転失気 てんしき 演目

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知ったかぶりすると、ほれ、こんな具合におもしろく。

【あらすじ】

在所の住職。

知ったかぶりで負けず嫌いだから、知らないことを認めたがらない。

ある日、下腹が張って医者を呼んだ時
「てんしきはありますか」
と聞かれ、わからないとは言えないのでしかたなく
「はい」
と答えてしまった。

悔しいので小僧の善長に
「花屋に行って爺さんに、てんしきを借りてこい。もしなかったら隠居のところに行け」
と、言いつける。

花屋もなんだかわからないが、これも同じように負けず嫌いなので
「惜しいことをした。この間二つ三つあったが、もう温かくなってあんまり使わないから、親類に貸してしまった」
と、ごまかす。

隠居の家に行くと、これも知らない。

「いらないものだから台所の隅に放っておいたが、鼠が棚から落として掃きために捨ててしまったよ」

しかたなく帰って和尚に報告したが、善長も気になって
「和尚さん、その『てんしき』ってなんですか? 見たことがありません」

和尚は返答に困るが、
「ばか野郎。そんなことを知らないでどうする。わしが教えてやるのはわけはないが、おまえは遊びにばかり気がいって、すぐ忘れてしまう。先生のところに薬を取りに行って、自分の腹から出たようにちょっと聞いてこい」
と、送り出す。

医者は
「『てんしき』というのは『傷寒論』の中にある。転び失う気、と書いて転失気だ。オナラのことだよ」
「オナラってのはなんです? どういう形で?」
「形はない。屁のことだ」
「屁ってえと、あのプープー、へえ、あれのことですか」

これで、和尚も花屋も隠居も、知らないでゴマかしたことがばれた。

善長、和尚に言っても逆に説教を食うと思うから、嘘をつくことにした。

「どうした、聞いてきたか」
「へえ、てんしきとは盃のことだそうで」
「盃? うーん、そうだとも。忘れるなよ。テンは呑む、シュは酒で、キは器。これで呑酒器という」

照れ隠しに、こじつけているところに医者。

和尚、よせばいいのに見栄を張り
「お尋ねのてんしきを、今日はいろいろ用意してありますので、お目にかけます。まずは大きいてんしきを」

蒔絵の箱から秘蔵の盃を取り出して
「私はテンシキ道楽で。こっちは九谷焼のてんしきで」
「ははあ、医者の方では傷寒論の中の言葉から、屁のことを申しますが、あなたの方では盃のことをいいますか」
「さよう」
「どういうわけで?」
「盃を重ねますと、しまいいにはプープーが出ます」

底本:三代目柳家小さん

【しりたい】

有名な前座噺

「まんじゅうこわい」などとともに、落語の「代表作」の一つで、噺の筋をご存じの方も多いと思います。典型的な前座噺です。

戦後では三代目三遊亭金馬がしばしば演じました。金馬のやり方は、隠居を出さず、その代わり花屋を夫婦にして、掛け合いのくすぐりで笑わせました。門弟の二代目桂小南、孫弟子の桂文朝なども好んで手掛けました。

小僧の名は、弁長、珍念など、演者によってまちまちです。

金馬のくすぐりから

(花屋のおやじ)「もう一つは、おつけの実にして食っちゃったって、和尚さんに伝えとくれ」

わかりにくいオチ

オチの「プープー」は、今ではわかりづらくなっていますが、古い江戸ことばで、酔っ払いへの苦情、小言を意味します。「プープー」とやっている演者や速記が多いので、一応このように表記しましたが、本来「ブーブー」「ぶうぶう」が正しいのです。それを、放屁の音と引っ掛けただけの単純なものです。

傷寒論

しょうかんろん。後漢の張機(字は仲景、196-221)が著した古医書。中国医学書の最古のもの。晋の王叔和が補修し、北宋の林億が校訂したものが今に伝えられています。全16巻。

張機は長沙の太守となったのですが、一族に急性の熱病が多発し、その観察と治療の経験から、発汗、嘔吐、瀉下を対策の基本とする記録を残しました。それが『傷寒論』です。太陽病など6型に分類した記載があります。下って江戸期には、山脇東洋や吉益東洞などの古方派医師たちが、薬物療法の最重要書としてあがめてきました。古代では、病気といえば、まずは熱病だったわけですかね。

【語の読み】
転失気 てんしき
蒔絵 まきえ
傷寒論 しょうかんろん
張機 ちょうき
張仲景 ちょうちゅうけい
長沙 ちょうさ
太守 たいしゅ
王叔和 おうしゅくわ
林億 りんおく
発汗 はっかん
嘔吐 おうと
瀉下 しゃか
山脇東洋 やまわきとうよう:1705-62 江戸中期の医師 実験医学の先駆者
吉益東洞 よしますとうどう:1702-73 江戸中期の医師 万病一毒説 実験重視

短命 たんめい 演目

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美人と結婚するとろくなことがないという、ひがみ丸出しのお話です。

別題:長命 長生き

【あらすじ】

大店の伊勢屋。

養子が、来る者来る者、たて続けに一年ももたずに死ぬ。

今度のだんなが三人目。

おかみさんは三十三の年増だが、めっぽう器量もよく、どの養子とも夫婦仲よろしく、その上、店は番頭がちゃんと切り盛りしていて、なんの心配もないという、けっこうなご身分だというのに……。

先代から出入りしている八五郎、不思議に思って、隠居のところに聞きにくる。

「夫婦仲がよくて、家にいる時も二人きり。ご飯を食べる時もさし向かい。原因はそれだな」

八五郎、なんのことだかわからない。

「おまえも血のめぐりが悪い。いいかい、店の方は番頭任せ、財産もある。二人でしょっちゅう朝から退屈して、うまいもの食べて、暇があるってのは短命のもとだ」
「短命って、なんです?」
「命の短いのを短命、長ければ長命」
「じゃあなんですか、いい女だと、だんなは短命なんで?」
「まあ、そういうことかな」

早い話、冬なんぞはこたつに入る。そのうちに手がこう触れ合う。白魚を五本並べたような、透き通るようなおかみさんの手。顔を見れば、ふるいつきたくなるいい女。そのうち指先ではすまず、すーっと別の所に指が触って……。

なるほど、これでは短命にもなるというもの。

三度同じことを言わせて、ようやく納得した八五郎、ついでにお悔やみの言い方も
「悲しそうな顔で口許でぼそぼそ言っていればそれでいい」
と、教えてもらった。

家に帰ると、女房が、早くお店に行け、とせっつく。

その前に茶漬けをかき込んで、というところでふと思いつき
「おい、夫婦じゃねえか。給仕をしろやい。おい、そこに放りだしちゃいけねえ。オレに手渡してもらいてえんだ」

ブスっ面で邪険に突き出したかみさんの指と指が触れ
「顔を見るとふるいつきたくなるようないい女……。あああ、オレは長命だ」

底本:五代目柳家小さん

【しりたい】

短命

この噺のようなケースは、江戸時代には「腎虚」とされました。

つまりはアッチの方が過ぎ、精気を吸い取られてあえなくあの世行きというわけです。男の精水(山田風太郎流だと「精汁」)は「腎水」とも呼ばれ、腎臓が出所と誤って考えられていたことによります。

腎虚と内損は二大道楽病とされ、それぞれ「のむ」「打つ」がもたらす災いです。三道楽のうち、残る一つの「打つ」の結果は言うまでもなく「金欠病」ですが。

五代目古今亭志ん生の速記でも、隠居が「内損か腎虚とわれは願うなり、とも百歳も生きのびし上」と、言っています。

思わずニヤリ

昔はこの程度でも艶笑落語のうちに入り、なかなか高座には掛けにくかったといいます。現在は、ちょっと味のあるお色気噺として、普通に演じられます。

まあ、オトナの味わいというのか、以心伝心のやりとりは、むしろほほえましく、なかなかよろしいものです。

五代目古今亭志ん生、五代目小さんが得意にしていました。志ん生は、最後のかみさんとの会話にくすぐりを多く用いるなど工夫し、オチは「おめえとこうしてると、オレは長生きができる」というものでした。

オチから別題は「長命」ですが、噺の全体のプロットからしてやはり「短命」が妥当でしょう。

志ん生のくすぐりから

●その1

隠「二階へ、あの奥さんが上ってゆかァ」
八「ええ、ええ」
隠「二階には、だァれもいないやァ」
八「ええ」
隠「で、短命なんだよ」
八「二階にだァれもいないで、短命ですか」
隠「そうだよ」
八「二階から、落っこちたんですかァ」

●その2

八「え、二階に上ろうじゃねえか」
女「家にゃァ二階はないよ」
八「じゃあ、屋根へ」

【語の読み】
大店 おおだな:大商店
腎虚 じんきょ:房事過度で起こる衰弱症
精水 せいすい:精液
腎水 じんすい:精液
内損 ないそん:酒による内臓障害、主に肝の病

雑排 ざっぱい 演目

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落語と言えば、コレです。おまけつきの俳句で丁々発止のご隠居と八五郎。

別題:りん廻し[前半] 雪てん[後半]

【あらすじ】

長屋の八五郎が、横町の隠居の所に遊びに行くと、このごろ雑俳に凝っていると言う。

題を出して五七五に読み込むというので、おもしろくなって、二人でやり始める。

最初の題は「りん」。

隠居が
「リンリンと綸子(りんず)や繻子(しゅす)の振り袖を娘に着せてビラリシャラリン」
とやれば、八五郎が
「リンリンと綸子や繻子はちと高い襦袢(じゅばん)の袖は安いモスリン」

隠「リンリンとリンと咲いたる桃桜嵐につれて花はチリ(=散り)リン」
八「リンリンとリンとなったる桃の実をさも欲しそうにあたりキョロリン」「リンリンと淋病病みは痛かろう小便するたびチョビリチョビリン」

今度はぐっと風雅に「初雪」。

隠「初雪や瓦の鬼も薄化粧」
八「初雪やこれが塩なら金もうけ」

「春雨」では、八五郎の句が傑作。

「船端をガリガリかじる春の鮫」

隠居の俳句仲間が来て、この間「四足」の題で出されたつきあいができたという。

「狩人が鉄砲置いて月を見ん今宵はしかと(=鹿と)隈(=熊)もなければ……まだ天(最秀句)には上げられない」
と隠居が言うと八五郎、
「隠居さん、初雪や二尺あまりの大イタチこの行く末は何になるらん」
「うん、それなら貂(=天)だろう」

