芝居好きの泥棒 しばいずきのどろぼう 演目

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泥棒が婚礼宴の後に忍び込む、という設定自体が奇妙ですね。

別題:二番目

【あらすじ】

芝居好きの泥棒が犬に吠えたてられて、さるお屋敷に入り込む。

ちょうど婚礼の後らしく、入ってみると酒宴の後のごちそうや酒がまだ片付けられずに散らばり、使用人たちも全員酔いつぶれて白川夜船。

これ幸い、と徳利に残った酒を失敬して、グビリグビリ。

そのうち酔っぱらってきて、まぬけにも自分で
「お泥棒さまがへえったぞ。酒を持ってこい」
と、大声でオダをあげたから、寝ていた奴が目を覚ました。

庖丁を持っているかも知れないから怖いし、どうせ取られても自分の金ではないので、皆そのまま寝たふりをしていると、調子に乗った泥棒、
「さあ、お嫁さんを拝見しよう。二階だな。ミシリミシリ揺れている。ウーン、二階へ上がっていくべえ。さあ、石川五右衛門が競り上がっていくぜ」

昔はしゃれた奴があったもので、「競り上がる」というからには、この泥棒は芝居好きに違いないと見抜いて、台所にこっそり行って金だらいをたたき、三味線で「楼門」の下座を弾き始めた。

泥棒は嬉しくなった。

「ありがてえかっちけねえ。同類が増えた」

はしご段の真ん中で
「絶景かな、絶景かな。春の眺めは値千金と小せえ小せえ、この五右衛門の目からは価万両、はや日も西に傾き、まことに春の夕暮れに花の盛りもまた一しお、ハテ、うららかなァ、眺めじゃなあ」

うなりながら二階へ上がっていくので、あわてたのが、奉公人。

金どんが
「よし、オレが久吉になって止めてやる」
と、負い鶴の代わりに袖なしを着て、頭巾を手ぬぐいでこさえ
「石川や浜の真砂尽きるとも」
「なんと」
「世に盗人の種は尽きまじ」
「エイッ」

泥棒が手裏剣を打つと、ひしゃくで受け
「婚礼(巡礼)に、ご報謝」

底本:六代目桂文治

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【しりたい】

原話はバレ噺

この噺、明治31年(1898)6月の『百花園』に掲載された、六代目桂文治の速記が唯一の口演記録です。

文治は、明治初期から中期にかけての、芝居噺の名手でした。

原話は不詳ですが、もともと艶笑落語で、バレで演じるときは「二番目」と題しました。

この場合は、泥棒が二階へ上がっていくと、もう若夫婦が夜の大熱戦の真っ最中で、「二番目じゃ、二番目じゃ」と、オチになります。これも、芝居用語がわからないと理解困難です。

最初、泥棒が階下で、「一番目もの」と呼ばれた時代物狂言の「楼門」の石川五右衛門のセリフをうなっていて、続いて上で若夫婦が「二番目狂言」、つまり男女の濡れ場が付き物の「世話物狂言」を、床の上でおっぱじめることから、このオチ、別題になるというわけです。

楼門

さんもん。本来の外題を「金門五三桐」(きんもんごさんのきり)といい、のち「楼門五三桐」と改題されました。初演は安永7年(1778)4月、大坂道頓堀中の芝居(のち中座)で、初代並木五瓶の作です。

全五幕の長編ですが、二幕目返し(第二場)の「楼門の場」が特に有名になり、現在ではほとんどこの場面だけが、歌舞伎の様式美の極致としてしばしば上演されます。

桜花がけんらんと咲き誇る、京都南禅寺の楼門の上で、大盗賊石川五右衛門が、ゆうゆうと夕日を眺めながら「絶景かな、絶景かな」の名セリフを大音声でうなります。

そこへ、真柴久吉(豊臣秀吉)に滅ぼされた五右衛門の父、此村大炊助こと、実は大明国の遺臣宋蘇卿の遺書を脚に結びつけた鷹が飛来。

それを読んだ五右衛門が、父の仇久吉を討って日本国を征服することを決心したとき、楼門の下から「石川や浜の真砂は尽きるとも」と、朗々と詠む声がして、巡礼姿の久吉がせり上がってくるという名場面です。

