どうかん【道灌】落語演目

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【どんな?】

ご隠居と八五郎とのやりとり。

太田道灌の故事がためになる滑稽噺。

鸚鵡返しの、前座がよくやる噺です。

別題:太田道灌(上方) 横理屈

あらすじ

八五郎が隠居の家に遊びに行った。

地口(駄洒落)を言って遊んでいるうち、妙な張りまぜの屏風絵が目に止まる。

男が椎茸の親方みたいな帽子をかぶり、虎の皮の股引きをはいて突っ立っていて、側で女が何か黄色いものを持ってお辞儀している。

これは大昔の武将で歌詠みとしても知られた太田道灌が、狩の帰りに山中で村雨(にわか雨)に逢い、あばら家に雨具を借りにきた場面。

椎茸帽子ではなく騎射笠で、虎の皮の股引きに見えるのは行縢(むかばき)。

中から出てきた娘が黙って山吹の枝を差し出し引っ込んでしまった。

道灌、意味がわからずに戸惑っていると、家来が畏れながらと
「これは『七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき』という古歌をなぞらえて、『実の』と『蓑』を掛け、雨具はないという断りでございましょう」
と教える。

道灌は
「ああ、余は歌道にくらい」
と嘆き、その後一心不乱に勉強して立派な歌人になった、という隠居の説明。

「カドウ」は「和歌の道」の意。

八五郎、わかったのかわからないのか、とにかくこの「ナナエヤエー」が気に入り、自分でもやってみたくてたまらない。

表に飛び出すと、折から大雨。

長屋に帰ると、いい具合に友達が飛び込んできた。

しめたとばかり
「傘を借りにきたんだろ」
「いや、傘は持ってる。提灯を貸してくんねえかな。これから本所の方に用足しに行くんだが、暗くなると困るんだ」

そんな用心のいい道灌はねえ。

傘を貸してくれって言やあ、提灯を貸してやると言われ、しかたなく「じゃしょうがねえ。傘を貸してくんねえ」
「へっ、来やがったな。てめえが道灌で、オレが女だ。こいつを読んでみな」
「なんだ、ななへやへ、花は咲けどもやまぶしの、みそひとだると、なべとかましき……こりゃ都々逸か?」
「てめえは歌道が暗えな」
「角が暗えから、提灯を借りにきた」

しりたい

前座の悲哀「道灌屋」   【RIZAP COOK】

「道灌」は前座噺で、入門するとたいてい、このあたりから稽古することが多いようです。

前半は伸縮自在で、演者によってギャグその他、自由につくれるので、後に上がる先輩の都合で引き伸ばしたり、逆に短く切って下りたりしなければならない前座にとっては、まずマスターしておくべき噺なのでしょう。

八代目桂文楽(並河益義、1892-1971)が入門して、初めて教わったのもこの「道灌」。

一年間、「道灌」しか教えてくれなかったそうです。

雪の降る寒い夜、牛込の藁店という席に前座で出たとき、お次がまったく来ず、つなぎに立て続けに三度、それしか知らない「道灌」をやらされ、泣きたい思いをしたという、同師の思い出話。

そのとき付いたあだ名が「道灌屋」。

たいして面白くもないエピソードですが、文楽師の人となりが想像できますね。

志ん生や金馬の「道灌」

あらすじの参考にしたのは、五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)の速記です。

どちらかというと後半の八五郎の「実演」に力を入れ、全体にあっさりと演じています。

かつての大看板でほかによく演じたのが、三代目三遊亭金馬(加藤専太郎、1894-1964)でした。

金馬では、姉川の合戦のいくさ絵から「四天王」談義となり、ついで「太平記」の児島高徳こじまたかのりを出し、大田道灌に移っていく段取りです。

太田道灌   【RIZAP COOK】

太田道灌(1432-86)は、長禄元年(1457)、江戸城を築いたので有名です。

この人、上杉家の重臣なんですね。

主人である上杉(扇谷)定正に相模国糟谷で、入浴中に暗殺されました。

歌人としては、文明6年(1474)、江戸城で催した「江戸歌合」で知られています。

七重八重……   【RIZAP COOK】

『後拾遺和歌集』所載の中務卿なかつかさきょう兼明親王かねあきらしんのう(914-87、前中書王さきのちゅうしょおう)の歌です。

行縢   【RIZAP COOK】

むかばき。狩の装束で、獣皮で作られ、腰に巻いて下半身を保護するためのものです。

【道灌 立川談志】

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ちはやふる【千早振る】落語演目

【どんな?】

無学者もの。

知ったかぶりの噺。

苦し紛れのつじつまあわせ。

あっぱれです。

別題:木火土金水 龍田川 無学者 百人一首(上方)

