ちょうじゃばんづけ【長者番付】演目

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これも古い上方噺。「東の旅」シリーズの一話です。

【あらすじ】

江戸っ子の二人組。

旅の途中、街道筋の茶店でひどい酒をのまされたので、頭はくらくら、胸はムカムカ。

迎え酒に一杯いい酒をひっかけたいと思っていると、山道の向こうに白壁で土蔵造りの家が見えてきた。

兄貴分が、あれは造り酒屋に違いないから、あそこでうんとのましてやると励まし、おやじに一升ばかり売ってほしいと交渉すると
「一升や二升のはした酒は売らねえ」
と断られる。

どのくらいならいいのかと聞くと、
「そうさな。馬に一駄、船で一艘ぐれえかな」

一駄は四斗樽が二丁、船一艘なら五、六十丁というから、兄貴分の怒ったの怒らないの。

「人をばかにするのもいい加減にしろッ。こちとらァ江戸っ子だ。馬に一駄も酒ェ買い込ん道中ができるかッ。うんつくめのどんつくめッ」

その勢いにおそれをなしたか、おやじは謝り、酒は売るから腰掛けて待っていてくれと言っておいて、こっそり大戸を下ろしてしまった。

気づいたときは遅く、薪ざっぽうを持った男たちが乱入。

さては袋だたきかと身がまえると、おやじ
「さっきおまえさまの言った『うんつくのどんつく』というなあ、どういうことか、聞かしてもれえてえ」
と大変な鼻息。

兄貴分、これはまずいと思いながら、後ろに張ってある長者番付に目を止め、
「江戸ではそれを運つく番付という」
と口から出まかせ。

「江戸の三井と大坂の鴻池は東西の長者の大関だが」
と前置きして、ウンツクのウンチクをひとくさり。

「鴻池の先祖は伊丹で造り酒屋をしていたが、そのころはまだ清酒というものがなかった。あるとき、雇った酒造りの親方があまり金をせびるので、断ると、腹いせに火鉢を酒樽に放り込んで逃げた。ところが、運は不思議で、灰でよどみが下に沈み、澄んだ酒ができた」

これを売って大もうけ、運に運がついて大身代ができたから、大運つくのど運つく。

一方、三井の先祖は越後新発田の浪人で、六部で諸国を廻っていたとき、荒れ寺に泊まると、夜中に井戸から火の玉が三つ。

調べると、井戸底に千両箱が三つ沈んでいた。

これをもとに松坂で木綿を薄利多売し、これも大もうけして、やがて江戸駿河町に呉服屋を開き、運に運に運がついて今では大長者。

おまえのところも今に長者になるから、運つくのど運つくとほめたのがわからねえかと、居直る。

暖簾から顔を出したかみさんは、女ウンツク、青っぱなを垂らした孫は孫運つくで、今に大運つくになると与太を並べると、おやじは大喜び。

酒をふるまった上、
「今度造り酒屋で酒を買いたいときは、利き酒をしたいと言えばいい」
と教える。

江戸では大ばか野郎をウンツクというが、まんまとだまされやがったとペロリと下を出した二人、ご機嫌で街道筋に出ると、後ろから親父が追いかけてくる。

「おめえさまがたをほめるのを忘れていただ。江戸へ帰ったら、りっぱな大ウンツクのどウンツクになってくだせえ」
「なにを抜かしゃあがる。オレたちはウンツクなんぞ大嫌えだ」
「えっ、嫌えか? 生まれついての貧乏人はしようがねえ」

【しりたい】

上方種長編の一部

古くから親しまれた上方落語の連作長編シリーズ「東の旅」の一話で、清八と喜六の極楽コンビが伊勢参宮の途中、狐に化かされる「七度狐」に続く部分です。「うんつく」「うんつく酒」の題で演じられてきました。

上方では、悪態の意気で六代目笑福亭松鶴が優れていました。

東京への移植者とその時期は不明ですが、戦後は三代目桂三木助、八代目春風亭柳枝が得意とし、五代目小さんもたまに演じました。

原話は、安永5年(1776)刊の笑話本『鳥の町』中の「金物見世」。皮肉にもこれは江戸板なので、東→西→東とキャッチボールされたことになります。

この小咄では「うんつく」でなく「とうへんぼく」がキーワードであることでも、ルーツが江戸であることがうかがわれます。

演出の異同

噺中の三井と鴻池のエピソードは、時間の関係でどちらかを切ることもあります。東京風の演出では、上方の「煮売屋」を改作した「二人旅」のオチ近くのくだりを圧縮して「長者番付」の前に付け、続けて演じることもあります。「二人旅」については、その項をご参照ください。

