牛の嫁入り うしのよめいり 演目

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今度の与太郎はちょいと知恵が働くんですが、それがまた一騒動の素。

別題:おたおたの太助(上方)

【あらすじ】

小伝馬町の質屋の娘。

年ごろになるが、なかなかの器量よしで、その上、芸事は絵から俳諧、歌はおろか、弓馬、槍剣の道まで心得ているという噂の高い才女。

一人娘なので、そろそろ養子を迎えなければならず、孝行者なので、早くいい婿が見つかって両親を安心させたいと、向島の牛の御前に願掛けをして日参している。

町内の若い衆の噂を聞きつけた、本所松坂町に住む紙くず拾いの与太郎。ほかの与太郎とは少々違って頭が冴えているので、女をなんとかして手に入れてやろうと、牛の御前に先回りし、麻の風呂敷をかぶって頭にお椀を乗っけ、笏代わりにシャモジを手に持って、娘が来るのを待った。

なにも知らない娘、いつものように社前に立ち、賽銭をあげて柏手を打つ。

「なにとぞ私によい御養子をお授けください」
と熱心に祈る。

そこへ与太郎が賽銭箱の間からスクッと立ち上がり
「ああ、これ、我こそは牛の御前なり。その方は親孝行なるに感じ、利益によって養子を一人授けるなり」

娘は仰天。

願いがかなえられたと大喜びで
「ありがたいことでございます。そのご養子はどこのお方でしょう」
「本所松坂町紙くず拾いの与太郎と申す者なり。この者は粋でりっぱでちゃんとして、東男のぬしさんに惚れたが無理かションがいな、あーら疑いあるべからず」

たちまち娘は、このまだ見ぬ男に恋わずらい。

親には恥ずかしくて言いだせないから、悶々としたまま床につき、食事も喉へは通らない。

心配しただんな、乳母をやってようやく聞き出すと、かわいい娘のためと、さっそく番頭の久蔵を呼び、その「本所松坂町の古紙回収業の与太郎さんは粋で立派でちゃんとして、東男の主さんに惚れたが無理かションがいな、あーら疑うべからず」という寿限無並みに長い名前の男に会ってこいと命じる。

久蔵が見ると、えらく汚い男なのでがっかりしたが、当人がそうだというのだから間違いはなかろうと、帰ってだんなに報告した。

だんな、それは身なりでなく人柄がいいのだろうと、「あーら疑うべからず」を婿にすることに決めたが、娘の体がまだよくないから、車では揺れてだめだと、長持ちに空気穴を空けて、夜具一式と一緒に娘を入れ、大勢だと評判になるから、善兵衛と喜助の二人に担がせて、松坂町に送り届けることにした。

二人が途中の牛屋で一杯やっている間に、本所の牛方が子牛をひいて通る。

牛屋の前に下ろしてある長持ちの中からうめき声がするので、のぞくと娘っ子が入っている。

これは人さらいだと早合点して、娘を引っ張り出すと、身代わりに子牛を入れ、娘を連れて行ってしまった。

すっかりできあがった二人。

長持ちを与太郎の家に届けると、すぐ帰ってしまったので、与太郎はゾクゾクしながら中をまさぐる。

えらく臭くて太った娘だと思って別の所を触ると、そこが子牛の尻尾。

「ウーン、大変に長い髪だ。大方下げ髪で来たんだろう」

底本: 初代三遊亭円遊

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【しりたい】

民話の落語化か

東京ヴァージョンのこの「牛の嫁入り」は、明治23年(1890)の「鼻の」円遊こと初代三遊亭円遊の速記が残るのみの、今はすたれた噺です。

もともと上方落語の「おたおたの太助」を東京に移したものといわれますが、この元ネタ自体、オチが円遊版と同じという以外、今では詳細がまったく分からなくなっています。

したがって、原話も、東京に伝わった経緯・時期も不明ですが、ただ、民話に同じ題名のものがあるため、上方のものも含め、ルーツはやはり民話や昔話にあると思われます。

類話「お玉牛」

娘と牛が寝床ですりかわるという後半の筋と似ているのが、現在でも上方で口演される「お玉牛」です。

これは、武士の娘お玉が、父親が悪人に陥れられたため父娘で都落ちし、紀州と大和の国境の堀越村へ流れ着きますが、土地の乱暴者あばばの茂平に強引に言い寄られ、今夜にも夜這いをかけられるハメに。お玉の訴えを聴いた世話人の与次兵衛が機転で、その夜、お玉の寝床に牛を寝かせておいたので、何も知らず、舌なめずりで忍んできた茂平は牛に抱きつき、肝をつぶして逃げ出します。オチは「どや、お玉をうんと言わしたか」「いや、モーと言わした」というものですが、これも民話ダネとみられるので、「おたおたの太助」や「牛の嫁入り」とルーツは同じでしょう。

