ばけものつかい【化け物つかい】落語演目

成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

 

【どんな?】

使い方の荒い男の噺。
権助ばかりか化け物まで。
こき使っちゃったりして。
モーレツにすごいです。

【あらすじ】

田舎から出てきた、意地っ張りの権助ごんすけ

日本橋葭町よしちょう桂庵けいあんから紹介された奉公人の口が、人使いが荒くて三日ともたないと評判の本所の隠居の家。

その分、給金はいいので、権助は
「天狗に使われるんじゃあるめえし」
と、強情を張って、その家に住み込むことに。

行ってみると、さすがの権助も度肝を抜かれた。

今日はゆっくり骨休みしてくれと言うので、
「なんだ、噂ほどじゃねえな」
と思っていると、その骨休みというのが、薪を十把じっぱ割り、炭を切り、どぶをさらい、草をむしり、品川へ使いに行って、
「その足でついでに千住に回ってきてくれ。帰ったら目黒へ行って、サンマを買ってこい」
というのだから。

しかも、
「今日一日は骨休みだから、飯は食わせない」
ときた。

それでも辛抱して三年奉公したが、隠居が今度、幽霊が出るという評判の家を安く買いたたき、今までの家を高く売って間もなく幽霊屋敷に引っ越すと聞かされ、権助の我慢も限界に。

化け物に取り殺されるのだけはまっぴらと、隠居に掛け合って三年分の給金をもらい、
「おまえさま、人はすりこぎではねえんだから、その人使え(い)を改めねえと、もう奉公人は来ねえだぞ」

毒づいて、暇を取って故郷に帰ってしまった。

化け物屋敷に納まった隠居、権助がいないので急に寂しくなり、いっそ早く化け物でも現れればいいと思いながら、昼間の疲れかいつの間にか居眠りしていたが、ふと気がつくと真夜中。

ぞくぞくっと寒気がしたと思うと、障子がひとりでに開き、現れたのは、かわいい一つ目小僧。

隠居は、奉公人がタダで雇えたと大喜び。

皿洗い、水汲み、床敷き、肩たたきとこき使い、おまけに、明日は昼間から出てこいと命じたから、小僧はふらふらになって、消えていった。

さて翌日。

やはり寒気とともに現れたのはのっぺらぼうの女。

これは使えると、洗濯と縫い物をどっさり。

三日目には、、やけにでかいのが出たと思えば、三つ目入道。

脅かすとブルブル震える。こいつに力仕事と、屋根の上の草むしり。

これもすぐ消えてしまったので、隠居、少々物足りない。

四日目。

化け物がなかなか出ないので、隠居がいらいらしていると、障子の外に誰かいる。

ガラっと開けると、大きな狸が涙ぐんでいる。

「てめえだな、一つ目や三つ目に化けていたのは。まあいい、こってい入れ」
「とんでもねえ。今夜かぎりお暇をいただきます」
「なんで」
「あなたっくらい化け物つかいの荒い人はいない」