「東の旅」の順番

「東の旅」の順番では、伊勢路に入り、「野辺歌」「法会」「もぎとり」「軽業」「煮売屋」「七度狐」に続いて、この「うんつく」(長者番付)になり、この後、連れがもう一人増えて「三人旅」で、伊勢参宮のくだりは一応完結します。

うんつく

この噺の、上方落語の演題でもあります。

うんつくは運尽と書き、「運尽くれば知恵の鏡も曇る」ということわざから、上方言葉で「阿呆」「野暮」の意味が付きました。

したがって、「ど運尽く」は「大ばか」。「ど」は上方の罵言なので、本来は江戸落語にない語彙です。上方落語のものがそのまま残ったのでしょう。

ところが、後にはこれをもじって、本当に「運付く」で幸運の意味が加わったからややこしくなりました。同音異義語のいたずら悪戯です。

造り酒屋

造り酒屋は本酒屋ともいい、醸造元で、卸専門の店ではこの噺のように小売はしない建前でしたが、地方には、小売酒屋を兼ねている店も多く見られました。

清酒事始め

噺の中で、鴻池が作ったというのはヨタです。実は享保年間(1716-36)、灘の山邑太左衛門が苦心の末発明し、「政宗」として売り出したのが最初。全国に普及したのは、その1世紀も後の文化年間(1804-18)なので、江戸時代も終わり近くなるまで、一部の地方では濁り酒しか知らなかったことになります。

【語の読みと注】
暖簾 のれん
煮売屋 にうりや
山邑太左衛門 やまむらたざえもん

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たばこのひ【莨の火】演目

【RIZAP COOK】

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もとは上方の噺。それを、彦六が持ってきたんだそうです。

【あらすじ】

柳橋の万八という料理茶屋にあがった、結城ごしらえ、無造作に尻をはしょって甲斐絹の股引き、白足袋に雪駄ばきという、なかなか身なりのいい老人。

欝金木綿の風呂敷包み一つを座敷に運ばせると、男衆の喜助に言いつけて駕籠屋への祝儀二両を帳場に立て替えさせ、さっそく芸者や幇間を総揚げに。

自分はニコニコ笑って、それを肴にのんでいるだけ。

その代わり、芸者衆の小遣いに二十両、幇間に十両、茶屋の下働き全員に三十両と、あまりたびたび立て替えさせるので、帳場がいい顔をしない。

「ただいま、ありあわせがございません、と断れ」
と、喜助に言い渡す。

いよいよ自分の祝儀という時にダメを出された喜助、がっかりしながら老人に告げると
「こりゃあ、わしが無粋だった。じゃ、さっきの風呂敷包みを持ってきておくれ」

包みの中には、小判がぎっしり。

これで立て替えを全部清算したばかりか、余ったのを持って帰るのもめんどうと、太鼓と三味線を伴奏に、花坂爺さんよろしく、小判を残らずばらまいて
「ああ、おもしろかった。はい、ごめんなさいよ」

「あれは天狗か」
と、仰天した喜助が跡をつけると、老人の駕籠は木場の大金持ち奈良茂の屋敷前で止まった。

奈良茂ならごひいき筋で、だんなや番頭、奉公人の一人一人まで顔見知りなのに、あの老人は覚えがない。

不思議に思って、そっと大番頭に尋ねると、あの方はだんなの兄で、気まぐれから家督を捨て、今は紀州で材木業を営む、通称「あばれだんな」。

奇人からついた異名とのこと。

ときどき千両という「ホコリ」が溜まるので、江戸に捨てに来るのだ、という。

事情を話すと「立て替えを断った? それはまずかった。黙ってお立て替えしてごらん。おまえなんざあ、四斗樽ん中へ放り込まれて、糠の代わりに小判で埋めてもらえたんだ」

腰が抜けた喜助、帰って帳場に報告すると、これはこのまま放ってはおけないと、芸者や幇間を総動員、山車をこしらえ、人形は江戸中の鰹節を買い占めてこしらえ、鷹頭の木遣りや芸者の手古舞、囃子で景気をつけ、ピーヒャラドンドンとお陽気に奈良茂宅に「お詫び」に参上。