【語の読みと注】
金門五三桐 きんもんごさんのきり

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碁泥 ごどろ 演目

スヴェンソンの増毛ネット

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典型的な滑稽噺。昔はマクラに使われていたそうです。

別題:碁盗人 碁打ち盗人(上方)

【あらすじ】

碁仇のだんな二人。

両方とも、それ以上に好きなのが煙草で、毎晩のように夜遅くまでスパスパやりながら熱戦を展開するうち、畳に焼け焦げを作っても、いっこうにに気づかない。

火の用心が悪いと、かみさんから苦情が出たので、どうせ二人ともザル碁だし、一局に十五分くらいしかかからないのだから、碁は火の気のない座敷で打って、終わるごとに別室で頭がクラクラするほどのんでのんでのみまくろう、と話を決める。

ところが、いざ盤を囲んでみると、夢中になってそんな約束はどこへやら。

「マッチがないぞ」
「たばこを持ってこい」

閉口したかみさん。

一計を案じ、マクワウリを小さく切って運ばせた。

二人とも全く気がづかないので、かみさんは安心して湯に出かける。

そのすきに入り込んだのが、この二人に輪をかけて碁好きの泥棒。

誰もいないようなので安心してひと仕事済ませ、大きな風呂敷包みを背負って失礼しようとした。

すると、聞こえてきたのがパチリパチリと碁石を打つ音。

矢も楯もたまらくなり、音のする奥の座敷の方に忍び足。

風呂敷包みを背負ったままノッソリ中に入り込むと、観戦だけでは物足らず、いつしか口出しを始める。

「うーん、ふっくりしたいい碁石だな。互先ですな。こうっと、ここは切れ目と、あーた、その黒はあぶない。それは継ぐ一手だ」
「うるさいな。傍目八目、助言はご無用、と。おや、あんまり見たことのない人だ、と。大きな包みを背負ってますねッと」
「おまは誰だい、と、一つ打ってみろ」
「それでは私も、おまえは誰だい、と」
「へえ、泥棒で、と」
「ふーん、泥棒。泥棒さん、よくおいでだねッ、と」

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【しりたい】

おじさん、そこおかしいよ!

原話は不詳です。上方落語「碁打ち盗人」を三代目柳家小さんが、大阪の桂文吾に教わり、大正2年(1913)ごろ、東京に移しました。

小さんは、はじめは「芝居道楽」などのマクラとして演じていましたが、後に独立させました。

大正2年と、晩年の13年(1924)の速記が残りますが、最初の演題は上方にならって「碁盗人」でした。

両国の立花家でこの噺を演じたところ、十五、六の少年に、碁を打つ手の行き方が、碁盤に対して高すぎると注意され、その後きちんと碁盤の高さを計ってやるようになったと、大正13年の方のマクラで述べています。生意気なガキですが、前世の談志だったかも?

小さん代々相伝の噺

小さんのうまさは、名人円喬に「もうあたしは『碁泥』は演らない」と言わしめたほどだったといいますが、同じようなことを「笠碁」に対して円朝が言ったという話もあるので、あるいは混同されて伝わった逸話かも知れません。

門弟の四代目小さん、孫弟子の五代目小さんと継承され、代々の小さん、柳派伝統の噺となりました。

戦後、三代目三遊亭小円朝も得意にしていましたが、小円朝は、最初の泥棒の助言に対して、主人が言葉で答えず、石を持った右手を耳の辺りで振ってみせるやり方でした。「本家」の上方では、現在はあまり演じられないようです。

煙草盆

たばこぼん。炭火を灰で埋めた小型の火鉢と、吸殻を捨てる竹筒(灰吹)を入れた四角の灰皿です。歌舞伎の小道具として、よく舞台で見られますね。

灰吹がほとんど見られなくなった現在、かつて五代目古今亭志ん生がやった、「畳に火玉が落ちたよ」「ハイ、フキましょう」というくすぐりも、理解されにくくなっています。

泥棒の語源

泥棒にもピンからキリまであります。

「おかめ団子」の主人公のように、本当に「出来心」でフラリと入ってしまうのが「空き巣ねらい」で、計画的に侵入する盗賊より罪が軽く、盗んだ金額にもよりますが、江戸時代には初犯なら百たたきで勘弁してもらえることが多かったようです。

