ばけものつかい【化け物つかい】演目

使いの荒い男の噺。権助ばかりか化け物までこき使って。

【あらすじ】

田舎者で意地っ張りの権助。

日本橋葭町の桂庵から紹介された奉公人の口が、人使いが荒くて三日ともたないと評判の本所の隠居の家。

その分、給金はいいので、権助は
「天狗に使われるんじゃあるめえし」
と、強情を張って、その家に住み込むことに。

行ってみると、さすがの権助も度肝を抜かれた。

今日はゆっくり骨休みしてくれと言うので、
「なんだ、噂ほどじゃねえな」
と思っていると、その骨休みというのが、薪を十把割り、炭を切り、どぶをさらい、草をむしり、品川へ使いに行って、
「その足でついでに千住に回ってきてくれ。帰ったら目黒へ行って、サンマを買ってこい」
というのだから。

しかも、
「今日一日は骨休みだから、飯は食わせない」
ときた。

それでも辛抱して三年奉公したが、隠居が今度、幽霊が出るという評判の家を安く買いたたき、今までの家を高く売って間もなく幽霊屋敷に引っ越すと聞かされ、権助の我慢も限界に。

化け物に取り殺されるのだけはまっぴらと、隠居に掛け合って三年分の給金をもらい、
「おまえさま、人はすりこぎではねえんだから、その人使え(い)を改めねえと、もう奉公人は来ねえだぞ」

毒づいて、暇を取って故郷に帰ってしまった。

化け物屋敷に納まった隠居、権助がいないので急に寂しくなり、いっそ早く化け物でも現れればいいと思いながら、昼間の疲れかいつの間にか居眠りしていたが、ふと気がつくと真夜中。

ぞくぞくっと寒気がしたと思うと、障子がひとりでに開き、現れたのは、かわいい一つ目小僧。

隠居は、奉公人がタダで雇えたと大喜び。

皿洗い、水汲み、床敷き、肩たたきとこき使い、おまけに、明日は昼間から出てこいと命じたから、小僧はふらふらになって、消えていった。

さて翌日。

やはり寒気とともに現れたのはのっぺらぼうの女。

これは使えると、洗濯と縫い物をどっさり。

三日目には、、やけにでかいのが出たと思えば、三つ目入道。

脅かすとブルブル震える。こいつに力仕事と、屋根の上の草むしり。

これもすぐ消えてしまったので、隠居、少々物足りない。

四日目。

化け物がなかなか出ないので、隠居がいらいらしていると、障子の外に誰かいる。

ガラっと開けると、大きな狸が涙ぐんでいる。

「てめえだな、一つ目や三つ目に化けていたのは。まあいい、こってい入れ」
「とんでもねえ。今夜かぎりお暇をいただきます」
「なんで」
「あなたっくらい化け物つかいの荒い人はいない」

    
底本:七代目立川談志

【しりたい】

明治末の新作  【RIZAP COOK】

明治末から大正期にかけての新作と思われます。原話は、安永2年(1773)刊『御伽草』中の「ばけ物やしき」や、安永3年(1774)刊『仕形噺』中の「化物屋敷」などとされていますが、興津要は、『武道伝来記』(井原西鶴、貞享4=1687年刊)巻三「按摩とらする化物屋敷」としています。

桂庵  【RIZAP COOK】

江戸時代における、奉公や縁談の斡旋業で、現在のハローワークと結婚相談所を兼ね、口入れ屋とも呼びました。日本橋葭町には、男子専門の千束屋、大坂屋、東屋、大黒屋、藤屋、女子専門の越前屋などがありました。

名の由来は、承応年間(1652-55)の医師・大和桂庵が、縁談の斡旋をよくしたことからついたとか。慶庵、軽庵、慶安とも。転じて、「桂庵口」とは、双方に良いように言いつくろう慣用語となりました。

名人連も手掛けた噺  【RIZAP COOK】

昭和後期でこの噺を得意にした七代目立川談志は、八代目林家正蔵(彦六)から習ったといいます。その彦六は同時代の四代目柳家小さんから移してもらったとか。いずれにしても、柳派系統の噺だったのでしょう。昭和では七代目三笑亭可楽、三代目桂三木助、五代目古今亭志ん生、三代目古今亭志ん朝も演じました。

【語の読みと注】
桂庵 けいあん
千束屋 ちづかや

【RIZAP COOK】

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やすべえぎつね【安兵衛狐】演目

明治期、三代目小さんが上方からもってきた噺です。

別題:墓見 天神山(上方)

【あらすじ】

六軒長屋があり、四軒と二軒に分かれている。

四軒の方は互いに隣同士で仲がよく、二軒の方に住んでいる「偏屈の源兵衛」と「ぐずの安兵衛」、通称グズ安も仲がいい。

ところが、二つのグループは犬猿の仲。

ある日、四軒の方の連中が、亀戸に萩を見に繰り出そうと相談する。

同じ長屋だし、グズ安と源兵衛にも一応声をかけようと誘いにいくが、グズ安は留守で、源兵衛の家へ。

この男、独り者であだ名の通りのへそ曲がり。

人が黒と言えば白。

案の定、
「萩なんぞ見たってつまらねえ。オレはこれから墓見に行く」
と、にべもない。

四人はあきれて行ってしまう。

源兵衛、本当は墓などおもしろくないが、口に出した以上しかたがないと、瓢の酒をぶら下げて、谷中天王寺の墓地までやってきた。

どうせ墓で一杯やるなら女の墓がいいと「安孟養空信女」と戒名が書かれた塔婆の前で、チビリチビリ。

急に塔婆が倒れ、後ろに回ってみると穴があいている。塔婆で突っ付くと、コツンと音がするので、見ると骨。

気の毒になって、何かの縁と、酒をかけて回向してやった。

その晩。

真夜中に
「ごめんくださいまし」
と女の声。

はておかしい、と出てみると、じつにいい女。

実は昼間のコツで、生前酒好きだったので、昼間あなたがお酒をかけてくれて浮かばれたからご恩返しにきました、と言う。

あとはなりゆきで、源兵衛、能天気にもこの世ならぬ者を女房にした。

この幽霊女房、まめに働くが、夜明けとともにスーッと消えてしまう。

さて、グズ安。

ゆうべ源兵衛の家の前を通ったら、女の酌でご機嫌に一杯やっていたので、翌朝、嫌みを言いに行くと、実はこれこれだという。

ノロケを聞かされ、自分も女房を見つけようと、同じように酒を持って天王寺へ。

なかなか手頃な墓が見当たらず、奥まで行くと、猟師が罠で狐をとったところ。

グズ安、皮をむいちまうと聞いて、かわいそうだと無理に頼み、一円出して狐を逃がしてやる。

その帰り、若い娘が声をかけるので、グズ安はびっくり。

聞いてみると、昔なじみのお里という女の忘れ形見で、おコンと名乗る。

実はこれがさっきの狐の化身。

身寄りがないというので、家に連れていき、女房にした。

騒ぎだしたのが、長屋の四人。

最近、偏屈とグズが揃って女房をもらったのはいいが、片方は昼間見たことがない。もう片方は、口がこうとんがって、言葉のしまいに必ず「コン」。

これはどう見ても魔性の者だと、安兵衛が留守の間に家に押しかける。

「まあ、安兵衛は用足しに出かけたんですよ。コン」

やっぱり変。

思い切って
「あなたはいい女だけど、ひょっとして何かの身では」
と、言いも果てず、狐女房、グルグル回って、引き窓から飛んでいってしまった。

こうなると、亭主の安兵衛も狐じゃねえかと疑わしい。

そこで、近所のグズ安の伯父さんに尋ねるが、耳が遠くていっこうにラチがあかない。

思い切り大きな声で
「あのね、安兵衛さんは来ませんかね」
「なに、安兵衛? 安兵衛はコン」
「あ、伯父さんも狐だ」

【RIZAP COOK】

【しりたい】

志ん生、極めつけの爆笑編  【RIZAP COOK】

上方落語の切りネタ(大ネタ)「天神山」を、おそらく三代目柳家小さんが、東京に移植したものでしょう。

前半は「野ざらし」にそっくりで、実際、上方の「天神山」は、「骨つり」(野ざらし)に、「葛の葉子別れ」「保名」の芝居噺を即席に付けたものという説(宇井無愁)がありますが、桂米朝はこれを否定しています。

戦後は、五代目古今亭志ん生の極めつけ。志ん生がどこからこの噺を仕込んだのかは不明ですが、三代目小さんの「墓見」と題した明治40年の速記では最後に登場するのが安兵衛の父親となっているほかはほぼ志ん生のものと変わらない演出です。

考えてみると、前半と後半がまったく別の話で、全体としてまとまりを欠く噺ですが、さすがに志ん生。

速いテンポとくすぐりにつぐくすぐりの連続で、いささかもダレさせないみごとな手練です。  

現役では、滝川鯉昇ほかが手掛けていますが、まあ、志ん生を超える気遣いはないでしょう。志ん生が「葛の葉」の題で演じたことがあるという説がありますが、いつごろのことなのかわかりません。

「天神山」はオチが三か所  【RIZAP COOK】

本家・大阪の「天神山」は、桂米朝、門下の枝雀、笑福亭仁鶴を始め、今も多くの演者が手掛けます。

舞台は大坂・天王寺門前の安居の天神と、その向かいの一心寺の墓地。主要キャストの「ヘンチキの源兵衛」の偏屈ぶりは、東京よりはるかに徹底的。頭は半分伸ばして半分坊主、しびんに酒を入れ、おまるに飯を入れるえげつなさ。上方は、そのヘンチキがシャレコウベを持ち帰り、夜中に現れた幽霊と夫婦になる段取りです。

オチは、演者がどの部分で切るかによって三通りに分かれます。

まず、東京同様、長屋の者が押しかけて正体がバレ、狐女房が「もうコンコン」と姿を消す部分。

ついで、こちらは東京にはない部分ですが、女房に去られた保平(東京の安兵衛)が、障子に書き残された「恋しくば尋ねきてみよ南なる天神山の森の中まで」の歌を見て、狂乱して後を追うくだりで切ります。

ここは、浄瑠璃の「蘆屋道満大内鑑」・「保名狂乱」のパロディ仕立ての芝居噺になります。昔は、このくだりで「保名」の振りで立ち踊りする噺家も多かったとか。

オチは地口で、「蘆屋道満」「葛の葉」をもじり、「貸家道楽大裏長屋、ぐずの嬶ほったらかし」。

最後は「安兵衛狐」と同じ、長屋の者と保平の伯父のトンチンカンな会話で「あ、叔父さんも狐や」でオチ。

江戸名所、亀戸の萩  【RIZAP COOK】

亀戸天神は江東区亀戸三丁目にあります。春は梅、藤、秋は萩の名所としてにぎわいました。

狐釣り  【RIZAP COOK】

罠を仕掛けて狐を捕獲するのを狐釣りともいいました。皮をはいで胴服、つまり狐皮の下着用に売るわけですが、西洋だとスポーツなのに対し、こちらはれっきとしたお仕事です。

「狐ェ捕ってどうすんです?」「皮ァむくんだよォ」「狐が痛がるでしょ」という志ん生のやり取りが笑わせました。

志ん生のくすぐりから  【RIZAP COOK】

(長屋の某がグズ安の伯父さんに)
某「あこら、ほんとに聞こえねえんだ。やいじじい、ひとつなぐってやろうか」
伯「ふふーん、ありがとう」
某「あり……おめえみてえなものはね、あの、もうね、くたばっちゃえ」
伯「そう言ってくれんのはおまいばかりだ」
某「あ、しょうがないよこりゃ……自分で死ね」
伯「あは、それもいいや」

【語の読みと注】
塔婆 とうば
回向 えこう
嬶 かか

【RIZAP COOK】

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ふどうぼう【不動坊】演目

【RIZAP COOK】

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上方噺を明治期に東京に。わいわいにぎやか。けっこうえげつない噺です。

別題:不動坊火焔 

【あらすじ】

品行方正で通る、じゃが屋の吉兵衛。

ある日、大家が縁談を持ち込んできた。

相手は相長屋の講釈師・不動坊火焔の女房お滝で、最近亭主が旅回りの途中で急にあの世へ行ったので、女一人で生活が立ちいかないから、どなたかいい人があったら縁づきたいと、大家に相談を持ちかけてきた、という。

ついては、不動坊の残した借金がかなりあるのでそれを結納代わりに肩代わりしてくれるなら、という条件付き。

実は前々からお滝にぞっこんだった吉公、喜んで二つ返事で話に飛びつき、さっそく、今夜祝言と決まった。

さあ、うれしさで気もそぞろの吉公。

あわてて鉄瓶を持ったまま湯屋に飛び込んだが、湯舟の中でお滝との一人二役を演じて大騒ぎ。

『お滝さん、本当にあたしが好きで来たんですか?』
『なんですねえ、今さら水臭い』
『だけどね、長屋には独り者が大勢いますよ。鍛治屋の鉄つぁんなんぞはどうです?』
『まァ、いやですよ。あんな色が真っ黒けで、顔の裏表がはっきりしない』
『チンドン屋の万さんな?』
『あんな河馬みたいな人』
『じゃあ、漉返し屋の徳さんは?』
『ちり紙に目鼻みたいな顔して』

湯の中で、これを聞いた当の徳さんはカンカン。

長屋に帰ると、さっそく真っ黒けと河馬を集め、飛んでもねえ野郎だから、今夜二人がいちゃついているところへ不動坊の幽霊を出し、脅かして明日の朝には夫婦別れをさしちまおうと、ぶっそうな相談がまとまった。

この三人、そろって前からお滝に気があったから、焼き餅も半分。

幽霊役には年寄りで万年前座の噺家を雇い、真夜中に四人連れで吉公の家にやってくる。

屋根に登って、天井の引き窓から幽霊をつり降ろす算段だが、万さんが、人魂用のアルコールを餡コロ餠と間違えて買ってきたりの騒動の後、噺家が
「四十九日も過ぎないのに、嫁入りとはうらめしい」
と脅すと、吉公少しも動ぜず、
「オレはてめえの借金を肩代わりしてやったんだ」
と逆ねじを食わせたから、幽霊は二の句が継げず、すごすご退散。