これでだんなの機嫌がなおり、二、三日したらまた行くという。

ちょうど三日目。

あばたれだんなが現れると、総出でお出迎え。

「ああ、ありがとうありがとう。ちょっと借りたいものが」
「へいッ、いかほどでもお立て替えを」
「そんなんじゃない。たばこの火をひとつ」

【しりたい】

上方落語を彦六が移植

上方落語の切りネタ(大ネタ)「莨の火」を昭和12年に八代目林家正蔵(彦六)が二代目桂三木助の直伝で覚え、東京に移植したものです。

正蔵(当時は三遊亭円楽)は、このとき「唖の釣り」もいっしょに教わっていますが、東京風に改作するにあたり、講談速記の大立者、悟道軒円玉(1865-1940)に相談し、主人公を奈良茂の一族としたといいます。

東京では彦六以後、継承者はいません。

上方版モデルは廻船長者

本家の上方では、初代桂枝太郎(1866-1927)が得意にしました。地味ながら現在でもポピュラーな演目です。

上方の演出では、主人公を、和泉佐野の大物廻船業者で、菱垣廻船の創始者飯一族の「和泉の飯のあばれだんな」で演じます。和泉佐野は古く、戦国時代末期から、畿内の廻船業の中心地でした。

飯は屋号を唐金屋といい、元和年間(1615-24)に、江戸回り航路の菱垣廻船で巨富を築き、寛文年間(1661-73)には廻船長者にのし上がっていました。

鴻池は新興のライバルで、東京版で主人公が「奈良茂の一族」という設定だったように、上方でも飯のだんなが鴻池の親類とされていますが、これは完全なフィクションのようです。

上方の舞台は、大坂北新地の茶屋綿富となっています。

江戸の料理茶屋

宝暦から天明年間(1751-89)にかけて、江戸では大規模な料理茶屋(料亭)が急速に増え、文化から文政年間(1804-30)には最盛期を迎えました。

有名な山谷の懐石料理屋八百善は、それ以前の享保年間(1716-36)の創業です。文人墨客の贔屓を集めて文政年間に全盛期を迎えています。

日本橋浮世小路の百川、向島の葛西太郎、洲崎の升屋などが一流の有名どころでした。

江戸のバンダービルト

奈良茂は江戸有数の材木問屋でした。初代奈良屋茂左衛門(?-1714)は、天和3年(1683)、日光東照宮の改修用材木を一手に請け負って巨富を築き、その豪勢な生活ぶりは、同時代の紀伊国屋文左衛門と張り合ったものです。初代の遺産は十三万両余といわれ、霊岸島に豪邸を構えて孫の三代目茂左衛門源七の代まで栄えました。その後、家運が徐々に衰えましたが、幕末まで一流店として存続しました。

【語の読みと注】
欝金 うこん
駕籠 かご
肴 さかな
奈良茂 ならも
菱垣廻船 ひがきかいせん
百川 ももかわ

【RIZAP COOK】

大どこの犬 おおどこのいぬ 演目

自宅で始めて、年収1,300万円以上が可能

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動物が主人公の上方噺。大富豪に飼われていた犬の物語です。

別題:鴻池の犬(上方)

【あらすじ】

日本橋石町の、さる乾物屋で、朝、表戸を開けようとすると、なにかが引っ掛かっているのか、開かない。

小僧が裏口から回って見てみると、戸袋のところに箱が置いてあり、中には白と黒とぶちの犬の赤ん坊。

川の中に放り込んでも寝覚めが悪いから、飼ってやることにしたが、そのうち、黒いのを小僧が大変かわいがり、兄弟同然にして育てた。

ある日、商人風の男が尋ねてきて、主人にお宅の黒犬を譲ってほしいと、五両差し出す。

飼い主の小僧は品川に使いに行って留守なので、一日返事を待ってもらったが、翌日の昼、男がやってきても小僧はまだ戻らない。

これ以上引き延ばすことはできないので、事情によっては独断で決めようと主人がわけを尋ねた。

男は大坂鴻池の、東京の出店の者。

主人の坊ちゃんがかわいがっていた黒犬が死んだので代わりを探しているが、その犬は熊そっくりに喉に月の輪型の差し毛があり、そっくりなのがなかなか見つからずに困っていたところ、たまたま、ご当家の犬が同じ所に同じ形の月の輪があるのを見てお願いにあがった、決して殺して生き血を取るというような料簡はなく、大坂へ連れて帰って坊ちゃんの遊び相手をするだけだから、ぜひ譲ってほしいと事を分けて頼むので、主人も、鴻池のような大家にもらわれれば、クロもぜいたくができ、出世だからと、その場で承知して犬を引き渡す。