こちらは、古くは東京でも同題で後半のみを、上方通りに演じたこともあったようです。

違ったやり方も

現在は東京では演じられず、また、円遊以後の演者についてもはっきりしませんが、古いやり方としては、娘ではなく父親が願掛けして与太郎の化けた神の「御託宣」を開くやり方もあったといいます。また、驚いた与太郎が大家の家に逃げ込み、「暗闇から牛を引っ張り出しました」とするオチや、舞台を亀戸天神(与太郎も天神に化ける)にしていた演者も。

牛の御前

正式には牛島神社で、墨田区向島一丁目の隅田公園内に移されています。関東大震災の焼失前は、向島五丁目の墨堤常夜灯下にありました。牛の御前は祭神のスサノオノミコトのことです。

小伝馬町

中央区日本橋小伝馬町。時代劇でもよく知られた小伝馬町大牢のあった町ですね。

【語の読みと注】
牛の御前 うしのごぜん:牛島神社
笏 しゃく
賽銭 さいせん

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位牌屋 いはいや 演目

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すさまじいケチんぼうのはなし。ブラック噺の極北です。オチがきいてます。

別題:位牌丁稚

【あらすじ】

ケチでは人後に落ちないだんな。

子どもが生まれ、番頭の久兵衛が祝いに来ても、
「経費がかかるのに何がめでたい」
と小言を言う。

なにしろ、この家では奉公人に魚などくわせたことはなく、三年前に一人、目を悪くしたとき、まじないにメダカを三匹呑ませただけなのだから、とても赤飯に尾頭付きどころの騒ぎではない。

八百屋が摘まみ菜を売りに来ると、八貫五百の値段を、
「八貫を負けて五百で売れ」
と言って怒らせ、帰ると、こぼれた菜を小僧に拾わせて味噌漉しいっぱいにしてしまう。

今朝の、芋屋との会話。

五厘だけ買った。

だんな「小僧を使いにやったが、まだ帰らないから、ちょいと煙草を貸しとくれ」
芋屋「おあがんなさい」
だんな「いい煙草だ。いくらだい? 一銭五厘? 商人がこんな高い煙草のんじゃいけない。家はどこだい?」
芋屋「神田堅大工町です」
だんな「家内多か?」
芋屋「女房とせがれが一人で」
だんな「買い出しはどこでしなさる」
芋屋「多町でします」
だんな「弁当なぞはどうしている?」
芋屋「出先の飯屋で食います」
だんな「そりゃもったいない。梅干しの一つも入れて弁当を持って出なさい。茶とタクアンぐらいはあげるから、ウチの台所でおあがり。いや、うまかった。食うのがもったいないから置き物にしたいぐらいだ。時に、これを一本負けておきな」

この会話をそっくり繰り返す。

三回目に「家はどこだい」と始めたところで、芋屋は悪態をついて帰ってしまう。

嫌がられても五厘で二回負けさせ、たばこをタダで二服。

そのだんな、小僧の定吉に、注文しておいた位牌を取りに仏師屋へやる。

それも裸足で行かせ、
「向こうにいい下駄があったら履いて帰ってこい」
と言いつけるものすごさ。

定吉と仏師屋の親父の会話。

定吉「小僧を使いにやったが、まだ帰らないから、ちょいとたばこを貸しとくれ」
親父「てめえが小僧じゃねえか」
定吉「商人がこんな高いたばこをのんじゃいけねえ。家はどこだい?」
親父「ここじゃねえか」
定吉「家内多か?」

全部まねして、今度は位牌をほめる。

「いい位牌だ。食べるのはもったいないから、置き物にしたいくらいだ。形がいい。時に、これ一本負けときな」
「おい、持ってっちゃいけねえ」

ちゃっかり位牌を懐に入れ、オマケの小さな位牌もぶんどって、一目散に店へ。

「下駄は履いてきたか」
「あ、あわてたから片っぽだけ」
「しょうがねえ。そりゃなんだ」
「位牌です」
「同じオマケなら、なぜ大きいのをぶんどってこない」

だんなが小言を言うと、定吉は
「なーに、生まれた坊ちゃんのになさい」

底本:六代目三遊亭円生

【しりたい】

吉四六話が原話

後半の、位牌を買いに行くくだりの原話は、文政7年(1824)、江戸で刊行された『新作咄土産』中の「律義者」で、現行とオチまでまったく同じですが、前半のケチ噺は、宇井無愁によると、豊前地方の代表的なとんち民話、吉四六話を二編ほどアレンジしたものということです。

上方落語「位牌丁稚」が東京に移されたものとみられますが、詳細は不明です。昭和以後では、六代目三遊亭円生、三代目三遊亭小円朝などが、時折「逃げ噺」の一つとして演じました。