「どろ」は「どら」「のら」と同義語で、もともと怠け者の意。怠惰で、まともに働く意欲がないから盗みに入るという解釈から。

古くは「泥た棒」「泥たん棒」「泥つく」とも呼び、イカサマ師やペテン師、スリなども合わせて「泥棒」ということがありました。

泥棒伯円

幕末から明治にかけて白浪(=盗賊)ものを得意にした講釈師、二代目松林伯円(1831-1905)は「泥棒伯円」とあだ名され、お上から「副業」にやっているのではないかと疑われたほど。

ところが、後に明治政府の肝いりで教導職となって「忠君愛国講談」に転向、明治天皇御前口演までやってのけました。彼が手掛けた泥棒は、鼠小僧、稲葉小僧始め、大物ばかりでコソ泥などいません。このことからも講談と落語の違いが明白です。

互先

実力が同じ者同士が、交互に白を持って先番になる取決めです。

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汽車の白浪 きしゃのしらなみ 演目

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明治期の、しかも汽車を舞台にした珍談です。

【あらすじ】

時は明治の初め。

大阪は船場の商人の小林という男。

東京に支店を出そうというので、両国の宿屋に仮住まい中だが、ある日、商用で横浜へ行った帰り、ステンショから、終汽車に乗った。

相客は女が一人。

官員か誰かの細君らしく、なかなかオツな年増なので、小林君、すっかりうれしくなって、話しかけてみると、未亡人で年始の帰りだという。

自分もこれこれこういう者だと打ち明けると、ぜひお近づきになりたいと、思わせぶりなそぶり。

ところがそこへ、目つきの悪い男が入ってきて、女の方をじろじろ見ている。

きっと泥棒だから、汽車を降りたら気をつけなければいけないと、二人は品川駅に着くと、手に手を取って急いで人力車溜まりへ急ぐ。

相乗りで両国まで行こうと、車屋に声をかけようとすると、暗がりから、さきほどの男が
「ちょいと待ちなさい」
と婦人のたもとを押さえる。

「女に用があるから」
と連れていこうとするので、小林は、てっきり強盗か誘拐犯だと、止めようとするが突き倒され、女はそのまま連れ去られてしまう。

小林君、宿に帰って、腰をさすりながらふと懐中を見ると、紙幣で二百円入った財布がない。

「やはり、あいつは泥棒」

明日、警察に届けようとその夜は寝てしまう。

翌朝、これから警察に行こうとしている時、客だというので出てみると、なんと昨夜の男。

「あなたは小林礼蔵さんか、これに見覚えは」

男が出したのは、紛れもなく盗まれた財布。

男は、実は刑事で、あの女は、黒雲のお波という女賊だったと知らされて、二度びっくり。

「へー、あれが黒雲、道理で私の紙幣を巻き上げようとした」

底本:六代目桂文治

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【しりたい】

明治後期の新作

明治32年(1899)の六代目桂文治の新作で、翌年の正月発行の雑誌『百花園』に掲載されました。

文治は明治の落語界に独自の地位を占め、「下谷上野の山かつら、かつら文治は噺家で」と子供の尻取り歌にまで歌われた道具入り芝居噺の名人でした。

文治当人も冒頭で「愚作ではございますが」と断っていて、その通りあまり芳しい出来とはいえないのですが、人物の会話などはリアルでうまく、さすがと思わせるところはあります。

もちろんその時代のキワモノなので、文治以後の口演記録はまったくありません。

白浪

語源は後漢書の「白浪賊」。

三国志で名高い黄巾の乱の残党が、白浪谷に立て籠もって山賊を働いた故事から、盗賊の異称となりました。

歌舞伎の外題によく使われ、黙阿弥作の「弁天娘女男白浪」、通称「白浪五人男」はよく知られた泥棒狂言です。

文治は芝居噺を専門にしていたので、内容は明治新時代の盗賊であっても、この古風な呼称を使ったのでしょう。

賊も世につれ

この噺で、女が語っています。

「手前のつれあいは、先達っての日清の戦争で亡くなりました」と語っていることでもわかるのですが、日清戦争が終結してすでに五年目。

日清戦争は、明治維新以後初めての対外戦争です。

兵員や軍需物資輸送の必要から、日本の鉄道網はこれを契機に、飛躍的に整備・拡大されました。

新橋(汐留)-横浜(桜木町)間の鉄道開通から二十数年、明治22年(1889)7月の東海道本線の新橋-神戸間開通からも十年余。

旅客輸送量も、草創期とは比較にならないほど伸びましたが、まだ夜間は利用客は少なく、実際にもこのように、金のありそうな客を狙った「密室」を利用した色仕掛けの女スリが出没していたとみえます。