大坂にもらわれたクロは、下にも置かず大切にされ、エサがいいせいか、毛もつやつやとして、体もずんずん大きくなった。

いつしか近所の犬どものボスになり、「鴻池のクロ」といえば知らぬ者はないぐらいのはぶり。

ある日、クロが門前で日向ぼっこをしていると、見慣れない、みすぼらしい灰色の犬がよたよたと現れる。

おっそろしく汚いので
「てめえは何者だ」
「へえ、このへんに鴻池のクロさんてえ方が」
「クロはオレだ」
「あっ、兄さん、お懐かしゅうございます」

よく見ると、犬は末の弟のシロ。

兄弟感激して対面をして、わけを尋ねると、自分がもらわれた後、それを知った小僧が大変に怒って、腹いせにシロと中の弟のブチは家を追いだされた、という。

二匹で食うや食わず、掃き溜めでゴミあさりをしていた。

突然、野犬狩りの太い棒が飛んできて、ブチは
「キャーン」
と言ったのが、この世の別れ。

シロは一匹になって、上の兄貴を頼ろうと艱難辛苦の末、ボロボロになって大坂にたどり着いたとやら。

聞いたクロ、
「オレに任せておけばもう心配いらねえ。エサはゲップが出るほどもらえるし、オレの犬小屋は人間サマが寝られるくらい広いから、二、三匹来たって驚きゃしねえ、大船に乗った気でいろ」
と請け合い、
「クーロ、クロクロクロクロ」
と呼ばれるたびに、鯛だのカステラだのを、弟に持ってきてやる。

シロは食べたことのないものばかりで、目をシロクロ。

また
「クーロ、クロクロ」
と兄貴が呼ばれたから、今度はどんなものを持ってくるかと期待して待っていると、今度はしおしおと手ぶらで、
「坊ちゃんのオシッコだった」

【しりたい】

上方落語の逆輸入版

原話は、安永2年(1773)刊の笑話本『聞上手』中の「犬のとくゐ」。 

これは、オチを含む後半部分の原型で、黒とブチ、二匹の犬の会話になっています。「黒こいこい」と呼ぶ声がするので、何かエサでももらえるのだろうとブチに促されて黒が行ってみると、「子供の小便だった」というたわいないもので、これは、上方で子供に小便させる時の「クロクロクロ」(またはシーコイコイ)を利かせたものです。

この原話を含む笑話本は、江戸のものですが、落語としては上方で、「鴻池の犬」として磨かれました。

桂米朝は「題名を明かさずに演じた方が、初めの捨て子のくだりがおもしろい」と述べています。オチは、今では「クロクロ」がわかりにくいので、米朝は「コイコイコイ」とやっています。

東京版は「彦六十八番」

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明治30年(1897)ごろ、初代三遊亭円左が東京に「逆輸入」しました。円左は大阪のものをそのままやっていましたが、のちに三代目三遊亭円馬が「大どこの犬」と改題して東京風に演じ直し、鴻池を岩崎、犬が最初に拾われる場所を、大坂南本町から江戸日本橋石町と変えました。

円馬の芸の愛弟子だった八代目桂文楽は手掛けることなく、東京では戦後、上方の桂文次郎直伝のものを八代目林家正蔵(彦六)が再構成し、十八番にしました。

正蔵は、もらわれ先を再び大坂鴻池に戻し、犬がはるばると東海道を下っていくことにして、噺に奥行きとスケールを出していました。その没後は、三遊亭円窓が継承して演じるほか、最近は、地味ながらアットホームな一種の人情譚として若手の高座にも取り上げられているようです。

鴻池善右衛門

鴻池の始祖新六は、講談で名高い山中鹿之助の次男と伝えられます。

その子、初代善右衛門が、摂津鴻池村で造り酒屋を営んだことから家名がつき、初代は海運業に進出する傍ら、明暦2年(1656)、大坂内久宝寺町に両替屋を開き、延宝2年(1674)、現在の大阪市東区今橋2丁目に本拠を移しました。