底本:初代三遊亭円遊ほか

【しりたい】

雑俳

万治年間(1658-61)に上方で始まり、元禄(1688-1704)以後、江戸を初め全国に広まった付け句遊びです。

七七の題の前に五七五を付ける「前句付け」は、「めでたくもあり めでたくもなし」の前に「門松は 冥土の旅の 一里塚」と付けるように。

五文字の題に七七を付ける「笠付け」、五文字の題を折り込む「折句」などがあり、そこから、「文字あまり」「段々付け」「小倉付け」「中入り」「切句」「尽くし物」「もじり」「廻文」「地口」など、さまざまな言葉遊びが生まれました。

俳諧で、句を添削・評価する人を「点者」といい、雑俳では、天・地・人の三段階で判定します。

柳昇の十八番

文化13年(1816)刊の笑話本『弥次郎口』中の「和歌」ほか、いくつかの小ばなしを集めてできたものです。

前半で切る場合は「りん廻し」といい、伸縮自在なので、前座噺としてもポピュラーです。

新作落語を得意とした、春風亭柳昇の数少ない古典の持ちネタの一つで、その飄逸な個性で十八番にしていました。柳昇がこの噺をやったときは、いつも爆笑の渦。あの高っ調子で鼻に抜けるような「ふなばたを……」は今も耳に残ります。

最後の「大イタチ……」の狂歌は「三尺の」となっている速記もありますが、大田蜀山人(1749-1823)作と伝わります。

高砂や たかさごや 演目

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めでたい席での「高砂や」は謡です。落語流はみょうちきりんな出来に。

別題:仲人役

【あらすじ】

八五郎が、質両替屋・伊勢久の婚礼に仲人役を仰せつかった。

伊勢久と言えば財産家。

長屋住まいの八五郎が仲人とはちと不釣り合い。

これには、わけがある。

若だんなのお供で深川不動に参詣の帰り、木場の材木町辺を寄り道した。

若だんな、そこの女にひとめぼれ。

八五郎がいっしょにいてまとまったので、ぜひ八五郎に仲人を、ということになったわけ。

八五郎、隠居の所に羽織袴を借りにきた。

ついでに仲人の心得を教えてもらい、
「仲人ともなればご祝儀に『高砂やこの浦舟に帆をあげて』ぐらいはやらなくてはいけない」
と隠居にさとされる。

謡などとは、無縁の八五郎はびっくり。

「ほんの頭だけうたえば、あとはご親類方がつけるから」
との、隠居の言葉だけをたよりに、
「とーふー」
と豆腐屋の売り声を試し声とし、なんとか、出だしだけはうたえるようになった。

隠居からは羽織を借りて、女房と伊勢久へ。

婚礼の披露宴なかばで、
「お仲人さまに、ここらでご祝儀をひとつ」
と頼まれた八五郎、いきなり
「とーふー」
と声の調子を試したあと、「高砂」をひとくさりやって、
「あとはご親類方で」
と言うと、
「親類一同不調子で、仲人さんお先に」

八五郎は泣きっつら。

「高砂やこの浦舟に帆を下げて」
「下げちゃ、だめですよ」
「高砂やこの浦舟に帆をまた上げて」
などとやっているうち、一同が巡礼歌の節で「高砂や」をうたいだす。

一同そろって「婚礼にご報謝(=巡礼にご報謝)」

底本:四代目柳亭左楽

【しりたい】

高砂

世阿弥の能で、相生(あいおい)の松と高砂の浦(兵庫県高砂市)の砂が夫婦であるという伝説に基づきます。

謡(うたい)の部分は昔から夫婦愛、長寿の理想をあらわした歌詞として有名で、「高砂」を朗々と吟詠するのは、婚礼の席の祝儀には欠かせない儀式でした。

詞章は次のとおりです。

高砂や 
この浦舟に 帆を上げて
この浦舟に 帆を上げて
月もろともに 出汐(いでしお)の
波の淡路の 島影や
遠く鳴尾の 沖過ぎて
はやすみのえに 着きにけり
はやすみのえに 着きにけり

四海(しかい)波 静かにて
国も治まる 時つ風枝を鳴らさぬ
御代(みよ)なれや

あひに相生の松こそ
めでたかれげにや仰ぎても 
事も疎(おろ)かやかかる代(よ)に住める 
民とて豊かなる君の恵みぞ 
ありがたき君の恵みぞ 
ありがたき

巡礼歌

霊場の巡礼にうたうご詠歌で、短歌体(五七五七七)です。

オチの「巡礼にご報謝」は、巡礼が喜捨を乞うときの決まり文句で、歌舞伎の「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」で、巡礼姿で笈鶴(おいづる)を背負った真柴久吉(=羽柴秀吉)が南禅寺楼門上の石川五右衛門を見上げて言うセリフで有名です。

明治以来のやり手

古い速記では、「仲人役」と題した、明治32年(1899)の四代目柳亭左楽のものが残りますが、謡が豆腐屋の売り声になるくすぐりはそれ以来、変わりません。

よくも百年以上も同じくすぐりを使い古しているものと、つくづく感心します。

その後は、昭和に入って八代目春風亭柳枝、六代目春風亭柳橋、五代目柳家小さんがよく演じました。

いずれにしても古色蒼然、若手がやりたい意欲のわく噺とも思えません。

オチの変遷

上方では、一同が謡をつけないので困って、「浦舟」にかけて「助け舟」と叫ぶオチで、古くは東京でもこのやり方だったといいます。

明治中期から、あらすじのように「巡礼にご報謝」とすることが多くなり、前述の四代目左楽もこのオチです。

しかし、最近では当然ながらこのシャレが通じなくなり、帆を上げたか下げたか忘れてしまったところで「先祖返り」して「助け舟」とすることもあるようです。

稽古屋 けいこや 演目

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音曲噺。高座だと鳴り物入りでやられます。にぎやかで珍しい噺ですね。

別題:稽古所

【あらすじ】

少し間の抜けた男、隠居のところに、女にもてるうまい方法はないかと聞きにくる。

「おまえさんのは、顔ってえよりガオだね。女ができる顔じゃねえ。鼻の穴が上向いてて、煙草の煙が上ェ出て行く」

顔でダメなら、金。

「金なら、ありますよ」
「いくら持ってんの」
「しゃべったら、おまえさん、あたしを絞め殺す」
「なにを言ってんだよ」
「おばあさんがいるから言いにくい」
というから、わざわざ湯に出させ、猫まで追い出して、
「さあ、言ってごらん」
「三十銭」

どうしようもない。

隠居、こうなれば、人にまねのできない隠し芸で勝負するよりないと、横丁の音曲の師匠に弟子入りするよう勧める。

「だけどもね、そういうとこィ稽古に行くには、無手じゃ行かれない」
「薪ざっぽ持って」
「けんかするんじゃない。膝突きィ持ってくんだ」

膝突き、つまり入門料。

強引に隠居から二円借りて出かけていく。

押しかけられた師匠、芸事の経験はあるかと聞けば、女郎買いと勘違いして「初会」と答えるし、なにをやりたいかと尋ねてもトンチンカンで要領を得ない。

師匠は頭を抱えるが、とりあえず清元の「喜撰」を、ということになった。

「世辞で丸めて浮気でこねて、小町桜のながめに飽かぬ……」
と、最初のところをやらせてみると、まるっきり調子っ外れ。

これは初めてではむりかもしれないと、短い「すりばち」という上方唄の本を貸し、持って帰って、高いところへ上がって三日ばかり、大きな声で練習するように、そうすれば声がふっ切れるからと言い聞かせる。

「えー、海山を、越えてこの世に住みなれて、煙が立つる……ってとこは肝(高調子)になりますから、声をずーっと上げてくださいよ」
と細かい指示。

男はその晩、高いところはないかとキョロキョロ探した挙げ句、大屋根のてっぺんによじ登って、早速声を張り上げた。

大声で
「煙が立つゥ、煙が立つーゥ」
とがなっているので、近所の連中が驚いて
「おい辰っつあん、あんな高え屋根ェ上がって、煙が立つって言ってるぜ」
「しようがねえな。このごろは毎晩だね。おーい、火事はどこだー」
「煙が立つゥー」
「だから、火事はどこなんだよォー」
「海山越えて」
「そんなに遠いんじゃ、オレは(見に)行かねえ」

底本::五代目古今亭志ん生

【しりたい】

音曲噺

おんぎょくばなし。「おんぎょく」と濁ります。この噺は、今は絶滅したといってもいい、音曲噺の名残りをとどめた、貴重な噺です。

音曲噺とは、高座で実際に落語家が、義太夫、常磐津、端唄などを、下座の三味線付きでにぎやかに演じながら進めていく形式の噺です。

したがって、そちらの素養がなければ絶対にできないわけで、今残るのは、この「稽古屋」の一部と、六代目三遊亭円生が得意にした「豊竹屋」くらいのものでしょう。

昔の寄席には「音曲師」という芸人が大勢いて、三味線を片手に、渋い声でありとあらゆる音曲や俗曲をおもしろおかしく弾き語りしていたもので、音曲噺というジャンルも、そうした背景のもとに成立したものです。

明治・大正の頃までは、演じる側はもちろん、聞く客の方も、大多数は稽古事などを通して、長唄や常磐津、清元などが自然の教養として日常生活に溶け込んでいたからこそ、こうした噺を自然に楽しめたのでしょうね。

上方の「稽古屋」

発端の隠居とのやりとりは、上方で最も多く演じられてきた「稽古屋」から。初代桂春団治が得意にしました。

主人公でアホの喜六(東京の与太郎)が稽古所へ出かけるまでの大筋は同じですが、大阪のは隠居(甚兵衛)や師匠とのやりとりにくすぐりが多く、兄弟子の稽古を見ているうちに、子供の焼イモを盗み食いするなどのドタバタのあと、「稽古は踊りだすか、唄だすか」「どっちゃでもよろし。色事のできるやつを」「そんなら、私とこではできまへん」「なんで」「恋は指南(=思案)のほかでおます」と、ダジャレオチになります。

東京では春風亭小朝がこのやり方で演じます。

「稽古所」

次の「喜撰」を習うくだりは、東京でも演じられてきた音曲噺で、別題「稽古所」。オチはありません。

最後の屋根に上がってがなるくだりからオチまでは、明治末に四代目笑福亭松鶴が上京した際、「歌火事」と題して演じたものです。これは、戦後初代桂小南、ついで二代目桂小文治が「稽古屋」として、松鶴のやり方で東京で演じました。

以上三種類の「稽古屋」を、最後の「歌火事」を中心に五代目古今亭志ん生が一つにまとめ、音曲噺というより滑稽噺として演じました。今回のあらすじは、その志ん生のものをテキストにしました。これが、子息の古今亭志ん朝に継承されていたものです。

