どうぐや【道具屋】演目

【RIZAP COOK】

 ご存じ、与太郎の商売。屑物売りで抱腹絶倒の笑い話が生まれます。

別題:道具の開業 露天の道具屋

あらすじ

神田三河町の大家、杢兵衛の甥の与太郎。

三十六にもなるが頭は少し鯉のぼりで、ろくに仕事もしないで年中ぶらぶらしている。

この間、珍しくも商売気を出し、伝書鳩を売ったら、自分の所に帰ってくるから丸もうけだとうまいことを考えたが、鳥屋に帰ってしまってパー、という具合。

心配したおじさん、自分が副業に屑物を売る道具屋をやっているので、商売のコツを言い聞かせ、商売道具一切を持たせて送り出す。

その品物がまたひどくて、おひなさまの首が抜けたのだの、火事場で拾った真っ赤に錆びた鋸だの、はいてひょろっとよろけると、たちまちビリッと破れる「ヒョロビリの股引き」だので、ろくなものがない。

「元帳があるからそれを見て、倍にふっかけて後で値引きしても二、三銭のもうけは出るから、それで好きなものでも食いな」
と言われたので、与太郎、早くも舌なめずり。

やってきたのが蔵前の質屋、伊勢屋の脇。

煉瓦塀の前に、日向ぼっこしている間に売れるという、昼店の天道干しの露天商が店を並べている。

いきなり
「おい、道具屋」
「へい、なにか差し上げますか」
「おもしれえな。そこになる石をさしあげてみろい」

道具屋のおやじ、度肝を抜かれたが、ああ、あの話にきいている杢兵衛さんの甥で、少し馬……と言いかけて口を押さえ、品物にはたきをかけておくなど、商売のやり方を教えてくれる。

当の与太郎、そばのてんぶら屋ばかり見ていて、上の空。

最初の客は、大工の棟梁。

釘抜きを閻魔だの、ノコが甘いのと、符丁で言うからわからない。

火事場で拾った鋸と聞き、棟梁は怒って行ってしまう。

「見ろ、小便されたじゃねえか」

つまり、買わずに逃げられること。

次の客は隠居。

「唐詩選」の本を見れば表紙だけ、万年青だと思ったらシルクハットの縁の取れたのと、ろくな代物がないので渋い顔。

毛抜きを見つけて髭を抜きはじめ、
「ああ、さっぱりした。伸びた時分にまた来る」

その次は車屋。

股引きを見せろと言う。

「あなた、断っときますが、小便はだめですよ」
「だって、割れてるじゃねえか」
「割れてたってダメです」

これでまた失敗。

お次は田舎出の壮士風。

「おい、その短刀を見せんか」

刃を見ようとするが、錆びついているのか、なかなか抜けない。

与太郎も手伝って、両方からヒノフノミィ。
「抜けないな」
「抜けません」
「どうしてだ」
「木刀です」

しかたがないので、鉄砲を手に取って
「これはなんぼか」
「一本です」
「鉄砲の代じゃ」
「樫です」
「金じゃ」
「鉄です」
「ばかだな、きさま。値じゃ」
「音はズドーン」

底本:五代目柳家小さん

【RIZAP COOK】

しりたい

円朝もやった  【RIZAP COOK】

古くからある小咄を集めてできたものです。

前座の修行用の噺とされますが、初代三遊亭円朝の速記も残っています。「大」円朝がどんな顔でアホの与太郎を演じたのか、ぜひ聴いてみたかったところです。

切り張り自在  【RIZAP COOK】

小咄の寄せ集めでどこで切ってもよく、また、新しい人物(客)も登場させられるため、寄席の高座の時間調整には重宝がられます。したがって、オチは数多くあります。

明治の初代三遊亭円遊のは、小刀の先が切れないので負けてくれと言われ、「これ以上負けると、先だけでなく元が切れない(=原価割れ)」というものです。

そのほか、隠居の部分で切ったり、小便されたくだりで切ることもあります。侍の指が笛から抜けなくなり、ここぞと値をふっかけるので「足元を見るな」「手元を見ました」というもの、その続きで、指が抜けたので与太郎があわてて「負けます」と言うと、「抜けたらタダでもいやだ」とすることも。