以来、大名貸しや新田開発などで巨富を築き、「今橋の鴻池」といえば、全国どこでも富豪の代名詞で通るほどになりました。

上方落語では「三十石」「莨の火」「占い八百屋」などに数多くその名が出ていて、明治までで十代を数えます。

十代目善右衛門(1841-1920)は、明治10年(1877)に第十三国立銀行を設立するなど、明治大正の関西財界に君臨しました。

黒犬の生き血

難病治療に効果があると信じられました。ヨーロッパでも黒犬は魔力を持つものと見なされ、黒ミサや呪術でしばしば生贄とされていました。

大どこ

東京版のタイトルですが、大金持ちの意味です。「オオドコロ(大所)」が略されたものでしょう。「犬になるとも大どこ(所)の犬になれ」という諺があり、意味は「寄らば大樹の陰」と同じです。

【語の読みと注】
石町 こくちょう
鴻池 こうのいけ

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お神酒徳利 おみきどっくり 演目

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インチキ易で消えた徳利を探し出した(?)番頭。その後の展開が広がって。

【あらすじ】

馬喰町一丁目に刈豆屋吉左衛門という旅籠があった。

先祖が徳川家康から拝領した、銀の葵の紋付きの一対のお神酒徳利を家法にして代々伝えてきたが、大切なものなので一年一回、大晦日の煤取りの時しか出さない。

ある年の大晦日、その煤取り(大掃除)の最中に、台所に水をのみにきた番頭の善六がひょいと見ると、大切なお神酒徳利が流しに転がっている。

入れ物がないので、そばの大きな水瓶に放り込んで蓋をし、うっかり者の番頭、それっきり忘れてしまった。

店ではいよいよお神酒をあげようとすると、徳利がなくなっているので大騒ぎ。

ところが善六、帰宅して、はっと水瓶のことを思い出し、すぐ報告をと思うのだが、痛くもない腹をさぐられるのも……と困っていると、しっかり者の女房が知恵を授ける。

女房の父親がたまたま易者をしているので、それに引っかけて、筮竹はバレやすいから、商売柄、算盤をパチパチやって、ニワカ素人易者のふりをして言い当てて見せればいい、というわけ。

善六、店に戻ると、さっそく女房に言われた通り、いいかげんに易をたて、水瓶の蓋を取って徳利を「発見」してみせたので、主人は大喜び。

易の大先生だと、店中の評判になる。

たまたま宿泊していて、この評判を聞きつけたのが大坂今橋・鴻池の番頭。

「主人の十七になる娘が三年この方大病で、あらゆる名医を頼み、加持祈祷も尽くしたが効果がなく困っていたところなので、ご当家にそんな大先生がおられるなら、ぜひ大坂に来ていただきたい」
と頼む。

善六、頭を抱えるがもう遅い。

帰ってまた女房に相談すると、
「寿命のことは私にはわかりませんとかなんとかゴマかして、礼金の三十両もせしめておいで」
と尻をたたくので、不承不承、承知して、東海道を下ることとなった。

途中の神奈川宿・新羽屋源兵衛という本陣。

泊まろうとすると、家内になにやら取り込みがあるようす。

聞けば、宿泊中の薩州の侍の、密書入りの巾着が盗まれたとかで、主人が疑いをかけられて役所へひかれたという。

善六のことを聞くと、店中大喜び。

「ぜひ大先生にお願いを」
と言われて善六はゲンナリ。

もうこれまでと逃げ支度にかかった時、部屋の障子がスーっと開いて、色青ざめた女がおずおずと入ってくる。

聞くと、
「近在の百姓の娘で宿の女中をしているが、父親の病気を直したい一心からつい出来心で巾着に手を出した」
という。

「高名な易の先生が来ているというのでもう逃げられないと思い、こうして出てきた、どうぞお慈悲を」
と泣くので、善六、これぞ天運と内心ニンマリ。

威厳を取り繕って、巾着が、稲荷さまのお宮が嵐でつぶれて床板が積み重ねてある間に隠してあることをうまく聞き出し、これは稲荷の祟りだと言い繕って、巾着を首尾よく掘り出して見せたので、善六、もう神さま扱い。