当時の横浜までの所要時間は53分。室内は暗く、終電で相客はほとんどないとあれば、この小林君、格好のカモだったでしょう。

「汽車の大賊」

この速記の翌々年、明治35年(1902)に、やはり汽車賊を扱った「汽車の大賊」という江見水蔭(1869-1934)のサスペンス小説が発表されました。水蔭は、日本の探偵小説のパイオニア。そのバタくさい作風が受け、当時のベストセラー作家でした。

この作品中でも、女賊が東海道線の列車中で、九州の炭鉱主を色仕掛けで誘惑し、金品を奪うという場面があります。筋や設定がそっくりなところを見ると、江見センセイ、ちょいと「いただいて」しまったのかも。

【語の読みと注】
ステンショ すてんしょ:駅
終汽車 しゅうきしゃ:終電
官員 公務員
弁天娘女男白浪 べんてんむすめめおのしらなみ

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釜泥 かまどろ 演目

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泥棒の噺。なんだかのんきでほのぼのしてますねえ。

別題:釜盗人(上方噺)

【あらすじ】

大泥棒、石川五右衛門の手下で、六出無四郎と腹野九郎平という二人組。

親分が釜ゆでになったというので、放っておけば今に捕まって、こちとらも天ぷらにされてしまう、と心配になった。

そこで、親分の追善と将来の予防を兼ね、世の中にある釜という釜を全部盗み出し、片っ端からぶちこわしちまおうと妙な計画を立てた。

さしあたり、大釜を使っているのは豆腐屋だから、そこからとりかかろうと相談がまとまる。

間もなく、豆腐屋ばかりに押し入り、金も取らずに大釜だけを盗んでいく盗賊が世間の評判になる。

なにしろ新しい釜を仕入れても、そのそばからかっさらわれるのだから、業界は大騒ぎ。

ある小さな豆腐屋。

じいさんとばあさんの二人きりで、ごく慎ましく商売をしている。

この店でも、のべつ釜を盗まれるので、じいさんは頭を悩ませている。

なにか盗難防止のいい工夫はないかと相談した結果、じいさんが釜の中に入り、酒を飲みながら寝ずの晩をすることになった。

ところが、いい心持ちになり過ぎて、すぐに釜の中で高いびき。

ばあさんもとっくに船をこいでいる。

と、そこに現れたのが、例の二人組。

この家では先だっても仕事をしたが、またいい釜が入ったというので、喜んでたちまち戸をひっぱずし、釜を縄で縛って、棒を通してエッコラサ。

「ばかに重いな」
「きっと豆がいっぺえへえってるんだ」

せっせと担ぎ出すと、釜の中の爺さんが目を覚まして
「ばあさん、寝ちゃあいけないよ」

泥棒二人が変に思っていると、また釜の中から
「ほい、泥棒、入っちゃいけねえ」

さすがに気味悪くなって、早く帰ろうと急ぎ足になる。

釜が大揺れになって、じいさんはびっくりして
「婆さん、地震か」

その声に二人はがまんしきれず、そっと下ろして蓋を開けると、人がヌッと顔を出したからたまらない。

「ウワァー」
と叫ぶと、なにもかもおっぽり出して、泥棒は一目散。

一方、じいさん。

まだ本当には目が覚めず、相変わらず
「婆さん、オイ、地震だ」

そのうちに釜の中に冷たい風がスーッ。

やっと目を開けて上を向くと、空はすっかり晴れて満点の星。

「ほい、しまった。今夜は家を盗まれた」

底本:六代目朝寝坊むらく

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【しりたい】

諺を地でいった噺

古くから、油断して失敗する意味で「月夜に釜を抜かれる」という諺があります。大元をたどれば、この噺は、この諺を前提に作られたと思われます。

寛延4年(1751)刊『開口新語』中の漢文体の笑話が原型ですが、直接の原話は安永2年(1773)刊の笑話本『近目貫』中の「大釜」です。

原話では、入られるのは味噌屋で、最初に強盗一人が押し入り、家財はおろか夜具まで一切合財とっていかれて、おやじがしかたなく、大豆を煮る大釜の中で寝ていると、味をしめた盗人が図々しくも翌晩、また入ってきて……ということになります。オチは現行と同じです。

