こうこうとう【孝行糖】演目

【RIZAP COOK】

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親孝行の与太郎が飴屋に。長屋総出で応援する社会更生の麗しい一編。

あらすじ

今年二十一になるが、頭の中が少々薄暮状態の与太郎。

親孝行のほうびに、おかみから青緡五貫文あおざしごかんもんをちょうだいした。

大家がこれを機会に、この金を元手にして、なんとか与太郎の身の立つように小商いでも考えてやりたいと、長屋の衆に相談する。

一人が、昔、役者の嵐璃寛あらしりかん中村芝翫なかむらしかんの顔合わせが評判を呼んだのに当て込んで、璃寛糖りかんとう芝翫糖しかんとうという飴を売り出してはやらせた人がいるから、それにならって、与太郎に飴を売らせたらどうか、と提案。

璃寛糖は、頭巾ずきんをかぶりかねと太鼓を前につるして、
「チャンチキチン、スケテンテン」
というのを合い方に、
璃寛糖りかんとうの本来は、うるち小米こごめに寒ざらし、かやァに銀杏ぎんなん肉桂にっき丁子ちょうじ、チャンチキテン、スケテンテン。昔、むかし、唐土もろこしの、二十四孝にじゅうしこうのその中で、ほら老莱子ろうらいしといえる人、親を大事にしようとて、ほら、こしらえあげたる孝行糖、食べてみな、ほらおいしいよ、また売れたったら、うれしいねっ」
と歌って歩いたもの。今回、与太郎は孝行でほうびをもらったのだから、名前も「孝行糖」、文句はそっくり借りることにしよう、というので一同賛成し、それからというもの、総出で与太郎に歌を暗記させた。

ナントカの一つ覚えで、かえって普通の人より早く覚えたので、町内で笛、太鼓、身なりともにそっくりしたくしてやって、与太郎はいよいよ飴売りに出発。

親孝行の徳か、この飴を買って食べさせると子供が孝行になるという噂が広がって大評判。

売れると商売にも張り合いが出るもので、与太郎、雨の日も風の日も休まず、
「スケテンテン、コーコートー」
と流して歩く。

ある日、相変わらず声を張り上げながら、水戸さまの屋敷前を通りかかる。

江戸市中で一番やかましかったのがここの門前で、少しでもぐずぐずしていると、たちまち門番に六尺棒ろくしゃくぼうで「通れ」と追い払われる。

ところがもとより与太郎、そんなことは知らないから、能天気に
「孝行糖の本来は、粳の小米に寒ざらし……」
とやったから、門番、
「妙な奴が来たな。とおれっ」
「むかしむかし、もろこしの、二十四孝のその中で」
「行けっ」
「食べてみな、おいしいよ」
「ご門前じゃによって鳴り物はあいならん」
「チャンチキチン」
「ならんというんだ」
「スケテンテン」
「こらっ」
「テンドコドン」

……叱言を鳴り物の掛け声に使ったから、たちまち六尺棒でめった打ち。

通りかかった人が、
「逃げろ、逃げろ……どうぞお許しを。空ばかでございますが、親孝行な者……これこれ、こっちィこい」
「痛えや、痛えや」
「痛いどころじゃねえ。首斬られてもしょうがねえんだ。……どこをぶたれた」
と聞くと与太郎、頭と尻を押さえて
「ココォと、ココォと」

底本:三代目三遊亭金馬

しりたい

実在した与太郎

孝行糖売りは明治初期、大阪にいたという説がありますが、実はそのずっと以前、弘化こうか3年(1846)2月ごろから藍鼠色あいねずいろ霜降しもふりたけのこを描いた半纏はんてんを着て、この噺の与太郎とまったく同じ唄をうたいながら江戸の町を売り歩いていた飴屋がいたことが、『藤岡屋日記ふじおかやにっき』に記されています。政商だった藤岡屋由蔵よしぞうの見聞記です。まず、当人に間違いありません。

青緡五貫文

唐茄子屋政談」「松山鏡」にも登場しますが、銭五貫文は幕末の相場でおよそ一両一分。四千八百文にあたります。現在の相場で約10万円。

それを青く染めた麻縄の銭挿し(これが青緡あおざし)に通して、孝行のほうびに町奉行より下されます。「青緡五貫文」といったら、なにか特別のことをしてお奉行さまから授かった特別な人、というイメージがついてまわるのです。

それにしても、賞状や勲章ではなくお金をくれるなんて、江戸幕府はずいぶん即物的な感覚だったのですね。

水戸さまの屋敷前

水戸藩の上屋敷。現在の後楽園遊園地、東京ドーム、小石川後楽園、飯田橋職業安定所を含む文京区後楽一丁目全部を占めました。

このうち、東京ドームの場所には、明治維新後、陸軍砲兵工廠こうしょうが建てられ、昭和12年(1937)、その移転後の跡地に旧後楽園球場が建設されました。

コワーイ門番

藩邸の門番は、一般には、身分は若党で、最下級の士分です。

水戸藩上屋敷は「日暮らし門」と呼ばれた華麗な正門が有名で、左甚五郎ひだりじんごろう作の竜の彫刻をあしらっていました。正門から江戸川堤まで「水戸さまの百軒長屋」といい、ずらりと中級藩士の住む長屋が続いていました。門番だけでなく、こうした中・下級藩士による「町人いびり」も、ままあったようです。

これも上方由来

明治初期に作られた上方落語の「新作」といわれますが、作者は未詳。

三代目三遊亭円馬(橋本卯三郎、1882-1945)が東京に移植、戦後は三代目三遊亭金馬(加藤専太郎、1894-1964)の十八番として知られ、二代目三遊亭金翁(松本 龍典、四代目金馬→、1929-)が継承して得意にしています。「本場」の大阪では、現在は演じ手がないようです。

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