位牌屋

仏師屋ともいいます。「仏師」は仏像を彫刻する人、もしくは描く人で、それぞれ木仏師、絵仏師と呼びました。後世、それらが衰退し、江戸時代に入ると、死者の霊を祭る位牌が一般に普及したため、位牌を作って売る者を仏師屋と呼ぶようになったわけです。人間は死ねば仏になるから、位牌も仏像も同じ感覚で扱われたため、この名称が転化したものと考えられます。

ブラック噺

かなりすごいオチで、これゆえにこそ、この噺は凡百のケチ噺と区別され、ブラック落語として異彩を放っているわけです。

世の善男善女の非難をかわすため、この「生まれた坊ちゃんのになさい」という最後っ屁につき、「たんなるあほうな小僧の、無知による勘違い」と言い繕う向きもありますが、どうしてどうして、確信犯です。かなりの悪意と嫉妬と呪詛が渦を巻いていると解釈する方が自然でしょう。それをナマで表してしまえばシャレにならず、さりげなく、袖の下にヨロイをチラチラと見せつけるのが芸の力というものでしょうね。

【語の読みと注】
吉四六 きっちょむ
宇井無愁 ういむしゅう:上方落語研究家
豊前 ぶぜん:大分県

本膳 ほんぜん 演目

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【RIZAP COOK】

今も悩ますテーブルマナー。フレンチばかりか和食にだって昔から。

【あらすじ】

ある村のむらおさ(庄屋)の家で嫁取りをした。

村の衆が婚礼の際に祝物を贈った返礼に、今夜、村のおもだった者三十六人が招待され、ごちそうになることになったが、誰も本膳の作法や礼式を知らない。

恥をかきたくないので、江戸者の手習いのお師匠さんに頼んで、泥縄で教えてもらうことにした。

相談された師匠、
「今夜ではとても一人ずつ稽古する時間はないから、上中下どこの席についても、自分のすることをまねするように」
と言い、
「羽織りだけは着ていくように」
と注意する。

「それなら間違えがねえ」
と一同安心して、いよいよ宴席。

主人があいさつし、盃が回された後、いよいよ本膳。

師匠が汁碗の蓋を取ると、一同同じように蓋を取る。

師匠が一口吸うと、隣の男が次席の者に
「これ、二口吸うでねえぞ。礼式に外れるだ。一口だぞ。一口一口」

これを順番に同じ文句で隣の人間に伝えていくのだから、末席まで伝わるのにえらく時間がかかる。

今度はご飯を一口食うと、同じように
「たんと食ってはダミだぞ」
と伝達が回る。

師匠、おかしくなってクスリと笑うと、とたんに鼻先に飯粒が二粒くっついた。

一同、さあ、食うだけでは礼式を違えると、一斉に飯粒を鼻へ。

間違って五粒くっつけてしまった男が、あわてて三粒食ってしまう騒ぎ。

平碗が出て、中身は悪いことに里芋の煮っころがし。しかも箸が塗り箸だから、ヌルヌルしてはさめない。

師匠、不覚にもつるっと箸がすべって、膳の上に芋が転がり出た。

仕方なく箸で突っ付いていると、さっそくあちらでもこちらでも芋をコロコロコロ。箸でコツンコツンやるから、膳は傷だらけ。

先生、
「今のは違う違う」
といくら注意しても聞こえないから、隣の脇腹を拳固で突いた。

「あいてッ、今度の礼式はいてえぞ」
とまた、その隣をドン。それがまた隣をドン。

「いてえ、あにするだ」
「本膳の礼式だ。受け取ったら次へまわせ」
「さあ、この野郎」
「そっとやれ」
「そっとはやれねえ。覚悟スろ。ひのふのみ」
「いててッ」

最後の三十六人目が思いきり突いてやろうと隣を見ても誰もいない。

「先生さまぁ、この礼式はどこへやるだ?」

底本:八代目林家正蔵(彦六) 三代目柳家小さん

【RIZAP COOK】

【しりたい】

大昔から変わりなく

後漢(25-220)の笑話集『笑林』中の「-人欲相共只喪」が最古の原話とされます。

これは、葬列で足を踏まれた人が怒って「バカ」と罵ったのを後ろの者が追悼の儀礼と勘違いし、一同まねして「バカ」と叫んだというお話。 

日本の笑話では、元和年間(1615-24)刊の『戯言養気集』中の無題の小咄で、信濃国深志の連中が伊勢参宮して御師(=伊勢神宮の神職)に膳をふるまわれ、先達の坊さんが山椒にむせて顔をしかめ、水をのんだのを全員まねする、というお笑い。万治2年(1659)刊の『百物語』にも、にゅう麺の薬味の山椒にむせてクシャミをし、四つんばいで退出するのをまた一同まねする小咄があります。