バレ噺の「稽古屋」

もう一つ、正体不明の「稽古屋」と題した速記が残っています。こんな噺です。

常磐津の師匠をめぐって二人の男が張り合い、振られた方が、雨を口実に強引に泊まり込んだ上、暗闇にまぎれて情夫になりすまし、師匠の床に忍び込んでまんまと思いを遂げます。最後はバレますが、とっさに二階から落ちて頭を打ったことにしてゴマかし、女の母親が「痛いのなら唾をおつけなさい」と言うと、「はい、入れるときつけました」と卑猥なオチになります。

むろん演者は不明で、音曲の場面もなく、たぶん大正初年にできたバレ噺の一つと思われます。

音曲の師匠

ここに登場するのは、義太夫、長唄、清元、常磐津と、なんでもござれの「五目の師匠」。

今はもう演じ手のない「五目講釈」という噺もありますが、「五目」は上方ことばで「ゴミ」のことで、転じて、いろいろなものがごちゃごちゃ、ショウウインドウのように並んでいるさまをいいます。

こういう師匠は、邦楽のデパートのようなもので、よくある、鰻屋なのに天丼もカツ丼も出すという類の店と同じく、素人向きに広く浅く、なんでも教えるので重宝がられました。

後生鰻 ごしょううなぎ 演目

【RIZAP COOK】

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小動物を放すと功徳が。本末転倒のばかばかしさ。最高絶妙の傑作です。

別題:放生会 淀川(上方)

【RIZAP COOK】

【あらすじ】

さる大家の主人、すでにせがれに家督を譲って隠居の身だが、これが大変な信心家で、殺生が大嫌い。

夏場に蚊が刺していても、つぶさずに、必死にかゆいのをがまんしているほど。

ある日、浅草の観音さまへお参りに行った帰りがけ、天王橋のたもとに来かかると、ちょうどそこの鰻屋のおやじが蒲焼きをこしらえようと、ぬるりぬるりと逃げる鰻と格闘中。

隠居、さっそく義憤を感じて、鰻の助命交渉を開始する。

「あたしの目の黒いうちは、一匹の鰻も殺させない」
「それじゃあ、ウチがつぶれちまう」
と、すったもんだの末、二円で買い取って、前の川にボチャーン。

「あー、いい功徳をした」

翌日、また同じ鰻屋で、同じように二円。

ボチャーン。

「あー、いい功徳をした」

その翌日はスッポンで、今度は八円とふっかけられたが、
「生き物の命はおアシには換えられない、買いましょう」
「ようがす」
というわけで、またボチャーン。

これが毎日で、喜んだのは鰻屋。

なにしろ隠居さえ現れれば、仕事もしないで確実に日銭が転がり込むんだから、たちまち左うちわ。

仲間もうらやんで、
「おい、おめえ、いい隠居つかめえたな。どうでえ、あの隠居付きでおめえの家ィ買おうじゃねえか」
などという連中も出る始末。

ところがそのうち、当の隠居がぱったりと来なくなった。

少しふっかけ過ぎて、ほかの鰻屋にまわったんじゃないかと、女房と心配しているところへ、久しぶりに向こうから「福の神」。

「ちょっとやせたんじゃないかい」
「患ってたんだよ。ああいうのは、いつくたばちまうかしれねえ。今のうちに、ふんだくっとこう」

ところが、毎日毎日隠居を当てにしていたもんだから、商売は開店休業。

肝心の鰻もスッポンも、一匹も仕入れていない。

「生きてるもんじゃなきゃ、しょうがねえ。あの金魚……ネズミ……しょうがねえな、もう来ちゃうよ。うん、じゃ、赤ん坊」

生きているものならいいだろうと、先日生まれたわが子を裸にして、割き台の上に乗っけた。

驚いたのは隠居。

「おいおい、その赤ちゃん、どうすんだ」
「へえ、蒲焼きにするんで」
「ばか野郎。なんてことをしやがる。これ、いくらだ」

隠居、生き物の命にゃ換えられないと、赤ん坊を百円で買い取り、前の川にボチャーン。

「あー、いい功徳をした」

底本:五代目古今亭志ん生

【RIZAP COOK】

【しりたい】

後生

ごしょう。昔はよく「後生が悪い」とか「後生がいい」とかいう言い方をしました。後生とは仏教の輪廻転生説でいう、来世のこと。

現世で生き物の命を助けて功徳(よい行い=善行)を積めば、生まれ変わった来世は安楽に暮らせると、この隠居は考えたわけです。

五代将軍、徳川綱吉の「生類憐みの令」も、この思想が権力者により、ゆがんだ、極端な形で庶民に強制された結果の悲劇です。なにごとも、ほどほどがよろしいようで。

江戸市中に鰻の蒲焼が大流行したのは、天明元年(1781)の初夏でした。てんぷらも、同じ年にブームになっています。

それまでは、鰻は丸焼きにして、たまり醤油などをつけて食べられていたものの、脂が強いので、馬方など、エネルギーが要る商売の人間以外は食べなかったとは、よく言い習わされている説ですね。

それまでも、眼病治療には効果があるので、ヤツメウナギの代わりとして、薬食いのように食べられることは多かったようです。

屈指のブラック名品

オチが効いています。こともあろうに、落語にモラルを求める野暮で愚かしい輩は、ごらんの結末ゆえに、この噺を排撃しようとしますが、料簡違いもはなはだしく、このブラックなオチにこそ、えせヒューマニズムをはるかに超えた、人間の愚かしさへの率直な認識が見られます。「一眼国」と並ぶ、毒と諷刺の効いたショートショートのような名編の一つでしょう。

志ん生、金馬のやり方

上方落語の「淀川」を東京に移したもので、明治期では、四代目橘家円喬の速記が残っています。

戦後では、五代目古今亭志ん生、三代目三遊亭金馬、三代目三遊亭小円朝がそれぞれの個性で得意にしました。志ん生、金馬は、信心家でケチな隠居が、亀を買って放してやろうとし、一番安い亀を選んだので、残った亀が怒って、「とり殺してやるっ」という小ばなしをマクラにしていました。

小円朝は、ふつう隠居が「いい功徳をした」と言うところを、「ああ、いい後生をした」とし、あとに「凝っては思案にあたわず」と付け加えるなど、細かい工夫、配慮をしていました。

この噺は、別題を「放生会(ほうじょうえ)」といいますが、これは旧暦八月十五日に生き物を放してやると功徳を得られるという、仏教行事にちなんだものです。

【RIZAP COOK】

松竹梅 しょうちくばい 演目

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めでたい噺。礼儀知らずの長屋三人組が婚礼に招かれ、忌み言葉めぐり一騒動。

【あらすじ】

長屋の松五郎、梅吉、竹蔵の三人組。

そろって名前がおめでたいというので、出入り先のお店のお嬢さまの婚礼に招かれた。

ところがこの三人、名前だけでなく、心持ちもおめでたいので、席上どうしたらいいか、隠居に相談に行く。

隠居は、ついでなら鯨飲馬食してくるだけが能でないから、何か余興をやってあげたらどうかと勧め、「なったあ、なったあ、蛇(じゃ)になった、当家の婿殿蛇になった、何の蛇になあられた、長者になぁられた」という言い立てを謡(うたい)の調子で割りゼリフで言えばいいと、教えてくれる。

終わりに「お開きにいたしましょう」と締めるというわけ。

いざ練習してみると、松五郎は
「な、な、納豆」
「豆腐ーい」
と全部物売りになってしまうし、竹蔵は竹蔵で
「デデンデデン、なあんのおおおう」と義太夫調子。

危なっかしいが、道々練習しながらお店に着く。

いきなり「まことにご愁傷さま」とやりかけて肝を冷やすが、だんなは、おめでたい余興と聞いて大喜び。

親戚一同も一斉に手をたたくものだから、三人、あがってボーッとなる。

それでも、松と竹はどうやら無事に切り抜けたが、梅吉が
「長者になられた」
を忘れ、
「風邪……いや番茶……大蛇……」
と、とんでもないことを言いだし、その都度やり直し。

最後に
「なんの蛇になあられた」
「亡者になあられた」

……これで座はメチャクチャ。

三人が隠居に報告に来て
「これこれで、開き損なっちまいまして」
「ふーん、えらいことを言ったな。それで梅さんはどうしてる」
「決まり悪そうにグルグル回って、床の間に飛び込んで、隅の方で小さくなってしおれてました」
「ああ、それは心配ない。梅さんのことだ、今ごろは一人で開いて(帰って)いるだろう」

【しりたい】

作者は出自不明

上方の笑福亭系の落語家の祖とされる初代・松富久亭松竹が作ったといわれている噺です。

この松竹という人、生没年や詳細な伝記はもちろん、そもそも存在したかどうかもよくわかりません。

したがって、松竹が「松竹梅」の作者だというのも伝説の域を出ないわけです。

まさか、演題と芸名にゴロを合わせたヨタではないでしょうが。

ただ、オチの部分のネタ元になったとみられる小ばなしはあって、文政6年(1823)に江戸で刊行された、初代三笑亭可楽(1777-1833)『江戸自慢』中の「春の花むこ」がそれです。

これは、植物仲間で「仙人」と尊称される梅の古木が、庭の隅の桃の木に「老いらくの恋」をし、姫ゆりを仲人に頼んで、キンセンカを持参金代わりにめでたく婿入り。ところが婚礼の夜、突然植木屋が(もちろん人間)庭に乱入し、花々が恐怖におののいて小さくなってしまいます。これを見た植木屋、「ははあ、これは今夜、花婿が来るのだな。こういうときに切っては無情というものだ」と帰っていったので、仲人の姫ゆりがほっとして顔を持ち上げ、「さあさあ皆さん、お開きなさい」という、童話的でほほえましいお話です。

東京移植は「オットセイ」

古くから上方落語としてはポピュラーな噺でしたが、これを明治30年ごろ、四代目柳亭左楽が東京に移しました。

左楽はぼおっとした容貌と、ふだんの少々間の抜けた言動で、「オットセイ」とあだ名され、奇談がたくさんあります。

ちょうどこの噺の東京初演と思われる、明治31年(1898)の速記が残っていますが、よほど気に入ったとみえ、もともと持ちネタが少ないこともあって、一時期「松竹梅」ばかりやっていたとか。

この人の、師匠の談洲楼燕枝が亡くなった(明治33年2月)ときの追悼句がふるっていてます。

悲しさや 師匠も亡者に なあられた

当の「オットセイ」ご本人が「亡者になあられた」のは、明治44年(1911)11月4日、享年55でした。

「あっちの会長」柳橋十八番

謡の調子で、割ゼリフにしてご祝儀の言い立てをやり、「亡者になあられた」で失敗するのがこの噺の笑わせどころです。

このあらすじの参考にした、かって落語芸術協会に会長として君臨した六代目春風亭柳橋は、戦後この噺をよく高座にかけ、特に謡を稽古する場面でのくすぐりを充実させ、飄々とした中にもより笑いの多い噺に仕上げました。

その意味で十八番といってよいのですが、残念ながら音源は残されていません。

「なったなった……」は北海道?

