご先代さまを枯らすようなものではないかと心得ます」
と諌めるが、殿さまは、
「枯れるか枯れないかわからないから、今屋敷に入っている植木屋に直接聞いてみたい」
と言い張る。

そこで呼ばれたのが、代表者の八五郎。

「さっそく御前へまかりはじけろ」
と言うからまかりはじけたら、三太夫が側でうるさい。

「あー、もっとはじけろ。頭が高い。これ、じかに申し上げることはならん。手前が取り次いで申し上げる」
「それには及ばん。直接申せ」
「はっ、これ、八五郎。ていねいに申し上げろ」

頭に「お」、終わりに「たてまつる」をつければよいと言われた八五郎、
「えー、お申し上げたてまつります。お築山のお松さまを、手前どもでお太いところへは、おするめさまをお巻き申したてまつりまして、おひきたてまつれば、お枯れたてまつりません。恐惶謹言、お稲荷さんでござんす」

よくわからないが、枯れないらしいと知って、殿さまは大喜び。

植木屋に無礼講で酒をふるまっていると、三太夫に家から急な迎え。

国元から書状が来ているというので、見ると字が書いていない。

「だんなさま、そりゃ裏で」
「道理でわからんと思った。なになに、国表において、殿さま姉上さまご死去あそばし……」

これは容易ならぬと、あわてて御前へ。

殿さま、
「なに? 姉上ご死去? 知らぬこととは言いながら、酒宴など催して済まぬことをいたした。して、ご死去はいつ、なんどきであった?」
「ははっ……とり急ぎまして」
「そそっかしいやつ。すぐ見てまいれ」

アワを食って、家にトンボ返り。

動転して、書状が自分の懐に入っているのも気がつかない。

やっと落ち着いて読みなおすと
「……お国表において、ご貴殿姉上さま……?」

自分の姉が死んだのを殿と読み間違えた。

いまさら申し訳が立たないので、いさぎよく切腹してお詫びしようとすると、家来が、殿に正直に申し上げれば、百日の蟄居(ちっきょ)ぐらいですむかもしれないのに、あわてて切腹しては犬死にになると止めたので、それもそうだと三太夫、しおしお御前へまかり出た。

これこれでと報告すると、殿さまは
「ナンジャ? 間違いじゃ? けしからんやつ。いかに粗忽とは申せ、武士がそのようなことを取り違えて、相済むと思うか」
「うへえ、恐れ入りました。この上はお手討ちなり、切腹なり、存分に仰せつけられましょう」
「手討ちにはいたさん。切腹申しつけたぞ」
「へへー、ありがたき幸せ」
「余の面前で切腹いたせ」

三太夫が腹を切ろうとすると、しばらく考えていた殿さま、
「これ、切腹には及ばん。考えたら、余に姉はなかった」

底本:初代三遊亭金馬=二代目三遊亭小円朝

【しりたい】

使いまわしのくすぐりでも

「粗忽の使者」とよく似た、侍の粗忽噺です。特に、職人がていねいな言葉遣いを強要され、「おったてまつる」を連発するくすぐりは「粗忽の使者」のほか、「妾馬」でも登場します。

ただ、基本形は同じでも、それぞれの噺で状況も八五郎(「粗忽の使者」では留五郎)の職業もまったく違うわけです。

この「松曳き」では殿さまの前でひたすらかしこまるおかしみ、「粗忽の使者」では後で地が出て態度がなれなれしくなる対照のおかしさと、それぞれ細部は違い、演者の工夫もあって、同じくすぐりを用いても、まったく陳腐さを感じさせないところが、落語のすぐれた点だと思います。

殿さまの正体

御前に出た八五郎に、三太夫が叱咤して「まかりはじけろ」と言います。「もっと前に出ろ」という意味ですが、実はこれは仙台地方の方言だそうです。

とすれば、このマヌケな殿さまは、恐れ多くも仙台59万5千石の太守・伊達宰相にあらせられる、ということになりますが。

小里ん語り、小さんの芸談

この噺は、小さん、十代目馬生、談志あたりがやっていました。その流れで、柳家喜多八(2016年没、小三治の弟子)や桃月庵白酒(雲助の弟子)も。あまり聴かない噺ですが、以下は小さんが弟子の小里んに語った芸談です。芸の奥行きをしみじみ感じさせます。

語りの芸は演じきっちゃいけないだなァ。
それと師匠は「昔は大名が職人と酒盛りなんかするわけがない。それは噺のウソだってことは腹に入れとかなくちゃいけない」と言ってました。ありえないことだけれど、それを愉しく演じなきゃいけない。かといって、無理に拵えた理屈をつけてはいけない。「ウソだと分かって演るなら、ウソでいいんだ」と言ってたのは、「噺のウソを、ウソのまま取っておく大らかさが落語にはあった方がいい」という教えですね。無理に辻褄合わせで理屈をつけると解説になって理屈っぽくなっちゃうでしょ。