    
底本:七代目立川談志

【しりたい】

明治末の新作  【RIZAP COOK】

明治末から大正期にかけての新作と思われます。

原話は、安永2年(1773)刊『御伽草』中の「ばけ物やしき」や、安永3年(1774)刊『仕形噺』中の「化物屋敷」などとされています。

興津要は、『武道伝来記』(井原西鶴、貞享4=1687年刊)巻三「按摩とらする化物屋敷」としています。

桂庵  【RIZAP COOK】

江戸時代における、奉公や縁談の斡旋業で、現在のハローワークと結婚相談所を兼ね、口入れ屋とも呼びました。

日本橋葭町には、男子専門の千束屋ちづかや、大坂屋、東屋、大黒屋、藤屋、女子専門の越前屋などがありました。

名の由来は、承応年間(1652-55)の医師・大和桂庵が、縁談の斡旋をよくしたことからついたとか。

慶庵、軽庵、慶安とも。

転じて、「桂庵口」とは、双方に良いように言いつくろう慣用語となりました。

名人連も手掛けた噺  【RIZAP COOK】

昭和後期でこの噺を得意にした七代目立川談志は、八代目林家正蔵(彦六)から習ったといいます。

その彦六は同時代の四代目柳家小さんから移してもらったとか。

いずれにしても、柳派系統の噺だったのでしょう。

昭和では七代目三笑亭可楽、三代目桂三木助、五代目古今亭志ん生、三代目古今亭志ん朝も演じました。

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ごんすけざかな【権助魚】落語演目

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【どんな?】

女通いのだんな、権助を金で口止め。
おかみさんは金で権助を吐かせようと。
権助、高額のだんなになびく。
田中さんと向島で網打ち、ということに。
権助は魚屋で鰹片身、伊勢海老、目刺し、蒲鉾を。
「どこの川に蒲鉾が泳いでる」
「網をブッて捕った時、みんな死んでた」

別題:熊野の牛王

【あらすじ】

だんながこのところ外に女を作っているらしい、と嗅ぎつけたおかみさん。

嫉妬しっとで黒こげになり、いつもだんなのお供をしている飯炊きの権助ごんすけを呼んで、問いただす。

権助はシラを切るので、饅頭まんじゅうと金三十銭也の出費でたちまち買収に成功。

両国広小路りょうごくひろこうじあたりで、いつもだんなが権助に「絵草紙を見ろ」と言い、主命なのでしかたなく店に入ったすきに逃走する事実を突き止めた。

「今度お伴をしたら間違いなく後をつけて、だんなの行き先を報告するように」
と命じたが……。

なにも知らないだんな。

いつもの通り、
「田中さんのところへ行く」
と言って、権助を連れて出かける。

この田中某、正月には毎年権助にお年玉をくれる人なので、いわば三者共謀だ。

例によって絵草紙屋の前にさしかかる。

今日に限って権助、だんながいくら言っても、
「おらあ見ねえ」
の一点張り。

「ははあ」
と察しただんな、手を変え、
「餠を食っていこう」
と食い気で誘って、餠屋の裏路地の家に素早く飛び込んだ……かに見えたが、そこは買収されている権助、見逃さずに同時に突入。

ところが、だんなも女も、かねてから、いつかはバレるだろうと腹をくくっていたので泰然自若たいぜんじじゃく

「てめえが、家のかみさんに三十銭もらってるのは顔に出ている。かみさんの言うことを聞くなら、だんなの言うことも聞くだろうな」

逆に五十銭で買収。

駒止こまどめで田中さんに会って、これから網打ちに行こうと、船宿から船で上流まで行き、それから向島に上がって木母寺もくぼじから植半うえはんでひっくり返るような騒ぎをして、向こう岸へ渡っていったから、多分吉原でございましょう、茶屋は吉原の山口巴やまぐちともえ、そこまで来ればわかると言え」
と細かい。

「ハァー、向島へ上がってモコモコ寺……」
「そうじゃねえ、木母寺だ」

その上、万一を考えて、別に五十銭を渡し、これで証拠品に魚屋で川魚を買って、すぐ帰るのはおかしいから日暮れまで寄席かどこかで時間をつぶしてから帰れ、とまあ、徹底したアリバイ工作。

権助、指示通り日暮れに魚屋に寄るが、買ったものはかつおの片身に伊勢海老、目刺しに蒲鉾。

たちまちバレた。

「……黙って聞いてれば、ばかにおしでないよ。みんな海の魚じゃないか。どこの川に蒲鉾が泳いでるんだい」
「ハア、どうりで網をブッて捕った時、みんな死んでた」

【しりたい】

ゴンスケは一匹狼?

権助は、落語国限定のお国訛りをあやつって江戸っ子をケムにまく、商家の飯炊き男です。

与太郎のように周りから見下される存在ではなく、江戸の商家の、旧弊でせせこましい習俗をニヒルに茶化してあざ笑う、世間や制度の批判者として登場します。「権助提灯」参照。

権助芝居」でも、町内の茶番(素人芝居)で泥棒役を押し付けようとする番頭に、「おらァこう見えても、田舎へ帰れば地主のお坊ちゃまだゾ」と、胸を張って言い放ち、せいいっぱいの矜持を示す場面があります。