あらすじ

あるおやじ。

無学なので、学校に行っている娘にものを聞かれても答えられず、困っている。

正月に娘の友達が集まり、百人一首をやっているのを見て、花札バクチと間違えて笑われる始末。

その時、在原業平ありわらのなりひらの「千早ちはやふる 神代かみよも聞かず たつた川 からくれないに 水くぐるとは」という歌の解釈を聞かれ、床屋から帰ったら教えてやるとごまかして、そのまま自称物知りの隠居のところに駆け込んだ。

隠居もわからないのでいい加減にごまかそうとしたが、おやじは引き下がらない。

で、苦し紛れに
龍田川たつたがわってのはおまえ、相撲取りの名だ」
とやってしまった。

もうここまできたら、毒食らわば皿までで、引くに引けない。隠居の珍解釈が続く。

龍田川が田舎から出てきて一心不乱にけいこ。

酒も女もたばこもやらない。

その甲斐あってか大関にまで出世し、ある時客に連れられて吉原に夜桜見物に出かけた。

その時ちょうど全盛の千早太夫ちはやだゆう花魁道中おいらんどうちゅうに出くわし、堅い一方で女に免疫のない大関龍田川、いっぺんに千早の美貌に一目ぼれ。

さっそく、茶屋に呼んで言い寄ろうとすると、虫が好かないというのか
「あちきはいやでありんす」
と見事に振られてしまった。

しかたがないので、妹女郎の神代太夫かみよだゆうに口をかけると、これまた
「姉さんがイヤな人は、ワチキもイヤ」
とまた振られた。

つくづく相撲取りが嫌になった龍田川、そのまま廃業すると、故郷に帰って豆腐屋になってしまった。

「なんで相撲取りが豆腐屋になるんです」
「なんだっていいじゃないか。当人が好きでなるんだから。親の家が豆腐屋だったんだ」

両親にこれまで家を空けた不幸をわび、一心に家業にはげんで十年後。

龍田川が店で豆を挽いていると、ボロをまとった女の物乞いが一人。

空腹で動けないので、オカラを恵んでくれという。

気の毒に思ってその顔を見ると、なんとこれが千早太夫のなれの果て。

思わずカッとなり
「大関にまでなった相撲をやめて、草深い田舎で豆腐屋をしているのは、もとはといえばおまえのためだ」
と。

「オカラはやれない」
と言って、ドーンと突くと千早は吹っ飛び、弾みで井戸にはまってブクブクブク。

そのまんまになった。

これがこの歌の解釈。

千早に振られたから「千早ふる」、神代も言うことを聞かないから「神代も聞かず 龍田川」、オカラをやらなかったから「からくれないに」。

「じゃ、水くぐるってえのは?」
「井戸へ落っこって潜れば、水をくぐるじゃねえか」

しりたい

「ちはやふる……」  【RIZAP COOK】

「千早振る」は「神」にかかる枕詞で、もちろん本当の解釈は以下のようなものです。

 (不思議なことの多かった)神代でさえ、龍田川の水が 紅葉の美しい紅でくくり染め (=しぼり染め)にされるとは聞いたこともない。

とまあ、意味を知ればおもしろくもおかしくもない歌です。隠居の珍解釈の方がよほど共感を呼びそうです。

龍田川は、奈良県生駒郡斑鳩いかるが町の南側を流れる川で、古来、紅葉の名所で有名でした。

原話とやり手  【RIZAP COOK】

今でも、前座から大看板まで、ほとんどの落語家が手掛けるポピュラーな噺です。

「薬缶」と同系統で、知ったかぶりの隠居がでたらめな解釈をする「無学者もの」の一つです。

古くは「木火土金水(もっかどごんすい)」という、小ばなしのオムニバスの一部として演じられることが多く、その場合、この後「薬缶」につなげました。

安永5年(1776)刊『鳥の町』中の「講釈」を、初代桂文治(伊丹屋惣兵衛、1773-1815)が落語にしたものです。明治期では三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)の十八番でした。

本来は、「千早振る」の前に、「つくばねの嶺より落つるみなの川……」の歌を珍解釈する「陽成院ようぜいいん」がつけられていました。

オチの異同  【RIZAP COOK】

あらすじのテキストにしたのは、五代目古今亭志ん生の速記です。

志ん生が「水をくぐるじゃねえか」で切っているのは、むしろ珍しい部類でしょう。

普通はこのあと、「じゃ、『とは』ってえのはなんです?」「それは、ウーン、千早の本名だった」と苦しまぎれのオチになります。

花魁道中  【RIZAP COOK】

起源は古く、吉原がまだ日本橋葺屋町にほんばしふきやちょうにあった「元吉原」といわれる寛永年間(1624-44)にさかのぼるといわれます。

本来は遊女の最高位「松の位」の太夫が、遊女屋から揚屋あげや(のちの引手茶屋。上客を接待する場)まで出向く行列をいいましたが、宝暦年間(1751-64)を最後に太夫が絶えると、それに次ぐ位の「呼び出し」が仲の町を通って茶屋に行く道中を指すようになりました。

