【おもと違い】おもとちがい 落語演目 あらすじ
【どんな?】
ぶち殺す。
同音異義語から掛け違いが始まります。
たわいもないすじなんですがね。
大笑いです。
【あらすじ】
ある大工の棟梁。
兄貴分に盆栽の万年青を預かったが、金の入り用に迫られ、ついそれを、これも万年青好きの質屋にぶち殺し(=質入れ)て洞穴を埋めた(=金の手当てをした)ので、面目なくて兄貴に顔出しできないと、知人の家でこぼしていく。
それを隣の部屋で、酔っぱらって夢うつつで聞いていた男。
奉公先のだんなの姪で、年ごろで悪い虫がついたようなので、用心のためしばらく、堅いと評判の棟梁の家に預けられていた娘の名がたまたま、「おもと」といったからさあ大変。
「おもとがあろうことか、棟梁の野郎にぶち殺されて洞窟に埋められた」と早合点し、さっそく、だんなにご注進する。
聞いただんな、
「おもとからはたった今、手紙が着いたばかりなので、なにかの間違いだろう」
と半信半疑だが、男が、
「それはきっと偽装工作で、かみさんにでも書かしたものに違いない」
と言い張るので、棟梁もだんだん心配になる。
かと言って、出入りの棟梁だから、家から縄付きを出して世間に恥をさらしたくないので、
「それじゃおまえ、棟梁の兄貴を知っているんだから、兄貴からことの白黒をつけてもらえ」
と言いつけられる。
兄貴も、いきさつを聞いてびっくり。
さっそく、棟梁を呼びにやり、
「てめえはあろうことかあるめえことか、恩人から預かったものをぶち殺すとは何事だ」
と責めたてるが、当人は質入れのことがバレたと思い込んでいるから、話がかみあわない。
「召し連れ訴えされるのがイヤなら自首しろ」
とネジ込むと、
「三日のうちに必ず返すから待ってくれ」
と平身低頭。
とどのつまり、棟梁が川上という質屋に万年青を放り込んだと白状。
押し入れに隠れていた男、やにわに飛び出して、
「あんた、その川上へ放り込んだのはいつのこってす」
「そうさなあ、九か月ほど前のこった」
「それじゃもう、とうに流れたんべえ」
「なに、利上げしてある」
底本:初代三遊亭円左
【しりたい】
初代円左が創作か
初代三遊亭円左(小泉熊山、1853-1909、狸の)が速記(明治32年)中、マクラで、この噺は自分の専売ということを言っています。
この人は明治後期から末年にかけ、自作自演を始め、益田太郎冠者(益田太郎、1875-1953)の新作なども多く手掛けたこともあるので、おそらくはこれも円左の当時の創作でしょう。
昭和初期から戦後にかけ、八代目桂文治(1883-1955、山路梅吉)がよく演じ、ついで五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)がレパートリーにしました。
志ん生のは、ごく短く演じてだんなは登場せず、おもとを質入れしたのは棟梁の義弟辰公で、質屋の隠居の方が、おもとの見事なのに感嘆して、枯らさないから、自分の店に質入れしてくれろと頼んでくる設定になっています。
万年青ブーム
万年青はユリ科の、葉の厚い常緑多年草です。
江戸中期の享保年間(1716-36)あたりから盛んに栽培されました。
江戸時代を通して、はやりすたりを繰り返したようで、文政期(1818-30)には江戸最後のブームで、品種60種以上を数えたとか。
その後、明治20-30年代にも、つまり円左の速記の前後にも再びはやりだし、盛んに品評会が催されました。
この噺も、そうしたブームを当て込んで、作られたものでしょう。
現在知られている品種は、約200種もあり、主に葉を鑑賞するもので、栽培には手間がかかります。
通は、葉の広がり方、表面のつや、葉に斑点があるなしなどにうるさく、この噺の棟梁が、預かった万年青を「墨流しといって一番高い」ものだと言っていますが、これは墨流し染めのように葉の表面に波紋がある品種のこと。
万年青の茎は、漢方で強心剤・利尿剤として用いられます。
利上げ
質入れ品の期限が来た時に、利息だけを払ってその期限をさらに延ばすこと。または、その利息をも意味します。利揚げとも。
「質屋蔵」でも触れましたが、質流れの期限は天保年間(1830-44)以後は8か月で、利上げは、それ以前に借り主が利息を入れて、質流れを防ぐ処置です。
五代目志ん生は、オチをわかりやすく「心配すんな、利息が入れてあるから」と言い換えていました。
ぶち殺す
「打ち殺す」と書いて「ぶちころす」「ぶっころす」と読みます。
意味は、①うち殺す②質に入れる③芸娼妓をたらしこむ④芸娼妓が客をたらしこむ。ここでは②ですが、②も③も④も、①からの転義ですね。
江戸の俗語でして、「死地(=質)に入れる」の洒落かと思ったりもしますが、よくわかりません。
同義語に「曲げる」があり、こちらは、質=同音の七で、七の字は十の字の尻を右に「曲げる」ことから。
江戸には職人言葉からきた「物騒な」言い回しがかなりあり、たとえば、山芋を完全にとろろに下ろさず、かけらを半分残したものを「半殺し」と呼んでいました。
噺のアラを補う工夫
この噺、鉢植えの「万年青」と人名の「おもと」の食い違いだけのかなりたわいない噺ですが、 両者の「オモト」は、アクセントからしてモトモト違う語なので、よけい無理が目立ちます。
そこで、初代円左から志ん生まで、このアラをなるべく目立たせないため、けっこう苦心していたようです。円左や八代目文治では、なるべく「オモト」という言葉を使わない、噺をスピーディーに運んで、客にアラを気づかせないなどの工夫がみられます。
噺の重心を「ぶち殺した」をめぐっての、権助を加えた登場人物三人の、話の食い違いによるチンプンカンなやりとりにおくことで、それぞれの話芸によって笑いを誘ったと思われます。
円左では、棟梁が問い詰められて「三日でカタをつけます」と言うところがちょっとおかしく、志ん生では、権助の「殺すのはいいぜェ、洞穴ィ埋めるとァなんだい」というセリフが、ちょっとアナーキーで笑えます。
この噺、オチで、質屋の名と実際の川が混同されているわけなので、誰が演じても質屋の名は「川上」でなければならないはず。当然ながら、江戸時代を舞台にしてはできないわけです。