「なったなった」のお囃子は、関西地方の婚礼の習俗と思われますが、はっきりわかりません。

前項の左楽の速記では、隠居が「北海道から八十里ばかり入った小さな村で」もっぱら行なっていると説明していますが、左楽は自分のあだ名を逆手にとって、やたらに「北海道」を連発してウケをねらったそうですから、もちろんこれは嘘八百でしょう。

忌み言葉

「開く」は今でもよく使われる、結婚式の忌(い)み言葉ですが、「忌み言葉」というのは、使用を避ける言葉と、代わりにめでたく言い換える言葉の両方を意味します。

ただ、言い換えられる場合と、それもできず、禁止されるだけの場合があり、どちらかというと後の方が多いようです。

いずれにしても、太古から言霊信仰が根強く、何か不吉な言葉を吐くとそれが現実になってしまうという病的な恐怖心を先祖代々に受け継いできたわれわれ特有の習慣です。日本文化の一端でもあります。

以下、婚礼のタブーの語をいくつか。

「帰る」
「戻る」
「出て行く」
「死ぬ」
「引く」
「別れる」
「出る」
「割る」
「割く」
「出かける」
「欠ける」
「犬」(=「去(い)ぬ」)
「猿」(=「去る」)
「殺す」
「離れる」
「話す」
「放す」
「まかる」
「落ちる」
「悲しい」……

これじゃ、うっかり舌禍を起こしちまいそうですねえ。

浮世根問 うきよねどい 演目

 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

「根問」とはルーツを尋ねること。さかしげなガキの「どーして?」ですね。

【あらすじ】

三度に一度は他人の家で飯を食うことをモットーとしている八五郎。

今日もやって来るなり「お菜は何ですか?」と聞く厚かましさに、隠居は渋い顔。

隠居が本を読んでいるのを見て八五郎、
「本てえのはもうかりますか」
と聞くので
「ばかを言うもんじゃない。もうけて本を読むものじゃない。本は世間を明るくするためのもので、おかげでおまえが知らないことをあたしは知っているのだから、なんでも聞いてごらん」
と隠居が豪語する。

そこで八五郎は質問責め。

まず、今夜嫁入りがあるが、女が来るんだから女入りとか娘入りと言えばいいのに、なぜ嫁入りかと聞く。

隠居、
「男に目が二つ、女に目が二つ、二つ二つで四目入りだ」
「目の子勘定か。八つ目鰻なら十六目入りだ」

話は正月の飾りに移った。

「鶴は千年亀は万年というけど、鶴亀が死んだらどこへ行きます?」
「おめでたいから極楽だろう」
「極楽てえのはどこにあります?」
「西方弥陀の浄土、十万億土だ」
「サイホウてえますと?」
「西の方だ」
「西てえと、どこです?」

隠居、うんざりして、
「もうお帰り」
と言っても八五郎、御膳が出るまで頑張ると動じない。

この間、岩田の隠居に
「宇宙をぶーんと飛行機で飛んだらどこへ行くでしょう」
と聞くと、
「行けども行けども宇宙だ」
とゴマかすので、
「じゃ、その行けども行けども宇宙をぶーんと飛んだらどこへ行くでしょう?」

行けどもぶーん、行けどもぶーんで三十分。

向こうは喘息持ちだから、だんだん顔が青ざめてきて、
「その先は朦々(もうもう)だ」
「そんな牛の鳴き声みてえな所は驚かねえ。そこんところをぶーんと飛んだら?」
「いっそう朦々だ」
「そこんところをぶーん」

……モウモウブーン、イッソウブーンで四十分。

「そこから先は飛行機がくっついて飛べない」
「そんな蠅取り紙のような所は驚かねえ。そこんところをぶーん」
とやったらついに降参、五十銭くれた。

「おまえさんも極楽が答えられなかったら五十銭出すかい?」
「誰がやるか。極楽はここだ」
と隠居が連れていったのが仏壇。

こしらえものの蓮の花、線香を焚けば紫の雲。鐘と木魚が妙なる音楽というわけ。

「じゃ、鶴亀もここへ来て仏になりますか?」
「あれは畜生だからなれない」
「じゃ、なにになります?」
「ごらん。この通りロウソク立てになってる」

【しりたい】

根問

ねどい。「根問」は上方ことばで「根掘り葉掘り聞くこと」を意味します。

小さん二代が確立

上方落語の「根問もの」の代表作で、明治期に東京に移されたものです。上方では短くカットして前座の口ならしに演じられますが、初代桂春団治の貴重な音源が残ります。

明治時代にはまだ、東京では「薬缶」と「浮世根問」の区別が曖昧で、たとえば、明治期の四代目春風亭柳枝の速記はかなり長く、「無学者」の題で演じています。

いろいろな魚の名前の由来を聞いていく前半は「薬缶」と共通しています。

今回のあらすじは、師匠の四代目小さん譲りで演じた、五代目柳家小さんのものを底本にしましたが、この二代の小さんが上方のやり方を尊重し、この噺を独立した一編として確立したわけです。

鶴亀のろうそく立て

オチの「ろうそく立て」については、今ではなんのことやらさっぱりわからなくなっているので、現行の演出ではカットし、最後までいかないことが多くなっています。

これは、寺などで使用した燭台で、亀の背に鶴が立ち、その頭の上にろうそくを立てるものです。

鶴亀はいずれも長寿を象徴しますから、要するに縁起ものでしょう。

目の子

「目の子勘定」といって、公正を期すため、金銭などを目の前で見て数えることです。

黙阿弥の歌舞伎世話狂言『髪結新三』で、大家の長兵衛が悪党の新三の目の前で小判を一枚一枚並べる場面が有名です。

原話について

もっとも古いものは、京都辻噺の祖・露の五郎兵衛(1643-1703)の『露休置土産』中の「鶴と鷺の評論」です。

これは、二人の男が鶴の絵の屏風について論じ合い、一人が「この鳥は白鳥にしてはちょっと足が長い」と言うと、もう一人が「はて、わけもない。これは鷺だ」と反論します。見かねた主人が「これは鶴の絵ですよ」と口をはさむと、後の男が「人をばかにするでない。鶴なら、ろうそく立てをくわえているはずだ」。

時代が下って、安永5年(1776)、江戸で刊行された『鳥の町』中の小ばなし「根問」になると、以下のようになっています。

「鶴は千年生きるというが、本当かい?」
「そうさ。千年生きる証拠に、鎌倉には頼朝の放したという鶴がまだ生きているじゃないか」
「じゃ、千年たったらどうなる?」
「死ぬのさ」
「死んでどうなる?」
「十万億土(極楽)に行くのさ」
「極楽へ行ってどうする?」
「うるさい野郎だな。ろうそく立てになるんだ」

ぐっと現行に近くなります。

一目上がり ひとめあがり 演目

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讃、詩、語……。無知な男の厚顔ぶりを笑う噺。寄席では前座がやってます。

【あらすじ】

隠居の家に年始に来た熊五郎。

床の間の掛け軸に目を止め、もうちょっときれいなのを掛けたらどうですと文句をつけると
「この古いところに価値がある。汚いところに味わいと渋みがある。こうして眺めるのが楽しみなものだ」
とたしなめられる。

「へえ、道理で端の方がはげてて変だと思った。子供に壁土を食うのがいるが、それは虫のせいだね」
「なにが?」
「なめるって」
「なめるんじゃない。眺めるんだ」

笹っ葉の塩漬けのような絵が描いてあって、上に能書きが書いてある。

これは狩野探幽の絵で雪折り笹、下のは能書きではなく
「しなはるる だけは堪(こら)へよ 雪の竹」
という句を付けた芭蕉の讃だと教えられる。

掛け軸のほめ方ぐらい知らなくては人に笑われるから、こういうものを見たときは
「けっこうなな讃です」
とほめるよう教えられた熊、
「大家がしょっちゅう、ものを知らないとばかにしてしゃくだから、これから行ってひとつほめてくる」
と出かける。

「大家さんはしみったれだから掛け物なんぞないだろう」
とくさすと、
「ばか野郎。貧乏町内を預かっていても、これでも家守(やもり)だ。掛け物の一つや二つねえことがあるものか」
と大家。

大家が見せたのが根岸鵬斎の詩の掛け軸。

「近江(きんこう)の 鶯は見難し 遠樹の烏は 見やすし」
とある。

「金公が酒に当たって源次のカカアが産をした」
「誰がそんなことを言うものか」

シだと言われて、サンしか知らない熊公、旗色が悪くなって退散。

「なるほど、絵と字の両方書いてあればサンシと言えばいいんだ」
と、今度は手習いの師匠の家へ。

「掛け軸を見せてくれ」
と頼むと、師匠が出したのが一休宗純。

「仏は法を売り、末世の僧は祖師を売る。汝五尺の身体を売って、一切衆生の煩悩を安んず、柳は緑花は紅のいろいろか、池の面に夜な夜な月は通へども水も濁さず影も宿らず」
という長ったらしいもの。

「南無阿弥陀仏」
「まぜっ返しちゃいけない」
「こいつはどうもけっこうなシだ」
「いや、これは一休の語だ」

また新手が現れ、
「サイナラッ」
と逃げ出す。

「ばかばかしい。ひとつずつ上がっていきやがる。三から四、五だから今度は六だな」
と検討をつけ、半公の家へ。

ここのは、なにか大きな船に大勢乗っている絵。

「この上のは能書きか」
「能書きってやつがあるか。これは初春にはなくてはならねえものだ。上から読んでも下から読んでも読み声が同じだ。『なかきよの とおのねむりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな』。めでてえ歌だ」
「わかった。こいつは六だな」
「ばかいえ。七福神の宝船だ」

【しりたい】

センスあふれる前座噺

全編ダジャレといえばそれまでですが、讃、詩、語という掛け軸の書画に付き物の文辞を、同音の数字と対応させ、今度はどうにも洒落ようがない「六」でどうするのかと冷やかし半分に聞いている見物をさっとすかして同じ掛け軸の「七福神」とあざやかに落とすあたり、非凡な知性とセンスがうかがえます。