各地の民話に類話があるようで、現代の結婚式風景などを見ても、テーブルマナーなるものが古今東西、いかに人を悩ませてきたかが伺われます。

本膳

日本料理の正式の膳立てで、ふつうは三の膳まであります。最初に出る一の膳を本来「本膳」と呼びますが、三の膳までひっくるめてそう呼ぶ場合もあります。

正式なマナーとしては、和え物と煮物に続けて箸をつけない、菜と汁をいっしょに食べない、迷い箸をしない、おかわりの時は飯碗を受け取ったら必ず一度膳に置く、などがあります。いやはや、うるさいことです。本膳では、一の膳に飯がつくのがふつうです。

彦六、小さんが得意に

三代目柳家小さんから四代目を経て、五代目小さんに受け継がれていたほか、三代目小さんの養子だった二代目柳家つばめに教わって、八代目林家正蔵(彦六)もよく演じました。地味で笑いも少なく、ウケにくい噺なので、現在は若手ではほとんど手掛ける者がなく、CDも出ているのは五代目小さんのもののみです。

正蔵のものは、小さん系のやり方とほとんど変わりありませんが、招待されるきっかけが違っています。三代目小さんの大正3年(1914)の速記では名主の家へ江戸者の婿が来る披露で、庄屋以下が出かける設定です。江戸の人間に村の恥を見せたくないという見栄が、師匠に作法を習いに行く動機になっているわけです。

正蔵ではこの要素を省き、村長の招待で村民一同が出かけることにしてあります。これで、名主と庄屋は同じであるのに、同じ地方の一つの村に同時にいるのはおかしいという矛盾を解消しています。

オチは、五代目小さんは「この拳はどこへやるだ?」としていました。

村長

むらおさ。庄屋、名主に同じです。藩主(天領の場合は幕府→代官)の任命で、地頭(代官)の下で年貢そのほか、村の事務を司りました。関東以北で名主、関西で庄屋と呼びました。

講談にも類話

講談「荒茶の湯」では、福島正則以下の無骨な侍が、茶の席で上座の加藤清正を逐一まねして失敗します。

【RIZAP COOK】

牛ほめ うしほめ 演目

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与太郎はバカなのか、稀代の風刺家なのか。いつまでたっても謎のままです。

別題: 新築祝い  池田の牛ほめ(上方) 

【あらすじ】

少々たそがれ状態の与太郎。

横町の源兵衛が痔で困っているとこぼすので
「尻に飴の粉をふりかけなさい。アメふって痔かたまるだ」
とやって、カンカンに怒らせた。

万事この調子なので、おやじの頭痛の種。

今度おじの佐兵衛が家を新築したので、その祝いにせがれをやらなければならないが、放っておくと何を口走るかしれないので、家のほめ方の一切合切、-んで含めるように与太郎に教え込む。

「『家は総体檜づくりでございますな。畳は備後の五分べりで、左右の壁は砂摺りでございますな。天井は薩摩の鶉杢(うずらもく)で。けっこうなお庭でございますな。お庭は総体御影づくりでございますな』と、こう言うんだ」

まねをして言わせてみると、「家は総体へノコづくり、畳は貧乏でボロボロで、佐兵衛のカカアはひきずりで、天井はサツマイモとウヅラマメ、お庭は総体見かけ倒しで」と、案の定、コブだらけにされそう。

しかたなくおやじがセリフをかなで書いてやる。

まだ先があって、
「これから、おじさんの土手っ腹をえぐる」
「出刃包丁で」
「ばか野郎。理屈でえぐるんだ。台所の大黒柱の真ん中に、おおきな節穴が空いていて、なんとか穴が隠れる方法はないかとおじさんが気にしている。そこでおめえが、『そんなに気になるなら、穴の隠れるいい方法をお教えましょう』と言うんだ。おじさんが『何を言ってやがる』という顔をしたら、『台所だけに、穴の上に秋葉さまのお札を張りなさい。穴が隠れて火の用心になります』。これを言やあ、感心して小遣いくらいくれる。それから、牛を買ったってえから、それもほめるんだ。『天角、地眼、一黒、鹿頭、耳少、歯合でございます』と、こう言う」

与太郎、早速出掛けて、よせばいいのに暗唱したので
「佐兵衛のカカアはひきずりで」
をそのままやってしまい、雲行きが悪くなって慌ててメモを棒読み。

なんとか牛まで済んだ。

おじさんは喜んで、
「ばかだばかだと心配していたが、よくこれだけ言えるようになった」
とほめ、一円くれる。

そのうち、牛が糞をしたので、おじさんが
「牛もいいが、あの糞には困る。いっそ尻の穴がない方がいい」
とこぼすと与太郎、
「おじさん、穴の上へ秋葉様のお札を張りなさい」
「どうなる?」
「穴が隠れて、屁の用心にならあ」