結局、「手切れ金」に十円せしめただけで、計画はおジャン。

怒った三人が屋根の上から揺さぶったので、幽霊は手足をバタバタ。

「おい、十円もらったのに、まだ浮かばれねえのか」
「いえ、宙にぶら下がってます」

底本:三代目柳家小さん

【しりたい】

パクリのパクリ  【RIZAP COOK】

明治初期、二代目林家菊丸(?-1901?)作の上方落語を、三代目柳家小さんが東京に移植しました。

溯れば、原話は、安永2年(1773)刊『再成餅』中の「盗人」とされますが、内容を見るとどこが似ているのか根拠不明で、やはり菊丸のオリジナルでしょう。

菊丸の創作自体、「樟脳玉」の後半(別題「源兵衛人玉」「捻兵衛」)のパクリではという疑惑が持たれていて(宇井無愁説)、そのネタ元がさらに、上方落語「夢八」のいただきではと言われているので、ややこしいかぎりです。

菊丸は創作力に秀でた才人で、この噺のほか、現在も演じられる「後家馬子」「猿廻し」「吉野狐」などをものしたと伝えられますが、晩年は失明し、不遇のうちに没したようです。

本家大阪の演出  【RIZAP COOK】

桂米朝によれば、菊丸のオリジナルはおおざっぱな筋立て以外は、今ではほとんど痕跡をとどめず、現行のやり方やくすぐりは、すべて後世の演者の工夫によるものとか。

登場人物の名前は「登場しない主役」の不動坊火焔と、すき返し屋の徳さん以外はみな東京と異なり、新郎が金貸しの利吉、脅しの一味が徳さんのほか、かもじ洗いのゆうさん、東西屋の新さん。幽霊役が不動坊と同業で講釈師の軽田胴斎となっています。

利吉は、まじめ人間の東京の吉兵衛と異なり、徹底的にアホのキャラクターに描かれるので、上方版は銭湯のシーンを始め、東京のよりにぎやかで、笑いの多いものとなっています。

上方では幽霊の正体が最後にバレますが、そのきっかけは、フンドシをつないだ「命綱」が切れて幽霊が落下、腰を打って思わず「イタッ」と叫ぶ段取りです。

オチに四苦八苦  【RIZAP COOK】

あらすじのオチは、東京に移植された際、三代目小さんが作ったもので、現行の東京のオチはほとんどこちらです。明治42年(1909)10月の「不動坊火焔」と題した小さんの速記では、「てめえは宙に迷ってるのか」「途中にぶら下がって居ります」となっています。

オリジナルの上方のオチは、すべてバレた後、「講釈師が幽霊のマネして銭取ったりするのんか」「へえ、幽霊(=遊芸)稼ぎ人でおます」と、いうもの。

これは明治2年(1869)、新政府から寄席芸人に「遊芸稼ぎ人」という名称の鑑札が下りたことを当て込んだものです。同時に大道芸人は禁止され、この鑑札なしには、芸人は商売ができなくなりました。つまり、この噺が作られたのは明治2年前後ということになります。

この噺はダジャレで出来が悪い上、あくまで時事的なネタなので、時勢に合わなくなると演者はオチに困ります。そこで、上方では幽霊役がさんざん謝った後、新郎の耳に口を寄せ「高砂や……」の祝言の謡で落とすことにしましたが、これもイマイチ。

試行錯誤の末、最近の上方では、米朝以下ほとんどはマクラで「遊芸稼ぎ人」の説明を仕込んだ上でオリジナルの通りにオチています。当然、オチが違えば切る個所も違ってくるわけです。

桂枝雀は、昭和47年(1972)の小米時代に、幽霊役が新郎に25円で消えてくれと言われ、どうしようかこうしようかとぶつぶつ言っているので、「なにをごちゃごちゃ言うとんねん」「へえ、迷うてます」というオチを工夫しましたが、のち東京式の「宙に浮いとりました」に戻していました。

ほかにも、違ったオチに工夫している演者もいますが、どれもあまりしっくりはこないようです。

前座の蛮勇  【RIZAP COOK】

東京では、三代目小さんから四代目、五代目に継承された小さんの家の芸です。

五代目小さんはこの噺を前座の栗之助時分、覚えたてでこともあろうに、神田の立花で延々45分も「熱演」。のちの八代目正蔵(彦六)にこっぴどく叱られたという逸話があります。

九代目桂文治も得意にしていました。現在でも東西で多くの演者が手掛けています。

人魂の正体  【RIZAP COOK】

昔の寄席では、怪談噺の際に焼酎を綿に染み込ませて火を付け、青白い陰火を作りました。

その後、前座の幽霊(ユータ)が客席に現れ、脅かす段取りです。

黙阿弥の歌舞伎世話狂言「加賀鳶」の按摩道玄の台詞「掛け焔硝でどろどろと、前座のお化けを見るように」は有名です。

この噺は明治期が舞台なので、焼酎の代わりにハイカラにアルコールと言っています。

古くは「長太郎玉」と呼ばれる樟脳玉も使われ、落語「樟脳玉」の小道具になっています。

引き窓  【RIZAP COOK】

屋根にうがった明かり取りの窓で、引き綱で開閉しました。

歌舞伎や文楽の「双蝶々曲輪日記」の八段目(大詰め)「引窓」で、芝居に重要な役割を果たすと共にその実物を見ることができます。

五代目小さんのくすぐり  【RIZAP COOK】

(吉公が大家に)「……もう、寝ても起きてもお滝さん、はばかりィ入ってもお滝さん……仕事も手につきませんから、なんとかあきらめなくちゃならないと思って、お滝さんは、あれはおれの女房なんだと、不動坊に貸してあるんだと……ええ、あのお滝さんはもともとあっしの女房で……」

不動   【RIZAP COOK】

不動とは不動明王の略です。不動とはどんな存在か。仏像から見ていきましょう。仏像は四種類に分かれています。

如来 真理そのもの
菩薩 真理を人々に説いて救済する仏
明王 如来や菩薩から漏れた人々を救う存在
天 仏法を守る神々

この種類分けは仏像の格付けとイコールです。不動明王はいくつかの種類分けがされています。五大明王とか八大明王とか。ここでは五大明王について記します。

不動明王 中央 大日如来の化身
降三世明王 東 阿閦如来の化身
軍荼利明王 南 宝生如来の化身
大威徳明王 西 阿弥陀如来の化身
金剛夜叉明王 北 不空成就如来の化身

寺院で五大明王の像を配置すると、必ず不動明王がそのセンターに位置します。それだけ高い地位にあるのです。さらには、明王がすべて如来の化身とされています。如来で最高位の大日如来の化身が不動明王になっています。

明王は、如来や菩薩の救いから漏れた人々を救う、敗者復活戦の主催者のような役割を担っています。有象無象を救済するため、怒った顔をしているのです。忿怒の表情というやつで、怖そうな存在です。右手に宝剣、左手に羂索。羂索とは人々を漏れなく救うための縄です。背後には火焔光背という、炎を表現しています。強そう。でも怖そう。そんなイメージです。

不動信仰はおもしろいことに、関西よりも関東地方に篤信の歴史があります。平将門の怨霊を鎮める意味があったと考えられているからです。将門は御霊信仰のひとつ。御霊信仰とは、疫病や天災を、非業の死を遂げた人物などの御霊の祟りとしておそれ、御霊を鎮めることで平穏を回復しようとする信仰をいいます。漏れた人々をも救おうとする不動明王の信仰は、関東で将門の御霊信仰と結びついたのです。

【語の読みと注】
相長屋 あいながや:同じ長屋に住むこと。
相店 あいだな:相長屋に同じ
結納 ゆいのう
漉返し すきがえし:紙すき
東西屋 とうざいや:チンドン屋
加賀鳶 かがとび
双蝶々曲輪日記 ふたつちょうちょうくるわにっき
大日如来 だいにちにょらい
降三世明王 ごうさんぜみょうおう
阿閦如来 あしゅくにょらい
軍荼利明王 ぐんだりみょうおう
宝生如来 ほうしょうにょらい
大威徳明王 だいいとくみょうおう
阿弥陀如来 あみだにょらい
金剛夜叉明王 こんごうやしゃみょうおう
不空成就如来 ふくうじょうじゅにょらい
忿怒 ふんぬ
腱索 けんさく けんじゃく

【RIZAP COOK】

ふだんのはかま【ふだんの袴】演目

【RIZAP COOK】

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「おうむ」というジャンルの噺。付け焼き刃が次第にばれて。噺家の技の見せどころ。

【あらすじ】

上野広小路の、御成街道に面した小さな骨董屋。

ある日、主人が店で探し物をしていると、顔見知りの身分の高そうな侍がぶらりと尋ねてきた。

この侍、年は五十がらみ、黒羽二重に仙台平の袴、雪駄履きに細身の大小を差し、なかなかの貫禄。

谷中へ墓参の帰りだという。

出された煙草盆でまずは悠然と一服するが、煙草入れは銀革、煙管も延打で銀無垢という、たいそうりっぱなもの。

そのうち、ふと店先の掛け軸に目を止めた。

「そこに掛けてある鶴は、見事なものだのう」
「相変わらずお目が高くていらっしゃいます。あたくしの考えでは文晁と心得ますが」
「なるほどのう、さすが名人じゃ」

惚れ惚れと見入っているうち、思わず煙管に息が入り、掃除が行き届いているから、火玉がすっと抜けて、広げた袴の上に落っこちた。

「殿さま、火玉が」
と骨董屋が慌てるのを、少しも騒がず払い落とし
「うん、身供の粗相か。許せよ」
「どういたしまして。お召物にきずは?」
「いや、案じるな。これは、いささかふだんの袴だ」

これを聞いていたのが、頭のおめでたい長屋の八五郎。

侍の悠然としたセリフにすっかり感心し、自分もそっくりやってみたくなったが、職人のことで袴がない。

そこで大家に談判、ようやくすり切れたのを一丁借りだし、上は印半纏、下は袴という珍妙ななりで骨董屋へとやってくる。

さっそく得意気に一服やりだしたはいいが、煙管は安物のナタマメ煙管、煙草は粉になっている。

それでもどうにか火をつけて
「あの隅にぶる下がってる鶴ァいい鶴だなあ」
「これはどうも、お見それしました。文晁と心得ますが」
「冗談言うねえ。文鳥ってなあ、もうちっと小さい鳥だろ。鶴じゃねえか」

これで完全に正体を見破られる。

本人、お里が知れたのを気づかずに、さかんに、いい鶴だいい鶴だとうなりながら煙草をふかすが、煙管の掃除をしていないから火玉が飛び出さない。

悔しがってぷっと吹いた拍子に、火玉が舞い上がって、袴に落ちないで頭のてっぺんへ。

「親方、頭ィ火玉が」
「なあに心配すんねえ。こいつはふだんの頭だ」

【RIZAP COOK】

【しりたい】

発掘は彦六   【RIZAP COOK】

原話は不詳で、古い速記はありませんが、八代目林家正蔵(彦六)が、二つ目時代に二代目蜃気楼龍玉(1867-1945)門下の龍志から教わり、その型が五代目柳家小さんに継承されました。

八代目春風亭柳枝も持ちネタにし、柳枝の最後の弟子だった、三遊亭円窓が復活して手掛けています。

御成街道  【RIZAP COOK】

おなりかいどう。神田の筋違御門(万世橋)から上野広小路にかけての道筋で、現在の中央通りです。将軍家が上野寛永寺に参詣するルートにあたり、この名が付きました。上野広小路寄りの沿道には、刀剣や鎧兜などを扱う武具商が軒を並べていました。

仙台平  【RIZAP COOK】

せんだいひら。主に袴地に使われます。仙台平の袴は武家の正装用で絹地の最高級品。「平」とは、たていと(経)とよこいと(緯)を交互に織り込む手法で「平織り」を略した言い方です。武家以外にも、富裕層の町人も使いました。一般には、5月5日(端午)から8月末日まで一重袴として使いました。9月1日から5月4日までは裏地付きの袷袴でした。五つのひだの筋が崩れずに美しさを保ち、派手でもないので、気品と落ち着きが漂う装いです。

八五郎が借りたのは、小倉木綿です。結城木綿とともに実用使いでした。剣術の稽古袴での小倉木綿は「駄小倉」と呼ばれていました。「三軒長屋」の楠運平が履くのが駄小倉です。

江戸詰め藩士などは、社交上、装飾を施した細身の刀を身につけました。

延打  【RIZAP COOK】

のべ。雁首と吸口が同じ材料でできた煙管です。落語や歌舞伎では、演じる人物の階級で煙管の持ち方が異なります。殿さまは中ほどを握って水平に構え、武士や町人はやや雁首近くを握って下向き。百姓は雁首そのものをつかむ、など。

文晁  【RIZAP COOK】

ぶんちょう。江戸後期の文人画家・谷文晁(1763-1840)のこと。洋画の技法を取り入れた独自の画風で知られ、渡辺崋山の師匠でもありました。三遊亭円朝の後期の作に「谷文晁の伝」があります。

五代目小さんのくすぐりより  【RIZAP COOK】

大家が、店賃を持ってきたかと勘違いすると八「そこが欲の間違えだ」

大家が、一昨年貸した鳴海絞りの浴衣をまだ返さないといやみを言うと、八「留んとこで子供が生まれたんで、『こんなボロでよけりゃ』ってやっちゃった。あの子が大きくなりゃあ、オシメはいらなくなるから、そんとき返しに…」

八五郎が骨董屋で、「今日は墓参りで、供の者にはぐれて…」とやりはじめると、親父が「この方がお供みてえだ」

【語の読みと注】
御成街道 おなりかいどう
仙台平 せんだいひら
袷袴 あわせばかま
煙草入れ たばこいれ
煙管 きせる
延打 のべ
文晁 ぶんちょう
筋違御門 すじかいごもん

【RIZAP COOK】

はやしながや【囃子長屋】演目

【RIZAP COOK】

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人心をかき立てる祭りにちなんだ噺。あらすじじゃつまらない。

【あらすじ】

ころは明治。

本所林町のある長屋、大家が祭り囃子大好きなので、人呼んで「囃子長屋」。

なにしろこの大家、十五の歳からあちらこちらの祭で、頼まれて太鼓をたたき、そのご祝儀がたまりにたまって長屋が建ったと自慢話しているくらい。

自然に囃子好きの人間しか越してこず、年がら年中長屋中で囃子の話をしているほど。

大家の自慢は、この名が矢に越してくる人は、商人なら表通りに見世を出す、大工なら棟梁になるという具合に、みな出世すること。

神田祭が近づいたある日。

ここ七日間も囃子の練習と称して家に帰っていない八五郎が、大家と祭り談義をしている。

「昔の(江戸時代の)祭りはりっぱだった。今と心がけが違う。江戸を繁華な町にするために、町民からは税金を取らなかった。その代わり、にぎやかな祭りをやって将軍家を喜ばせようという……丸の内に将軍家の上覧場があって」
と、大家の回想は尽きない。