この噺の作者は、ただ者ではないでしょう。

前座の口慣らしの噺とされながら、五代目古今亭志ん生、五代目柳家小さんのような名だたる大真打ちが好んで手掛けたのも、なるほどとうなずけます。

加えて、書画骨董や詩文の知識が、名もなき市民の間でも不可欠な教養、たしなみとされていた時代の文化レベルの高さ。

つくづくため息が漏れます。

入れごとは自由自在

軽快なテンポと洒落のセンスだけで聞かせる噺で、伸縮自在なので、いろいろな入れごとやくすぐりも自由に作れます。

たとえば、七福神から、「八」を抜かして「芭蕉の句(=九)だ」と落とすこともあります。

この噺の原話の一つ、安永4年(1775)刊の『聞童子』中の小ばなし「掛物」では、「七」は「質(札)でござる」とサゲています。

同じく文化5年(1808)刊『玉尽一九ばなし』中の「品玉」では、質=七の字を分解し、「十一」(十一屋=といちや=質屋の別称)まで飛んで終わっています。

このように調子よくとんとんと落とすオチの型を「とんとん落ち」と呼んでいます。

讃、詩、語

讃は書画に添える短いことばで、この噺のように俳句などが多く用いられます。

詩はもちろん漢詩。これも掛け軸や襖の装飾の定番です。

語は格言や、高僧の金言など。一休の語にある「柳は緑花は紅」は禅語で、『禅林類聚』などにある成句です。万物をありのままにとらえる哲学で、夏目漱石も座右の銘としました。

クレージーキャッツの「学生節」の歌詞にもありました。

回文歌と宝船

長き夜の 遠の睡りの 皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな

前から読んでも後ろから読んでも同じ音になって、なおかつ意味が通じる文を「回文」といいます。

歌の形をとっているものを「回文歌」と呼びます。

正月の宝船の絵に添える紋切り型でした。少し詳しく説明しましょう。

正月2日夜、または3日夜のおもしろい風習です。「宝船」というのがありました。紙に回文歌と七福神が乗た帆掛け船が刷られた一枚の紙っぺらのことです。

この「宝船」を枕の下に差し込み回文歌を三度詠んで寝ると吉夢を見られる、という風習があります。

歌を詠じながら千代紙や折り紙などに歌を記し、その紙を帆掛け船の形に折って(「宝船」と同じ効果が期待されます)、枕の下に差し込むと吉夢が見られる、ともいわれていました。

悪い夢を見た場合には、枕の下の「宝船」を川に流すことで邪気を払って縁起直しをしたそうです。

江戸では、暮れになると「お宝、お宝」と声を掛けて「宝船」を売り歩く「宝船売り」がいました。専業ではなく、このときだけ、にわかの商売です。

回文歌については、ほかにもいくつかの例をあげておきましょう。いずれも室町時代にできたものです。

村草に くさの名はもし 具はらは なそしも花の 咲くに咲くらむ

惜しめとも ついにいつもと 行春は 悔ゆともついに いつもとめしを

それにしても、「かな」というものは、漢字の補助的な文字ということがよくわかります。

探幽

狩野探幽(1602-74)は江戸前期の絵師で、鍛冶橋狩野派の祖。

幕府御用絵師で、江戸城紅葉山天井の龍、芝増上寺安国殿、高野山金堂の壁画などで知られます。

鵬斎

根岸鵬斎は儒学者・漢詩人の亀田鵬斎(1752-1826)のこと。根岸に住んだので、この別称があります。

その書は名高く、永井荷風が敬愛した、江戸文人のシンボルのような粋人でもありました。

洒落小町 しゃれこまち 演目

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亭主の女遊びを陰で支える女房。歌道から洒落へ。業平故事を使った噺。

【あらすじ】

ガチャガチャのお松とあだ名される騒々しい女房。

亭主が近ごろ、吉原で穴っぱいり(浮気)して帰ってこないと、横町の隠居に相談に来る。

隠居は
「おまえが四六時中あまりうるさくて、家がおもしろくないので亭主が穴っぱいりする。昔、在原業平が、愛人の生駒姫の所に毎晩通ったが、奥方の井筒姫は嫌な顔ひとつせず送りだすばかりか、ある嵐の晩、さすがに業平が外出しかねているのを、こういう晩に行かなければ不実と思われてあなたの名にかかわるから、無理をしても行きなさいと言う。嫉妬するのが当たり前なのに、あまりものわかりがよすぎるから、業平は不審に思って、出かけたふりをして庭先に隠れてようすを伺うと、縁の戸が開き、井筒姫が琴を弾きながら『風吹けば 沖津白波たつ田山 夜半にや君が 一人越ゆらん』と悲しげに詠んだので、それに感じて業平は河内通いをやめたという故事がある。おまえも亭主が帰ったら、たとえ歌は無理としても、優しい言葉のひとつも掛け、洒落のひとつも言ったら、亭主はきっと外に出なくなる」
と、さとす。

「ご隠居さん、歌というのはけっこうですね」
「そりゃそうだ。小野小町は歌を詠んで雨を降らせた、というくらいだからな」

家に帰ったお松、亭主の気を引こうと、さっそく洒落攻め。

大家の所へ行くと言うと
「大家(=高野)さん弘法大師」
「隣の茂兵衛さんに喜兵衛さん……」
「隣の茂兵衛(=モチ)つきゃ喜兵衛(=キネ)の音」

「うるせえな」
とどなると
「うさぎうさぎ、なに見てはねる」

あまり下らないのを連発するから、亭主はお松が頭がおかしくなったと思い、二、三日出かけずにいた。

ある日、雨が降ってきた。

これを待っていたお松、いきなり隣の水屋から蓑と傘を借りてきて、うやうやしく亭主に着せかけると、そのまま外へ突き飛ばした。

亭主が行ってしまったので、ここぞと井筒姫の歌のつもりで間違えて
「恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信田の森の 恨み葛の葉」
とやったが、いっこうに帰らない。

また心配になって隠居に掛け合うと、
「そりゃ狐の歌じゃないか」
「あ、道理でまた穴っぱいりだ」

【しりたい】

東西で異なるやり方

古風で、実に粋な噺です。こういう噺を達者にこなせる落語家は、もう絶えていないでしょう。

初代桂文治(→千早振る)がおそらく文化年間に作った古い上方落語を東京に移したもので、大阪では「口合(くっちゃい)小町」です。

「口合」は地口、ダジャレのことです。

東西で演出がもっとも変わる部分は、西(上方)では、かみさんが亭主の跡をつけて女郎屋に入るのを突き止め、乗り込んで大げんかになるのと、オチが異なり、狐の部分がないことです。

戦後、東京では八代目桂文治、六代目円生の後は、立川談志がよく演じました。

小野小町の歌

古今集の六歌仙で紅一点、小野小町が、京に百日も大日照りがあったとき、神泉苑(現在の二条城の向かい)で、「ことわりや 日の本ならば 照りもせめ さりとてはまた 天(あめ)が下とは」という雨乞いの歌を詠んだところ、七日続いて雨が降ったという「雨乞い小町」の伝説があります。上方の「口合小町」のオチはこれを踏まえ、亭主が降参して、茶屋通いはやめると謝ると、「まあうれしい。百日の日照りがあったら知らして」「どないするのや?」「口合(洒落)で、雨降らせてみせるわ」と、なっています。

今で言う、男の浮気のことです。愛人のもとに行ったきり帰らないのを、狐が穴に籠もることにたとえたものです。

もっとも、これでは今はまったく通じないでしょう。

穴っぱいり

「狐」は女性器を意味する隠語でもあるため、当然、下ネタの意味も利かしてあるのでしょう。

「風吹けば……」

『伊勢物語』第二十三段中の歌。

意味は「風が吹くと沖の白波が立つ、その龍田山を、今ごろ夜中にあなたが一人で越えているのでしょうか(心配です)」

「恋しくば……」

「仮名手本忠臣蔵」の作者の一人でもある初代竹田出雲(?-1747)作の浄瑠璃『芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』(葛の葉子別れ)の四段目で、陰陽師・安部保名(あの安部晴明の父)と夫婦になった雌の白狐が、自分が化けた、夫のかつての恋人が訪ねてきたので、泣きの涙で身を引き、夫と子供を残して去る、その別れ際に障子に書き残す歌です。

千早ふる ちはやふる 演目

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無学者もの。知ったかぶりの噺。苦し紛れのつじつまあわせ。あっぱれです。

【あらすじ】

あるおやじ。

無学なので、学校に行っている娘にものを聞かれても答えられず、困っている。

正月に娘の友達が集まり、百人一首をやっているのを見て、花札バクチと間違えて笑われる始末。

その時、在原業平の「千早ふる神代も聞かずたつた川からくれないに水くぐるとは」という歌の解釈を聞かれ、床屋から帰ったら教えてやるとごまかして、そのまま自称物知りの隠居のところに駆け込んだ。