底本:三代目三遊亭小円朝

【しりたい】

元祖はバカ婿ばなし

原典は、寛永5年(1628)刊の安楽庵策伝著『醒睡笑』巻一中の「鈍副子第二十話」です。

これは、間抜け亭主(婿)が、かみさんに教えられて舅宅に新築祝いの口上を言いに行き、逐一言われた通りに述べたので無事にやりおおせ、見直されますが舅に腫物ができたとき、また同じパターンで「腫物の上に、短冊色紙をお貼りなさい」とやって失敗するものです。

各地の民話に「ばか婿ばなし」として広く分布していますが、宇井無愁は、日本の結婚形態が近世初期に婿入り婚から嫁取り婚に代わったとき、民話や笑話で笑いものにされる対象もバカ婿からバカ息子に代わったと指摘しています。、それが落語の与太郎噺になったのでしょうが、なかなかおもしろい見方ですね。

「ばか婿ばなし」の名残は、現行の落語でも「あわびのし」「舟弁慶」などにそのまま残っています。

円喬も手がけた噺

天保4年(1833)刊で初代林屋正蔵編著の噺本『笑富林』中の「牛の講釈」が、現行の噺のもとになりました。なので、九代目正蔵も、本家として大いに演っていいわけです。

一応前座噺の扱いですが、明治の名人・四代目橘家円喬の速記もあります。円喬のオチは「秋葉さまのお札をお貼りなさい」で止めていて、「穴がかくれて屁の用心」のダジャレは使っていません。さすがに品位を重んじたというわけでしょう。

なお、大阪では「池田の牛ほめ」「新築祝い」の題で演じられ、お札は愛宕山のものとなっています。東京でも、「新築祝い」で演じるときは、後半の牛ほめは省略されることがほとんどです。

「畳は備後の五分べりで……」

備後は備後畳のことで、五分べりは幅1.5センチのものです。薩摩の鶉杢(=木)は屋久杉で、鶉の羽色の木目があります。

「佐兵衛のカカアはひきずりで」

引きずりはなまけ者のこと。もともと、遊女や芸者、女中などが、すそをひきずっているさまを言いましたが、それになぞらえ、長屋のかみさん連中がだらしなく着物をひきずっているのを非難した言葉です。

秋葉さま

秋葉大権現のことで、総社は現・静岡県周智郡春野町にあります。秋葉山頂に鎮座し、祭神は防火の神として名高いホノカグツチノカミ。

江戸の分社は現・墨田区向島四丁目の秋葉神社で、同じ向島の長命寺に対抗して、こちらは紅葉の名所としてにぎわいました。

「天角、地眼……」

天角は角が上を向き、地眼は眼が地面をにらんでいることで、どちらも強い牛の条件です。

あとの「一黒、鹿頭、耳小、歯違」は、体毛が黒一色で頭の形が鹿に似て、耳が小さく、歯が乱ぐい歯になっているものがよいということです。

なお、前記宇井無愁によると、農耕に牛を使ったのは中部・北陸以西で、それ以東は馬だったので、「屁の用心」でお札を貼るのも、民話ではそれを反映して東日本では馬の尻、西日本では牛の尻と分かれるとか。

近日息子 きんじつむすこ 演目

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上方噺。三十近い、このどら息子、ばかなんだか、こざかしいんだか。

【あらすじ】

三十歳近くになるが、ぼんくらな一人息子に、おやじが説教している。

芝居の初日がいつ開くか見てきてくれと頼むと、帰ってきて明日だと言うから、楽しみにして出かけてみると「近日開演」の札。

「バカヤロ、近日てえのは近いうちに開けますという意味だ」
とおやじが叱ると、
「だっておとっつぁん、今日が一番近い日だから近日だ」

なにしろふだんから、気を利かせるということをまるで知らない。

「おとっつぁんが煙管(きせる)に煙草を詰めたら煙草盆を持ってくるとか、えへんと言えば痰壺を持ってくるとか、それくらいのことをしてみろ。そのくせ、しかるとふくれっ面ですぐどっかへ行っちまいやがって」
とガミガミ言っているうち、おやじ、かわやに行きたくなったので、
「紙を持ってこい」
と言いつけると、出したのは便箋と封筒。

「まったくおまえにかかると、よくなった体でも悪くなっちまう」
と、また小言を言えば、せがれ、プイといなくなってしまった。

しばらくして医者の錆田先生を連れて戻ってきたから、わけを聞くと
「お宅の息子さんが『おやじの容態が急に変わったので、あと何分ももつまいから、早く来てくれ』と言うから、取りあえずリンゲルを持って」
「えっ? あたしは何分ももちませんか」
「いやいや、一応お脈を拝見」
というので、みても、せがれが言うほど悪くないから、医者は首をかしげる。