「山車を引き出して、ご上覧場へ繰り込む時は屋台だ。スケテンテンテン、ステンガテンスケテケテン」

囃子の口まねをすると、止まらない。

「踊りの間は鎌倉。ヒャイトーロ、ヒャトヒャララ、チャンドンドンチャンドドドチャン……スケテンテンテンテテツクツ」
「くたびれるでしょう」
「大きなお世話だ。祭りの話になると、口まねでも一囃子やらなきゃ、気がすまねえ」

すっかり当てられて家に帰った八五郎だが、かみさんが
「いやんなっちまう。文明開化の明治ですよ。古くさい祭り囃子のけいこするなんてトンチキはいませんよ」
と腹立ちまぎれに神聖な祭りを侮辱したから、さあ納まらない。

「亭主をつかまえてトンチキとはなんだ。てめえはドンツクだ」
「何を言ってやがる。ドンチキメ、トンチキメ」

「何をッ」
と十能を振り上げ
「ドンツクドンツクメ、ドンドンドロツク、ドンツクメ」

せがれが
「父ちゃん、あぶない。七厘につまずくと火事になるよ。父ちゃんちゃん、七輪。チャンシチリン、チャンシチリン」
「トンチキメトンチキメ、トントントロチキトンチキメ」
「ドンツクメドンツクメ、ドンドンドロツクドンツクメ」

これを聞いた大家、
「ありがてえ、祭りが近づくと夫婦喧嘩まで囃子だ」
とご満悦。

トンチキメトンチキメ、ドンツクドンツクと太鼓も囃子もそろっているから、ひとつこっちは笛で仲裁してやろうと、障子を開けて
「まあいいやったら、まあいいやッ、マアイーマアイーマアイイヤッ」

【RIZAP COOK】

【しりたい】

今輔二代の十八番  【RIZAP COOK】

噺の内容から、明治初期に創作(または改作)されたことは間違いありませんが、原話はもちろん作者、江戸時代に先行作があったかどうかなど、詳しい出自はまったくわかっていません。

三代目柳家小さんから、「代地の今輔」と呼ばれ、音曲噺が得意だった三代目古今亭今輔(1869-1924)が継承して十八番にしました。三代目今輔は、三代目小さんの預かり弟子でした。

その没後、しばらく途絶えたのを、若き日に三代目小さんに師事した五代目今輔(1898-1976)が、1941年の襲名時に復活。以来、没するまで、しばしば高座に掛けました。この人こそ新作派の闘将。「ラーメン屋」「青空おばあさん」などの創作落語で一世を風靡しました。独特のだみ声、味がありました。

本所林町  【RIZAP COOK】

墨田区立川一-三丁目。「正直清兵衛」にも登場しました。

むろんこの噺では「囃子」と掛けたダジャレです。

歌舞伎の囃子方の控室を「囃子町」と呼び、さらに囃子そのものも指すようになりました。ただし、本所の方が「はやしちょう」なのに対し、芝居のそれは「はやしまち」と読みます。

神田囃子  【RIZAP COOK】

宝暦13年(1763)、軽快なテンポの葛西のばか囃子が山王祭に登場してから、しばらくはその「チャンチキチン」のリズムが江戸の祭を席巻。

のち、それをより都会的に洗練した「スッテンテレツクツ」の神田囃子が生まれました。

「宿屋の仇討」で仲間二人が「源兵衛は色事師、色事師は源兵衛」と囃したてるのがそれです。

歌舞伎十八番「暫」  【RIZAP COOK】

「腹出し」の敵役四人が鎌倉権五郎を撃退しようと押し出すとき、

天王さまは囃すがお好き、ワイワイと囃せ、ワイワイと囃せ

と「合唱」するおかしげな場面は、神田囃子を当て込んだものです。

神田祭  【RIZAP COOK】

山王祭と並んで「天下祭」と呼ばれ、山車は江戸城内までくり込むことを許されました。

延宝年間(1673-81)に幕府の命により、両者交互に本祭、陰祭を隔年に行うようになりました。

神田祭は、旧幕時代は陰暦9月15日、現在は5月12-16日です。

夫婦げんかはお神楽で  【RIZAP COOK】

五代目今輔は自書『今輔の落語』の解説で、この噺は六代目橘家円太郎(生没年不詳、明治中期-昭和初期)に教わったと語り、さらに自分の祭囃子は、鏡味小松から習ったため、神田囃子で通した先々代(三代目)や円太郎と違って太神楽になっている、と断っています。

もっとも、太神楽は江戸時代から現在まで神田祭には先触れとして参加していますから調子がお神楽でも、いっこうに不自然ではないでしょう。

太神楽の祭囃子は「打ち込み」「屋台」「昇殿」「鎌倉」「四丁目」「返り屋台」と続きます。こちらは神田囃子より一時代前の葛西囃子の系統を引いているとか。

六代目円太郎は音曲師でしたが、昭和初期には落ちぶれて消息不明に。したがって、今輔がこの人に教わったとすれば大正末か昭和の始め、柳家小山三時代でしょう。

【語の読みと注】
山車 だし
暫 しばらく

のめる【のめる】演目

軽い「くせ噺」です。小気味よくておもしろい。時折演じられますね。

別題:二人癖(上方)

【あらすじ】

酒好きで、なにかにつけて「のめる」というのが口癖の男。

友達に、「つまらねえ」が口癖の男がいる。

無尽に当たっても
「つまらねえ」
と言うので、
「当たってこぼすことはねえ」
ととがめると
「当たらねえやつはつまらねえ」
という。

お互いに悪い癖だから、一言でも口癖を言ったら、一回百円の罰金を取ろうと取り決めたが、なんとか「つまらねえ」を言わせて金をせしめようと、隠居に相談に来る。

その間にも
「百円ありゃア、一杯のめる」
と、もうやっている始末。

隠居、それなら印半纏に着替えて向こうの家に行き、手にちょっと糠をつけて
「練馬に叔母さんがいて、大根をいま百本もらった。沢庵に漬けようと思うんだが、あいにく四斗樽がないから、物置きを探すと醤油樽が出てきた。その中へ百本の大根を漬けようと思うが、つまるかねえ」
と持ちかけてみな、と策を授ける。

そうすると向こうが
「百本の大根といやあ、かなり嵩がある。それはどうしてもつまらない」
と、ここで引っかかるだろうと言うので、これはいいと、さっそく出かけていく。

その場になるとセリフを忘れてしまい、しどろもどろでようやく
「醤油樽へつまろうか」
までこぎつけた。

相手は
「そりゃあとてもつま」
まで言いかけてニヤリと笑い
「へえりきらねえ」

「つまろうか?」
「残るよ」
「つまろうか?」
「たががはじける」
「足で押し込んで」
「底が抜けるよ」

どうしてもダメ。

これから外出するというので、
「どこへ」
と聞くと、
「伊勢屋の婚礼だ」
という。

「婚礼? うまくやってやがる。のめるな」

逆にワナに落ち、百円せしめられる。

婚礼は真っ赤なうそ。

再び隠居に泣きつくと、
「今度は相手の遊びに来る時間を見計らい、将棋盤を前に、詰め将棋を考えている振りをしろ」
と言う。

持ち駒は歩が三枚に金、銀。

どうせ詰まないから、口を出してきた時を見計らって
「つまろうか?」
と聞くと、相手も夢中になっているだろうから、きっと引っかかるという作戦。

将棋などやったこともないから、盤と駒を借りてしきりにウンウンうなっていると、「つまらない」がやってきた。

間のいいことに、これが無類の将棋好き。

「待ちな待ちな。あたまへ金を打って、下がって……駒は? それっきり? 誰に教わった? 床屋の親方? からかわれたんだ。これじゃ、どうしてもつまらねえ」

これを言わせるために艱難辛苦したのだから、興奮して胸ぐらをつかむ。

「いてて、ばか、よせ。うーん、こりゃ一杯食った。てめえの知恵にしちゃできすぎだ。よし、決めを倍にして二百円やろう」
「ありがてえ、一杯のめる」
「おっと、それでさっ引きだ」

【RIZAP COOK】

【しりたい】

原話は「癖はなおらぬ」  【RIZAP COOK】

原話は古く、元禄14年(1701)、京都で刊行された『百登瓢箪』巻二「癖はなおらぬ」です。

これは、鼻を横なでする癖のある者と頭をたたく癖のある者が申し合わせて癖をやめることにしますが、つい話に熱中するうちに二人ともまたやらかすという、たわいない話です。

登場人物が二人という以外は、現行とは内容が違うので、遠い原型というくらいでしょうか。

くせの噺は、昔から小咄、マクラ噺としては多数あり、くせの種類も、口ぐせから動作までさまざまです。特に、動作では、八代目雷門助六が「しらみ茶屋」で見せた畳のケバむしり、鼻くそとばしの応酬が抱腹絶倒でした。ビジュアルな名人芸の見せ所なのでしょう。

なくて七癖、噺もいろいろ  【RIZAP COOK】

登場する人数も、一人(一人癖)、二人(二人癖)、三人(三人癖)と増えるにつれ、演じ分けも難しくなっていきます。あまり出ませんが、「四人癖」では、鼻こすり、眼こすり、そで引っ張り、「こいつはいい」(手をたたく)の四人が登場、四人が失敗して、勝った「こいつはいい」が最後に罰金で一杯やれるというので「なるほどこいつはいい」でオチになります。

「のめる」は、くせ噺としてはもっとも洗練されたもので、上方の演題はそのものずばり「二人癖」です。いずれにせよ、ルーツは民話、昔話にあるのでしょう。

名人連の二つ目噺  【RIZAP COOK】

東京では、大阪通りの「二人癖」で演じた、明治29年(1896)3月の三代目柳家小さんの速記があり、同時代の四代目橘家円喬も得意でした。円喬は三遊派の旗頭でした。

円喬のは、SPレコードからの復刻音源が残されています。オチは、円喬だけは変わっています。

「一本歯の下駄を頼みに行くんだ」
「一本歯の下駄なら(前に)のめるだろう」
「今ので差っ引きだ」

現在はこれを使う演者はいないでしょう。

六代目三遊亭円生が「軽い噺で、二つ目程度がやる噺」と述べていますが、なかなかどうして、昭和初期から戦後ではその円生のほか、八代目春風亭柳枝、三代目三遊亭金馬ら多くの大看板が手がけていて、現在もよく高座に掛けられます。

三代目金馬は「のめる」でなく「うめえ」を口癖にしていたので、当然演題は「二人癖」でした。

たくあん事始   【RIZAP COOK】

京都大徳寺の住職時代の沢庵宗彭(たくあんそうほう)が寛永16年(1639)に発明したとされますが、疑問があります。「じゃくあん」「たくわえづけ」からの転訛で、単に沢庵の名と結び付けられただけというのが、真説のようです。

その他、沢庵の創建した品川東海寺では、三代将軍家光の命名伝説もありますが、珍説は、沢庵の墓石がタクアン石に似ていたから、というもの。

東海寺では、タクアンの名をはばかって「百本」というそうですが、他の宗派(東海寺は臨済宗大徳寺派)や寺院でも、名僧への非礼を避け「香の物」などと呼ぶことが多いようです。

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かんにんぶくろ【堪忍袋】演目

【RIZAP COOK】

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こんな便利な袋があったら、世の中丸くおさまるんですがねぇ。

【あらすじ】

長屋に住む大工の熊五郎夫婦はけんかが絶えない。

今日も朝から、「出てけッ、蹴殺すぞ」と修羅場を展開中。

出入り先のだんなが用事で来あわせ、隣にようすを聞くと、今朝からもう四度目という。

見かねただんな、仲裁に入り、
「昔、唐土(もろこし)のある人が、腹が立つと家の大瓶にみんなぶちまけて蓋をすると、人前ではいつも笑い顔しか見せない。友達連中が何とかあいつを怒らしてみようと、料亭に呼んで辱めたが、ニコニコしているだけ。そのうち中座して帰宅し、例の通り瓶に鬱憤をぶちまける。友達連中、不審に思って男の家に行ってみると、逆に厚くもてなされたので、それから、あれは偉い人間だと評判になり、出世をして、しまいには大金持ちになった。笑う角には福来るというが、おまえたちもそうのべつけんかばかりしていては福も逃げるから、その唐土のまねをしてごらん」
と、さとす。

瓶の代わりに、おかみさんが袋を一つ縫って、それを堪忍袋とし、ひもが堪忍袋の緒。

お互いに不満を袋にどなり込んで、ひもをしっかりしめておき、夫婦円満を図れと知恵を授ける。

熊公、なるほどと感心して、さっそく、かみさんに袋を縫わせた。

まず、熊が
「亭主を亭主と思わないスベタアマーッ」
と、どなり込む。

続いて、かみさんが
「この助平野郎ゥーッ」

亭主「この大福アマッ」
かみ「しみったれ野郎ッ」

隣で将棋をさしている連中、さすがにうんざりして、代表がしぶしぶ止めに来るが、熊がケロっとしているので面食らう。

事情を聞くと、ぜひ貸してくれと頼み、こちらも袋に向かって
「やい、このアマッ、亭主をなんだと思ってやがるんだッ」

これが大評判になり、来るわ、来るわ。

おかげで、袋は長屋中のけんかでパンク寸前。

明日は、海にでも捨ててくるしかない。

また、誰かが来ると困るから戸締まりをして寝たとたん、酔っぱらった六さんが表をドンドン。

開けないと、雨戸の節穴から小便をたれると脅かす。

しかたがないので中に入れると、
「仕事の後輩が若いのに生意気で、オレの仕事にケチをつけやがるから、ポカポカ殴ったら、みんなオレばかりを止めるので、こっちは殴られ放題、がまんがならねえから、どうでも堪忍袋にぶちまけさせろ」
と、聞かない。