八代目林家正蔵(彦六)は、侍の家まで金を取りに行き、格子に首をはさんで抜けなくなったので、「そちの首と、身どもの指で差っ引きだ」としていました。

天道干し  【RIZAP COOK】

てんとうぼし。露天の古道具商で、昼店でむしろの上に古道具、古書、荒物などを敷き並べただけの零細な商売です。

実態もこの噺に近く、ほとんどゴミ同然でロクなものがなかったらしく、お天道さまで虫干しするも同様なのでこの名がつきました。品物は、古金買いなどの廃品回収業者から仕入れるのが普通です。

こうした露天商に比べれば、「火焔太鼓」の甚兵衛などはちゃんとした店舗を構えているだけ、ずっとましです。

くすぐりあれこれ  【RIZAP COOK】

与太郎が伯父さんに、ねずみの捕り方を教える。
「わさびおろしにオマンマ粒を練りつけてね、ねずみがこう、夜中にかじるでしょ。土台がわさびおろしだからねずみがすり減って、朝には尻尾だけ。これがねずみおろしといって」

三脚を買いに来た客に。
「これがね、二つ脚なんで」
「それじゃ、立つめえ」
「だから、石の塀に立てかけてあるんです。この家に話して、塀ごとお買いなさい」

五代目柳家小さんでは、隠居が髭を剃りながら与太郎の身の上を
「おやじの墓はどこだ」
まで長々聞く。

これを二回繰り返し、与太郎がそっくり覚えて先に言ってしまうという、「うどんや」の酔っ払いのくだりと同パターンのリピートくすぐり。

弓と太鼓で「どんかちり」  【RIZAP COOK】

意外なことですが、落語には「弓矢」があまり出てきません。刀剣と違って弓矢は、町民には縁遠いものだったのでしょうか。ところが、浅草などの盛り場には「土弓場」という店がありました。土を盛ったあづちに掛けた的を「楊弓」で射る遊びを客にさせる店です。

土弓場は、寛政年間(1789-1801)には「楊弓場」と混同していました。土弓場は「矢場」とも。客を接待する店の女はときに売春もしました。男たちは弓よりもこっちが目的だったのですね。この女たちを「矢場女」「土弓むす」「矢取り女」などと呼びました。

店はおしなべて、寺社仏閣の境内に設けた「葭簀張り」にあったそうです。葭簀張りというのは「ヒラキ」といわれていた、簡易な遊芸施設です。葭簀張りというのがその施設名だったのです。明治中頃まで栄えていました。

土弓場は「どんかちり」とも呼ばれていました。店でつるした的の後ろに太鼓をつるし、弓が的に当たると後ろの太鼓が「かちり」と鳴り、はずれると「どん」と鳴るため、二つ合わせて「どんかちり」と。転じて、歌舞伎囃子でも「どんかちり」と呼びました。弓と太鼓は性的な連想をたやすく膨らませてくれます。

土弓場へ けふも太鼓を 打ちに行き   十三30

江戸人はこうも暇だったのでしょうか。今なら駅前のパチンコ店に繰り出すようなものでしょう。もうそれもないか。吉原に行くには少々覚悟がいるような手合いが、安直に出入りできる遊び場だったと想像できます。

混同された「楊弓」についても記しておきます。

こちらは、長さ2尺8寸(約85cm)の遊び用の小弓のことです。古くは楊柳、つまりはやなぎの木でつくっていたからだそうです。雀を射ることもあったため、雀弓とも呼ばれていました。

唐の玄宗が楊貴妃と楊弓をたのしんだ故事があります。そこで江戸の人は、楊弓は中国から渡来したものと思っていました。いずれにしても、9寸(約27cm)の矢を、直径3寸(約9cm)の的に向けて、7間半(約13.5m)離れて座ったまま射る遊びです。

その歴史は古く、平安時代には子供や女房の遊び道具でした。室町時代でも公家の遊び道具で、七夕行事にも使われたそうです。江戸時代になると、広く伝わって各所で競技会も開かれました。