それを見ていた息子、急いで葬儀社へ駆けつけ、ついでに坊主の方へも手をまわしたから、説教の薬が効きすぎた。

長屋の連中も、大家が死んだと聞きつけて、
「あのばか息子が早桶担いで帰ってきたというから間違いないだろう、そうなると悔やみに行かなくっちゃなりません」
と相談する。

そこで口のうまい男がまず
「このたびは何とも申し上げようがございません。長屋一同も、生前ひとかたならないお世話になりまして、あんないい大家さんが亡くなるなん……」
と言いかけてヒョイと見上げると、ホトケが閻魔のような顔で、煙草をふかしながらにらんでいる。

「へ、こんちは、さよならっ」
「いいかげんにしろ。おまえさん方まで、ウチのばか野郎といっしょになって、あたしの悔やみに来るとは、どういう料簡だっ」
「へえ、それでも、表に白黒の花輪、葬儀屋がウロついていて、忌中札まで出てましたもんで」
「え、そこまで手がまわって……ばか野郎、表に忌中札まで出しゃがって」
とおやじが怒ると、
「へへ、長屋の奴らもあんまし利口じゃねえや。よく見ろい、忌中のそばに近日と書いてあらァ」

底本:三代目桂三木助

【しりたい】

「近日」は芝居用語

江戸時代の芝居興行では、金主(=スポンサー)と座主(=プロデューサー)のトラブル、資金繰りの不能、役者の「もっといい役をつけろ!」というクレームや、ライバル役者同士の序列争いなど、さまざまな原因で、予定通りに幕が開かないことがしばしばでした。

そこで、それを見越して、初日のだいぶ前から、「近日開演」の札を出して予防線を張っていました。

これを「近日札」といって、大阪・道頓堀の劇場街では、昭和に入っても戦争前まで、このしきたりが残っていたそうです。古くは上方でこれを「前繰(さきぐり)」とも呼びました。

民話からつくられた噺

「病人に坊主」という民話が原型といわれます。

小ばなしでは、先走って寺に知らせるくだりは安永3年(1774)、上方で刊行された笑話本『茶の子餅』中の「忌中」、オチの「近日札」の部分は、その前年に江戸で刊行の『仕形噺口拍子』中の「手まはし」がそれぞれ原話で、この二つをミックスして落語に仕立てたのでしょう。

特に後者は、すでに現在の「近日息子」の後半とほとんど同じです。

三木助の当たり噺に

もともと上方落語で、「吹き替え息子(干物箱)」と同じく「息子」という言い方も大阪のものです。

東京で口演されるようになったのは明治40年ごろからですが、東京の落語家はほとんど手掛けず、もっぱら上方くだりの二代目桂三木助などが、大阪のものをそのまま演じていた程度でした。

大阪での修行時代に二代目桂春団治からこの噺を伝授された生粋の江戸っ子・三代目桂三木助が戦後磨きをかけ、独特の現代的くすぐりをふんだんに入れて大当たり。十八番に仕上げました。

三木助演出の特徴は、年代を大正末期に設定してあるため、長屋の連中の会話がデスマス調でていねいなことや、名前も錆田に長谷川と、新作落語のような印象が新鮮な点でしょう。

三木助のくすぐりから

●(長屋の住人の会話。昨夜乙が湯屋で会った大家が死んだと聞いて)

甲「なんですか? ゆうべ湯に行って帰りにざるを二杯食べると、今朝死ねませんか」
乙「死ねないって理屈はないでしょうけどねえ」
甲「あのね、イースーピン(一四筒)が通ってもチーピン(七筒)が通らない場合があるン」

「イースーピン」のくすぐりは、戦後の麻雀ブームでサラリーマンや学生客に大ウケだったとか。

●(早桶をかついできた息子)

「おとっつあん、ちょっと入ってみてねえ、そいで具合が悪いようだったら、あの、今のうちならね、(寝棺と)取り替えてくれるって」

一眼国 いちがんこく 演目

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みんなが同じならヘンでもナンでもないんですねえ。

【あらすじ】

諸国をまわり歩く六部が、香具師(やし)の親方のところに一晩の宿を借りた。

香具師はなにか変わった人間でもいれば、いや化物ならなおさらいいが、とにかく捕まえて見世物にし、金もうけの種にしようと八方手を尽くして探している。

翌朝、六部に
「おまえさんは諸国をずいぶんと歩いている間に、ヘソで唄をうたったとか、足がなくって駆けだしたとか、そういう変わった代物を見ているだろう。ひとつ話を聞かせてくれないか」
と持ちかけたが、六部は
「そんな話はとんとない」
という。