「もう満杯だから、明日中身を捨てるまで待ってくれ」
と言っても、承知しない。

「こっちィ貸せ」
とひったくると、袋の紐をぐっと引っ張ったから、中からけんかがいっぺんに
「パッパッパッ、この野郎ッ、こんちくしょう、ちくしょう、この野郎ーッ」

【RIZAP COOK】

【しりたい】

作者は三井の放蕩息子 【RIZAP COOK】

益田太郎冠者(1875-1953)の作です。益田は、三井財閥の大番頭で明治・大正の財界の大立者、益田孝の長男。大正初期に、帝劇のオペレッタを多数制作し、「コロッケの唄」などのヒットで、時代の寵児となりましたが、同時に明治末から大正初期にかけて、第一次落語研究会のために新作落語を多数創作しています。

この噺もその一つで、八代目桂文楽の十八番だった「かんしゃく」同様、初代三遊亭円左(明治42年没)のために書き下ろされたものです。「松竹梅」「粗忽の釘」「反対車」参照。

堪忍袋 【RIZAP COOK】

ギリシア神話の「ミダス王の耳はロバの耳」を下敷きにしている節もあります。

「堪忍五両思案は十両」
「堪忍五両負けて三両」
など、江戸時代には、「堪忍」は単なる処世術、道徳というより、功利的な意味合いで使われることが多かったようです。

オチの工夫 【RIZAP COOK】

あらすじ、オチは、五代目柳家小さんのものをもとにしています。

オリジナルの原作では、袋が破れたとたんに亭主が酔っ払いを張り倒し、「なにをするんだ」「堪忍袋の緒が切れた」と落としていたといいますが、古い速記はなく、現在は、このやり方は行われません。

やはりこの噺を得意にしていた三代目三遊亭金馬は「中のけんかがガヤガヤガヤガヤ」としています。

そのほか、立川談志は、口喧嘩が過激で派手でしたが、「堪忍」の実例に「十八史略」の韓信の股くぐりの故事、大坂城落城の木村重成や、講談の、忠臣蔵の神崎与五郎の逸話(あらすじでは省略)を出すなどどの演者も大筋のやり方は同じです。

それにしても「カンニン」という言葉自体ももう死語になろうとしていますね。いっそ「八つ当たり袋」「ブチ切れ袋」などと改題した方が、わかりやすいかもしれません。

【RIZAP COOK】

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にらみがえし【睨み返し】演目

【RIZAP COOK】

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五代目柳家小さんの、「見せる落語」として有名でした。

あらすじ

「大晦日箱提灯はこわくなし」

長屋の熊五郎、貧乏暮らしで大晦日になると、弓提灯の掛け取りがこわい。

家にいて責められるのが嫌さに、日がな一日うろついて帰ると、その間、矢面に立たされたかみさんはカンカン。

「薪屋にも米屋にも、うちの人が帰りましたら夜必ずお届けしますと、言い訳して帰したのに、金策もしないでどうするつもりなんだい」
と、責めたてる。

もめているところへ、その薪屋。本日三度目の「ご出張」。

熊が
「払えねえ」
と開き直ると、薪屋は怒って、
「払うまで帰らない」
と、すごむ。

熊は
「どうしても帰らねえな。おっかあ、面に心張り棒をかえ。薪ざっぽうを持ってこい」

さらには
「払うまで半年、そこで待っててもらうが、飯は食わせねえから、遺言があったら言え、しかたがねえから葬式ぐらいはオレが出してやる」

薪屋はあえなく降参。

おまけに、借金を払った(つもり)の受取まで書かされ、
「おい、十円札で払ったから、釣りを置いてけ」

一人やっと撃退したものの、あと何人相手にしなきゃならねえかと、熊はうんざり。

そのとき表で
「ええ、借金の言い訳しましょう」
という声。

変わった商売だが、これはもっけの幸いと呼び入れると、言い訳屋は
「どんな強い相手も追っ払ってごらんに入れます」
と自信満々。

一時間二円だという。

どうにか小銭をかき集めて払うと、言い訳屋
「すみませんが、ご夫婦で押し入れに入っていていただきましょう。クスリと一声を出されても、こっちの仕事がうまくいきませんから、交渉中は黙っていただくよう」

しばらくすると、米屋。

「えー、熊さんは、親方はお留守で?」

見ると、見慣れない男が煙草を吸いながら、無言でにらみつけるだけ。

何を聞いても返事をしない。米屋はこわがって帰ってしまう。

次は酒屋。同じようにすごすご退散。

また次は、高利貸の代理人で、那須という男。

「何ですか、君は。恐ろしい顔だな。ご親戚ですか。おい君、黙っておってはわからん。無礼だね。君……」

何を言っても、ものすごい目でにらむばかり。

さすがの海千山千の取立人も、気味が悪くなって帰った。

喜んで熊が礼を言うと、ちょうど十二時を打った。

「時間が来ましたようで、これで失礼を」
「弱ったな。あと二、三人来るんだが、もう三十分ばかり」
「いや、せっかくですが、お断りします」
「どうして」
「これから、自宅の方をにらみに帰ります」

出典:七代目三笑亭可楽

【RIZAP COOK】

【しりたい】

師走の弓提灯 【RIZAP COOK】

弓提灯は、弓なりに曲げた竹を上下に引っ掛け、張って開くようにしたものです。

小型・縦長で、携帯に便利なことから、特に大晦日、商家の掛け取りが用いました。

江戸の師走の風物詩ではありますが、取り立てられる側は、さぞ、これを見ると肝が冷えたことでしょう。

これに対し、箱提灯は大型で丸く、武家屋敷などで使われました。

上方噺を東京に 【RIZAP COOK】

原話は、安永6年(1777)刊の笑話本『春帒』中の「借金乞」です。

これは、後半のにらみの場面の、そっくりそのままの原型になっていて、オチも同じです。

もともと上方噺です。

それを「らくだ」と同様、四代目桂文吾(1865-1915)から三代目柳家小さんが移してもらい、東京に移植しました。

皮肉にも、大正以後は本家の大阪ではほとんど演じ手がなく、もっぱら東京の柳派、小さん一門の持ちネタになりました。

三代目小さんから七代目、八代目三笑亭可楽を経て五代目小さんの十八番の一つでした。

前半の薪屋を撃退するくだりは「掛け取り万歳」と同じで、オチはこれまた類話の「言い訳座頭」と同じです。

「見せる落語」の典型 【RIZAP COOK】

「蒟蒻問答」と同じく、噺のヤマを仕種で見せる典型的な「ビジュアル落語」です。

速記となると、活字化されたものは七代目可楽によるもの。

「講談倶楽部」昭和9年(1934)1月号に載ったもののみ。

『昭和戦前傑作落語全集』(講談社、1981年)に収録されました。本あらすじも、これを参考にしています。

【RIZAP COOK】

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いもだわら【芋俵】演目

ライザップなら2ヵ月で理想のカラダへ

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芋食って屁をこいて……。落語にはよくあることです。

別題:芋屁(上方)

あらすじ

泥棒三人組。

ある警戒厳重な店へ押し入るため、一計を案じる。

まず、一人が芋俵の中に入り、仲間二人が
「少しの間、店の前に置かせてください」
と頼み込む。

店の方ではいつまでたっても取りにこないから、迷惑して俵を店の中に入れる。

夜が更けてから、中の一人が俵を破って外に出て、心張り棒を外し、待機していたあとの二人を導き入れる。

とまあ、こんなふうにいけばよかったが、いかない。

小僧が俵を中に入れる時、逆さに立ててしまったから、俵の中の泥棒、身動きが取れず四苦八苦。

しかし、声は立てられない。

そのうち小僧と女中が、俵の芋をちょいと失敬して、蒸かして食べよう、どうせ二つや三つならわからないと示し合わせ、小僧が俵に手を突っ込む。

逆さだから、上の方が股ぐらあたり。

そこをまさぐられたから、泥棒、くすぐったくてがまんできなくなり、思わず
「ブッ」
と一発。

小僧、
「おやおや、気の早いお芋だ」

底本:五代目柳家小さん

ライザップなら2ヵ月で理想のカラダへ

しりたい

狂言がルーツ

狂言「柑子俵」を基にしたといわれます。笑話としては、明和4年(1767)刊『友達ばなし』中の「赤子」、安永2年(1773)刊『聞上手』中の「いもや」などが原話として挙げられます。

後者では、だんなと芋売りの会話になっていて、だんなが、芋一升24文を18文に値切っているところへ、隣の男が出てきて、「いくらでお買いですか」と言いながら、屁をプッとひったので、芋売りが「モシ、だんな、商売のじゃまは困ります」と言う、わかったようなわからないような小咄です。

上方落語でも、まったく同じ筋で、題だけがそのものずばり「芋屁」といいます。

芋俵

焼き芋屋、神田多町の市場で川越芋を俵でまとめて買ったものです。焼き芋は、寛政5年(1793)の暮れに、本郷四丁目の番屋で、番太郎が内職がてらに焙烙で焼いたものを売り出したのが起源とか。

小さん系の滑稽噺

代々の柳家小さんに受け継がれた噺で、五代目小さんも得意にしていました。軽く、罪のない、たわいない噺なので、よく高座に掛けられます。戦後のやり手は、五代目柳家小さんと六代目蝶花楼馬楽、五代目古今亭志ん生。小さんと馬楽は四代目柳家小さんから伝えられたわけです。六代目柳亭小燕枝、柳亭小袁治、四代目柳亭市馬などがやります。

タネ本「柑子俵」

大蔵流の集狂言(主人公やテーマで分類しにくい雑多なジャンル)の一つで、そのあらすじは、以下の通りです。

●年の暮れ、山に住む柑子 みかんの原生種)売りが、季節のものであるので、都で売りさばいて安楽に年を越そうと、柑子を俵に詰めて担ぎ、とある里にさしかかった。ところが、ちょうど日が暮れたので、その里の知人に俵を一晩預け、翌朝取りに来ると言って立ち去る。その家の子供が俵を見つけ、中身の柑子を全部食べてしまう。見つかれば叱られるので、始末に困った子供は、一計を案じて鬼の面をかぶり、柑子の代わりに俵の中に入って一夜を過ごす。さて、夜が明け、柑子売りが戻ってきて、主人に礼を言い、荷を受け取って出発するが、どうも昨日より重い。不審に思って俵を下ろし、中をのぞいたとたん、恐ろしい面をかぶった子供が飛び出し、「さあ、取って食うぞ」と脅したので、柑子売りは肝をつぶし、悲鳴をあげて舞台袖に逃げ出す。「やるまいぞ、やるまいぞ……」で幕。

いつごろから、柑子が芋にすり替わったのかは、よくわかりません。

【語の読みと注】
柑子俵 こうじだわら
神田多町 かんだたちょう

ライザップなら2ヵ月で理想のカラダへ

ながやのはなみ【長屋の花見】演目

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お茶けに「練馬」のかまぼこ。ビンボー長屋の愉快で哀しい花見風景です。

別題:隅田の花見 貧乏花見(上方)

【あらすじ】

貧乏長屋の一同が、朝そろって大家に呼ばれた。

みんな、てっきり店賃の催促だろうと思って、戦々恐々。

なにしろ、入居してから18年も店賃を一度も入れていない者もいれば、もっと上手はおやじの代から払っていない。

すごいのは
「店賃てな、なんだ」

おそるおそる行ってみると、大家が
「ウチの長屋も貧乏長屋なんぞといわれているが、景気をつけて貧乏神を追っぱらうため、ちょうど春の盛りだし、みんなで上野の山に花見としゃれ込もう」
と言う。

「酒も一升瓶三本用意した」
と聞いて、一同大喜び。

ところが、これが実は番茶を煮だして薄めたもの。

色だけはそっくりで、お茶けでお茶か盛り。

玉子焼きと蒲鉾の重箱も、
「本物を買うぐらいなら、むりしても酒に回す」
と大家が言う通り、中身は沢庵と大根のコウコ。

毛氈も、むしろの代用品。

「まあ、向こうへ行けば、がま口ぐれえ落ちてるかもしれねえ」
と、情なくも、さもしい料簡で出発した。

初めから意気があがらないことはなはだしく、出掛けに骨あげの話をして大家に怒られるなどしながら、ようやく着いた上野の山。

桜は今満開で、大変な人だかり。

毛氈のむしろを思い思いに敷いて、
「ひとつみんな陽気に都々逸でもうなれ」
と大家が言っても、お茶けでは盛り上がらない。

誰ものみたがらず、一口で捨ててしまう。

「熱燗をつけねえ」
「なに、焙じた方が」
「なにを言ってやがる」

「蒲鉾」を食う段になると
「大家さん、あっしゃあこれが好きでね、毎朝味噌汁の実につかいます。胃の悪いときには蒲鉾おろしにしまして」
「なんだ?」
「練馬の方でも、蒲鉾畑が少なくなりまして。うん、こりゃ漬けすぎで、すっぺえ」

玉子焼きは
「尻尾じゃねえとこを、くんねえ」

大家が熊さんに、
「おまえは俳句に凝ってるそうだから、一句どうだ」
と言うと
「花散りて死にとうもなき命かな」
「散る花をナムアミダブツと夕べかな」
「長屋中歯をくいしばる花見かな」

陰気でしかたがない。

月番が大家に、
「おまえはずいぶんめんどう見てるんだから、景気よく酔っぱらえ」
と命令され、ヤケクソで
「酔ったぞッ。オレは酒のんで酔ってるんだぞ。貧乏人だってばかにすんな。借りたもんなんざ、利息をつけて返してやら。くやしいから店賃だけは払わねえ」
「悪い酒だな。どうだ。灘の生一本だ」
「宇治かと思った」
「口あたりはどうだ」
「渋口だ」

酔った気分はどうだと聞くと
「去年、井戸へ落っこちたときと、そっくりだ」

一人が湯のみをじっと見て
「大家さん、近々長屋にいいことがあります」
「そんなことがわかるのかい」
「酒柱が立ちました」

底本:八代目林家正蔵(彦六)

【しりたい】

明治の奇人、馬楽十八番

上方落語「貧乏花見」を、明治37年(1904)ごろ、奇人でならした薄幸の天才、三代目蝶花楼馬楽が東京に移しました。明治38年(1905)3月の、日本橋常磐木倶楽部での第四回(第一次)落語研究会に、まだ二つ目ながら「隅田の花見」と題したこの噺を演じました。