五代目小さん芸語録 柳家小里ん、石井徹也(聞き手)著、中央公論新社、2012年

堀の内 ほりのうち 演目

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粗忽噺。日蓮宗がらみの。ここまで粗忽だと物事がいっこうに進みません。

【あらすじ】

粗忽者の亭主。

片方草履で、片方駒げたを履いておいて「足が片っぽ短くなっちまった。薬を呼べ。医者をのむ」と騒いだ挙げ句に、「片方脱げばいい」と教えられ、草履の方を脱ぐ始末。

なんとか粗忽を治したいと女房に相談すると、信心している堀の内のお祖師さまに願掛けをすればよいと勧められる。

出掛けに子供の着物を着ようとしたり、おひつの蓋で顔を洗ったり、手拭いと間違えて猫で顔を拭き、ひっかかれたりの大騒ぎの末、ようやく家を出る。

途中で行き先を忘れ、通りがかりの人にいきなり
「あたしは、どこへ行くんで?」

なんとかたどり着いたはいいが、賽銭をあげるとき、財布ごと投げ込んでしまった。

「泥棒ッ」
と叫んでも、もう遅い。

しかたなく弁当をつかおうと背負った包みを開けると、風呂敷だと思ったのがかみさんの腰巻き、弁当のつもりが枕。

帰って戸を開けるなり
「てめえの方がよっぽどそそっかしいんだ。枕を背負わせやがって。なにを笑ってやんでえ」
とどなると
「おまえさんの家は隣だよ」

「こりゃいけねえ」
と家に戻って
「どうも相すみません」

かみさん、あきれて
「お弁当はこっちにあるって言ったのに、おまえさんが間違えたんじゃないか。腰巻きと枕は?」
「あ、忘れてきた」

かみさんに頼まれ、湯に子供を連れて行こうとすると
「いやだい、おとっつぁんと行くと逆さに入れるから」
「今日は真っ直ぐに入れてやる。おとっつぁんがおぶってやるから。おや、大きな尻だ」
「そりゃ、あたしだよ」

湯屋に着くと、番台に下駄を上げようとしたり、もう上がっているよその子をまた裸にしようとして怒られたり、ここでも本領発揮。

平謝りして子供を見つけ、
「なんだ、こんちくしょうめ。ほら、裸になれ」
「もうなってるよ」
「なったらへえるんだ」
「おとっつぁんがまだ脱いでない」

子供を洗ってやろうと背中に回ると
「あれ、いつの間にこんな彫り物なんぞしやがった。おっそろしく大きなケツだね。子供の癖にこんなに毛が生えて」
と尻の毛を抜くと
「痛え、何しやがるんだ」

鳶頭と子供を間違えていた。

「冗談じゃねえやな。おまえの子供は向こうにいらあ」
「こりゃ、どうもすみませんで……おい、だめだよ。おめえがこっちィ来ねえから。……ほら見ねえ。こんなに垢が出らあ。おやおや、ずいぶん肩幅が広くなったな」
「おとっつぁん、羽目板洗ってらあ」

【しりたい】

小ばなしの寄せ集め

粗忽(あわて者)の小ばなしをいくつかつなげて一席噺にしたものです。

隣家に飛び込むくだりは、宝暦2年(1752)刊の笑話本『軽口福徳利』中の「粗忽な年礼」、湯屋の部分は寛政10年(1798)刊『無事志有意』中の「そゝか」がそれぞれ原話です。

くすぐりを変えて、古くから多くの演者によって高座にかけられてきました。

たとえば、湯に行く途中に間違えて八百屋に入り、着物を脱いでしまうギャグを入れることも。

伸縮自在なので、時間がないときにはサゲまでいかず、途中で切ることもよくあります。

上方版「いらちの愛宕詣り」

落語としては上方ダネです。「いらち」とは、大阪であわて者のこと。

前半は東京と少し違っていて、いらちの喜六が京の愛宕山へ参詣に行くのに、正反対の北野天満宮に着いてしまったりのドタバタの後、賽銭は三文だけあげるようにと女房に言い含められたのに、間違えて三文残してあと全部やってしまう、というように細かくなっています。

最後は女房に「不調法いたしました」と謝るところで終わらせます。

堀の内のお祖師さま

東京都杉並区堀の内3丁目の日円山妙法寺。日蓮宗の名刹です。

「お祖師さま」とは日蓮をさします。江戸ことばで「おそっさま」と読みます。

もとは真言宗の尼寺で、目黒・円融寺の末寺でしたが、元和年間(1615-24)に日円上人が開基して日蓮宗に改宗。

明和年間(1764-72)に中野の桃園が行楽地として開かれて以来、厄除けの祖師まいりとして繁盛しました。

こちらの「お祖師さま」は日蓮上人42歳の木像、通称「厄除け大師」にちなみます。