一宿の恩をたてにさらにしつこく聞くと、ようやく、
「まァ、つまらないことですが……」
と、六部が思い出した話を披露する。

こちらに来る途中、道に迷って東へ東へと歩いていくと、森に入り、日も暮れかかったので、野宿でもしなければならないかと、ため息をつきながら木の根方に腰を掛け、一服やっていた。

すると、
「おじさん、おじさん」
と呼ぶ声がしたので、振り返って見ると、五つか六つの女の子。

よく眺めると目が一つしかない。

仰天して夢中で駆け出し、ようやく里に出た、というもの。

香具師は喜んで、六部に金を包んで出発させ、さっそくその日のうちに旅支度をして家を出た。

東へ東へと歩いたが、なにも出ない。

そのうちに日も暮れてきて、これは六部のやつに一杯食ったかと悔しがっているうち、四、五丁も歩いたところで森に出た。

話の通り木の根方でプカリプカリと煙草をふかしていると、後ろの方で
「おじさん、おじさん」
という声。

「しめた、こいつだ」
と思って振り返ると、案の定、目が一つ。

これは見世物にすればもうかると欲心に駆られて、ものも言わずに飛びかかってひっ捕まえると、子供を小脇に抱え、森の外に向かって一目散。

子供はキャアッと悲鳴を上げる。

その声を聞きつけたのか、ホラ貝の音が響きわたったかと思うと、鋤鍬担いだ百姓たちが大勢追いかけてくる。

みんな一つ目。

必死で逃げたが、ついに木の根っこにつまずいて
「この人さらいめ」

寄ってたかってふん縛られ、突き出された先がお奉行所。

奉行が
「こりゃ、人さらい。面を上げい」

ひょいと見上げると、お奉行も役人もみんな一つ目。

奉行の方もびっくり。

「やや、こやつ……おのおの方ごらんなされ。こやつ目が二つある。調べは後回しじゃ。見世物に出せ」

【しりたい】

彦六の古風な味

柳家小さん系の噺で、生ッ粋の江戸落語です。

四代目小さんが得意にしていましたが、戦後この噺を磨き上げた彦六の八代目林家正蔵は、円朝門下の最後の生き残り、一朝爺さんこと三遊一朝(昭和5年没)からの直伝で、小さんの型も取り入れたと述べています。

ほかにこの噺をよく演じた五代目志ん生のような面白さはありませんが、正蔵独特の、古風なしっとりとした語りを聞かせました。

志ん生の「一眼国」

六部が珍しい話などないと言うと、それまで、泊まっていけ、飯を食えと愛想を振りまいていたのが一変し、「ああ、お茶なんぞォいれなくったっていいやァもう、うん。ああご飯いいんだよ、もう、帰ってもらやァいいんだからァ」と豹変して脅しにかかるところが、この人独自で笑わせます。

そのほか、行く先が「江戸から東へ三日行った森」(一眼国は小田原あたりか?)だったり、奉行が「なぜ、人の子供を黙ってさらう?」と言ったり(いちいち許可を得てさらうかどわかしはありません)、とにかくハチャメチャなのが、いかにも志ん生です。

見世物

地味な噺なので、正蔵も志ん生も、笑いをとるため、マクラに江戸時代の両国広小路や浅草奥山のインチキ見世物をおもしろおかしく説明します。

これについては「がまの油」や「花見の仇討ち」でも詳しく記しましたが、正蔵は「鬼娘」「目が三つ歯が二本の化物(ゲタ)」「八間の大燈籠(ただ通って表に出されるだけ)」といった向両国・回向院境内の見世物、俗に「モギドリの小屋」について説明していて、今では貴重な証言です。

「モギドリ」は、銭を客からもぎ取ってしまえば、あとはいっさいかまわないということからきています。

香具師

やし。見世物師ですが、「鬼娘」「手なし男」など、身体障害者を「親の因果が子に報い……」の口上で見世物にする悪質な香具師を「因果者師」と呼びました。今ではむりです。

この噺の主人公がそれで、八代目正蔵では「男の子と女の子が背中合わせで生まれたとか、アヒルの首が逆にくっついているなんてえのはねえかい?」と六部に尋ねていますし、志ん生は「足がなくって駆け出すとか、へそでなんか食べるとかね、なんか変わってるものがいいんだがねェ、ないかねェ? 天井裏ィ足の裏くっつけて歩く人とか……」と香具師に言わせています。

黙阿弥の歌舞伎世話狂言『因果小僧』では、主人公の盗賊・六之助の老父・野晒小兵衛が落ちぶれた因果者師の成れの果てという設定です。

六部

ろくぶ。巡礼者で、法華経六十六部を写経し、日本全国六十六か所の霊場に各一部ずつを納めたことにその名が由来します。したがって、正しくは「六十六部」と記します。

全国の国分寺や一の宮を巡礼する行者です。

のちには鉦をたたき、鈴を振って各家を物ごいして歩く者の名称にもなりました。落語には「花見の仇討ち」「山崎屋」「長者番付」などにも登場します。

古郷へ 廻る六部は 気の弱り (俳風柳多留・初)

