【三都三人絵師】さんとさんにんえし 落語演目 あらすじ
【どんな?】
志ん生も時折。愉快なネタです。
ヘンな関西弁も聞こえてきます。
別題:三人絵かき 京阪見物
【あらすじ】
江戸っ子の三人組が上方見物に来て、京の宿屋に泊まった。
その一人が寝過ごしているうちに、ほかの二人はさっさと市中見物に出かけてしまって、目覚めると誰もいない。
不実な奴らだと怒っていると、隣から声が聞こえる。
大坂の者と京者らしい。
よく聞いてみると、やれ鴨川の水は日本一で、江戸の水道はどぶ水だの、関東の屁毛垂れだの、人種が下等だのと、江戸の悪口ばかり。
さあ頭にきた江戸の兄さん、威勢よく隣室へ乗り込む。
さんざん悪態をついたあと
「やい黒ん坊、てめえの商売はなんだ」
「名前があるわ。わたいは大坂の絵師で、武斎ちゅうもんで」
「ムサイだあ? きたねえ面だからムサイたあよく付けた。やい青ンゾー、出ろ」
「うちは許してや」
「出ねえと引きずり出すぞ。てめえは何者だ」
「うちは西京の画工で俊斎」
「ジュンサイだあ? 道理でヌルヌルした面だ」
「それであんたは?」
「オレか? オレも絵師よ」
もちろん、大ウソ。
こうなればヤケクソで、
「姓は日本、名は第一、江戸の日本第一大画伯たあ、俺のことだ」
と大見得を切る。
そこで、三都の絵師がせっかく一所にそろったのだから、ひとつ絵比べをしようじゃねえか、ということになった。
一人一両ずつ出し、一番いい絵を描いた者が三両取るという寸法。
俊斎が先に、木こりがノコを持って木を挽く絵を描いた。
「やい青ンゾー、てめえとても絵師じゃあメシがくえねえから死んじまえ」
「どこが悪い」
「木こりが持つのはノコじゃねえ。ガガリってえもんだ。それは勘弁してやるが、おが屑が描いてねえ」
これで、まず一両。
続いて武斎。
母親が子供に飯をくわせている図。
「やい、黒ん坊。てめえも絵師じゃ飯がくえねえが、二人並んで首ィくくるのもみっともねえから、てめえは身を投げろ。俺が後ろから突き飛ばしてやろう」
「これは、継子ならともかく、本当の子ならおっかさんが口をアーンと開いてやってこそ子供も安心して食べられる。それなのに、母親が気取って口を結んでいるとはどういうわけだ」
なるほどもっともなご託宣なので、武斎も、しかたなく一両出す。
いよいよ今度は、江戸っ子の番。
日本第一先生、もったいぶった顔で刷毛にたっぷり墨を含ませる。
ついでに二人の顔をパレット代わりに使い、真っ黒けにしてから、画箋を隅から隅まで黒く塗りつぶし、
「さあわかったか」
「さっぱりわからん」
「てめえたちのようなトンマにゃわかるめえ。こいつはな、暗闇から牛を引きずり出すところだ」
【しりたい】
志ん生が復活した旅噺 【RIZAP COOK】
この噺自体の原話は不明ですが、長編の「三人旅」シリーズの終わりの部分、「京見物(京阪見物)」の一部になっています。
三代目春風亭柳枝(鈴木文吉、1852-1900)の明治26年(1893)の速記では「京阪見物」として、「東男」と称する市内見物の部分の後、「祇園会(祭)」の前にこの噺が挿入されています。
明治期にはほとんど「東男」や「祇園会」にくっつけて演じられましたが、二代目禽語楼小さん(大藤楽三郎、1848-98)は一席噺として速記を残しています。『百花園』明治24年(1891)8月20日号。
その後すたれていたのを、先の大戦後、五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)が復活。志ん生の没後、やり手はほとんどいません。
青ンゾー 【RIZAP COOK】
「青ん蔵」とも書きます。ヒョロヒョロで顔が青いという印象で、京都人をののしっているわけです。
上方落語「三十石」でも、船の中で大坂人が京都人をばかにして、「京は青物ばかり食ろうて往生(王城)の地や」と言う場面があります。
語源は北関東訛りの「アオンゾ」もしくは「アオンベイ」だといいます。
五代目志ん生は、「てめえはつらが長えから、あご僧だ」と言っていますが、これが志ん生の工夫なのか単なる勘違いかはわかりません。
同じく大坂の絵師をののしる「黒ん坊」は、芝居で舞台の介添えをする「黒子」のことです。
屁毛垂れ 【RIZAP COOK】
へげたれ。江戸っ子をののしる言葉ですが、甲斐性なし、阿呆を指す上方言葉です。
江戸者に使う時は、屁ばかり垂れている関東の野蛮人の意味と思われます。
ガガリ 【RIZAP COOK】
大型のノコギリのことで、ガカリとも呼びます。用具に詳しいところから、この「江戸はん」は大工と見られます。