寛政年間(1789-1801)には、寺社の境内や盛り場に「楊弓場」が登場。これは主に上方での呼称だったようです。江戸ではこの頃になると「土弓場」と混同されていきます。江戸では「矢場」とも呼ばれて、土弓場とごちゃごちゃに。

金紙張りの1寸の的、銀紙張りの2寸の的などを使って、賭け的遊びもしたそうですが、賭博までは発達しなかったといいます。理由は安易に想像できます。モノの出来具合がヤワで粗末だったからでしょうね。

それよりも、矢場は矢取り女という名の私娼の表看板になっていきました。男たちの主眼はこっちに移ったのです。江戸の遊び人は女性の陰部を的にたとえてにんまりしたわけです。となると、上の川柳も意味深です。

【語の読みと注】
神田三河町 かんだみかわちょう
杢兵衛 もくべえ
万年青 おもと
値 ね
お天道さま おてんとうさま:太陽
土弓場 どきゅうば
雀弓 すずめゆみ
楊弓場 ようきゅうば

【RIZAP COOK】

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ふだんのはかま【ふだんの袴】演目

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「おうむ」というジャンルの噺。付け焼き刃が次第にばれて。噺家の技の見せどころ。

【あらすじ】

上野広小路の、御成街道に面した小さな骨董屋。

ある日、主人が店で探し物をしていると、顔見知りの身分の高そうな侍がぶらりと尋ねてきた。

この侍、年は五十がらみ、黒羽二重に仙台平の袴、雪駄履きに細身の大小を差し、なかなかの貫禄。

谷中へ墓参の帰りだという。

出された煙草盆でまずは悠然と一服するが、煙草入れは銀革、煙管も延打で銀無垢という、たいそうりっぱなもの。

そのうち、ふと店先の掛け軸に目を止めた。

「そこに掛けてある鶴は、見事なものだのう」
「相変わらずお目が高くていらっしゃいます。あたくしの考えでは文晁と心得ますが」
「なるほどのう、さすが名人じゃ」

惚れ惚れと見入っているうち、思わず煙管に息が入り、掃除が行き届いているから、火玉がすっと抜けて、広げた袴の上に落っこちた。

「殿さま、火玉が」
と骨董屋が慌てるのを、少しも騒がず払い落とし
「うん、身供の粗相か。許せよ」
「どういたしまして。お召物にきずは?」
「いや、案じるな。これは、いささかふだんの袴だ」

これを聞いていたのが、頭のおめでたい長屋の八五郎。

侍の悠然としたセリフにすっかり感心し、自分もそっくりやってみたくなったが、職人のことで袴がない。

そこで大家に談判、ようやくすり切れたのを一丁借りだし、上は印半纏、下は袴という珍妙ななりで骨董屋へとやってくる。

さっそく得意気に一服やりだしたはいいが、煙管は安物のナタマメ煙管、煙草は粉になっている。

それでもどうにか火をつけて
「あの隅にぶる下がってる鶴ァいい鶴だなあ」
「これはどうも、お見それしました。文晁と心得ますが」
「冗談言うねえ。文鳥ってなあ、もうちっと小さい鳥だろ。鶴じゃねえか」

これで完全に正体を見破られる。

本人、お里が知れたのを気づかずに、さかんに、いい鶴だいい鶴だとうなりながら煙草をふかすが、煙管の掃除をしていないから火玉が飛び出さない。

悔しがってぷっと吹いた拍子に、火玉が舞い上がって、袴に落ちないで頭のてっぺんへ。

「親方、頭ィ火玉が」
「なあに心配すんねえ。こいつはふだんの頭だ」

【RIZAP COOK】

【しりたい】

発掘は彦六   【RIZAP COOK】

原話は不詳で、古い速記はありませんが、八代目林家正蔵(彦六)が、二つ目時代に二代目蜃気楼龍玉(1867-1945)門下の龍志から教わり、その型が五代目柳家小さんに継承されました。

八代目春風亭柳枝も持ちネタにし、柳枝の最後の弟子だった、三遊亭円窓が復活して手掛けています。

御成街道  【RIZAP COOK】

おなりかいどう。神田の筋違御門(万世橋)から上野広小路にかけての道筋で、現在の中央通りです。将軍家が上野寛永寺に参詣するルートにあたり、この名が付きました。上野広小路寄りの沿道には、刀剣や鎧兜などを扱う武具商が軒を並べていました。