隠居もわからないのでいい加減にごまかそうとしたが、おやじは引き下がらない。

で、苦し紛れに
「龍田川ってのはおまえ、相撲取りの名だ」
とやってしまった。

もうここまできたら、毒食らわば皿までで、引くに引けない。隠居の珍解釈が続く。

龍田川が田舎から出てきて一心不乱にけいこ。

酒も女もたばこもやらない。

その甲斐あってか大関にまで出世し、ある時客に連れられて吉原に夜桜見物に出かけた。

その時ちょうど全盛の千早太夫の花魁道中に出くわし、堅い一方で女に免疫のない大関龍田川、いっぺんに千早の美貌に一目ぼれ。

さっそく、茶屋に呼んで言い寄ろうとすると、虫が好かないというのか
「あちきはいやでありんす」
と見事に振られてしまった。

しかたがないので、妹女郎の神代太夫に口をかけると、これまた
「姉さんがイヤな人は、ワチキもイヤ」
とまた振られた。

つくづく相撲取りが嫌になった龍田川、そのまま廃業すると、故郷に帰って豆腐屋になってしまった。

「なんで相撲取りが豆腐屋になるんです」
「なんだっていいじゃないか。当人が好きでなるんだから。親の家が豆腐屋だったんだ」

両親にこれまで家を空けた不幸をわび、一心に家業にはげんで十年後。

龍田川が店で豆を挽いていると、ボロをまとった女の物乞いが一人。

空腹で動けないので、オカラを恵んでくれという。

気の毒に思ってその顔を見ると、なんとこれが千早太夫のなれの果て。

思わずカッとなり
「大関にまでなった相撲をやめて、草深い田舎で豆腐屋をしているのは、もとはといえばおまえのためだ」
と。

「オカラはやれない」
と言って、ドーンと突くと千早は吹っ飛び、弾みで井戸にはまってブクブクブク。

そのまんまになった。

これがこの歌の解釈。

千早に振られたから「千早ふる」、神代も言うことを聞かないから「神代も聞かず龍田川」、オカラをやらなかったから「からくれないに」。

「じゃ、水くぐるってえのは?」
「井戸へ落っこって潜れば、水をくぐるじゃねえか」

【しりたい】

「ちはやふる……」

「千早振る」は「神」にかかる枕詞で、もちろん本当の解釈は以下のようなものです。

 (不思議なことの多かった)神代でさえ、  龍田川の水が 紅葉の美しい紅でくくり染め (=しぼり染め)にされるとは聞いたこともない。

とまあ、おもしろくもおかしくもないもの。隠居の解釈の方が、よほど共感を呼びそうです。

龍田川は、奈良県生駒郡斑鳩町の南側を流れる川で、古来、紅葉の名所で有名でした。

原話とやり手

今でも、前座から大看板まで、ほとんどの落語家が手掛けるポピュラーな噺です。

「薬缶」と同系統で、知ったかぶりの隠居がでたらめな解釈をする「無学者もの」の一つです。

古くは「木火土金水(もっかどごんすい)」という、小ばなしのオムニバスの一部として演じられることが多く、その場合、この後「薬缶」につなげました。

安永5年(1776)刊『鳥の町』中の「講釈」を、初代桂文治(1773-1815)が落語にしたものです。明治期では三代目柳家小さんの十八番でした。

本来は、「千早振る」の前に、「つくばねの嶺より落つるみなの川……」の歌を珍解釈する「陽成院」がつけられていました。

オチの異同

あらすじのテキストにしたのは、五代目古今亭志ん生の速記です。

志ん生が「水をくぐるじゃねえか」で切っているのは、むしろ珍しい部類でしょう。

普通はこのあと、「じゃ、『とは』ってえのはなんです?」「それは、ウーン、千早の本名だった」と苦しまぎれのオチになります。

花魁道中

起源は古く、吉原がまだ日本橋葺屋町(ふきやちょう)にあった「元吉原」といわれる時代(寛永年間、1624-44)にさかのぼるといわれます。

本来は遊女の最高位「松の位」の太夫が、遊女屋から揚屋(のちの引手茶屋。上客を接待する場)まで出向く行列をいいましたが、宝暦年間(1751-64)を最後に太夫が絶えると、それに次ぐ位の「呼び出し」が仲の町を通って茶屋に行く道中を指すようになりました。

廓が点灯する七ツ半(午後5時)ごろから始まるのが普通でした。

「陽成院」

陽成院の歌、「つくばねのみねより落つる男女(みな)の川恋ぞつもりてふちとなりぬる」の珍解釈。

京都の陽成院という寺で開かれた勧進相撲で、筑波嶺と男女の川が対戦。

男女の川が山の向こうまで投げ飛ばされたから「筑波嶺の峰より落つる男女の川」

見物人の歓声が天皇の耳に入り、筑波嶺に永代扶持(ふち)をたまわったので、「声(=こい)ぞつもりてふち(扶持=淵)となりぬる」

しまいの「ぬる」とは何だと突っ込まれて、「扶持をもらった筑波嶺が、かみさんや娘に京の『小町香』、要するに香水を買ってやり、ぺたぺた顔に塗りたくったから、『塗る』だ」

というわけです。

薬缶 やかん 演目

 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

なるほど、やかん命名の由来とは。落語はまったくためになる……。

【あらすじ】

この世に知らないものはないと広言する隠居。

長屋の八五郎が訪ねるたびに、別に何も潰れていないが、グシャ、グシャと言うので、一度へこましてやろうと物の名の由来を次から次へ。

ところが隠居もさるもの、妙てけれんなこじつけでケムにまく。

最初に、いろいろな魚の名前は誰がつけたかという質問で戦闘開始。

「おまえはどうしてそう、愚なることを聞く。そんなことは、どうでもよろしい」
「あっしは気になるんで。誰が名をつけたんです?」
「うるさいな。あれはイワシだ」

「イワシは下魚といわれるが、あれで魚仲間ではなかなか勢力がある」
とゴマかす。

「じゃ、イワシの名は誰がつけた」
と聞くと、ほかの魚が名をもらった礼に来て、
「ところであなたの名は」
と尋ねると、
「わしのことは、どうでも言わっし」

これでイワシ。

以下、まぐろは真っ黒だから。

ほうぼうは落ち着きがなく、方々泳ぎ回るから。

こちはこっちへ泳いでくるから。

ヒラメは平たいところに目があるから。

「カレイは平たいところに目が」
「それじゃヒラメと同じだ」
「うーん、あれはヒラメの家来で、家令をしている」

鰻はというと、昔はのろいのでノロといった。
あるとき鵜がノロをのみ込んで、
大きいので全部のめず四苦八苦。

鵜が難儀したから、
鵜、難儀、鵜、難儀、鵜難儀でウナギ。

話は変わって日用品。

茶碗は、置くとちゃわんと動かないから茶碗。

土瓶は土で、鉄瓶は鉄でできているから。

「じゃ、やかんは?」
「やでできて……ないか。昔は」
「ノロと言いました?」
「いや、これは水わかしといった」
「それをいうなら湯わかしでしょ」
「だからおまえはグシャだ。水を沸かして、初めて湯になる」
「はあ、それで、なぜ水わかしがやかんになったんで?」
「これには物語がある」

昔、川中島の合戦で、片方が夜討ちをかけた。

かけられた方は不意をつかれて大混乱。

ある若武者が自分の兜をかぶろうと、枕元を見たがない。

あるのは水わかしだけ。

そこで湯を捨て、兜の代わりにかぶった。

この若武者が強く、敵の直中に突っ込む。

敵が一斉に矢を放つと、水わかしに当たってカーンという音。

矢が当たってカーン、矢カーン、やかん。

蓋は、ボッチをくわえて面の代わり。

つるは顎へかけて緒の代わり。

やかんの口は、名乗りが聞こえないといけないから、耳代わり。

「あれ、かぶったら下を向きます。上を向かなきゃ聞こえない」
「その日は大雨。上を向いたら、雨が入ってきて中耳炎になる」
「それにしても、耳なら両方ありそうなもんだ」
「ない方は、枕をつけて寝る方だ」

【しりたい】

やかんが釜山から漂着

明和9年(1772)刊『鹿の子餅』中の「薬罐」は、この噺の後半部分の、もっとも現行に近い原話ですが、これは、日本の薬罐がはるばる釜山まで流れ着き、韓国人が、これは兜ではないかと議論することになっています。

さまざまな伸縮自在

一昔前は、知ったかぶりを「やかん」と呼んだほど、よく知られた噺です。

題名に直結する「矢があたってカーン」以外は、自由にギャグが入れられる伸縮自在の噺なので、昔から各師匠方が腕によりをかけて、工夫してきました。名前の由来に入る前の導入部も、演者によってさまざまです。

「矢がカーン」の部分では、隠居が「矢があたって」と言う前に八五郎がニヤリと笑い、「矢が当たるからカーンだね」と先取りする演出もあります。

オチまでいかず、文字通り「矢カン」の部分で切ることも、時間の都合でよくあります。

「やかん」のくすぐりいろいろ

●蛇はノソノソして、尻っぽばかりの虫なので屁といった。そのあとビーとなった(五代目志ん生)

●クジラは、必ず九時に起きるので、クジらあ。

●ステッキは、西洋人のは飾り付きで「すてっき」だから。

●ランプは、風が吹くとラン、プーと消えるから。

●ひょっとこは、不倫して、ヒョットして子ができるのではと、口をとがらしてふさいでばかりいると、月満ちてヒョッと産まれた子の口も曲がっていた。だから「ヒョット・子」(以上、初代三遊亭円遊)

「浮世根問」について

五代目小さんがよく演じた「浮世根問」は、上方の「根問いもの」の流れをくみ、「やかん」とモチーフは似ていますが、別系統の噺です。

「やかん」に比べると噺もずっと長く、質問もはるかに難問ぞろいです。

上方では、別に「やかん根問」があります。

根問

「根」はルーツ、物事の根源を意味します。

それを「問う」わけですから、要はいろいろなテーマについて質問し、知ったかぶりの隠居がダジャレを含めてでたらめな回答をする、という形式の噺のことです。

上方の根問ものには、テーマ別に「商売根問」「歌根問」「絵根問」など、さまざまなバージョンがありました。
                       
「やかん」は、形式は似ていても、単に語源を次々と聞いていくだけですから、「根問もの」よりもずっと軽いはなしになっています。

ついでに

「根問」という題名は上方のものに限定されます。

どんなに似た内容の噺でも、「やかん」「千早振る」など東京起源のものは「根問」とは呼びません。

子褒め こほめ 演目

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他人の子を褒めるのは気を使います。愚者が半端に真似して失敗するおかしさ。

【あらすじ】

人間がおめでたくできている熊五郎がご隠居のところに、人にただ酒をのましてもらうにはどうすればいいかと聞いてくる。

そこで、人に喜んでごちそうしようという気にさせるには、まずうそでもいいからお世辞の一つも言えなけりゃあいけないと教えられ、例えば、人は若く言われると気分がいいから、四十五の人には厄(四十一~三)そこそこ、五十なら四十五と、四、五歳若く言えばいいとアドバイスされる。

たまたま仲間の八五郎に赤ん坊が生まれたので、祝いに行けば酒をおごってもらえると算段している熊公、赤ん坊のほめ方はどうすればいいか聞くと、隠居がセリフを教えてくれる。

「これはあなたさまのお子さまでございますか。あなたのおじいさまに似てご長命の相でいらっしゃる。栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳しく、蛇は寸にしてその気をのむ。私も早くこんなお子さまにあやかりたい」

喜んで町に出ると、顔見知りの伊勢屋の番頭に会ったから、早速試してやろうと、年を聞くと四十歳。

四十五より下は聞いていないので、むりやり四十五と言ってもらい、
「えー、あなたは大変お若く見える」
「いくつに見える?」
「どう見ても厄そこそこ」
「馬鹿野郎ッ」
としくじった。

