【猫と金魚】ねこときんぎょ 落語演目 あらすじ
【どんな?】
ああ言えばこう言う。
そんな相手も落語にかかればこんな具合に。
【あらすじ】
ある商家の番頭。
ああ言えばこう言うで、素直に言うことを聞かないばかりか、かなりピントがずれているので、だんなの悩みのタネ。
金魚の大きいのが二匹いなくなったので問いただせば「あたしは食べません」
「誰が、おまえが食べた、と言った。隣の猫が庭続きだから、縁側に上がって食べるんだから、どこか高いところへ上げておけ」と言いつけると「それじゃ、湯屋の煙突の上へ」
「あたしが眺められない」と文句を付けると「望遠鏡で見れば」と始末に終えない。
ようよう金魚鉢を湯殿の棚の上に置かせて一安心、と思ったら「金魚はどこへ上げましょう」
「金魚鉢と金魚を放したら、金魚は死んじまう、あたしゃ金魚の干物を見たいんじゃない」と叱りつけて、しばらくすると、番頭が悠々と報告に来た。
「実はその、棚へ上げましたらァ、お隣の物干しとつながってるもんですから、猫が入ってまいりまして……」
金魚鉢の中に手を突っ込んで食べてるというから、だんなは大あわて。
猫の衿っ首を捕まえてひっぱたいてやれと命じても、あたしはネズミ年だから、そばに寄ったら食われちまうといやがる。
こんな奴に任せておいたら、いくら買っても一匹残らず猫の栄養になってしまうと頭を抱えて、思い出したのが、横丁の鳶頭の虎さん。
力はあるし、背中に刺青を彫っているし、尻にたくさんの毛が生えているから猫もびっくりするだろうというので、早速呼びにやる。
常日ごろ、だんなのためなら命はいらねえ、たとえ火の中水の中……と豪語している鳶頭だから、何とかしてくれるだろうと思って「おまえさん、猫は恐くないかい」「猫ォ? あたしゃあ名前が虎で、寅年ですよ。世の中に恐いものなんか一つもない。で、猫は何匹で」
「あたしは猫屋をやろうってんじゃないよ。一匹でいいんだから、金魚鉢ィかき回してる奴を捕まえてなぐっておくれ」
「へえ、そいじゃあ、日を改めて」
なんだか、また雲行きが怪しくなってきた。
ともかく、むりやり湯殿に押し込むと「猫、おらァこの横丁の虎ってもんだぞォ。どうだァ」という、虎さんの大声が聞こえる。
そのうち「きゃあー」という悲鳴と金魚鉢を引っくり返した音。静かになったので戸を開けてみると、虎さんはびしょ濡れで目を回し、猫は棚で悠然と顔を洗っている。
金魚は外でピンピン跳ねているから、だんな驚いて「虎さん、しっかりしとくれ。早く猫ォ捕まえてなぐっとくれ」
「あたしゃあもう猫は恐いからイヤだ」
「恐いって、おまえさん、虎さんじゃないか」
「今はこの通り、濡れネズミです」
【しりたい】
新作落語史上の最高傑作!
「のらくろ」シリーズの作者として一世を風靡した田河水泡(高見澤仲太郎、1899-1989、漫画家)が、まだ落語作家時代の昭和初期、売り出し中の初代柳家権太楼(北村市兵衛、1897-1955)に書き下ろした「猫」シリーズの第一弾です。
このあと、「猫と電車」「猫とタコ」と続きますが、「猫の金魚」がギャグの連続性と底無しのナンセンスで、もっとも優れています。
そのセンスは今聞いても全く古びず、近代新作落語史上、金箔付きの最高傑作と呼んで過言ではないでしょう。
十代目桂文治(関口達雄、1924-2004)のが無類におかしく、なかでも虎さんの表現が秀逸でした。
八代目橘家円蔵(大山武雄、1934-2015、五代目月の家円鏡→平井の)は、前半のだんなと番頭のやりとりがテンポよく、軽快に笑わせました。
前半の趣向は「質屋庫」に似ています。口だけは英雄豪傑の虎さんのキャラクターも「質屋庫」の熊さんと重なります。何らかのヒントを得ていると思われます。
続編「猫と電車」
校長宅で産まれた六匹目の子猫を、鰹節一本付けて押しつけられた田舎出の用務員が、子猫を風呂敷に隠して満員電車に乗ります。
ところが、いつの間にか帽子の中に入った子猫に小便をかけられ、あわてて降ります。
「車掌さん、今の客、シャッポに猫を隠してた」
「道理で猫をかぶっていた」
「金魚」ほどではありませんが、校長とのやりとりで、
「キミの家にネズミおるかい?」
「校長先生さま、ネズミたべるんでェ?」
「わしのうちに猫がおるよ」
「猫とネズミに相撲をとらせるんでェ?」
「実はァ、子どもが今度、産まれてな」
「お坊ちゃまで?」
「わしの子ではないよ」
「奥様のお子さまで?」
「猫の子じゃよ」
「すると、奥様が猫の子を産んだのでェ?」
こういったトンチンカンなギャグの連続で笑わせます。
【猫と金魚 八代目橘家円蔵】