一眼

ギリシア神話のキュクロプスをはじめ、世界各国に伝説があります。

山の神信仰が元といわれ、山神の原型である天目一箇命(あまのまのひとつのみこと)が隻眼隻足とされていたことから、こうした山にすむ妖怪が考えられたとみられます。

てれすこ【てれすこ】演目

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てんしき、つるつるなど、落語には奇妙なことばが登場します。今回も珍妙な。

【あらすじ】

ある漁村で、珍しい魚が捕れたが、専門家の漁師たちにも名前がわからない。

そこで奉行所に聞きに行ったが、もとより役人が知るはずがない。

困って、これこれの魚の名を存じる者は申し出れば百両の賞金をつかわすという高札が立った。

これが評判になり、近在から人が押し寄せる。

それに目をつけたのが、多度屋茂兵衛という商人。

金に目がくらみ、「これは『てれすこ』と申す魚にございます」とでたらめを申し立てたが、役人の方も本当か嘘か証明できないので、茂兵衛はまんまと賞金をせしめる。

これは臭いと眉に唾をした奉行、一計を案じて、魚を干物にし、「この度もかような珍魚が捕れた。この名を知っている者は役宅へ申し出よ。百両つかわす」と、前と同じような高札を出した。

計略とは知らない茂兵衛、欲にかられてまた奉行所に出向き、「これはステレンキョウと申します」と言い立てたから運の尽き。

「上をいつわる不届き者。吟味中入牢申しつけるッ」と、たちまち縛られてしまう。

吟味の末「多度屋茂兵衛。その方、『てれすこ』と申せし魚をまた『すてれんきょう』と申し、上をいつわり、金子をかたり取ったる罪軽からず。重き咎にも行うべきところなれど、お慈悲をもって打首申しつくる」と判決が下った。

世にいう「てれすこ裁判」。最後に何か望みがあれば、一つはかなえてつかわすというので、茂兵衛うなだれて「妻子に一目、お会わせを願いとう存じます」

かみさんがやせ衰えた姿で、乳飲み子を抱いて出頭した。

茂兵衛が驚いてようすを聞くと、亭主が身の証が立つようにと、断食をしていたが、赤ん坊のお乳が出ないのはかわいそうなので、そば粉を水で溶いたものをすすっていたという。

「それほどわしの身を案じてくれてありがたい。もう死んでいく身、思い残すことはないが、子供が大きくなっても、決してイカの干したのをスルメと言わせてくれるな」と茂兵衛が遺言。

それを伝え聞いた奉行、膝を打って「多度屋茂兵衛、言い訳相立った。無罪を申し渡す」

首のなくなるのを、スルメ一枚で助かった。

助かるはずで、かみさんが火物(=干物)断ちをしたから。

【しりたい】

民話がルーツのとんち噺

土壇場で口をついて出た苦し紛れの頓知で、危うく命が助かる噺ですが、類話は各地の民話にあります。

地方によって、最初のでたらめな魚名(てれすこ)は「きんぷくりん」「ばばくろう」、二度目(ステレンキョウ)が「かんぷくりん」などと変るようです。

「てれすこ」は実は何のことはなく、「テレスコピョ」つまりテレスコープ、望遠鏡のこと。「ステレンキョウ」はよく分りませんが、立体メガネのことだという説もあります。

直接の原話は、安楽庵策伝著で寛永5年(1628)成立の笑話本「醒睡笑」巻六「うそつき」第二話です。

ここでは、舞台が津の国(摂津)兵庫浦。

男がとがめられ、「無塩(鮮魚)のときはほほらほ、今はさがり(干からび)なのでばくくらく」と言い訳するのがオチになっています。

円生十八番は上方ダネ

元々は上方落語で、大阪の五代目金原亭馬生(「長崎の赤飯」参照)が得意にしていました。

大阪では、桂米朝の持ちネタでした。

東京では戦後、三代目三遊亭金馬、二代目三遊亭円歌がよく演じました。

その後は六代目円生の一手専売になりました。

円生は場所を明確にしていませんが、漁業の盛んな地方で奉行がいるから、長崎だろうというので、そのものずばり「長崎の代官」の別題で演じられることもあります。

サゲはダジャレで、本来「干物絶ちをしたから助かったのはあたりめ(スルメの別称=当たり前を掛けたもの)と説明しますが、円生は、それは蛇足だというので、本あらすじのように切っていました。

火物絶ちって?

一定期間、満願まで、火を通して料理した食物を断ち、願掛けをすることです。

【てれすこ 三遊亭円生】