さて、八つぁんの家。

男の子で、奥に寝ているというから上がると、
「妙な餓鬼ィ産みゃあがったな。生まれたてで頭の真ん中が禿げてやがる」
「そりゃあ、おやじだ」

いよいよほめる段になって、
「あなたのおじいさまに似て長命丸の看板で、栴檀の石は丸く、あたしも早くこんなお子さまにかやつりてえ」
「なんでえ、それは」
「時に、この赤ん坊の歳はいくつだい?」
「今日はお七夜だ」
「初七日」
「初七日じゃねえ。生まれて七日だからまだ一つだ」
「一つにしちゃあ大変お若い」
「ばか野郎、一つより若けりゃいくつだ」
「どう見てもタダだ」

【しりたい】

これも『醒睡笑』から

安楽庵策伝の『醒睡笑』(「てれすこ」参照)巻一中の「鈍副子第十一話」が原話です。

これは、脳に霞たなびく小坊主が、人の歳をいつも多く言うというので和尚にしかられ、使いに行った先で、そこの赤ん坊を見て、「えー、息子さんはおいくつで?」「今年生まれたから、片子(=満一歳未満)ですよ」「片子にしてはお若い」というもので、「子ほめ」のオチの原型になっています。

小ばなしがいくつか合体してできた噺の典型で、自由にくすぐり(=ギャグ)も入れやすく、時間がないときはいつでも途中で切れる、「逃げ噺」の代表格です。

大看板の「子ほめ」

そういうわけで前座噺として扱われますが、五代目志ん生、三代目金馬といったかつての大物も時々気軽に演じました。故人春風亭柳朝の、ぶっきらぼうな口調も耳に残っています。

オチは、満年齢が定着した現在は、通じにくくなりつつあるため、上方の桂米朝は、「今朝生まれたばかりや」「それはお若い。どう見てもあさってに見える」としています。

蛇は寸にしてその気をのむ

「その気を得る」「その気を顕す」ともいいます。解釈は「栴檀は双葉より芳し」と同じで、大人物は幼年からすでに才気を表している、という意味。「寸」は体長一寸の幼体のことです。

長命丸

俗に薬研堀(やげんぼり)、実は両国米沢町の「四ツ目屋」で売り出していた強精剤です。同店はこのほか「女悦丸」「朔日丸」(避妊薬)など、ソノ方面の怪しげな薬を一手に取り扱っていました。

田舎のおやじが、長生きの妙薬と勘違いして長命丸を買っていき、セガレの先に塗るのだと教えられていたので、さっそく、ばか息子の与太郎の頭に塗りたくると、夜中に頭がコックリコックリ持ち上がった、という艶笑噺があります。

道灌 どうかん 演目

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ご隠居と八のやりとり。道灌の故事が題材の前座がよくやる鸚鵡返し型の滑稽噺。

【あらすじ】

八五郎が隠居の家に遊びに行った。

地口(駄洒落)を言って遊んでいるうち、妙な張りまぜの屏風絵が目に止まる。

男が椎茸の親方みたいな帽子をかぶり、虎の皮の股引きをはいて突っ立っていて、側で女が何か黄色いものを持ってお辞儀している。

これは大昔の武将で歌詠みとしても知られた太田道灌が、狩の帰りに山中で村雨(にわか雨)に逢い、あばら家に雨具を借りにきた場面。

椎茸帽子ではなく騎射笠で、虎の皮の股引きに見えるのは行縢(むかばき)。

中から出てきた娘が黙って山吹の枝を差し出し引っ込んでしまった。

道灌、意味がわからずに戸惑っていると、家来が畏れながらと
「これは『七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき』という古歌をなぞらえて、『実の』と『蓑』を掛け、雨具はないという断りでございましょう」
と教える。

道灌は
「ああ、余は歌道にくらい」
と嘆き、その後一心不乱に勉強して立派な歌人になった、という隠居の説明。

「カドウ」は「和歌の道」の意。

八五郎、わかったのかわからないのか、とにかくこの「ナナエヤエー」が気に入り、自分でもやってみたくてたまらない。

表に飛び出すと、折から大雨。

長屋に帰ると、いい具合に友達が飛び込んできた。

しめたとばかり
「傘を借りにきたんだろ」
「いや、傘は持ってる。提灯を貸してくんねえかな。これから本所の方に用足しに行くんだが、暗くなると困るんだ」

そんな用心のいい道灌はねえ。

傘を貸してくれって言やあ、提灯を貸してやると言われ、しかたなく「じゃしょうがねえ。傘を貸してくんねえ」
「へっ、来やがったな。てめえが道灌で、オレが女だ。こいつを読んでみな」
「なんだ、ななへやへ、花は咲けどもやまぶしの、みそひとだると、なべとかましき……こりゃ都々逸か?」
「てめえは歌道が暗えな」
「角が暗えから、提灯を借りにきた」

【しりたい】

前座の悲哀「道灌屋」

「道灌」は前座噺で、たいてい入門すると、このあたりから稽古することが多いようです。

前半は伸縮自在で、演者によってギャグその他、自由につくれるので、後に上がる先輩の都合で引き伸ばしたり、逆に短く切って下りたりしなければならない前座にとっては、まずマスターしておくべき噺なのでしょう。

八代目桂文楽が入門して、初めて教わったのもこの「道灌」。一年間、「道灌」しか教えてくれなかったそうです。

雪の降る寒い夜、牛込の藁店という席に前座で出たとき、お次がまったく来ず、つなぎに立て続けに三度、それしか知らない「道灌」をやらされ、泣きたい思いをしたという、同師の思い出話。

そのとき付いたあだ名が「道灌屋」。

たいして面白くもないエピソードですが、文楽師の人となりが想像できますね。

志ん生や金馬の「道灌」

あらすじの参考にしたのは五代目志ん生の速記ですが、どちらかというと後半の八五郎の「実演」に力を入れ、全体にあっさりと演じています。

かつての大看板でほかによく演じたのが、三代目金馬でした。金馬では、姉川の合戦のいくさ絵から「四天王」談義となり、ついで「太平記」の児島高徳を出し、大田道灌に移っていく段取りです。

太田道灌

太田道灌(1432-86)は、長禄元年(1457)、江戸城を築いたので有名です。

この人、上杉家の重臣なんですね。

主人である上杉(扇谷)定正に相模国糟谷で、入浴中に暗殺されました。

歌人としては、文明6年(1474)、江戸城で催した「江戸歌合」で知られています。

七重八重……

『後拾遺集』所載の中務卿・兼明親王の歌です。

行縢

むかばき。狩の装束で、獣皮で作られ、腰に巻いて下半身を保護するためのものです。

【道灌 立川談志】

寿限無 じゅげむ 演目

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生まれた男児に名前を付ける。隠居を寄る辺にしたら無量寿経から命名されて。

【あらすじ】

待望の男の子が生まれ、おやじの熊五郎、お七夜に名前を付けなければならないが、いざとなるとなかなかいいのが浮かばない。

自分の熊の字を取って熊右衛門とでもするか、加藤清正が好きだから、名字の下にぶる下げて「田中加藤清正」と付けるか……いや、ハイカラな名前でネルソン、寝ると損をするから、稼ぐように……と考えあぐねて、平山の隠居の所へ相談に行く。

何か好みがあるかと聞かれ、三日の間に五万円拾うような名前、と欲張ったが、そんなのはダメだと言われ、それなら長生きするような名前を、ということになった。

隠居、松、竹、梅、鶴、亀と長命そうな字がつくのを並べるが、どれも平凡過ぎて気に入らない。

「そんなら、長助てえのはどうだ? 長く親を助ける」
「いいねえ。けど、あっしども一手販売で長生きするってえ、世間に例がねえなめえはないですかね」

隠居、しばらく考え、今お経に凝っているが、無量寿経という経文には、案外おめでたい文字があると言う。

たとえば、寿限無。

寿命限りなしというからこれはめでたい。

五劫のすり切れず、というのがあるが、三千年に一度天人が天下って羽衣で岩をなで、それがすり切れてなくなってしまうのが一劫だから、五劫というと何億年か勘定できない。

海砂利水魚は数えきれない物をまとめて呼んだ言葉。

水行末、雲来末、風来末はどこまで行っても果てしない大宇宙を表す。

衣食住は人に大切だから、田中食う寝る所に住む所。

やぶらこうじぶらこうじというのもあり、正月の飾りに使う藪柑子だからめでたい。

またほかに、少々長いが、パイポ、シューリンガ、グーリンダイ、ポンポコピー、ポンポコナーというのがある。

パイポは唐のアンキリア国の王様、グーリンダイはお妃、ポンポコピーとポンポコナーは 二人の王子で、そろってご長命……それだけ聞けばたくさんで、あれこれ選ぶのは面倒と熊さん、出てきた名を全部付けてしまう。

この子が成長して小学校に行くと、大変な腕白だから、始終近所の子を泣かす。

「ワーン、おばさんとこの寿限無寿限無五劫のすり切れず海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝る所に住む所藪ら柑子ぶら柑子パイポパイポパイポのシューリンガ、シューリンガーのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピ、ポンポコナの長久命の長助が、あたいの頭を木剣でぶったアー」

言いつけているうちに、コブがひっこんだ。

【しりたい】

ルーツは

仏教の教説をもとにした噺です。

東京大空襲の犠牲となった野村無名庵は、この噺の原典として、民話集「聴耳草子」中の小ばなしを挙げています。その中の子供の名は、「一丁ぎりの丁ぎりの、丁々ぎりの丁ぎりの、あの山越えて、この山越えて、チャンバラチャク助、木挽の挽助」で、長いだけで特に長寿には関係ありませんが、終わりは、子供が井戸に落ち、長い名を皆で連呼して、和尚まで経文のような節で呼ぶので子供が「だぶだぶだぶ」と溺死します。

大阪の演出(「長命のせがれ」)もこれと同じで、残酷な幕切れになります。

五劫

「劫」には「石劫」と「芥子劫」があります。前者がこの噺の隠居の解釈。後者の「芥子劫」は、方四十里の城の中の芥子一粒を、三年に一度鳳(おおとり)がくわえていき、これがすべてなくなる時間です。

「すりきれ」か「すりきれず」か?