上方落語では「釜盗人」と題しますが、東京のものと、大筋で変わりはありません。

明治にできた噺

もともと、小咄やマクラ程度に軽く演じられていたものが、明治後期から一席噺となったものです。

明治34年(1901)8月、「文藝倶楽部」所載の六代目朝寝坊むらくの速記がもっとも古く、現行のやり方は、オチも含めてほとんど、むらくの通りです。

同時代の大物では、四代目橘家円蔵の速記もあります。

戦後は、六代目春風亭柳橋、三代目三遊亭小円朝などが演じ、特に小円朝が得意にしていました。

小円朝は、釜ごと盗まれたじいさんが「おい、ばあさん」と夢うつつで呼ぶ声を、次第に大きくすることを工夫したという芸談を残しています。

現役では三遊亭円窓がよく手掛けています。

戦時中は禁演もどき

野村無名庵(1888-1945)の『落語通談』によれば、戦時中、時局に合わない禁演落語を定めた時、自粛検討会議の席で、泥棒噺にランクが付けられました。甲乙丙に分け、甲はまあお目こぼし、丙は最悪で無条件禁止。その結果、甲に「釜泥」「眼鏡屋」「穴泥」碁泥」「だくだく」「絵草紙屋」「探偵うどん」「熊坂」。

不道徳な部分を抹消すれば、という条件付きの乙に「出来心」「しめ込み」「夏泥」「芋俵」「つづら泥」「にかわ泥」「やかん泥」「もぐら泥」「崇禅寺馬場」、丙が「転宅」と決まったとか。泥棒に「不道徳」もヘチマもないでしょうが。

ところが、実際に設定され、「噺塚」に葬られた五十三種に、なんと泥棒噺は一つも入っていません。といっても、この五十三種は大半がエロ噺か不倫噺。「釜泥」など泥棒噺がその次のランクで、事実上「自粛」させられたことは間違いないでしょう。

禁演落語なんぞといっても、いいかげんなものです。

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締め込み しめこみ 演目

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泥棒とせっかちな亭主のおもしろい噺。オチは平凡ですが。

別題:時の氏神 泥棒と酒宴 盗人の仲裁 盗人のあいさつ(上方)

【あらすじ】

空き巣に入った泥棒。

火がおきていて、薬缶の湯がたぎっているので、まだ遠くには出かけていないと、大あわてで仕事にかかって大きな風呂敷包みをこしらえ、ウンコラショと背負って失礼しようとしたところに、主人が帰ってくる。

あわてて包みを放り出し、台所の板を外して縁の下に避難した。

亭主は風呂敷包みを見て、てっきりかみさんが間男と手に手を取って駆け落ちする算段だと勘違いし、ちょうど湯から帰ってきた女房に
「このアマ。とんでもねえ野郎だ」
と薬缶を投げた。

避けたので薬缶はひっくり返り、縁の下の泥棒は煮え湯を浴びて
「アチッ」
と思わず飛び出し、けんかの仲裁に入る。

「やい、てめえが間男か」
「いえ、泥棒で」

盗みに入ったと白状したので、夫婦は、これで別れずにすむと泥棒に感謝して、酒をのませてやる。

「これを機会に、またちょくちょく」
「冗談じゃねえ。そうちょいちょい来られてたまるか」

泥棒が酔いつぶれて寝てしまったので、しかたがねえと布団をかけてやり、
「おい、不用心でいけねえ。もう寝るんだから、表の戸締まりをしろ」
「だって、もう泥棒は家に……」
「それじゃ、表からしんばりをかえ」