廓が点灯する七ツ半(午後5時)ごろから始まるのが普通でした。

陽成院  【RIZAP COOK】

陽成院の歌、「つくばねの みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて ふちとなりぬる」の珍解釈。京都の陽成院という寺で開かれた勧進相撲で、筑波嶺と男女の川が対戦。男女の川が山の向こうまで投げ飛ばされたから「筑波嶺の峰より落つる男女の川」。見物人の歓声が天皇の耳に入り、筑波嶺に永代扶持米をたまわったので、「声ぞつもりて扶持となりぬる」。しまいの「ぬる」とは何だと突っ込まれて、「扶持をもらった筑波嶺が、かみさんや娘に京の『小町香』、要するに香水を買ってやり、ぺたぺた顔に塗りたくったから、『塗る』だ」

蛇足ながら、陽成院とは第57代の陽成天皇(869-949)が譲位されて上皇になられてのお名前です。この天皇、在位中にあんまりよろしくないことを連発されたため、時の権力者、藤原氏によってむりむり譲位させられてしまいました。天皇の在位は876年から884年のたった8年間でした。その後の人生は長かったわけで、なんせ8歳で即位されたわけですから、やんちゃな天子だったのではないでしょうか。

じぐちあわせ【地口合わせ】落語演目

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【どんな?】

「おやじくすぐり」などとさげすまされちまっては、地口が泣きますね。

【あらすじ】

隠居が俳諧に凝っているというので、遊びに行った八五郎が、ぜひあなたの同類にしておくんなさいと頼み、珍妙な句会が始まった。

隠居が雪の題で
「初雪や せめて雀の 三里まで」
という通句があると言うと、八五郎が
「雀が三里 灸をすえたんで?」

隠「初雪や 二の字二の字の 下駄の跡」
八「初雪や 一の字一の字 一本歯の下駄の跡」
隠「初雪や 狭き庭にも 風情ある」
八「初雪や 他人の庭では つまらない」

さらに八五郎が
「初雪や 鉄道馬車の馬の足跡 お椀八つかな」
「初雪や 大坊主小坊主 おぶさって一緒に 転んで頭の足跡 お供えかな」
と迷句を連発。

隠居が
「おまえはおしゃべりだから、俳句より地口(語呂合わせ)の方が向いている」
と言うと、八は
「これは得意だからまかしておくんなさい」
と、これまた自信作を次から次へ。

「侍がフンドシを締めて片手に大小、片手に団扇で飛び上がっていると、下に据え風呂桶があって、その中から煙が出ている」
という長ったらしい前置きで
「飛んで湯に入る夏の武士(飛んで火にいる夏の虫)」

爺さんが集会をしているところに雨が降って
「雨降ってジジかたまる」
とまあ、やりたい放題。

「今度は狂歌七度返しはどうだ」
と隠居が言う。

「りんりんりんと咲いたる桃さくら嵐につられ花はちり(散り)りん」
「りんりんりんと振ったるなぎなたを一振り振れば首はちりりん」
「りんりんりんとりんごや桃を売っているさも欲しそうに立ってキョロリン」
「山王の桜に去るが三下がり合の手と手と手手と手と手と」
「トテテトテトテトテテテ」
「ラッパだね。手と手と手手と手と手と」

「トテトテテテトテト」
とやっていると、表から人が
「箔屋さんはこちらですか?」

底本:二代目禽語楼小さん

★auひかり★

【うんちく】

名人の「遺言」

明治31年(1898)8月の『文藝倶楽部』に、二代目禽語楼小さん(大藤楽三郎、1848-98)の速記が載っています。

「禽語楼」は柳家小さんの隠居名。

ここでは「ぢぐち」と題して速記を載っています。

ところが、当人はその一月前の同年7月3日、満49歳で没しているため、これは事実上の置き土産、遺言とでもいえるものとなってしまいました。

実際、小さんが病床で、速記者を呼んで口述筆記させたものと速記の断り書きにあります。

まあ、遺言がダジャレの羅列というのも、いかにも噺家らしいといえるでしょう。

改変自在の地口噺

原話は不明で、地口(ダジャレ)を並べ立てただけのものに、オチの部分は「雑俳」の「りん廻し」の部分を付けています。

地口そのものがわかりにくくなったため、現在ではこの題で口演されることはほとんどありません。

後半部分は「雑俳」の一部となっています。

地口の部分は演者によって大幅に変わります。

例えば、こわい大家を壷で焼いて「差配(さはい=さざえ)の壷焼き」、樽の中に子供が遊んでいて「樽餓鬼(=柿)」など。

今、シャアシャアとやれば、トマトをぶつけられるような古めかしい噺ですが、そこが「古きよき時代」だったのでしょう。

箔屋

はくや。箔屋は、金、銀、銅、真鍮などをたたいて、薄く平たく延ばす商売。

オチは、「トテトテトテ」というのを、箔屋の槌の音と間違えたというだけ。

これをラッパに直し、「雑俳」のマクラに使うこともあります。

【語の読みと注】
真鍮 しんちゅう

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