これが事実上の東京初演で、大好評を博し、以後、この馬楽の型で多くの演者が手掛けるようになりました。

上方のものは、筋はほぼ同じですが、大家のお声がかりでなく、長屋の有志が自主的に花見に出かけるところが、江戸(東京)と違うところです。

馬楽から小さんへ

馬楽から弟弟子の四代目柳家小さんが継承し、小さんは、馬楽が出していた女房連をカット、くすぐりも入れて、より笑いの多い楽しめるものに仕上げました。

そのやり方は五代目小さんに伝えられ、さらにその門下の柳家小三治の極めつけへとつながっています。

オチは、馬楽のものは「酒柱」と「井戸へ落っこった気分」が逆で、後者で落としています。

このほか、上方のオチを踏襲して、長屋の一同がほかの花見客のドンチャン騒ぎをなれあい喧嘩で妨害し、向こうの取り巻きの幇間が酒樽片手になぐり込んできたのを逆に脅し、幇間がビビって「ちょっと踊らしてもらおうと」「うそォつけ。その酒樽はなんだ?」「酒のお代わりを持ってきました」とする場合もあります。

おなじみのくすぐり

どの演者でも、「長屋中歯を食いしばる」の珍句は入れますが、これは馬楽が考案し、百年も変わっていないくすぐりです。

いかに日本人がプロトタイプに偏執するか、これをもってもわかるというものです。

冒頭の「家賃てえのはなんだ」というのもこの噺ではお決まりですが、こちらは上方で使われていたくすぐりを、そのまま四代目小さんが取り入れたものです。

長屋

表長屋は表通りに面し、二階建てや間口の大きなものが多かったのに対し、裏長屋(裏店=うらだな)は新道や横丁、路地に面し、棟割(むねわり、一棟を間口九尺、奥行二間の何棟かに仕切ったもの)になっています。

同じ裏長屋でも、路地に面した外側は鳶頭や手習いの師匠など、ある程度の地位と収入のある者が、木戸内の奥は貧者が住むのが一般的でした。

上野の桜

「花の雲鐘は上野か浅草か」という、芭蕉の有名な句でも知られた上野山は、寛永年間(1624-44)から開けた、江戸でもっとも古く、由緒ある花の名所でした。

しかし、寛永寺には将軍家の霊廟があり、承応3年(1654)以来、皇族の門主の輪王寺宮が住職を務める、江戸でもっとも「神聖」な地となったため、下々の乱痴気騒ぎなどもってのほか。

「山同心」が常時パトロールして目を光らせ、暮れ六つ(午後六時ごろ)には山門は閉じられる上、花の枝を一本折ってもたちまち御用となるとあって、窮屈極まりないところでした。

そのため、上野の桜はもっぱら文人墨客の愛するものとなり、市民の春の行楽地としては、次第に後から開発された、品川の御殿山、王子の飛鳥山、向島に取って代わられました。

したがって、たとえ「代用品」ででも花見でのめや歌えをやらかそうと思えば、この噺にかぎっては、厳密には時代を明治以後にするか場所を向島にでも変えなければならないわけです。

あおな【青菜】演目

【RIZAP COOK】

 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

柳家の噺。屋敷でだんなから聞きかじった「奥や」を植木職人が家で鸚鵡返し。

別題:弁慶

【RIZAP COOK】

【あらすじ】

さるお屋敷で仕事中の植木屋、一休みでだんなから「酒は好きか」と聞かれる。

もとより酒なら浴びるほうの口。

そこでごちそうになったのが、上方の柳影(やなぎかげ)という「銘酒」だが、これは実は「なおし」という安酒の加工品。

なにも知らない植木屋、暑気払いの冷や酒ですっかりいい心持ちになった上、鯉の洗いまで相伴して大喜び。

「時におまえさん、菜をおあがりかい」
「へい、大好物で」

ところが、次の間から奥さまが
「だんなさま、鞍馬山から牛若丸が出まして、名を九郎判官(くろうほうがん)」
と妙な返事。

だんなもだんなで
「義経にしておきな」

これが、実は洒落で、菜は食べてしまってないから「菜は食らう=九郎」、「それならよしとけ=義経」というわけ。

客に失礼がないための、隠し言葉だという。

植木屋、その風流にすっかり感心して、家に帰ると女房に
「やい、これこれこういうわけだが、てめえなんざ、亭主のつらさえ見りゃ、イワシイワシってやがって……さすがはお屋敷の奥さまだ。同じ女ながら、こんな行儀のいいことはてめえにゃ言えめえ」
「言ってやるから、鯉の洗いを買ってみな」

もめているところへ、悪友の大工の熊五郎。

こいつぁいい実験台とばかり、女房を無理やり次の間……はないから押し入れに押し込み、熊を相手に
「たいそうご精がでるねえ」
から始まって、ご隠居との会話をそっくり鸚鵡返し……しようとするが……。

「青いものを通してくる風が、ひときわ心持ちがいいな」
「青いものって、向こうにゴミためがあるだけじゃねえか」
「あのゴミためを通してくる風が……」
「変なものが好きだな、てめえは」
「大阪の友人から届いた柳影だ。まあおあがり」
「ただの酒じゃねえか」
「さほど冷えてはおらんが」
「燗がしてあるじゃねえか」
「鯉の洗いをおあがり」
「イワシの塩焼きじゃねえか」
「時に植木屋さん、菜をおあがりかな」
「植木屋はてめえだ」
「菜はお好きかな」
「大嫌えだよ」

タダ酒をのんで、イワシまで食って、今さら嫌いはひどい。

ここが肝心だから、頼むから食うと言ってくれと泣きつかれて
「しょうがねえ。食うよ」
「おーい、奥や」

待ってましたとばかり手をたたくと、押し入れから女房が転げ出し、
「だんなさま、鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官義経」
と、先を言っちまった。

亭主は困って
「うーん、弁慶にしておけ」

底本:五代目柳家小さん

【RIZAP COOK】

【しりたい】

青菜

東京(江戸)では主に菜といえば、一年中見られる小松菜をいいます。

冬には菜漬けにしますが、この噺では初夏ですから、おひたしにでもして出すのでしょう。

値は三文と相場が決まっていて、「青菜(は)男に見せるな」という諺がありました。これは、青菜は煮た場合、量が減るので、びっくりしないように亭主には見せるな、の意味ですが、なにやら、わかったようなわからないような解釈ですね。

柳影は夏の風物詩

柳影はもち米と麹と焼酎で仕込んだ、アルコール分の強い酒で、江戸で「直し」、京では「南蛮酒」ともいいました。夏のもので、必ず冷やでのみます。

イワシの塩焼き

鰯は江戸市民の食の王様で、天保11年(1840)正月発行の『日用倹約料理仕方角力番付』では、魚類の部の西大関に「目ざしいわし」、前頭四枚目に「いわししほやき(塩焼き)」となっています。

とにかく値の安いものの代名詞でしたが、今ではちょっとした高級魚です。

隠語では、女房ことば(「垂乳根」参照)で「おほそ」、僧侶のことばでは、紫がかっているところから、紫衣からの連想で「大僧正」と呼ばれました。

弁慶、そのココロは

オチの「弁慶」は「考えオチ」というやつで、「立ち往生」の意味を利かせています。

これも、今では『義経記』の、弁慶立ち往生の故事がわかりづらくなったり、「途方にくれる、困る」という意味の「立ち往生」が死語化している現在では、説明なしには通じなくなっているかもしれません。

上方では人におごられることを「弁慶」というので、(これは上方落語「舟弁慶」のオチにもなっています)このシャレにはその意味も加わっているでしょう。

小里ん語り、小さんの芸談

この噺は柳家の十八番といわれています。ならば、芸談好き、五代目柳家小さんの芸談を聴いてみましょう。弟子の小里んが語ります。

植木屋が帰ったとき、「湯はいいや。飯にしよう」って言うでしょ。あそこは、「一日サボってきた」っていう気持ちの現れなんだそうです。「お客さんに分かる分からないは関係ない。話を演じる時、そういう気持ちを腹に入れておくことを、自分の中で大事にしろ」と言われましたね。だから、「湯はいいや。飯にしよう」みたいな言葉を、「無駄なセリフ」だと思っちゃいけない。無駄だといって刈り込んでったら、落語の科白はみんななくなっちゃう。そこを、「なんでこの科白が要るんだろうって考えなきゃいけない。落語はみんなそうだ」と師匠からは教えられました。

五代目小さん芸語録 柳家小里ん、石井徹也(聞き手)著、中央公論新社、2012年

なるほどね。芸態の奥は深いです。

【RIZAP COOK】

まつひき【松曳き】演目

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粗忽噺。殿さまと三太夫さらには八五郎も入って、粗忽者同士の珍妙やりとり。

別題:粗忽大名(上方)

あらすじ

ある大名の江戸屋敷。

殿さまがそそっかしく、家老の田中三太夫がこれに輪をかけて粗忽者。

同気相求めるで、これが殿さまの大のお気に入り。

ある日、殿さまが、
「庭の築山の脇にある赤松の大木が月見のじゃまになるので、泉水の脇にひきたいが、どうであるか」
と三太夫にご下問。

三太夫が
「あれはご先代さまご秘蔵の松でございますので、もし枯らすようなことがありますと、ご先代さまを枯らすようなものではないかと心得ます」
と諌めるが、殿さまは、
「枯れるか枯れないかわからないから、今屋敷に入っている植木屋に直接聞いてみたい」
と言い張る。

そこで呼ばれたのが、代表者の八五郎。

「さっそく御前へまかりはじけろ」
と言うからまかりはじけたら、三太夫が側でうるさい。

「あー、もっとはじけろ。頭が高い。これ、じかに申し上げることはならん。手前が取り次いで申し上げる」
「それには及ばん。直接申せ」
「はっ、これ、八五郎。ていねいに申し上げろ」

頭に「お」、終わりに「たてまつる」をつければよいと言われた八五郎、
「えー、お申し上げたてまつります。お築山のお松さまを、手前どもでお太いところへは、おするめさまをお巻き申したてまつりまして、おひきたてまつれば、お枯れたてまつりません。恐惶謹言、お稲荷さんでござんす」

よくわからないが、枯れないらしいと知って、殿さまは大喜び。

植木屋に無礼講で酒をふるまっていると、三太夫に家から急な迎え。

国元から書状が来ているというので、見ると字が書いていない。

「だんなさま、そりゃ裏で」
「道理でわからんと思った。なになに、国表において、殿さま姉上さまご死去あそばし……」

これは容易ならぬと、あわてて御前へ。

殿さま、
「なに? 姉上ご死去? 知らぬこととは言いながら、酒宴など催して済まぬことをいたした。して、ご死去はいつ、なんどきであった?」
「ははっ……とり急ぎまして」
「そそっかしいやつ。すぐ見てまいれ」

アワを食って、家にトンボ返り。

動転して、書状が自分の懐に入っているのも気がつかない。

やっと落ち着いて読みなおすと
「……お国表において、ご貴殿姉上さま……?」

自分の姉が死んだのを殿と読み間違えた。

いまさら申し訳が立たないので、いさぎよく切腹してお詫びしようとすると、家来が、殿に正直に申し上げれば、百日の蟄居(ちっきょ)ぐらいですむかもしれないのに、あわてて切腹しては犬死にになると止めたので、それもそうだと三太夫、しおしお御前へまかり出た。

これこれでと報告すると、殿さまは
「ナンジャ? 間違いじゃ? けしからんやつ。いかに粗忽とは申せ、武士がそのようなことを取り違えて、相済むと思うか」
「うへえ、恐れ入りました。この上はお手討ちなり、切腹なり、存分に仰せつけられましょう」
「手討ちにはいたさん。切腹申しつけたぞ」
「へへー、ありがたき幸せ」
「余の面前で切腹いたせ」

三太夫が腹を切ろうとすると、しばらく考えていた殿さま、
「これ、切腹には及ばん。考えたら、余に姉はなかった」

底本:初代三遊亭金馬=二代目三遊亭小円朝

しりたい

使いまわしのくすぐりでも

「粗忽の使者」とよく似た、侍の粗忽噺です。特に、職人がていねいな言葉遣いを強要され、「おったてまつる」を連発するくすぐりは「粗忽の使者」のほか、「妾馬」でも登場します。

ただ、基本形は同じでも、それぞれの噺で状況も八五郎(「粗忽の使者」では留五郎)の職業もまったく違うわけです。

この「松曳き」では殿さまの前でひたすらかしこまるおかしみ、「粗忽の使者」では後で地が出て態度がなれなれしくなる対照のおかしさと、それぞれ細部は違い、演者の工夫もあって、同じくすぐりを用いても、まったく陳腐さを感じさせないところが、落語のすぐれた点だと思います。

殿さまの正体

御前に出た八五郎に、三太夫が叱咤して「まかりはじけろ」と言います。「もっと前に出ろ」という意味ですが、実はこれは仙台地方の方言だそうです。

とすれば、このマヌケな殿さまは、恐れ多くも仙台59万5千石の太守・伊達宰相にあらせられる、ということになりますが。

小里ん語り、小さんの芸談

この噺は、小さん、十代目馬生、談志あたりがやっていました。その流れで、柳家喜多八(2016年没、小三治の弟子)や桃月庵白酒(雲助の弟子)も。あまり聴かない噺ですが、以下は小さんが弟子の小里んに語った芸談です。芸の奥行きをしみじみ感じさせます。

語りの芸は演じきっちゃいけないだなァ。
それと師匠は「昔は大名が職人と酒盛りなんかするわけがない。それは噺のウソだってことは腹に入れとかなくちゃいけない」と言ってました。ありえないことだけれど、それを愉しく演じなきゃいけない。かといって、無理に拵えた理屈をつけてはいけない。「ウソだと分かって演るなら、ウソでいいんだ」と言ってたのは、「噺のウソを、ウソのまま取っておく大らかさが落語にはあった方がいい」という教えですね。無理に辻褄合わせで理屈をつけると解説になって理屈っぽくなっちゃうでしょ。

五代目小さん芸語録 柳家小里ん、石井徹也(聞き手)著、中央公論新社、2012年

できごころ【出来心】演目

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オチによっては「花色木綿」とも。泥棒噺。江戸前。間抜け泥、いかにもの笑い。

別題:花色木綿

【あらすじ】

ドジな駆け出しの泥棒。

親分に、
「てめえは素質がないから廃業した方がいい」
と言われる。

心を入れ替えて悪事に励むと誓って、この間土蔵と間違って寺の練塀を切り破って向こうに出たとか、電話がひいてあるので入ったら交番だったなどと話すので、親分はあきれて、おめえにまともな盗みはできねえから、空き巣狙いでもやってみろと、こまごまと技術指導。