仙台平  【RIZAP COOK】

せんだいひら。主に袴地に使われます。仙台平の袴は武家の正装用で絹地の最高級品。「平」とは、たていと(経)とよこいと(緯)を交互に織り込む手法で「平織り」を略した言い方です。武家以外にも、富裕層の町人も使いました。一般には、5月5日(端午)から8月末日まで一重袴として使いました。9月1日から5月4日までは裏地付きの袷袴でした。五つのひだの筋が崩れずに美しさを保ち、派手でもないので、気品と落ち着きが漂う装いです。

八五郎が借りたのは、小倉木綿です。結城木綿とともに実用使いでした。剣術の稽古袴での小倉木綿は「駄小倉」と呼ばれていました。「三軒長屋」の楠運平が履くのが駄小倉です。

江戸詰め藩士などは、社交上、装飾を施した細身の刀を身につけました。

延打  【RIZAP COOK】

のべ。雁首と吸口が同じ材料でできた煙管です。落語や歌舞伎では、演じる人物の階級で煙管の持ち方が異なります。殿さまは中ほどを握って水平に構え、武士や町人はやや雁首近くを握って下向き。百姓は雁首そのものをつかむ、など。

文晁  【RIZAP COOK】

ぶんちょう。江戸後期の文人画家・谷文晁(1763-1840)のこと。洋画の技法を取り入れた独自の画風で知られ、渡辺崋山の師匠でもありました。三遊亭円朝の後期の作に「谷文晁の伝」があります。

五代目小さんのくすぐりより  【RIZAP COOK】

大家が、店賃を持ってきたかと勘違いすると八「そこが欲の間違えだ」

大家が、一昨年貸した鳴海絞りの浴衣をまだ返さないといやみを言うと、八「留んとこで子供が生まれたんで、『こんなボロでよけりゃ』ってやっちゃった。あの子が大きくなりゃあ、オシメはいらなくなるから、そんとき返しに…」

八五郎が骨董屋で、「今日は墓参りで、供の者にはぐれて…」とやりはじめると、親父が「この方がお供みてえだ」

【語の読みと注】
御成街道 おなりかいどう
仙台平 せんだいひら
袷袴 あわせばかま
煙草入れ たばこいれ
煙管 きせる
延打 のべ
文晁 ぶんちょう
筋違御門 すじかいごもん

【RIZAP COOK】

しんぶつろん【神仏論】演目

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これは珍しい。日本にもあったらしい、宗教戦争のお話。

別題:神道の茶碗 新渡の茶碗

あらすじ

石町新道で、骨董屋を営む夫婦。

かみさんが一向宗、亭主が神道の熱心な信者。

朝起きると亭主が
「天照皇大神宮、春日大明神、住吉大明神」
と唱えれば、かみさんは
「南無阿弥陀仏、ナムアミダブツ」

そんなことだから、家の中はのべつ宗教戦争。

夏に亭主がノミを捕まえ、
「こいつは人の血を盗む憎い奴だから死罪に処するが、ひねりつぶしても生き返るし、火にくべれば神棚を穢すからハリツケにする」
と言うのを、女房がだまして逃がしてしまったから、また一騒動。

「生き物の命を取るのは、殺生戒を破るからいけない」
とかみさんはいう。

「盗みなら、あなたの方がよっぽど」
「オレがなにを盗んだ」
「あなた、二、三日前に女中のお初のところに夜這いに行ったじゃありませんか。ああいうのを豆泥棒といいます」

釈迦が自分の股の肉を削いで鷹に与え鳩を助けたという故事を長々と並べ立て
「このハゲ頭。ちっとはお慎みなさい」
と、やっつけるものだから、亭主は頭にきて、
「日本は神国、このありがたい国に生まれながら天竺の仏を祟めるのはけしからん」
と、反撃開始。

古事記の国生み神話の講釈を並べるうちに、だんだん脱線。

「八百屋お七を見ろ。宗旨が法華だから、七字の題目の頭を取って親がお七と名付けたが、あの通り火あぶりになった。法華の餓鬼は火あぶりになるんだ。梅川忠兵衛の浄瑠璃を聞いたか。忠兵衛は一向宗の門徒で、あの通り引回しの上、獄門だ」