底本:三代目柳家小さん

【しりたい】

さまざまなやり方

原話は、享和2年(1802)刊、京都で出版された『新撰勧進話』中の「末しら浪」です。

原話も、筋は現行とまったく同じですが、オチは最後に亭主が「それでは、また近いうちに夜おいでなさい」と言う、マヌケオチになっています。

上方では「盗人のあいさつ」の題で演じられますが、そのほか「盗人の仲裁」「泥棒と酒宴」「時の氏神」など、いろいろな別題があります。

明治の四代目三遊亭円生と三代目柳家小さんという両巨匠の速記があり、小さんの演出がのちの八代目桂文楽、五代目古今亭志ん生まで受け継がれました。

昔から柳派、三遊派を問わず、けっこうなビッグネームが演じているわけです。

四代目円生では、人家に侵入するのを、貧乏のあまりやかんまで質入れした侍にしましたが、このやり方は、現在は伝わっていません。

文楽は一種の、客がセコなときにやる逃げ噺として演じ、オチまでいかずに「そうちょいちょい来られてたまるか」の部分で切っていました。

泥棒

空き巣は、戸締まりのしていない家に忍び入ることで、ただのコソ泥なので情状酌量され、初犯は敲き五十程度でお目こぼしでした。「出来心」参照。

敲きは厳密に数が数えられ、間違えて一つでも多くした場合は担当した役人の方が譴責され、時にはクビになります。天保のころ、実際にそういうことがあったとか。

一方、「盗賊」は心張り棒がかかってある家に侵入する賊で、鬼平でおなじみの「火盗改め」のお掛かりです。

出来心のコソ泥と違い、計画的なので罪は重く、特に土蔵などを切り破った場合は盗んだ額にかかわらず、首が飛ぶことが多かったといいます。

【語の読み】
敲き たたき
心張り棒 しんばりぼう

【コラム】

明治23年(1890)にやった四代目三遊亭円生の「締込」では、武士が雨宿りに入った家で薬缶を気に入り盗み出そうとするころ合い、夫婦げんかに巻き込まれて熱湯をかけられるという筋。この武士、前半では屋台のそばをただ食いなどして素行がよろしくない。この噺では、いつの間にか武士=泥棒となるおかしな構図。泥棒と薬缶が、この噺のキーワードなのだ。江戸独特の噺だったらしい。明治30年(1897)にやった三代目柳家小さんの「閉め込み」になると、上方から「盗人の仲裁」をまぜ込んで、今日演じられる「締め込み」の原型。五代目古今亭志ん生や八代目桂文楽のは、小さんのを基にしているようだ。古今亭志ん朝になると、志ん生と文楽をうまくまぜ込んでいる。風呂敷包みから始まる亭主の嫉妬を通して、夫婦のねじ曲がった愛情がほの見える。泥棒と夫婦。三者の構図が鮮やかで、テンポのよい佳品に仕上がっている。(古木優)

だくだく 演目

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泥棒と書き割り家の主が「つもり」ごっこ。やってる間に「血が……」と。

別題:書割盗人(上方)

【あらすじ】

あるドジな泥棒、どこに押し入っても失敗ばかりしている上、吉原の女に入れ上げて、このところ財布の中身がすっからかん。

「せめて十円ばっかりの物を盗んで、今夜は女に大きい顔をしてえもんだ」
というので、仕事場を物色しながら、浅草馬道のあたりを通りかかると、明かりがぼんやりついていて、戸が半分開きかかった家がある。しめたッとばかり、そろりと忍び込んでみると、家中に豪華な家具がずらり。

桐の火鉢、鉄砲、鳶の道具一式、真鍮の薬罐……。道具屋かしらん。

それにしちゃァ、妙なようすだと思って、抜き足で近づいてよくよく見てみると
「なんでえ、こりゃあ。みんな絵に描いたやつだ。こいつァ芝居の道具師の家だな」

なるほど、芝居の書き割りに使う絵以外、この家には本物の家具などまったくない。

きれいさっぱりがんどう。

「ははーん、この家に住んでる奴ァ、商売にゃあちげえねえだろうが、家財道具一切質に入れやがって、決まりが悪いもんだから、見栄を張ってこんなものを置いてやがるんだな」
と合点すると、泥棒、がっかりするよりばかばかしくなったが、しかたがない。

盗むものがなにもなければ、せめて盗んだ気にでもなって帰ってやるかと、もともと嫌いではないので、急に芝居っ気が起こってきた。

「ええっと、まず箪笥の引き出しをズーッと開けると着物が一枚あったつもり。その下に博多の紺献上の、十円はする帯があったつもり。ちょいと端を見ると銀側の男物と女物の時計が二つあったつもり」