まず声をかけて、返事がなかったら入るが、ふいに人が出てきたら
「失業しておりまして、貧の盗みの出来心でございます」
と泣き落としで謝ってしまう。

返事があったら人の家を訪ねるふりをして
「何の何兵衛さんはどちらで?」
とゴマかせばいいと教えられ、さっそく仕事に出かける。

ある家で
「ええ、何の何兵衛さんはどちらで?」
「なにを?」
「いえその、イタチ西郷兵衛さんは……」
としどろもどろで逃げ出した。

次の家では、主人が二階にいるのも気づかず、羊羹を盗み食いして見つかり、
「イタチ西郷兵衛さんはどちらで?」
「オレだよ」
「えっ? その、もっといい男の西郷兵衛」
「なにを?」
「よろしく申しました」
「誰が?」
「あたしが」
「この野郎ッ」
……あわてて逃げ出す。

「あんな、まぬけの名の野郎が本当にいるとは思わなかった」
と胸をなで下ろしながらたどり着いたのが、長屋の八五郎の家。

畳はすり切れ、根太はボロボロ。

転がっているのは汚い褌一本きり。

しかたなく懐に入れ、八五郎が帰ってきたので、あわてて縁の下に避難。

八五郎は、粥が食い散らされているのを見て、
「ははあ泥棒か」
と見当をつけるが、かえって泥棒を言い訳に家賃を待ってもらおうと、大家を呼びに行った。

「それじゃしかたがねえ。待ってやろう」
とそこまではいいが、盗難届けを出さなくてはならないと、盗品をいちいち聞かれるから、はたと困った。

苦し紛れに布団をやられたと嘘をつくと
「どんな布団だ? 表の布地はなんだ?」
「大家さんとこに干してあるやつで」
「あれは唐草だ。裏は?」
「行きどまりです」
「布団の裏だよ」
「大家さんのは?」
「家は、丈夫であったけえから、花色木綿だ」
「家でもそれなんで」

羽二重も帯も蚊帳も南部の鉄瓶も、みんな裏が花色木綿。

「あきれて話しにならねえ。あとは?」
「お礼で。裏は花色木綿」

縁の下の泥棒、これを聞いて我慢できずに下から這い出てくる。

「さっきから聞いてりゃ、ばかばかしい。笑わせるない」
「おやっ、そんなとこから這いだしゃあがって。てめえは泥棒だな?」
「この家にはなにも盗めるものなんぞねえ」

警察に突き出すと言われ、あわてて
「えー、どうも申し訳ござんせん。失業しておりまして、六十五を頭に三人の子供が……これもほんの貧の出来心で……と哀れっぽく持ちかけたら、銭の少しもくれますか?」
「誰がやるもんか。八、てめえもてめえだ」

お鉢が回ってきたので、八五郎、こそこそ縁の下へ。

「おい、なにも盗られてねえそうじゃねえか。どうしてあんな、うそばかり並べたんだ?」
「これもほんの出来心でございます」

【しりたい】

「出来心」ならお上のお慈悲?

落語には泥棒噺が多く、「穴泥」「もぐら泥」「だくだく」「釜泥」「締め込み」「転宅」「夏どろ」……まだまだあります。

そのほとんどが、まぬけで愛すべき空き巣の失敗をおおらかに笑う噺で、いかにのどかな江戸時代でも犯罪の実態は陰惨なものが多かったことを考えれば、落語の泥棒は、むしろ、こういう泥テキばかりなら……という庶民の願望のあらわれともいえるでしょう。

しかし、現実にはお奉行のお裁きは峻厳だったのです。

十両盗めば初犯でも死罪は有名ですが、窃盗を重ねて盗んだ金額が累積で十両に達すれば、その時点で一巻の終わりです。空き巣で初犯なら「出来心」でお上のお慈悲にあずかれますが、土蔵を切り破ったり、家人の在宅しているところに押し入れば、重罪の押し込み強盗ですから、初犯、かつ未遂でも主犯は原則死罪でした。

三度目で首が飛ぶ

空き巣では初犯敲き、再犯刺青、再々犯は有無を言わさず首が飛びました。

極端にいえば、一回に三文盗んだ場合は敲きで済みますが、初犯一文、再犯一文、再々犯一文と三回に分けて合計三文盗めば、あわれ、この世の別れというわけ。

1994年に米カリフォルニア州で制定された「スリーストライク法案」も、重罪を三度重ねれば仮釈放ナシの禁固25年-終身刑という過酷さ。なんと空き巣三回、三回目にたった152ドル盗んだだけで懲役52年という判決が出て、世論を震撼させたことがありますが、こちらは命がないのですから、まさに究極の「スリーストライク、アウト」でしょう。

オチで変わる演題

泥棒噺は、柳家小さん代々が得意にした江戸前の滑稽噺の典型で、この噺も、三代目から五代目小さんまで継承され、五代目春風亭柳朝、入船亭扇橋、桂文朝などの持ちネタでもあります。特に柳朝の泥棒のすっとぼけた味は絶品でした。

泥棒が入る家の主人の珍名は、演者によって「ちょうちん屋ブラ右衛門」などと変わります。

オチは二通りあり、あらすじで紹介した小さんのものが基本形ですが、現実にはそこまでいきません。 寄席などでは「下駄を忘れてきちゃった」で終わる「間抜け泥」が多いようです。 八代目春風亭柳枝のように、大家と泥棒の会話でのもあります。

大「どこから入った?」
泥「裏です」
大「裏はどこだ?」
泥「裏は花色木綿」

このオチでの演目は「花色木綿」となります。

花色木綿

「花色」は「縹色(はなだいろ)」の省略で、薄い藍色の木綿地になります。

「出来心」も死語に

噺のタイトルにもなっているこの言葉も、最近はだんだん使われなくなってきているようです。

「出来」はこの場合、「とっさに」「即席に」という意味。古くは、即席のシャレのことを「出来口」といいました。

要するに、計画してやった犯行ではなく、ついとっさに魔がさしたものなのでご勘弁を、という言い訳ですね。

コソ泥どころか、重大な犯罪をしでかしても、しおらしく謝るどころか、「逆ギレ」して居直るヤカラばかりが増えた昨今ですから、こんな言葉が消えていくのも無理はありません。

小里ん語り、小さんの芸談

こういうネタは「間抜けな奴が本気じゃないといけない」と師匠も言ってました。

五代目小さん芸語録 柳家小里ん、石井徹也(聞き手)著、中央公論新社、2012年

かさご【笠碁】演目

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柳家の噺。志ん生は「雨の将棋」で。碁打ちの二人、意地の張り具合と友情。

【あらすじ】

碁敵のだんな二人。

両方ともザル碁で、下手同士だが、ウマがあって毎日のように石を並べあっている。

仲がいいとつい馴れ合うから、いつもお互いに待った、待ったの繰り返し。

そんなことでは上達しないからと、今後一切待ったはなしということにしようと取り決めたのはいいが、言い出しっ屁がついいつもの癖で
「そこ、ちょいと待っとくれ」

「おまえさんが待ったなしを言いだしたんだからダメだ」
と断ると、
「それはそうだが、そこは親切づくで一回ぐらいいいじゃあないか」
と、しつこい。

自分で作ったルールを破るのは身勝手だと「正論」を吐けば、おまえは不親切だ、理屈っぽすぎると、だんだん雲行きが怪しくなる。

しまいにはかんしゃくのあまり、昔金を貸したことまで持ち出すので、売り言葉に買い言葉。

「その恩義があるから大晦日には手伝いに行ってやれば蕎麦一杯出しゃがらねえ、このしみったれのヘボ碁め」
「帰れ」
「二度と来るもんか」

……という次第で決裂したが、意地を張っているものの、そこは「碁敵は憎さも憎しなつかしし」。

雨の二、三日も降り続くと、退屈も手伝って、
「あの野郎、意地ィ張らずに早く来りゃあいいのに」
と、そぞろ気になって落ちつかない。

女房に鉄瓶の湯を沸かさせ、碁盤も用意させて、外ばかり見ながらソワソワ。

一方、相方も同じこと。

どうにもがまんができなくなり、こっそり出かけてようすを見てやろうと思うが、あいにく一本しか傘がないので、かみさんが、
「持っていかれると買い物にも行けない」
と苦情を言うから、しかたなく大山詣りの時の菅笠をかぶり、敵の家の前をウロウロと行ったり来たり。

それを見つけて、待ったのだんなは大喜び。

「やいやい、ヘボ」
「なに、どっちがヘボだ」
「ヘボかヘボでねえか、一番くるか」

めでたく仲直りして碁盤を囲んだのはいいが、なぜが盤に雨漏り。

それもそのはず、まだ菅笠をかぶったまま。

【しりたい】

碁敵

ごがたき。碁打ちのライバルをいいます。

この噺の原話は古く、初代露の五郎兵衛(1643-1703、「唖の釣り」参照)作の笑話本で元禄4年(1691)刊『露がはなし』中の「この碁は手みせ金」です。

マクラに「碁敵は憎さも憎しなつかしし」という句を振るのがこの噺のお約束ですが、この句の出典は明和2年(1765)刊の川柳集『俳風柳多留』(はいふう・やなぎだる)初編で、「なつかしし」は「なつかしさ」の誤伝です。

円朝をうならせた小さんの至芸

明治に入ると、三代目柳家小さんが、碁好きの緻密な心理描写と、いぶし銀のような話芸の妙で、十八番中の十八番としました。

あの円朝も、はるか後輩の小さんの芸に舌を巻き、そのうまさに、「もう決して自分は『笠碁』は演じない」と宣言したといいます。

五代目小さんも、もちろん得意にしましたが、五代目の「笠碁」は、大師匠の三代目の直系でなく、三代目柳亭燕枝に教わったもので、従来は、待ったのだんなが家の中から碁敵を目で追うしぐさだけで表現したのを、笠をかぶって雨中をうろうろするところを描写するのが特徴でした。

「待った」はタブー

西洋のチェスでは、待った(Take Back)は即負け。「将棋の殿さま」では、殿さまが家来に待ったを強制する場面がありますが、碁盤、もしくは将棋盤の裏側のくぼんだところは、待ったをした者の首を乗せるためのものとか。

碁も、「いったん石を下ろしたら、もう手をつけることはできない」と「笠碁」のだんなの一人が言っていますが、これもチェスのTouch and move&quot(触れたら動かせ!)の原則と共通して、勝負事は洋の東西を問わず、厳しいものという証でしょう。

しかし、そう豪語した当人がすぐ臆面もなく「待った」するところが、落語の、人間の弱さに対する観察の行き届いたところです。

囲碁の出てくる噺はほかに「碁どろ」「柳田格之進」があります。

志ん生の「雨の将棋」

楽屋内でも将棋マニアで知られ、素人離れしてかなり強かったという五代目古今亭志ん生は、「笠碁」を改作して碁を将棋に代え、「雨の将棋」と題して、より笑いの多いものに仕立てました。

オチは、奮戦しているうちに片方の王様が消え、あとで股ぐらから出てきたので、「かなわないから、金の後ろへ逃げた」という珍品です。

小里ん語り、小さんの芸談

「笠碁」の「笠」は、かならず「雨」をイメージさせるものなのですね。弟子の小里んが記憶の底から掘り出した、五代目小さんの芸談です。

師匠に言われたのは「これは秋の雨だぞ」ということです。「秋は人恋しくなるから、じっとしていると、出ていきたくなる。梅雨は鬱陶しいから、碁を打とうという気分とは違う。シトシトシトシトした、大降りじゃない、物悲しいような雨だ」と教わりました。「大山詣りの菅笠で凌げる程度の降りだから」ってね。(中略)「やっぱり、この噺は雨の音が聞こえるようじゃないとダメだ」とも言ってましたよ。喧嘩のあとの物悲しさが、雨で増すというかな。

五代目小さん芸語録 柳家小里ん、石井徹也(聞き手)著、中央公論新社、2012年

うきよねどい【浮世根問】演目

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「根問」とはルーツを尋ねること。さかしげなガキの「どーして?」ですね。

【あらすじ】

三度に一度は他人の家で飯を食うことをモットーとしている八五郎。

今日もやって来るなり「お菜は何ですか?」と聞く厚かましさに、隠居は渋い顔。

隠居が本を読んでいるのを見て八五郎、
「本てえのはもうかりますか」
と聞くので
「ばかを言うもんじゃない。もうけて本を読むものじゃない。本は世間を明るくするためのもので、おかげでおまえが知らないことをあたしは知っているのだから、なんでも聞いてごらん」
と隠居が豪語する。

そこで八五郎は質問責め。

まず、今夜嫁入りがあるが、女が来るんだから女入りとか娘入りと言えばいいのに、なぜ嫁入りかと聞く。

隠居、
「男に目が二つ、女に目が二つ、二つ二つで四目入りだ」
「目の子勘定か。八つ目鰻なら十六目入りだ」

話は正月の飾りに移った。

「鶴は千年亀は万年というけど、鶴亀が死んだらどこへ行きます?」
「おめでたいから極楽だろう」
「極楽てえのはどこにあります?」
「西方弥陀の浄土、十万億土だ」
「サイホウてえますと?」
「西の方だ」
「西てえと、どこです?」

隠居、うんざりして、
「もうお帰り」
と言っても八五郎、御膳が出るまで頑張ると動じない。

この間、岩田の隠居に
「宇宙をぶーんと飛行機で飛んだらどこへ行くでしょう」
と聞くと、
「行けども行けども宇宙だ」
とゴマかすので、
「じゃ、その行けども行けども宇宙をぶーんと飛んだらどこへ行くでしょう?」

行けどもぶーん、行けどもぶーんで三十分。

向こうは喘息持ちだから、だんだん顔が青ざめてきて、
「その先は朦々(もうもう)だ」
「そんな牛の鳴き声みてえな所は驚かねえ。そこんところをぶーんと飛んだら?」
「いっそう朦々だ」
「そこんところをぶーん」