蛇足ですが、少年SF漫画「21エモン」では、この「ゴンスケ」が、守銭奴で主人を主人とも思わない、中古の芋掘り専用ロボットとして、みごと「復活」を遂げていました。

作者の藤子・F・不二雄(藤本弘、1933-96)は大の落語ファンとして有名でした。ほかにも落語のプロットをさまざまな作品に流用しています。

「21エモン」は『週刊少年サンデー』(小学館、1968-69年)などで連載されました。

噺の成り立ち

上方が発祥で、「お文さん」「万両」の題名で演じられる噺の発端が独立したものですが、いつ、だれが東京に移したかは不明です。

明治の二代目三遊亭小円朝(芳村忠次郎、1858-1923)や二代目古今亭今輔(名見崎栄次郎、1859-1898)が「お文さま」「おふみ」の演題で速記を残しています。

前後半のつながりとしては、後半、「おふみ」の冒頭に権助が魚の一件でクビになったとしてつじつまを合わせているだけで、筋の関連は直接ありません。

古くは、「熊野の牛王ごおう(護符)」の別題で演じられたこともありました。

この場合は、おかみさんが権助に白状させるため、熊野神社の護符をのませ、それをのんで嘘をつくと血を吐いて死ぬと脅し、洗いざらいしゃべらせた後、「今おまえがのんだのは、ただの薬の効能書だよ」「道理で能書(=筋書き)をしゃべっちまった」と、オチになります。

絵草紙屋

役者絵、武者絵などの錦絵を中心に、双六や千代紙などのオモチャ類も置いて、あんどん型の看板をかかげていました。

明治中期以後、絵葉書の流行に押されて次第にすたれました。

明治21年(1888)ごろ、石版画の美女の裸体画が絵草紙屋の店頭に並び評判になった、と山本笑月(1873-1936)の『明治世相百話』(1936年、第一書房→中公文庫)にあります。

山本笑月は東京朝日新聞などで活躍したジャーナリスト。

深川の材木商の生まれで、長谷川如是閑(長谷川萬次郎、1875-1969)や大野静方(山本兵三郎、1882-1944)の実兄にあたります。

長谷川如是閑は日本新聞や大阪朝日新聞などので活躍したジャーナリスト、大野静方は水野年方門の日本画家です。

「おふみ」の後半

日本橋の大きな酒屋で、だんなが外に囲った、おふみという女に産ませた隠し子を、万事心得た番頭が一計を案じ、捨て子と見せかけて店の者に拾わせます。

ついでに、だんな夫婦にまだ子供がいないのを幸い、子煩悩な正妻をまんまとだまし、おふみを乳母として家に入れてしまおうという悪辣あくらつな算段なのですが……。

いやまあ、けっこう笑えます。おあとはどうなりますやら。

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ひとつあな【一つ穴】落語演目

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【どんな?】

主人と細君、権妻、権助の登場する噺。

古い江戸落語です。

【あらすじ】

ある金持ちのだんな。

ケチな上に口が悪いので、奉公人には評判がよろしくない。

そのだんなにお決まりで、外に女ができたという噂。

お内儀さんは心穏やかでない。

飯炊きの権助を五十銭で口説き落とし、今度だんなが夜外出するとき、跡をつけて女の所在と素性を突き止めてくるよう、言いつける。

まもなく、二、三日ぶりに帰宅しただんなが、また本所の知人宅へ出かけると言いだした。

さああやしいと、細君は強引に権助をお供に押しつける。

だんなが途中でうまく言い繕い、帰そうとする。

権助は
「人間は老少不定、いつどこで行き倒れになるかわからねえ」
などと屁理屈をこね、どこまでもついてくる。

ところがその権助の姿がふいに見えなくなったので、だんなは安心して、両国の広小路から、本所とは反対方向に清澄通りを左折していく……。

巻かれたふりをして、こっそり尾行する権助に気づかず、だんなは、大橋という大きな茶屋の横町を曲がり、角から二軒目で抜け裏のある、格子造りの小粋な家に入っていった。

権助が黒塀の節穴からのぞくと、二十一、二で色白のいい女。

だんながでれでれになり、細君の顔を見ると飯を食うのもイヤだの、ウチの飯炊きのツラは鍋のケツだのと、言いたい放題のあげ句、昼間だというのにぴしゃっと障子を閉めてしまったのを見て、権助はカンカン。