しだいにエスカレートし、ついに亭主が女房の胸ぐらを取って、実力行使。

「アーレー、喉の仏さまが痛い」
「人の体に仏があってたまるか」

ポカポカと殴る。

あわてて女中が止めに入っていったんは収まったが、女房、お茶を一杯飲んで
「あつつつ、これお竹、熱いじゃないか。喉の仏様を火傷したよ」
と言うと、亭主、
「ざまあ見やがれ。喉仏を火傷するはずだ。茶碗が新渡(しんとう=神道)だもの」

底本:四代目春風亭柳枝

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うんちく

豆泥棒、梅川忠兵衛など 【RIZAP COOK】

夫婦げんかの言い合いに登場する言葉のうち、昔はごく普通の日常語として使われていた言い回しや故事も、現在では外国語のスラング並みに、ほとんど注釈がいるハメになりました。

●「豆泥棒」は、間男または夜這いのこと。

●「釈迦が、自分の股の肉を削いで……」は、インドの釈迦転生説話「ジャータカ物語」が原典。

●「梅川忠兵衛」は、近松門左衛門作の「冥途の飛脚」、菅専助作「けいせい大和飛脚」の主人公。現在でもよく歌舞伎・文楽で上演される、悲劇のカップルです。

骨董屋と道具屋 【RIZAP COOK】

ともに古物商ですが、一般に骨董屋は高級品で古美術品に近いものまで扱いました。

道具屋になると、「火焔太鼓」「道具屋」に登場するようにかなりインチキくさいものまで売っていて、「キリ」の方になると、店舗を持たない露天商も多かったわけです。

新渡 【RIZAP COOK】

この噺の別題でもありますが、オチのダジャレのタネだけに、あらかじめ説明しておかないと、現在ではどうにもなりません。

新渡は古物商の用語で、外国(古くはおもに中国)から江戸時代以後に渡来した品物のこと。

ちなみに、室町時代以前の渡来物を「古渡(ことう、こわたり)」、その中間の室町、戦国、安土桃山時代のものを「中渡」と呼びました。

師弟の因縁 【RIZAP COOK】

この四代目春風亭柳枝は、のち隠居名・華柳を名乗りましたが、昭和2年4月20日、NHKのラジオ出演中に脳溢血で倒れ、そのままなくなりました。享年58歳。

ところが、32年後の昭和34年9月23日、この人の弟子でだった八代目柳枝が、やはり同じようにラジオ放送中に、師匠とまったく同じ脳出血で人事不省に陥り、同年10月8日に死去。

オカルトめいたことを連想させる、因縁話です。

原話は不詳 【RIZAP COOK】

原話はまったく不祥で、明治以後は口演記録もなく、まったくすたれた噺です。別題を「神道の茶碗」「新渡の茶碗」とも。

四代目春風亭柳枝が小柳枝時代の明治31年(1898)3月、雑誌『百花園』に載せた速記が、現存する唯一の記録です。柳枝は明治中期から昭和の初めにかけて、品格のある芸風で一家をなした人です。

演者がマクラで、「腹の中へ大事に仕舞って置きましたのを、お勧めに委(まか)して申し上げます」と断っているので、あるいはこの人の若いころの創作かもしれません。

明治の初めはいわゆる「廃仏毀釈」の嵐が吹きすさび、神道が「ハバをきかせていた」時代なので、それを揶揄するような噺も多く生まれたと思われ、この噺も、何らかの実話をもとにしているのかも知れませんが、推測の域を出ません。

古色蒼然とはしていますが、宗教上のいがみあいというのは現在でもいたるところにあり、アレンジ次第では復活してもおもしろそうです。

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きんめいちく【金明竹】演目

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「寿限無」と並ぶ言い立ての心地よい噺。必聴です。

あらすじ

骨董屋のおじさんに世話になっている与太郎。

少々頭に霞がかかっているので、それがおじさんの悩みのタネ。

今日も今日とて、店番をさせれば、雨宿りに軒先を借りにきた、どこの誰とも知れない男に、新品の蛇の目傘を貸してしまって、それっきり。

「そういう時は、傘はみんな使い尽くして、バラバラになって使い物にならないから、焚き付けにするので物置きへ放り込んである、と断るんだ」
としかると、鼠が暴れて困るので猫を借りに来た人に
「猫は使い物になりませんから焚き付けに……」
とやった。