……モウモウブーン、イッソウブーンで四十分。

「そこから先は飛行機がくっついて飛べない」
「そんな蠅取り紙のような所は驚かねえ。そこんところをぶーん」
とやったらついに降参、五十銭くれた。

「おまえさんも極楽が答えられなかったら五十銭出すかい?」
「誰がやるか。極楽はここだ」
と隠居が連れていったのが仏壇。

こしらえものの蓮の花、線香を焚けば紫の雲。鐘と木魚が妙なる音楽というわけ。

「じゃ、鶴亀もここへ来て仏になりますか?」
「あれは畜生だからなれない」
「じゃ、なにになります?」
「ごらん。この通りロウソク立てになってる」

【しりたい】

根問

ねどい。「根問」は上方ことばで「根掘り葉掘り聞くこと」を意味します。

小さん二代が確立

上方落語の「根問もの」の代表作で、明治期に東京に移されたものです。上方では短くカットして前座の口ならしに演じられますが、初代桂春団治の貴重な音源が残ります。

明治時代にはまだ、東京では「薬缶」と「浮世根問」の区別が曖昧で、たとえば、明治期の四代目春風亭柳枝の速記はかなり長く、「無学者」の題で演じています。

いろいろな魚の名前の由来を聞いていく前半は「薬缶」と共通しています。

今回のあらすじは、師匠の四代目小さん譲りで演じた、五代目柳家小さんのものを底本にしましたが、この二代の小さんが上方のやり方を尊重し、この噺を独立した一編として確立したわけです。

鶴亀のろうそく立て

オチの「ろうそく立て」については、今ではなんのことやらさっぱりわからなくなっているので、現行の演出ではカットし、最後までいかないことが多くなっています。

これは、寺などで使用した燭台で、亀の背に鶴が立ち、その頭の上にろうそくを立てるものです。

鶴亀はいずれも長寿を象徴しますから、要するに縁起ものでしょう。

目の子

「目の子勘定」といって、公正を期すため、金銭などを目の前で見て数えることです。

黙阿弥の歌舞伎世話狂言『髪結新三』で、大家の長兵衛が悪党の新三の目の前で小判を一枚一枚並べる場面が有名です。

原話について

もっとも古いものは、京都辻噺の祖・露の五郎兵衛(1643-1703)の『露休置土産』中の「鶴と鷺の評論」です。

これは、二人の男が鶴の絵の屏風について論じ合い、一人が「この鳥は白鳥にしてはちょっと足が長い」と言うと、もう一人が「はて、わけもない。これは鷺だ」と反論します。見かねた主人が「これは鶴の絵ですよ」と口をはさむと、後の男が「人をばかにするでない。鶴なら、ろうそく立てをくわえているはずだ」。

時代が下って、安永5年(1776)、江戸で刊行された『鳥の町』中の小ばなし「根問」になると、以下のようになっています。

「鶴は千年生きるというが、本当かい?」
「そうさ。千年生きる証拠に、鎌倉には頼朝の放したという鶴がまだ生きているじゃないか」
「じゃ、千年たったらどうなる?」
「死ぬのさ」
「死んでどうなる?」
「十万億土(極楽)に行くのさ」
「極楽へ行ってどうする?」
「うるさい野郎だな。ろうそく立てになるんだ」

ぐっと現行に近くなります。

へっついゆうれい【竃幽霊】演目

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昔は、へっついから幽霊がよく出たもんです。そう、出そうでしょ、あそこ。

【あらすじ】

ある道具屋から買ったへっつい(かまど)から幽霊が出るというので、買う客買う客みな一日ともたずに青い顔で返品に来る。

道具屋の親方、毎日一分二朱で売って三割安で戻ってくるから、初めはもうかると喜んでいたが、そのうち評判が立ち、ほかの品物もぱたりと売れなくなった。

困って夫婦で相談の上、だれか度胸のいいばかがいたら、三両付けて引き取ってもらうことにした。

これを聞きつけたのが裏の長屋に住む遊び人の熊五郎。

「幽霊なんざ目じゃねえ」
とばかり、隣の勘当中の生薬屋の若だんな徳兵衛さんを誘って、半分の一両二分もらった上、とりあえず徳さんの長屋に運び込むことにする。

こわがる徳さんに、幽霊は自分が引き受けて、もうけは折半するからと因果を含めて、二人で担いで家の戸口まで来ると、徳さんがよろけてへっついの角をドブ板にぶつけた。

その拍子に転がり出たのが、なんと三百両の大金。

「ははァ、これに気が残って出やがるんだ」
と合点して、その金を折半、若だんなは吉原へ、熊公は博打場へそれぞれ直行したが、翌日の夕方、帰ってみると二人ともきれいにすってんてん。

しかたがないから寝ることにしたが、その晩、徳さんの枕元へ青い白い奴がスーっと出て
「金返せェ」

「ギャーッ」
と叫ぶのを飛び込んできた熊公がなだめすかし
「こりゃあ、金をたたき返してやらないと毎晩でも出るな」
と思案する。

翌日。

徳さんの親元から三百両を借りてきた熊、へっついを自分の部屋に運び込むと、夕方から
「出やがれ、幽霊ッ」
とどなっている。

丑三ツ時になると、へっついから青白い陰火がボーッと出て
「へい、お待ちどうさま」

「鰻ィあつらえたんじゃねえや、恨めしいとか何とか言え」
と毒づくと
「へえ、それが恨めしくないんで」
とくる。

そこで幽霊が「身の下」はないから身の上を語るところによれば、生前は鳥越に住んでいた留といって、表向きは左官で裏は博打打ち。

それも、チョウ(丁)よりほかに張ったことはないそうな。

ある日。

めずらしく賭場で三百両もうけたが、友達が借りに来てうるさいので、金をへっついの中に隠したまま、その夜フグに当たってあえない最期、という次第。

熊は
「話はわかった。このへっついは俺がもらったんだから、百五十両ずつ立てんぼだ」
とむりやり半額にして返してやる。

「おめえ、不服か。実はこっちも心持が中途半端でいけねえ。いっそ、どっちかへ押しつけちまおう」
「ようがす」

熊の提案に、幽霊もかつてはくろうとなので、興奮して手をユラユラさせながら承知した。

二ッ粒の丁半で、出た目は半。

幽霊は丁しか張らないので、熊の勝ち。

「親方、もう一丁頼みます」
「勘弁してもらおう。もうてめえに金がねえじゃねえか」
「親方、あっしも幽霊です。決して足は出しません」

【しりたい】 

原話は墓でバクチ

安永2年(1773)刊の『俗談今歳花時』中の「幽霊」という小ばなしが原話です。

これは、火事で「真黒やき」になった仲間の一周忌追善に、バクチ狂いだった故人をしのび、墓場でチョボイチをご開帳していると、懐かしいサイの音に誘われ、当人が幽霊となって出現。さっそく仲間に加わって、死装束をカタに三百文張りますが、あえなく負けて意気消沈、早々と消え支度。「ナゼもっとせ(し)ないぞ」「イヤモ(う)、幽霊(=ゆうべ)も三百はりこんだ」

これは、寒中に裸で物ごいするすたすた坊主が唄って歩く「夕べも三百張り込んだ」のもじり、ダジャレにすぎません。まことにどうも、バクチあたりなことで。

上方落語を東京に

この噺も、今東京に残る噺の多くと同じく上方種で、上方落語「竃の幽霊」または「かまど幽霊」を明治末か大正初期に、三代目三遊亭円馬が東京に移したものです。

上方のオチは、熊が巻上げた金を元手に賭場で奮戦していると、またまた幽霊が出現。「まだこの金に未練があるのか」「いえ、テラをお願いに参じました」となります。

寺と博打のテラ銭を掛けたもので、前に金を巻上げた後、熊が幽霊に、石塔くらいは立ててやるから、迷わず成仏しろと言い渡した言葉を受けてのものです。

上方のやり方では、熊は完全にイカサマを使うことになっていて、その辺が東京と違ってあざといところ。

東京でも五代目柳家小さんは、このサゲを用いていました。

円生、三木助が双璧

五代目志ん生、四代目、五代目小さんも演じましたが、レコード、速記の数からも、戦後はやはり六代目円生、三代目三木助がこの噺の双璧といえるでしょう。

なかでも三木助は、幽霊に仰天してへっついを返しに来る男を大阪弁に変え、いちいち言葉尻に「道具屋」「道具屋」とつけるなど、独自の滑稽味を出して十八番としました。

リアルはご法度

ただ、この三木助は若い頃、身を持ち崩して「隼の七」と異名を取った本物の博徒だったこともあり、熊の目つきのこわさや、あまりにもリアルなサイを振る動作が、客や楽屋内に薄気味悪がられ、初期の評判はよくなかったようです。

現に、四代目小さんがこの噺について、「サイを振る手つきはまずくていい、こういうところは人にほめられるな」と戒めています。これは同じバクチ噺の「狸賽」などでも同じでしょう。

「クマ」五郎は普通名詞?

阿佐田哲也のギャンブル小説で、雀ゴロ(麻雀専門のバイニン、博打打ち)が「クマゴロウ」と呼ばれていたのをご記憶の方も多いと思います。

博徒、特にイカサマ師の異称を「クマ」と呼ぶのは相当古くかららしく、細工を施してある賽を「熊女」などともいいました。

そのせいか、「竃幽霊」の主人公は東西問わず、誰が演じても熊五郎です。

三代目三木助の人物設定では、熊は白無垢鉄火、つまり表面は堅気の素人を装って、裏に回れば遊び人ということにしてあります。

「クマ」の語源はよくわかりませんが、あるいは、熊手でかき寄せるように賭場でテラ銭をさらうところからきているのかもしれません。

ねこのさいなん【猫の災難】演目

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猫のお余りで一杯。せこな噺ですねえ。

【あらすじ】

文なしの熊五郎。

朝湯から帰って一杯やりたいと思っても、先立つものがない。

「のみてえ、のみてえ」
とうなっているところに、隣のかみさんが声をかけた。

見ると、大きな鯛の頭と尻尾を抱えている。

猫の病気見舞いにもらって、身を食べさせた残りだという。

捨てに行くというので、頭は眼肉がうまいんだから、あっしにくださいともらい受ける。

これで肴はできたが、肝心なのは酒。

「猫がもう一度見舞いに酒をもらってくれねえか」
とぼやいていると、ちょうど訪ねてきたのが兄貴分。

「おめえと一杯やりたいと誘いにきた」
という。

サシでゆっくりのむことにしたが、
「なにか肴が……」
と見回し、鯛の頭を発見した兄貴分、台所のすり鉢をかぶせてあるので、真ん中があると勘違い。

「こんないいのがあるのなら、おれが酒を買ってくるから」
と大喜び。

近くの酒屋は二軒とも借りがあるので、二丁先まで行って、五合買ってきてもらうことにした。

さあ困ったのは熊。

いまさら猫のお余りとは言いにくい。

しかたがないので、兄貴分が酒を抱えて帰ると、
「おろした身を隣の猫がくわえていった」
とごまかす。

「それにしても、まだ片身残ってんだろ」
「それなんだ。ずうずうしいもんで、片身口へくわえるだろ、爪でひょいと引っかけると小脇ィ抱えて」
「なに?」
「いや、肩へぴょいと」

おかしな話だ。

「日頃、隣には世話になってるんで、我慢してくれ」
と言われ、兄貴分、不承不承代わりの鯛を探しに行った。

熊、ほっと安心して、酒を見るともうたまらない。

冷のまま湯飲み茶碗で、さっそく一杯。

「どうせあいつは一合上戸で、たいしてのまないから」
とたかをくくって、
「いい酒だ、うめえうめえ」
と一杯、また一杯。

「これは野郎に取っといてやるか」
と、燗徳利に移そうとしたとたんにこぼしてしまう。

「もったいない」
と畳をチュウチュウ。

気がつくと、もう燗徳利一本分しか残っていない。

やっぱり隣の猫にかぶせるしかないと
「猫がまた来たから、追いかけたら座敷の中を逃げ回って、逃げるときに一升瓶を後足で引っかけて、全部こぼしちまった」
と言い訳することに決めた。

「そう決まれば、これっぱかり残しとくことはねえ」
と、熊、ひどいもので残りの一合もグイーッ。

とうとう残らずのんでしまった。

いい心持ちで小唄をうなっているうち、
「こりゃいけねえ。猫を追っかけてる格好をしなきゃ」
と、向こう鉢巻に出刃包丁、
「あの猫の野郎、とっつかめえてたたっ殺して」
と一人でがなってると、待ちくたびれてそのまま白川夜船。

一方、鯛をようやく見つけて帰った兄弟分。

酒が一滴もないのを知って仰天。

猫のしわざだと言っても今度はダメ。

「この野郎、酔っぱらってやがんな。てめえがのんじゃったんだろ」
「こぼれたのを吸っただけだよ」
「よーし、おれが隣ィどなり込んで、猫に食うもの食わせねえからこうなるんだって文句を言ってやる」

そこへ隣のかみさんが
「ちょいと熊さん、いいかげんにしとくれ。さっきから聞いてりゃ、隣の猫隣の猫って。家の猫は病気なんだよ。お見舞いの残りの鯛の頭を、おまえさんにやったんじゃないか」

これで全部バレた。

「この野郎、どうもようすがおかしいと思った。やい、おれを隣に行かせて、どうしようってえんだ」
「だから、猫によく詫びをしてくんねえ」

【しりたい】

小さん十八番、のん兵衛噺の白眉

これも、三代目柳家小さんが東京にもたらした数多い上方落語の一つです。

当然、三代目、四代目と代々の小さんに継がれた「お家芸」ですが、特に五代目は、「試し酒」「禁酒番屋」「一人酒盛」などで見物をうならせた、リアルな仕種と酒のみの心理描写を、この噺で集大成したかのようにお見事な芸を見せてくれました。

中でも、畳にこぼした酒をチューチュー吸う場面、相棒が帰ってきてからのべろべろの酔態は、愛すべきノンベエの業の深さを描き尽くして余すところがありませんでした。

同じ酔っ払いを演じても、酒乱になってしまう六代目笑福亭松鶴と違い、小さんの「酒」はリアルであっても、後口にいやな匂いが残りませんでした。これも芸風と人柄でしょう。

上方の演出

上方では、腐った鯛のアラを酒屋にただでもらう設定で、最後のサゲは、猫が入ってきたので、阿呆がここぞとばかり、「見てみ。可愛らし顔して。おじぎしてはる」と言うと、猫が神棚に向かって前足を合わせ、「どうぞ、悪事災にゃん(=難)をまぬかれますように」と地口で落とします。