演者によって変わりますが、「五劫(ごこう)」そのものの定義なら前者、名前として無限の寿命を強調するなら後者でしょう。

言い立てのリズムを重んじれば「すりきれ」、はなしの内容重視なら「すりきれず」というところ。

そこで、三代目(先代)三遊亭金馬は、客には「すりきれず」と聞こえさせ、実際には「すりきれ」と言っているという、苦肉の妥協案を編み出しました。

大看板の前座噺

「寿限無」は前座の口ならしの噺で、大看板の師匠連はさすがにあまり手がけませんが、八代目林家正蔵は、信仰篤かったためか、滋味あふれる語り口で、この噺をホール落語でも演じました。

その他、戦後の大物では、自分の飼い犬に「寿限無」と名づけた先代金馬、熊五郎が無類におかしかった九代目桂文治がそれぞれ得意にしました。

聴きどころ

長い名が近所の子から母親、父親と渡りゼリフになるところが、この噺のおかしみでしょう。

母親が、「あーら、悪かったねえ。ちょいとおまいさん、たいへんだよ。『寿……』が金ちゃんの……」と言うとオヤジが、「なんだと。するとナニか、『寿……』の野郎が……」と繰り返します。

もっとも、劇評家の安藤鶴夫は著書『落語国紳士録』で、気の利いた「こぼれ噺」を創作しています。例によって長い名で叱られている寿限無に、友達が、「どうしたの、寿っちゃん」

世界一の長寿者?

古代はともかく、近世以降での長寿記録保持者は「武江年表」などに記載されている、志賀随翁にとどめをさすでしょう。

なにせ、この怪老人、享保10年(1725)現在で数え178歳。逆算すると天文18年(1548)の生まれ。はっきりした没年はわかりませんから、ひょっとすると、まだ生きているかもしれません。

これが文句なしに人類史上最長寿、と思っていたら、やっぱり現れました対抗馬。世界は広い。

『ロンドン塔の宝探し』(臼田昭)に登場する英国代表・ヘンリー・ジェンキンズは169歳(1501-1670)、ついで、かの有名なウイスキー銘柄のラベルになったオールド・パーが152歳(1483-1635)のよし。

まあ、三人とも、怪しげなことではいい勝負ですが、なんにしても、あやかりたいものです。

【寿限無 柳家三三】

新聞記事 しんぶんきじ 演目

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新聞が新鮮だった時代の噺。前座がよくやってます。

別題:阿弥陀が池(上方、改作)

【あらすじ】

慌て者で少しぼーっとした八五郎。

ご隠居のところでバカを言っているうちに、
「おまえ、新聞は読むか」
と聞かれる。

「へえ、月初めに一月分」
「そりゃ古新聞だろ。じゃ、まだ今朝のを見てないな」

急に隠居の声が低くなって、
「おまえの友達の天ぷら屋の竹さんが、昨夜夜中に泥棒に殺された」
という。

竹さんが寝ていると、枕元でガサガサ物音がするので電気をつけると、身の丈六尺はあろうという大男。

そいつがギラリと日本刀を抜いて、
「静かにしろ」
と脅したが、竹さん、なまじ剣術の心得があるものだから、護身用の樫の棒を取るとピタリと正眼に構えた。

泥棒は逆上して、ドーンと突いてくる。竹さん、ヒラリとかわして馬乗りになり、縛ろうとすると、泥棒がのんでいたあいくちで胸元をグサッ! 

「あっ」
と後ろへのけぞって一巻の終わり。

家は右往左往の大騒ぎで、そのすきに泥棒は逃げ出した。

しかし、悪いことはできないもので、五分たつかたたないうちにアゲられた。

それもそのはず、天ぷら屋……。

なんのことはない、落とし噺でからかわれただけ。

ところが八五郎、これを聞いてすっかり感心し、自分もやってみたくなった。

当の本人の家で
「天ぷら屋の竹が殺されたよ」
とやって、ほうほうの体で逃げ出した。

それでもまだ懲りずに、もう一人のところへ上がり込んだ。

隠居の
「おい、ばあさん、八っつあんが来たよ。茶を出してやんな」
のセリフからそっくり始めたから、
「おい、なんでウチの女房をばあさんにしやがるんだ」
とケンツクを食わされてミソをつける。

こうなれば、もう乗りかけた船。

強引に殺人事件を吹きまくるが、ところどころおかしくなり、泥棒の身の丈が一尺六寸になったり、あいくちが出てこないで包丁になったり、竹さんがヒラリとタイをかわした、のタイが思い出せずに、二つ並んでいる→布袋大黒→恵比寿様→釣竿→魚→鯛で連想ゲームまでやってのける。

ようやく最後の、五分たつかたたないうちに、というところまで行き着いたが、またも肝心の「あげられた」が出ない。

四苦八苦していると、向こうが先に
「アゲられただろ。天ぷら屋だからな」
とやってしまった。

それを言いたいためだけに連想ゲームまで演じたのだから、立つ瀬がない。

「ところでおめえ、その話の続きを知ってるかい? 竹さんのかみさんが、亭主が死んで、もう二度とだんなは持たないと、尼さんになったてえのは」
「どうして」
「もとが天ぷら屋のかみさんだけに、衣をつけたがらあ」

底本:三代目三遊亭円歌

【しりたい】

上方落語の改作

昭和初期、二代目昔々亭桃太郎(1910-70)が「百田芦生」の筆名で作ったものです。

上方の「阿弥陀が池」の改作で、桃太郎は元ネタの後半の筋立てをうまく取り入れ、東京風にすっきり仕上げています。

桃太郎没後は先代柳亭痴楽に継承され、ついで三代目三遊亭円歌のレパートリーにもなりました。

ギャグも豊富で、筋立ても面白いので、最近は若手も手がけるようになりました。

「阿弥陀が池」

日露戦争後に初代桂文屋(1867-1909)が作ったといわれ、今も上方落語の代表作となっています。

「新聞記事」と筋は似ていますが、ヨタ話のネタの主人公は戦死した将校夫人の尼さん。忍んで来る泥棒が偶然夫の元部下で、それがわかって許しを請うと、「おまえが来たのも仏教の輪廻。誰かが行けと教えたのであろう」「阿弥陀が行け言いました」という、尼寺のある場所(阿弥陀が池のほとり)と掛けた洒落話で隠居にだまされる筋立てです。

桃太郎のこと

作者である二代目昔々亭桃太郎は柳家金語楼の実弟です。昭和初期から戦後にかけ、「桃太郎さんでございます」という開口一番のフレーズとともに、「桃太郎後日」など自作自演の明るい新作落語で親しまれました。時折、東条英機に落語を聴かせていたとか。

噺のカンどころ

「おうむと呼ばれる、くり返しの面白さで笑わせるはなしだけに、しこみ、つまり前半の部分の演じ方がむずかしいところなのです」
                            (三代目三遊亭円歌)

【新聞記事 六代目三遊亭円楽】

茶の湯 ちゃのゆ 演目

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お金儲けは簡単に熟せても、文化は熟しがたいもんです。

【あらすじ】

家督を息子に譲った大店(おおだな)のご隠居、小僧を一人付けて、根岸の隠居所でのんびり暮らしているが、毎日することがなく、退屈で仕方がない。

若だんなは少し茶の湯のたしなみがあるので、いくらかは気が紛れるだろうと気を利かせて、茶室を作ってくれたが、隠居の方はまるで風流気がなく、道具なども放ったまま。

しかし、さすがに退屈に耐えかねて、まあちょっとやってみようかと小僧と相談するが、何をそろえていいのだか、二人ともとんとわからない。

青い粉ならとにかくよかろうと、買ってきたのが青黄粉。

茶筅(ちゃせん)でガラガラかき回してみたものの、黄粉だから沸騰もしなければ泡も立たない。

これではしかたがないと、何か泡立つものをというので、小僧が椋(むく)の皮を買ってきた。

もともとシャボン代わりに使うものだから、これはブクブクと派手に泡ばかり。

とてものめる代物ではないが、そうしているうちに二人ともだんだん面白くなり、お客を呼びたくなった。

呼ばれる奴こそいい面の皮だが、みんなお店に義理があるから、渋々ながらゾロゾロやってくる。

のんでみると青黄粉に椋の皮のお茶。

一同、のどに通らず、脂汗をダラリダラリ。

「あのォ、口直しを」
「茶の湯に口直しはありません」

しかたなく、お茶受けの羊羹(ようかん)を毒消しにと、来る人来る人が羊羹ばかり食らうので、もともとケチで通った隠居のこと、こう菓子代ばかり高くついたのではたまらないと、茶菓子も自前で作ることにした。

といって、作り方など知るわけがなく、サツマ芋を漉して、砂糖は高いから蜜で練って、とやっているうちに、粘って型から抜けなくなる。

「ええいッ、ままよ」と灯油を塗ってスポッと抜いたからさあ、ものすごいものができあがった。

これを「利休饅頭(まんじゅう)」と勝手に名づけ、羊羹の代わりにふるまったから、もう救いがない。

こんなヘドロのようなものを食わされた上、青黄粉と椋の皮では、命がいくつあっても足りないと、とうとうだれも寄りつかなくなった。

ある日、そんなこととは知らない金兵衛さんが訪ねてきたので、しばらく茶の湯をやれなかった隠居は大はりきり。

出されたものが例の利休饅頭。

さあ、てえへんなものォ食わしゃあがったと、思わず吐き出して、残りはこっそり袂へ。

せめてお茶で口をゆすごうと、のんだが運の尽きで青黄粉と椋(むく)の皮。

慌てて便所に逃げ込み、捨てる場所はないかと見渡すと、窓の外には建仁寺垣の向こうの田んぼ。

田舎道ならかまわないだろうと、垣根越しにエイッとほうると百姓の顔にベチャッ。

「あ、痛ァ、また茶の湯か」

【しりたい】

不運な人々

殺人的ティーパーティーに招かれる面々は、六代目三遊亭円生の演出では、手習いの師匠豆腐屋鳶頭の三人でした。

この隠居が、長屋の居付き地主、つまり地主と大家を兼ねているため、行かないと店立(たなだ)てを食らって追い出されるので、しぶしぶながら出かけます。

「寝床」と同じ悲喜劇です。泣く子と隠居には勝たれません。

青黄粉は、ウグイス餅などにまぶす青みの粉、椋の皮は石けんの代用品で、煮ると泡立ちます。

さぞ、ものすごい代物だったでしょう。

円生、先代金馬の十八番

この犠牲者三人がそろって茶の作法を知らないので、恥をかくのがいやさに夜逃げしようとしたりするドタバタは、円生ならではのおかしさでした。

茶をのむ場面は、仕草で表現する仕方(しかた)ばなしのように三人三様を演じわけます。

茶道の心得のある人間が見るとなおおかしいでしょうと円生はのべていますが、演ずる側も素養は必要でしょう。

若い頃、年下の円生に移してもらった先代(三代目)金馬の当たり芸でもありました。柳家小三治のも、抱腹絶倒です。

【茶の湯 柳家小三治】