「ばか野郎、猫なら『さかりがついてとんと家に帰らなかったが、久しぶりに戻ったと思ったら、腹をくだして、粗相があってはならないから、またたびを嘗めさして寝かしてある』と言うんだ」

そう教えると、おじさんに目利きを頼んできた客に
「家にもだんなが一匹いましたが、さかりがついて……」

こんな調子で小言ばかり。

次に来たのは上方者らしい男だが、なにを言っているのか、さっぱりわからない。

「わて、中橋の加賀屋佐吉方から参じました。先度、仲買の弥市の取り次ぎました道具七品のうち、祐乗、光乗、宗乗三作の三所もの。並びに備前長船の則光、四分一ごしらえ横谷宗岷小柄付きの脇差し、柄前はな、だんなはんが古鉄刀木といやはって、やっぱりありゃ埋れ木じゃそうにな、木が違うておりまっさかいなあ、念のため、ちょっとお断り申します。次は、のんこの茶碗、黄檗山金明竹、ずんどうの花いけ、古池や蛙飛び込む水の音と申します。あれは、風羅坊正筆の掛け物で、沢庵、木庵、隠元禅師はりまぜの小屏風、あの屏風はなあ、もし、わてのだんなの檀那寺が、兵庫におましてな、この兵庫の坊主の好みまする屏風じゃによって、かようお伝え願います」
「わーい、よくしゃべるなあ。もういっぺん言ってみろ」

与太郎になぶられ、三べん繰り返されて、男はしゃべり疲れて帰ってしまう。

おばさんも聞いたが、やっぱりわからない。

おじさんが帰ってきたが、わからない人間に報告されても、よけいわからない。

「仲買の弥市が気がふれて、遊女が孝女で、掃除が好きで、千ゾや万ゾと遊んで、しまいに、ずんどう斬りにしちゃったんです。小遣いがないから捕まらなくて、隠元豆に沢庵ばっかり食べて、いくら食べてものんこのしゃあ。それで備前の国に親船で行こうとしたら、兵庫へ着いちゃって、そこに坊さんがいて、周りに屏風を立てまわして、中で坊さんと寝たんです」
「さっぱりわからねえ。どこか一か所でも、はっきり覚えてねえのか?」
「確か、古池に飛び込んだとか」
「早く言いなさい。あいつに道具七品が預けてあるんだが、買ってったか」
「いいえ、買わず(蛙)です」

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しりたい

ネタ本は狂言 【RIZAP COOK】

前後半で出典が異なり、前半の笠を借りに来る部分は、狂言「骨皮」をもとに、初代石井宗淑(?-1803)が小咄「夕立」としてまとめたものをさらに改変したとみられます。

類話に享和2年(1802)刊の十返舎一九作『臍くり金』中の「無心の断り」があり、現行にそっくりなので、これが落語の直接の祖形でしょう。

一九はこれを、おなじみ野次喜多の『続膝栗毛』にも取り入れています。「夕立」との関係は、「夕立」が著者没後の天保10年(1839)の出版(『古今秀句落し噺』に収録)なので、どちらがパクリなのかはわかりません。

後半の珍口上は、初代林家(屋)正蔵(1781-1842)が天保5年(1834)に自作の落語集『百歌撰』中に入れた「阿呆の口上」が原話で、これは与太郎が笑太郎となっているほかは弥市の口上の文句、「買わず」のオチともまったく同じです。

前半はすでに文化4年(1807)の喜久亭寿曉の落語ネタ帳『滑稽集』に「ひん僧」の題で載っているので、江戸落語としてはもっとも古いものの一つですが、前後半を合わせて「金明竹」として一席にまとめられたのは明治維新後と思われます。