初代桂春団治が得意にし、戦後は二代目春団治、実生活でも酒豪でならした六代目笑福亭松鶴がよく高座にかけました。

志ん生の「犬の災難」

五代目古今亭志ん生は、「犬の災難」の演題で猫を犬に替え、鯛ではなく、隣に届いた鶏を預かったことにしました。

相棒が酒を買いに行っている間に、隣のかみさんが戻ってきて鶏を持っていってしまうという、合理的な段取りです。

最後は酒を「吸った」ことを白状するだけで、オチらしいオチは作っていません。

三代目金馬の失敗談

釣りマニアだった三代目三遊亭金馬が、防波堤で通し(=徹夜)の夜釣りをしていたときのこと。

大きな黒鯛が掛かり、喜んで魚籠に入れておくといつの間にか消えています。そのうち、金馬と友達の弁当まで消失。無人の防波堤で泥棒などいないのにとぞっとしましたが、実はそれは、そのあたりに捨てられた野良猫のしわざ。堤の石垣に住み着いて、釣りの獲物を失敬しては食いつないでいたわけです。

「それからこっち、魚が釣れないと、また猫にやられたよって帰ってくる」             (三代目三遊亭金馬『随談猫の災難』)

こぼれ話

五代目小さんは、相棒が酒を買いに行く店を「酢屋満」としていますが、これは、目白の小さん宅の近所にあった実在の酒屋。

酒をのみほした後、小唄をうなるのは、五代目の工夫です。

かぼちゃや【かぼちゃ屋】演目

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与太郎の噺。ここまでとんまだと、味わい深くてほのぼのもんですね。

【あらすじ】

二十歳になっても、頭に霧がかかっている与太郎。

おじさんが心配して、商売を覚えさせようと、唐茄子を売らせることにした。

元値が大が八銭、小七銭。

勘定のしやすいように、大小十個ずつ籠に振り分けてやり、
「これは元値だから、よく上を見て(掛け値をして)売れ」
と、よく言い聞かせて送り出す。

与太郎、裏通りでいきなり
「かぼちゃあ」
と蛮声を張り上げたので、そこにいた男、自分の顔を言われたと思って目を白黒。

「へっ、かぼちゃよりジャガイモに似てらあ」

品物は新しいかと聞かれて
「新しいとも。今まで生きてた」

大二つ買って
「二十銭で釣りをくれ」
と言うと
「釣りはねえから、二十銭にまけとかあ」

上にまける始末。

「上を見て」がわからないから、もとの七銭と八銭で売って、文字通り平和に空を見上げている。

見かねて男が相長屋の衆に売りさばいてくれ、安いからたちまち売り切れたが、もうけは一銭もなし。

おじさん、ようすを聞いて
「おまえのばかは慢性だな」
「万世橋の次は須田町」
「停留所じゃねえ」

そんなことじゃ女房子が養えないから、もう一度行ってこいと追い出す。

もとの所へ来ると
「唐茄子ばっかり食っちゃいられねえ。まあ安いから、八銭のをまた三つ」
「今度は十銭」

掛け値の意味を教わったと聞き、
「ぼんやりだな。おまえ、いくつだ?」
「六十だ」
「見たとこ二十歳ぐれえだな」
「二十は元値で、四十は掛け値だ」

【しりたい】

もとは「みかん屋」

上方の「みかん屋」を、四代目柳家小さんが小三治時分の大正初年に東京に移しました。

小さんも当初は「みかん屋」でしたが、日本橋常盤木倶楽部での第一次落語研究会で、売り物を唐茄子に変えました。

「みかん屋」で与太郎が「今年のみかんは唐茄子のように大きい」と言うくすぐりがあります。

当時の大看板・初代三遊亭円右が人情噺の「唐茄子屋政談」を得意にしていたこともあり、洒落で変えてみたと、小さんは生前語っています。

オチも含め、大筋は売り物が違うだけで、「みかん屋」もまったく変わりません。

東京では五代目小さんとその門下に伝わり、CDでは五代目と談志のものがありますが、現在の上方ではあまりやり手がいないようです。

原話は『醒睡笑』

オチの「掛け値」のくだりの原話は、安楽庵策伝著『醒睡笑』(「子ほめ」参照)巻五「人はそだち」第十九話です。

あきんどの持ちたる子を見て、「これの息子は、ことしいくつぞや」。 親のいひける、「あれはそら値十三といふて、定の値十二ぢゃ」。

唐茄子野郎と言われたら

唐茄子はかぼちゃを小型化し、甘味を強くした改良品種で、明和年間(1764-72)から出回りました。

唐茄子もかぼちゃも、初物でも安値で、「初かぼちゃ女房はいくらでも買う気」という川柳があります。

そのせいか、「かぼちゃ(唐茄子)野郎」といえば、安っぽい間抜け野郎の代名詞。与太郎が唐茄子を売らされるのには必然性があるわけです。

五代目小さんのくすぐり

●おじさんが小言で与太郎に

おじ「遊んでちゃなあ、飯が食われない。なんで飯を食うか知ってるか?」与太「箸と茶碗じゃねえか」
おじ「当たりめえだ」
与太「だって、ライスカレーはシャジで食う」

●かごが空になって

客「ありがとうございますとか、なんとか言え」
与太「どういたしまして」

ぎょけい【御慶】演目

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珍しい江戸の産。小さんが代々伝える、にぎやかでなんとなくめでたい噺。

あらすじ

この三年この方、富くじに入れ込み過ぎてる八五郎。

はずれてもはずれてもあきらめるどころか、一攫千金への果てなき夢は燃えさかるばかり。

おかげで商売は放りっぱなし、おかみさんが、いくら当たりっこない夢から覚めて、まじめに働いとくれと、意見をしても、馬の耳に念仏。

もう愛想が尽きたから、これ以上富を買うのなら別れると、脅してもダメ。

はや、年の暮れが近づき、借金を申し込んでも、もう誰も貸してくれる者がいないから、富くじ代一分どころか、年を越せるだけの金もない。

そんなことは富さえ当たれば万事済むと、八五郎はむりやりかみさんの半纏をむしり取り、質屋でマゲて、千両富のくじ代をこしらえると、湯島天神へまっしぐら。

八が強気なのはわけがあって、昨夜見たのが鶴がはしごの上に止まっている夢。

必至に夢解きをした結果、鶴は千年、はしごはハシゴで八四五。

だから、鶴の千八百四十五番のくじを買えば大当たり間違いなしというわけ。

途中に大道易者が出ていたので、夢のことを話して占ってもらうと、
「なるほど。それで鶴の千八百四十五とは考えたが、そこが素人の甘さだな」
「なぜ?」
「ハシゴは下るより登る方に役立つもの。八百四十五と下りてくるより、逆に五百四十八と登るのが本当だ。鶴の五百四十八番にしなさい」

なるほどと思って、興奮しながらその札を買う。

いよいよ、子供のかん高い声で当たり籤の読み上げ。

「つるのおォ、ごひゃくゥ、よんじゅう、はちばーん」
「あ、あた、あたあたあたたた……」

八五郎、腰を抜かして気絶寸前。

当たりは千両だが、すぐ受け取ると二百両差し引かれる。

来年までなんぞ待ってられるけえと、二十五両の切り餠で八百両受け取ると、宙を飛ぶように長屋へ。

聞いてかみさんは卒倒。

水をのんで息を吹き返すと
「だからあたしゃ、おまえさんに富をお買いって言った」
「うそつきゃあがれ、こんちくしょー」

さあ、それから大変な騒ぎ。

正月の年始回り用に、着たこともない裃と脇差しを買い込むやら、大家に家賃を二十五両たたきつけるやら。

酒屋が来て餠屋が来てまだ暮れの二十八日というのに、一足先にこの世の春。

年が明けて、元旦。

大家に、年始のあいさつを聞きに行くと、一番短い「御慶」を教えられたので、八五郎、裃袴に突袖をしてしゃっちょこばり、長屋中をやたら
「ギョケイ、ギョケイッ」
とどなって歩く。

仲間の半公、虎公、留公がまゆ玉を持って向こうから来るので、まとめて三人分と、
「ギョケ、ギョケ、ギョケイッ」
「なんでえ、鶏が卵産んだのかと思ったら八公か」
「てやんでえ、ギョケイッ言ったんだい」
「ああ、恵方(えほう)詣りィ行ってきた」

【しりたい】

御慶あれこれ

大家の説明の中に、「長松が親の名で来る御慶かな」「銭湯で裸同士の御慶かな」などの句を入れるのが普通です。

子供のしつけとして、七、八歳になると、親の名代として近所に年始参りに行かせる習慣がありました。

「永日」という挨拶があります。

これは、噺の中で八五郎が、年始先で屠蘇などを勧められた場合、全部回りきれなくなると言うので、大家が「春永(日が長くなってから)になってお目にかかりましょう」の意で、「永日」と言って帰れと教える通り、別れの挨拶です。

小さん代々の演出

純粋の江戸落語で、柳家小さん系に代々伝わる噺です。

「御慶」の演題は、昭和に入って四代目小さんが採用したもので、それまでは「八五郎年始」「富の八五郎」が使われました。

五代目小さんが継承し、八五郎が大家に「御慶」を教わるくだりを、富くじに当った当日ではなく、元日に年始に行った時にするなど工夫を加え、十八番の一つとしていました。

富くじ

千両富はめったになく、五百両富がほとんどでした。即日受け取ると、実際は二割でなく、三割程度は引かれ、二月まで待っても、寄付金名目で一割は差し引かれたようです。詳しくは「宿屋の富」で。

恵方詣り

陰陽道の考え方によるものです。歳徳神のつかさどる方位を「恵方(えほう)」といいます。毎年変わるものです。その年の干支に基いて定めた吉の方角で、「あきのかた」ともいいます。「恵方詣り」は、その吉の方角に当たる神社に参拝することです。

うどんや【うどん屋】演目

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屋台の鍋焼きうどん屋。客がつかずさんざんな寒い夜。もうからない噺です。

別題:風うどん(上方)

あらすじ

ある寒い夜。

屋台の鍋焼きうどん屋が流していると、酔っぱらいが
「チンチンチン、えちごじしィ」
と唄いながら、千鳥足で寄ってくる。

屋台をガラガラと揺すぶった挙げ句、おこした火に手をかざして、ながながとからむ。

「おめえ、世間をいろいろ歩いてると付き合いも長えだろう。仕立屋の太兵衛ってのを知ってるか」
「いえ、存じません」

そんなところから始まって、
「太兵衛は付き合いがよく、かみさんは愛嬌者、一人娘の美ィ坊は歳は十八でべっぴん、今夜婿を取り、祝いに呼ばれると上座に座らされて茶が出て、変な匂いがすると思うと桜湯で、家のばあさんはあんなものをのんでも当たらないから不思議な腹で、床の間にはおれが贈ったものが飾ってあって、娘の衣装は金がかかっていて、頭に白い布を巻いて「おじさん、さてこのたびは」と立ってあいさつして、このたびはなんて、よっぽど学問がなくちゃあ言えなくて、小さいころから知っていて、おんぶしてお守りしてやって、青っぱなを垂らしてぴいぴい泣いていたのがりっぱになって、ああめでてえなあうどん屋」
というのを、二度繰り返す。

「水をくれ」
というから、
「へいオシヤです」
とうどん屋が出せば、
「水に流してというのを、オシヤに流してって言うかばか野郎
とからみ、やたらに水ばかりガブガブのむから、
「うどんはどうです」
と、うどん屋はそろそろ商売にかかると、
「タダか」
と聞きてくる。

「いえ、お代はいただきます」
「それじゃ、おれはうどんは嫌えだ。あばよッ」

今度は女が呼び止めたので、張り切りかけると
「赤ん坊が寝てるから静かにしとくれ」

「どうも今日はさんざんだ」
とくさっていると、とある大店の木戸が開いて
「うどんやさん」
とか細い声。

「ははあ、奥にないしょで奉公人がうどんの一杯も食べて暖まろうということか」
とうれしくなり、
「へい、おいくつで」
「ひとつ」

その男、いやにかすれた声であっさり言ったので、うどん屋はがっかり。

それでも、
「ことによるとこれは斥候で、うまければ代わりばんこに食べに来るかもしれない、ないしょで食べに来るんだから、こっちもお付き合いしなくては」
と、うどん屋も同じように消え入るような小声で
「へい、おまち」

客は勘定を置いて、またしわがれ声で、
「うどん屋さん、あんたも風邪をひいたのかい」

しりたい

小さん三代の十八番

上方で「風うどん」として演じられてきたものを、明治期に三代目柳家小さんが東京に移植。

その高弟の四代目小さん、七代目可楽を経て戦後は五代目小さんが磨きをかけ、他の追随を許しませんでした。

酔っ払いのからみ方、冬の夜の凍るような寒さの表現がポイントとされますが、五代目は余計なセリフや、七代目可楽のように炭を二度おこさせるなどの演出を省き、動作のみによって寒さを表現しました。

見せ場だったうどんをすするしぐさとともに、五代目小さんによって、「うどんや」はより見て楽しむ要素が強くなったわけです。

原話はマツタケ売り

安永2年(1773)江戸板『座笑産』の後編「近目貫」中の「小ごゑ」という小ばなしが原話です。

その設定は、男はマツタケ売り、客は娘となっています。

改作「しなそば屋」

大正3年(1914)の二代目柳家つばめの速記では、酔っ払いがいったん食わずに行きかけるのを思い直してうどんを注文したあと、さんざんイチャモンを付けたあげく、七味唐辛子を全部ぶちまけてしまいます。

これを、昭和初期に六代目春風亭柳橋が応用し、軍歌を歌いながらラーメンの上にコショウを全部かけてしまう、改作「しなそば屋」としてヒットさせました。

夜泣きうどん事始

東京で夜店の鍋焼きうどん屋が現れたのは明治維新後。したがってこの噺はどうしても明治以後に設定しなければならないわけです。

読売新聞の明治14年(1881)12月26日付には、以下の記事。

「近ごろは鍋焼饂飩が大流行で、夜鷹蕎麦とては喰ふ人が少ないので、府下ぢうに鍋焼饂飩を売る者が八百六十三人あるが、夜鷹蕎麦を売る者は只た十一人であるといふ」

「夜鷹そば」(「時そば」参照)に代わって「夜泣きうどん」という呼び名も流行しました。三代目小さんが初めてこの噺を演じたときの題は、「鍋焼うどん」でした。

大阪の製薬会社「うどんや風一夜薬本舗」は、ショウガと温かいうどんが解熱作用があるということで、風邪薬、しょうが飴、のど飴などを製造販売しています。もとは、末廣勝風堂という名で明治に創業しました。「末広(いつまでも)」「勝風(風に勝つ)」と、明治らしいわかりやすい命名です。「うどん」と「風邪」とは縁語なのですね。