だんだん熱が入ってきて、こっちの引き出しをちょいと開けるとダイヤ入りの金の指輪があったつもり。
向こうに掛かっている六角時計を取って盗んだつもり。
こっちを見ると応挙先生の掛け軸があるから、みんな取っちまったつもり。

しまいには自分でこしらえだした。

「みんな風呂敷に入れたつもり、そうっと表に出たつもり」

ちょうど目を覚ましたのがこの家の主人。

どこのどいつだと目をこすって見ると、泥棒が熱演中。

そこが芝居者。

おもしろいから俺もやってやろうというので
「長押に掛けたる槍をりゅうとしごいて泥棒の脇腹をプツーリ突いたつもり」
とやると、泥棒が
「うーん、無念。わき腹から血がだくだく出たつもり」

底本:初代三遊亭円遊

【しりたい】

原話

小ばなしがふくらんだ噺です。安永年間刊の笑話本『芳野山』中の「盗人」、『折懸柳』中の「絵」などが原話と考えられています。

浅草馬道

台東区花川戸、浅草辺の大通り。由来は、浅草寺の僧が馬の稽古をしたところから。(『江戸から東京へ』矢田挿雲)

遊客が白馬に乗って吉原まで通ったからという俗説もあります。

三代目金馬の回想から

五代目志ん生の四人目の師匠(落語家としては三人目)で、大正昭和の爆笑王だった初代柳家三語楼が、この噺をやって高座から下りようとすると、客が「あーあ、おもしろかったつもり」と声をかけたので、三語楼が「客にウケたつもり」とやって平然と引っ込んだという、シャレたお話です。

さらに

後年、先代柳亭痴楽も同じことを言われ、今度は「いやな客の横っ面を張り倒したつもり」ときつい捨てゼリフで引っ込んだとか。噺家がいちいち怒ったのではしゃれになりませんが、相当カチンときたごようすで。

なにやら、この噺にかぎって、同じことは何度も繰り返されているようですね。そのつど落語家が、どう言い返したか調べられるとちょいとおもしろいつもり、なのですが。

現代の日常生活にも、場をやわらげるユーモアとしてアレンジできそうな気がします。ただし、連発はシラけますが。

明治の円遊が開発

明治中期に改作落語とすててこ踊りで売れに売れた初代三遊亭円遊が、短いながらギャグを充実させ、人気作に仕立てました。

あらすじのテキストとしたのは、その円遊の明治26年(1893)の「百花園」に掲載された速記ですが、オチの「血がだくだく……」は、現行と異なり、泥棒でなく、家のあるじが言っています。

軽い噺なので、現在も前座など、若手によってよく演じられます。

家の主人を芝居の道具師でなく、八五郎とし、大阪やり方にならって、家具を絵師に頼んで描いてもらう場面を前に付ける演出もあります。

書割盗人

かきわりぬすっと。上方の噺では「書割盗人」という演目となります。泥棒の独り言の、本来の古い形は、「……つもり」ではなく「……した体(てい)」ですが、今では東京風にしないとわからないでしょう。オチではこちらは血を出さず、「うわっ、やられたっと死んだ体」となります。

博多の紺献上

幾何学模様(多角形や円などの図案化)に縞模様を織りだした帯地です。由来は、博多の黒田の殿さまが幕府に献上したところから、この名があります。

応挙先生

円山応挙(1733-95)のことです。江戸中期の絵師で、精細な自然観察にもとづく写生画が特徴。足の見えない、すご味のある幽霊画は有名ですね。

転宅 てんたく 演目

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泥棒より数枚上手な女の話。この泥棒のお人よしぶりには口あんぐり。

【あらすじ】

おめかけさんが「権妻(ごんさい)」と呼ばれていた明治のころ。

船板塀に見越しの松の妾宅に、だんなが五十円届けて帰った後、これを聞きつけて忍び込んだのが間抜けな泥棒。

お膳の残りものをムシャムシャ食っているところをおめかけさんのお梅に見つかり、
「さあ、ダンツクが置いてった五十円、蛇が見込んだ雨蛙。四の五の言わずに出せばよし、いやだ応だと抜かしゃがると、伊達には差さねえこの大だんびら、うぬがどてっ腹へズブリズブリとお見舞い申すぞ」
と居直ったが、このおめかけさん、いっこうに動じないばかりか、
「あたしも実は元はご同業で、とうにだんなには愛想が尽きているから、あたしみたいな女でよかったら、連れて逃げておくれ」
と言いだしたから、泥棒は仰天。

