【景清】かげきよ 落語演目 あらすじ
【どんな?】
目があくようにと赤坂の円通寺に。
日朝さまから景清さまに。
だから、あくんだ、と……。
開眼の願掛けは人生至高の祈りでした。
【あらすじ】
もとは腕のいい木彫師だが、酒と女に溺れた挙げ句、中年から目が不自由になった。
杖を頼りにをして歩いているが、まだ勘がつかめず、あちらこちらで難渋している。
その時、声を掛けたのが、知り合いの石田のだんな。
家に上げてもらってごちそうになるうち、定さんは不思議な体験を語る。
医者にも見放された定さんが、それでもなんとか目が開くようにとすがったのが、赤坂の日朝さま。
昔の身延山の高僧で、願掛けをして二十一日の間、日参すれば、霊験で願いがかなえられると人に勧められたからだ。
心配をかけ続けの老母のためにもと、ひたすら祈って祈って、明日は満願という二十日の朝、気のせいか目の底で黒い影が捉えられた。
喜びいさんでお題目を繰り返していると、自分の声に、誰か女の声が重なって、「ナムミョウホウレンゲキョウ」とお題目の掛け合いになったので、驚いて声の主に話しかけてみた。
女はやはり目が見えず、老いた母親が生きているうちに、片方でもいいから見えるようになりたいと願掛けしているという。
うれしくなって、並んでお題目を唱えるうち、定さんが女をひじでトーンと突くと、どういう案配か向こうもトーン。
トーン、トーンとやっているうちにいつしか手と手がぴったり重なった。
とたんに、かすかに見えかけていた目の前が、また真っ暗になった。
「日朝坊主め、ヤキモチを焼いていやがらせをしやがって」
と腹を立て、
「もうこんなとこに願掛けをするのは真っ平だ」
と、たんかを切って帰ってきてしまった、というわけ。
聞いただんな、
「おまえさんは右に出る者がいないほどの木彫師だったんだから、年取ったおっかさんのためにも短気を起こさず、目が開くように祈らなくてはいけない」
とさとし、
「日朝さまが嫌なら、昔、平景清という豪傑が目玉をくり抜いて納めたという上野清水の観音さまへ願えば、きっとご利益がある」
と勧める。
だんなの親切に勇気づけられた定さん、さっそく清水に百日の日参をしてみたが、満願の日になっても、いっこうに目は明かない。
絶望し、また短気を起こして、
「やい観公、よくも賽銭を百日の間タダ取りしやがったな、この泥棒っ」
定さんが境内でわめき散らしていると、そこへ石田のだんながようすを見にくる。
興奮する定さんをしかり、よく観音さまにおわびして、また一心に願を掛け直すように言い聞かせ、二人で池の端の弁天さまにお参りして帰ろうとすると、一天にわかにかき曇り、豪雨とともに雷がゴロゴロ。
急いで掛け出し、足が土橋に掛かったと思うと、そこにピシッと落雷。
だんなは逃げ出し、定さんはその場で気を失ってしまう。
気がついて、ふと目に手をかざすと……
「あっ! 眼……眼……眼があいたっ」
次の日、母親といっしょにお礼参りをしたという、観音の霊験を物語る一席。
【しりたい】
景清
一般には平家の遺臣ということになっています。
豪傑として名高く、「悪七兵衛景清」(生没年不詳)とも呼ばれます。
姓はまちまちで、平、藤原、伊藤とも。
藤原秀郷の子孫、伊勢藤原(伊藤)氏の出身といわれているからです。
「悪」は剛勇無双の意味で、悪者の意味ではありません。
古くから伝説的な英雄として、浄瑠璃や歌舞伎、謡曲の題材になっています。
目玉をくり抜くくだりは、東大寺大仏供養に乗じて頼朝暗殺を企てて失敗し、捕らえられた景清が、助命されて頼朝の高恩に感じ、自らの両眼をくり抜いて清水寺に奉納するという浄瑠璃「嬢景清八島日記」の筋を元にしたものです。
NHK大河ドラマ『源義経』(1966年)では、加藤武が錣曳の景清に扮していました。
日朝さまに願掛け
日朝上人(1422-1500)は、江戸中期の日蓮宗の高僧で、身延山久遠寺三十六世です。
赤坂寺町の円通寺を開基しました。
願掛けは、神社仏閣に願い事のため日参する行で、期日は五十日、百日、一年などさまざまです。
浄瑠璃「壺坂霊験記」では、按摩の沢市が女房・お里に連れられ、壺坂観音に日参して開眼しています。
壺阪観音とは、奈良県高取町の壺阪山南法華寺のこと。
真義真言宗豊山派の寺院です。
清水の観音
上野・寛永寺の清水観音堂で、しばしば歌舞伎狂言の舞台になっています。
寛永8年(1631)、寛永寺と同じ、天海の開基。桜の名所としても知られます。
上方のやり方
東京では、三代目三遊亭円馬(橋本卯三郎、1882-1945、大阪→東京)の直伝で八代目桂文楽(並河益義、1892-1971)が人情噺として十八番にしていました。
上方では、はるかにくすぐりが多く、後半がかなり異なります。
東京と違い、昔は鳴り物入りで観音さまが出てきて景清の目玉を定次郎に授けます。
今度は景清の精が定次郎にのりうつって大名行列に暴れ込んだりする、というもの。
(殿)「そちゃ気が違うたか」
(定)「いえ、目が違いました」
とオチになります。
軽快な噺となっていますが、人情噺の部分と対比して荒唐無稽に傾くので、現在は上方でもほとんど演じられません。
同じ上方落語の「瘤弁慶」と似た、荒唐無稽の奇天烈噺です。