さっそく、ご本宅に駆け込んで、ご注進に及んだ。

もちろん、お内儀さんも権助以上にカンカン。

現場を押さえるため、今すぐに先方に乗り込むと息巻く。

権助はさすがに心配になったが、下手に止めるとおまえも一つ穴の狐だと言われ、しかたなくお供をして妾宅に乗り込んでいく。

一方、こちらはだんな。

一杯機嫌でグウグウ寝込んでいるところへ、お妾さんの金切り声でたたき起こされる。

寝ぼけ眼でひょいと枕元を見上げると、紛れもない細君が恨めしそうな顔でにらんでいるので仰天したが、もう後の祭り。

初めはしどろもどろ言い訳し、なんとかこの場を逃れようとするが、お内儀は聞かばこそ。

ネチネチと嫌みを言うので、しまいにはこちらの方も頭にきて、居直った挙げ句、ポカリとやったから、さあ大変。

大げんかになる。

見かねて仲裁に権助が飛び込んできたからだんな、ますます怒って、
「てめえは裏切り者だ、犬畜生だ」
と、ののしる。

こうなると、売り言葉に買い言葉。

「おらあ国に帰ると、天下のお百姓だ。どこが犬だ」
「なにを言いやがる。あっちでもこっちでも尻尾ォ振ってるから犬だ」
「ああそれで、おめえは犬といい、おかみさんは一つ穴の狐だと言った」

【RIZAP COOK】

【しりたい】

今は昔、名人綺羅星のごと 【RIZAP COOK】

原話は不詳で、幕末にはもう口演されていた生粋の江戸噺。

ことわざからでっちあげられた噺は、ほかには「大どこの犬」「長崎の強飯」「みいらとり」くらいで、案外、あるようでないものです。

この噺、古い速記がやたらに多く、明治28年(1895)12月の四代目橘家円喬を始め、四代目円蔵、初代円右、二代目小円朝と、明治・大正の名人がずらり。

昭和から戦後でも、八代目桂文治、八代目春風亭柳枝、六代目三遊亭円生が得意にしましたが、今は見る影もなし。

わずかに、柳枝、円生両人に師事した三遊亭円窓、本法寺で禁演落語の会を開いていた「ロイド眼鏡の円遊」くらいでしょうか。

噺にも、はやりすたりがあるということでしょう。

円生の芸談  【RIZAP COOK】

円生は、この噺のカンどころとして、権助が塀から濡れ場を覗いて独白するくだりを挙げ、「向こうの言っている言葉を、いちいち復唱するように」と芸談を残している通り、描写が写実的で詳細でした。

そういえば、お内儀が権助に、だんなの尾行を強要する前半部は「権助魚」「悋気の独楽」などと共通しているので、噺として独自色を出すためには、後半の濃密なエロ描写を眼目にするほかないのでしょう。

円喬以来、演出はさほど変わっていませんが、二代目小円朝のように、発端部分をばっさり切って、権助が帰ってきた場面から入る演者もありました。

名誉の禁演落語  【RIZAP COOK】

当然ながらこの噺、戦時中の「禁演落語」の内で、昭和16年(1941)10月30日、浅草・本法寺の噺塚に「祭られた」栄えある53演目の一つ(穴?)です。

もっとも、これほど濃密なエロ具合では、禁演になる以前に、昭和10年代には「問題外」だったでしょうね。

一つ穴の狐  【RIZAP COOK】

もはや死語と言っていいでしょう。現在は「同じ穴のむじな」として、辛うじて生き残っている慣用句です。

同腹、同類、共謀者を指す古い江戸ことばですが、動物が替わって「一つ穴の古狸」「一つ穴のむじな」となる場合もあり、いずれも意味は同じです。

これらは、巣穴を掘る習性のあることと、古くから人を化かすといわれるのが共通点です。

「一つ」にも、独立して同じ共犯の意味があり、歌舞伎でよく「○○と一つでない証拠をお目にかけん」などと力んで、腹に刀を突き立てたりします。

【語の読みと注】

お内儀 おかみ
大橋 たいきょう
妾宅 しょうたく

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