【廓大学】くるわだいがく 落語演目 あらすじ
吉原に溺れた人
【どんな?】
廓中毒の若だんなのばかぶり、儒学のばからしさをも笑います。
【あらすじ】
若だんなが吉原に入り浸り。
もう堪忍袋の緒が切れたと、親だんなが勘当しようとする。
それを番頭が止める。
「若だんなは反省して、今二階に閉じこもって『大学』の素読をしているので今度だけは勘弁してやってほしい」と取りなす。
親だんなも、「まじめになってくれるのなら言うことはない」と、二、三日ようすを見ることにした。
初めは、改心を装っていた若だんな。
時がたつと、だんだん本性を現し、がまんすればするほど吉原が恋しくなる。
「俺くらいになると、吉原中の人間に顔を知られている」
と、モテにモテた日々を回想し、
「吉原の車屋は威勢がよかった」
とか、
「山谷から船で芸者を連れて遊びに出たら、帰りが遅いと見番(廓の出入りの管理者)に文句を言われたが、廓の世話人の久兵衛に取りなしてもらった」
とか、
「吉原では番頭新造が花魁の懐を握っている」
とか、
「禿は居眠りすると相場が決まっている」
などと、次から次へと思い出すたびに、矢もたてもたまらなくなって、思わず大声を張り上げてしまう。
それを聞きつけたおやじ、二階に上がってきて
「このばか野郎。番頭が、おまえは『大学』の素読をしていると言うから覗いてみれば、とんでもないことをしゃべってやがる」
「えー、おとっつぁん、私はこれで『大学』の素読をしてましたんで」
「なんだい、これは。大変小さい本だねえ」
「へえ、『廓大学』と申します」
実は、「吉原細見」という案内書。
若だんな、ここで勧進帳よろしく、「大学」と見せかけて読み上げる。
「大学、朱憙章句、ご亭主のいわく、大学の道は道楽を明らかにするにあり、金を使わすにあり、自然に止まるにあり、と」
大学のパロディーを展開して、おやじをケムにまく。
親だんなが、なんだか怪しいと本を取り上げてみると、「松山・玉章」(花魁の名)。
「なんだ、マツヤマタマズサってえのは」
「おとっつぁん、そうお読みになっちゃいけません。ショウザンギョクショウ。ともに儒者の名です」
「変な先生方だねえ。どこにいるんだ」
「行ってみなさい。ズラリと格子の内に並んでます」
底本:初代柳家小せん
【しりたい】
大学
「廓大学」の「大学」は、儒教の経典で四書五経のうち、四書の一つ。書名です。
五経のうちの「礼記」の一編で、朱熹が注釈、改訂しました。
四書は儒学の根本経典である五経を学ぶための補助教材です。「論語」「孟子」「大学」「中庸」の四書。
政治の理想と士太夫のあるべき姿を示すもので、朱子学一辺倒の旧幕時代には、支配階級である武士の必修テキストでした。
若だんなの読み上げるのは、そのパロディー。
儒教道徳の要であるガチガチの学術書を軟派の極みのお女郎買い指南にすり替えたあたり、この噺の「作者」の並みでない反骨精神が感じられます。
吉原細見
正しくは「新吉原細見記」。吉原廓内の娼家、揚家、茶屋と遊女名が詳細に記された、絵図つき案内書です。ガイドブックです。
毎年タイトルを変えて改訂され、延宝年間(1673-81)から大正5年(1916)まで、二百三十余年にわたって発行され続けました。
安永4年(1775)版の『籬の花』、天明3年(1783)版の『五葉松』などが有名です。
初代小せんの十八番
明治中期まで、二代目柳家(禽語楼)小さんが得意にし、そのうまさは折り紙つきだったといいますが、速記は残されていません。
小さんは士族出身で、武張った噺がうまかった人。
もちろん幼時には、「大学」の素読くらいさせられたでしょうから、こういうパロディーは、お手のものだったでしょう。
大正期には、初代柳家小せんの十八番でした。廓噺の完成者。
二代目小さんの孫弟子です。
現存する小せんの速記は、大正8年(1919)9月に、小せんの遺著として出版された、『廓ばなし小せん十八番』に収録されています。
貴重な文献資料
若だんなが吉原の回想をする、小せんの次のようなくだりは、今では貴重な文化的資料(?)といえます。
「昔は花魁がお客に無心をする、積み夜具(客がお女郎となじみになったしるしに、新調の夜具を積み重ねて飾る)をあつらえることも出来ないから、本床をあつらえてやらうてえんで床をあつらえてくれると、ふだんはどんなにに振られているお客でも、その晩だけは大切にされたもんだとかいうね、実に吉原というところは不思議なところだねえ」
「車と言えば、吉原の車と町車とは違うね、堤(吉原の日本堤という土手)の車なんと来た日には威勢がいいんだからなア」
「車」は人力車のことです。
今じゃ聴けない噺
原話は寛政8年(1796)刊の創作小咄本『喜美談語』中の「学者」です。
吉原に入りびたりのせがれをおやじが心配し、儒者の先生に意見を頼みます。ところが、若だんなもさるもので、自分のなじみの女郎は博学の秀才で「和漢の書はおろか、客の鼻毛まで読みます」などと先生をケムにまくものです。
初代小せん没後、後継者はありません。
日本の現代社会はすでに儒学の基本がすたれているため、今では誰も笑えないでしょう。
【語の読みと注】
花魁 おいらん
禿 かむろ
細見 さいけん
勧進帳 かんじんちょう
朱憙 しゅき:朱子。1130-1200年
籬の花 まがきのはな
本床 ほんどこ