「五十円はおろか、この家にはあたしの蓄えも入れて千円あるから、この金を持って駆け落ちし、世界一周した後、おまえさんに芸者屋でもやってもらう」
と色仕掛けで迫る。

泥棒、でれでれになって、とうとう、めおとの約束を。

「そう決まったら今夜は泊まっていく」
と泥棒がずうずうしく言い出すと、
「あら、今夜はいけないよ。二階にはだんなの友達でえらく強いのが、酔っぱらって寝てるんだから」

明日の朝に忍んでいく約束をしたが、
「亭主のものは女房のもの。このお金は預かっておくよ」
と稼いだなけなしの二十円を巻き上げられる始末。

で、その翌朝。

うきうきして泥棒が妾宅にやってくると、あにはからんや、もぬけのカラ。

あわてて隣の煙草屋のおやじに聞くと、
「いや、この家には大変な珍談がありまして、昨夜から笑いつづけなんです」

女は実は、元は旅稼ぎの女義太夫がたり。方々で遊んできた人だから、人間がすれている。間抜け野郎の泥棒を口先でコロッとだまし、あの後、だんなをすぐに呼びにやったところ、あとでなにか不都合があるといけないというので、泥棒から巻き上げた金は警察に届け、明け方のうちに急に転宅(引っ越し)した、とか。

「えっ、引っ越した。義太夫がたりだけに、うまくかたられ(だまされ)た」

【しりたい】

たちのぼる明治の匂い

「権妻」「転宅」ともに明治初期から使われた漢語。まぎれもなく明治の新時代につくられた噺です。

明治の爆笑王、鼻の円遊こと初代三遊亭円遊が得意にしました。

円遊は、文明開化の新風俗を当て込み、鉄道馬車を登場させたり、オチも「あそこにシャボンが出ています」と変えるなどとしていました。

同時代で音曲の弾き語りや声色などで人気のあった二代目古今亭今輔は、女が「目印にタライを置いておく」と言い、オチは「転宅(=洗濯)なさいましたか。道理でタライが出ています」としています。

やはり、ひとつの時代の風俗に密着しているだけに、いつまでも生き残るには難しい噺かもしれません。

権妻

本妻に対しての愛人(妾、おめかけさん)をいいます。
「権」を「けん」ではなく「ごん」と読む場合は、「権大納言」「権禰宜」と言うように「次なる方」という敬称で、愛人に対してわざとしゃれて使ったものです。

船板塀に見越しの松

「黒板塀に……」ともいいます。当時の典型的な妾宅の象徴として、三世瀬川如皐作の代表的な歌舞伎世話狂言『源氏店』(お富与三郎)にも使われました。

船板塀は、廃船となった船底板をはめた塀で、ふつう「忍び返し」という、とがった竹や木を連ねた泥棒よけが上部に付いていました。

見越しの松は、目印も兼ねて塀際に植え、外から見えるようにしてあります。いずれも芸者屋の造りをまね、主に風情を楽しむために置かれたものです。

「ドウスル!」女義太夫

「娘義太夫」「タレギダ」ともいいます。これも幕末に衰えていたのが、明治初年に復活したものです。明治中期になると全盛期を迎え、取り巻きの書生連が義太夫の山場にかかると、「ドウスル、ドウスル」と声をかけたので、「ドウスル連」と呼ばれました。

今でいうアイドルのはしりで、その人気のほどは、木下杢太郎(1885-1945)の詩「街頭初夏」(明治43年)にも。

濃いお納戸の肩衣の
花の「昇菊、昇之助」
義太夫節のびら札の
藍の匹田(しった)もすずしげに

この噺のおめかけさんのように旅回りの女芸人となると、泥水もさんざんのみ、売春まがいのこともするような、かなり凄絶な境遇だったのでしょう。そこから這い上がってきたのですから、したたかにもなるわけです。