女には礼金から五両与えて逃がしてやり、拝まれながら大坂へ出発した。

鴻池でも下へもおかない大歓迎。

しかし、そろそろ「仕事」にとりかからなければならないと、また気が重くなりだしたその夜、善六の夢枕に不思議な白髭の老人が立った。

これが実は、正一位稲荷大明神。

神奈川での一件以来、霊験あらたかな神社と評判で、はやりにはやって宮の造営もできたとかで、褒美として娘の「治療法」を教えてくれる。

稲荷に言われた通り、乾隅の柱四十二本目を三尺五寸掘り下げると、一尺二寸の観音像が現れたので、それを祭ると、病人はたちまち全快。

さあ、鴻池の喜びはひとかたでなく、望みの物をお礼にというので、馬喰町に旅籠を一軒持たせてもらい、繁盛した、という。

算盤占いだけに、生活がケタ違いによくなった、という話。

【しりたい】

世界中に同類の民話

上方落語のルーツ研究では右に出る者がない宇井無愁の『落語の根多』によると、日本各地の民話に類話があるばかりか、朝鮮、中国、トルコ、コーカサスにも類似した民話があるということです。

「ごくあたりまえのことが無知の目には奇蹟とうつり、世間の無知が人気者を作り出すという諷刺になっている」(同書)という英雄伝説草創のパターンは、全人類に共通しているのかもしれませんね。

演出に二つの流れ

上方落語「占い八百屋」を三代目柳家小さんが東京に移して、それが四代目、五代目へと継承された小さん系の型、五代目金原亭馬生(おもちゃ屋の、1864-1946)からの直伝で、押しも押されもせぬ十八番に仕上げた、六代目三遊亭円生の演出の二系統があります。

上のあらすじは、円生のものをテキストにしました。

三代目桂三木助のはほぼ円生通りでしたが、オチが「これも神奈川の稲荷大明神のおかげだね」「なあに、カカア大明神のおかげだ」となっています。

大阪、小さん系はいたずらから

小さんの方は前半が異なり、上方の通りで主人公は八百屋。

出入り先のお店で女中をからかってやろうとわざと徳利の片割れを水がめに隠しますが、ゲンが悪いと大騒ぎになって言い出せなくなり、やむなく算盤占いで……というのが発端です。ここでは徳利は貴重品でも何でもありません。

在所の弟の訴訟事を占ってほしいという主人の頼みで三島宿(大阪では明石宿)まで出かけ、途中の宿屋で頼まれた泥棒探しを運良く解決したものの、たちまち近在から依頼が殺到。たまらなくなって逃走し、「今度は先生が紛失した」というオチです。

類話「出世の鼻」とのかかわり

「出世の鼻」(別題「鼻利き源兵衛」)という噺は、「お神酒徳利」に似ていますが、別話です。

主人公の八百屋が、ソロバン占いの代わりに、紛失物のにおいを鼻で嗅ぎ出すという触れ込みで、幸運にも大金持ちに成り上がるという異色作です。

馬喰町の旅籠

「宿屋の富」でも記しましたが、日本橋馬喰町は江戸随一の宿屋街で、東海道筋からの旅人はもとより、江戸に全国から集まった「お上りさん」はほとんど、ここの旅宿にワラジを脱ぎました。

「八十二軒御百姓宿」といい、幕府公認、公許の旅籠街で、大坂では、高津がこれにあたります。

この場合の「百姓(ひゃくせい)」は「万民、人民」というほどの意味です。

大きく分けて、百姓宿と旅人宿がありました。

百姓宿は公事宿(くじやど)で、訴訟・裁判のために上京する者を専門に泊め、勘定奉行所の監督下で必要書類の作成など、事務手続きも代行しました。

旅人宿は、公事宿の機能をを兼ねる旅籠もありましたが、主に一般の旅人を宿泊させました。

ただし、こちらは町奉行所の管轄下で、怪しい者、手配の犯人が潜伏していないかなど、客を監視して逐一お上に通報する義務を負っていたところが、「公許」の旅籠街たるところです。

馬喰町の旅籠は「宿屋の仇討ち」にも登場します。

円生の噺中の「刈豆屋吉左衛門」は馬喰町の総取締で、実在しました。

五代目小さんのくすぐり

●八百屋が宿の待遇に文句をつけて

「客が着いたら、女房に閨房(けいぼう、つまりベッド)のお伽(とぎ、=お相手)をさせましょうくらい言え」