【後家殺し】ごけごろし 落語演目 あらすじ
なんと凄惨な
【どんな?】
すじだけ読むと笑える代物ではないのですが。六代目円生にかかるとみごとに笑えます。
【あらすじ】
職人の常さん、大変に義太夫に凝っている。
ある日、町内の伊勢屋という大きな質屋で開かれた会で、「平太郎住家」を一段語ったのが縁となって、そこの後家さん(元夫人)といい仲になった。
もう三年越し。
後家さんは年のころ二十七、八で、色白の上品ないい女。
常さん、コソコソ隠れてするのが嫌いな性分なので、堂々とかみさんに打ち明けると、このかみさんもさばけたもの。
「決してうれしいことではないけれど、私を追い出すというのでさえなければ、おまえさんがほかに変な女に引っ掛かるよりはいいし、男の働きだから」
と公認してくれている。
そんなわけで、本宅と伊勢屋に一日交代で泊まり、向こうも心得たもので、月々にはちゃんと金も届けて寄こすし、うらやましいご身分。
ところが、その話を聞いた友達がやっかみ半分に、
「あの後家さんは、もうとうにおまえに飽きが来て、荒井屋という料理屋の板前で喜助という男とできている」
と吹き込んだから、さあ常さんは心穏やかではない。
喜助は女殺しの異名を取る、小粋ないい男。
疑心暗鬼にかられた常吉、ついにある夜、出刃包丁を持って伊勢屋に踏み込み、酒の勢いも借りて
「よくもてめえはオレの顔に泥を塗りゃあがったなッ」
後家さんのいいわけも聞かばこそ、馬乗りになると、出刃でめった突き。
なます斬りにしてしまった。
あとで、その話はまったくの作り話と知れ、後悔したが、もう遅い。
お白州へ引き出され、打ち首と決まった。
「その方、去る二月二十四日、伊勢屋の後家芳なる者を殺害いたし、じゅうじゅう不届きにより、重き科にも行うべきところ、お慈悲をもって打ち首を申し付ける。ありがたくお受けいたせ」
「ありがたかありません」
「今とあいなり未練なことを申すな」
奉行が、
「いまわの際に一つだけ願いをかなえてつかわす」
というので、常さん、義太夫で
「後に残りし女房子が、打ち首とォ聞くゥなァらばァ、さそこなげかァーん、ふびんやーとォー」
と語ると奉行、ぽんと膝をたたいて
「よっ、後家殺しッ」
【しりたい】
円生ネタ
もともと上方落語の切りネタ(大ネタ)で、原話は不詳です。
大阪の二代目桂三木助(松尾福松、1884-1943)からの直伝です。
先の大戦後は、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の)が東京に移植、独壇場にしていました。
義太夫の素養が不可欠なため、円生在世中もほとんどほかにやる落語家はなく、没後の継承者も出ません。
今となると、貴重な噺です。
実際に、高座で義太夫を語る音曲噺なので、「やはり耳で聞いていただくのがいちばん」と円生も述べています。
円生は「噺の中の進行のために、浄瑠璃の文句のすべてを節づけず、半分の文句は普通にしゃべりますが、義太夫の素養がないと、節の場合とちがって自然に出てこないものです」とも語り残しています。
すじだけ読むと、とても笑える代物ではないのですが。円生のお得意噺でした。
この噺や「豊竹屋」などは、少年時代にプロの義太夫語りだった円生ならではのもの。
豊竹豆仮名太夫の名で高座に出ていました。
こうした噺を自在にこなせる落語家は、残念ながらいまはいません。
平太郎住家
浄瑠璃「祇園女御九重錦」全五段のうち三段目。
柳の木の精が人間の妻になるという筋立てで、俗に「柳」ともいい、歌舞伎にも脚色されています。
お慈悲をもって打ち首
「下手人」といいます。
この言葉は、犯人をも意味しますが、罪名として用いられる場合は、単純な斬首刑のこと。
取られるものは首だけです。
同じ打ち首でも、「死罪」のように市中引き回し、家財没収、山田朝右衛門によるためし斬りなどの付加刑がない分、確かにありがたいお慈悲です。
後家殺し
上方で、浄瑠璃にかけるほめ言葉です。
語源は不明ですが、後家を悩殺するほどの色男、という意味でしょう。
義太夫の三味線は「太ザオ」なので、あらぬ連想をたくましくすることも不可能ではありませんが……。
「後家が惚れるくらいですからいい加減な義太夫ではいけません」(六代目円生)