「骨皮」と「夕立」 【RIZAP COOK】

骨皮 シテが新発意(しんぼち=出家間もない僧)でワキが住職。檀家の者が寺に笠を借りに来るので、新発意が貸してやり、住職に報告したところ、ケチな住職が「辻風で骨皮バラバラになって貸せないと断れ」としかる。次に馬を借りに来た者に笠の口上で断ると、住職は「バカめ。駄狂い(発情による狂馬)したと断れ」。今度はお経を頼みに来た者に、「住職は駄狂い」と断ったので、聞いた住職が怒り狂い、新発意が、お師匠さまが門前の女とナニしているのは「駄狂い」だと口答えして大ゲンカになる筋立て。

ボタンの掛け違いの珍問答は、民話の「一つ覚え」にヒントを得たとか。

夕立 主人公(与太郎)は権助、ワキが隠居。笠、猫と借りに来るくだりは現行と同じです。三人目が隠居を呼びに来ると、「隠居は一匹いますが、糞の始末が悪いので貸せない」。隠居が怒って「疝気が起こって行けないと言え」と教えると次に蚊いぶしに使う火鉢を借りにきたのにそれを言い、「どこの国に疝気で動けない火鉢がある」と、また隠居がしかると権助が居直って「きんたま火鉢というから、疝気も起こるべえ」

石井宗淑は医者、幇間、落語家を兼ねる「おたいこ医者」で、長噺の祖といわれる人。

東京に逆輸入 【RIZAP COOK】

この噺、前半の「骨皮」の部分は、純粋な江戸落語のはずながらなぜか幕末には演じられなくなっていて、かえって上方でよく口演されました。

明治になって、それがまた東京に逆輸入され、後半の口上の部分が付いてからは、四代目橘家円喬、さらに三代目三遊亭円馬が得意にしました。

円喬は、特に弥市の京都弁がうまく、同じ口上を三回リピートするのに、三度とも並べる道具の順序を変えて演じたと、六代目円生が語っています。

代表的な前座の口慣らしのための噺として定着していますが、戦後は五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭円生、三代目三遊亭金馬など、多数の大看板が手掛け、現在に至っています。

中でも金馬は、昭和初期から戦後にかけ、流麗な話術で「居酒屋」と並び十八番としました。

CDは三巨匠それぞれ残っていて、柳家小三治のもありますが、口上の舌の回転のなめらかさでは金馬がピカ一だったでしょう。志ん生は、前半部分を再び独立させて演じ、後半はカットしていました。

祐乗 【RIZAP COOK】

ゆうじょう。後藤祐乗(1440-1512)は室町時代の装剣彫刻の名工です。足利義政の庇護を受け、特に目貫にすぐれた作品が多く残ります。

光乗 【RIZAP COOK】

こうじょう。後藤祐乗の曾孫(1529-1620)です。やはり名工として織田信長に仕えました。

長船 【RIZAP COOK】

おさふね。鎌倉時代の備前国の刀工長船氏で、祖の光忠以下、長光、則光など、代々名工を生みました。

宗珉 【RIZAP COOK】

そうみん。横谷宗珉(1670-1733)は江戸時代中期の金工で、絵画風彫金の考案者。小柄や獅子牡丹などの絵彫を得意にしました。

金明竹 【RIZAP COOK】

福建省原産の黄金色の名竹です。黄檗山万福寺から日本に渡来し、黄檗宗の開祖となった隠元禅師(1592-1673)が、来日して宇治に同名の寺を建てたとき、この竹を移植し、それが全国に広まりました。観賞用、または筆軸、煙管のらおなどの細工に用います。

隠元には多数の工匠が同行し、彫刻を始め日本美術に大きな影響を与えましたが、金明竹を使った彫刻もその一つです。

漱石がヒントか 【RIZAP COOK】

「吾輩は猫である」の中で、二絃琴の師匠の飼い猫、三毛子の珍セリフとして書かれている「天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘」は、落語マニアで三代目小さんや初代円遊がひいきだった漱石が「金明竹」の言い立てからヒントを得たという、半藤一利氏の説があります。落語にはこの手のギャグはかなりあり、なんとも言えません。

【語の読みと注】
目貫 めぬき:刀の目釘に付ける装身具
小柄 こづか
隠元 いんげん
黄檗山 おうばくさん

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