お七 おしち 演目

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あの与太郎も結婚して子供ができたのですが、ここでは八五郎と一騎打ちを。

別題:火の用心 お産見舞い

【あらすじ】

縁起かつぎの与太郎。

今度子供が生まれてめでたいので、どうかして縁起のいいことを聞きたいと考えている。

そこへ現れた兄弟分の八五郎。

来るなり、
「おめえの家は陰気で湯灌場にいるようだ、オレも伯父貴の葬式帰りだから、死人が出たのならいっしょに骨揚げしてやろう」
だのと、縁起の悪いことばかり並べる。

子供が生まれたと聞くと、赤ん坊の顔を見て
「小せえ餓鬼だ。これは今にも息を引き取るな」

「戒名はなんとつけた」
と聞くから、
「お初だ」
と言うと、
「こいつは今に、徳兵衛という仕立屋と心中する」
というご託宣。

「あちらからお初を嫁にもらいたいと言っても、てめえは一人娘だからやりゃしめえ。向こうも一人息子だから婿にはやれない。お互い夫婦になれないならと、『覚悟はよいか』『南無阿弥陀仏』土左衛門が浮き上がる」

言いたい放題言って、帰ってしまう。

シャクでならないのが、おかみさん。

「あいつのおかみさんも来月臨月だから、生まれたら、行って敵討ちをしておやり」
と亭主をけしかける。

さて。

いよいよ八公のところも生まれたと聞いて、与太郎、勇んで乗り込む。

「よく来た。おまえは伯父さんの葬式帰りで、家が陰気で、流しが湯灌場で、末期の水をピシャピシャのんでると言いてえんだろ」

言いたいことを片っ端から言われてしまう。

それでも子供を見て
「これは今に息を」
「引き取った方がいいや。踏みつぶしちまおうかと思ったんだ」
「名前はお初だな」
「うんにゃ、お七だ」

「お初徳兵衛」なら心中とすんなりいくが、「お七徳兵衛」ではなんだか変。

空振りして帰ると、かみさんが、
「お七ならほかにやっつけようがあるから、もう一度行っといで」
と知恵を授ける。

「昔、本郷二丁目の八百屋の娘お七は、小姓の吉三と不義をして、娘心の一筋に、火をつけたらあの人に会えるかと家に放火して、釜屋武兵衛に訴人され、とうとう江戸市中引き廻しの上火あぶりになった。おまえの娘も火刑になる、と言っておやり」

「今度こそ」
と引き返した与太郎、八公に
「昔、本郷で八百屋で火事で、娘がお七だ。お七がアワくって、こしょうをなめて、武兵衛の釜ァ破って逃げ出して、お茶の水へ落っこってオマワリにとっ捕まった」
とやると
「そうじゃあるめえ。昔、本郷二丁目の八百屋お七は、小姓の吉三と不義をして、娘心の一筋に、火をつけたらあの人に会えるかと家に放火して、釜屋武兵衛に訴人され、とうとう江戸市中引き廻しの上火あぶり。おまえの娘に火刑になるてえんだろう」
「うーん、もう女房に聞きやがったな」

底本:初代三遊亭円遊

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【しりたい】

円生の持ちネタ

原話は、寛延4年(1751=宝暦元)刊の笑話本『軽口浮瓢箪』中の「名の仕返し」。

これは、男達の親分の息子の元服式に別のなわばりの親分が祝いに訪れ、息子が庄兵衛と改名すると知ると、「それはいい名だ。昔、獄門になった大泥棒、日本左衛門(本名、浜嶋庄兵衛)にあやかろうというのだな」と、嫌味を言って帰ります。

おやじは腹を立て、「いつか仕返しをしてやろう」と思ううち、その親分に女の子が生まれと聞いて、さっそく出かけていき、名を聞くとお七。「なるほどいい名だが、火の用心をなさいよ」と、嫌味を言い返して引き上げたというお話。

天和3年(1683)、自宅放火のとがで、数え十七(一説に十六)で火刑になった本郷の八百屋の娘お七の伝説を踏まえ、パロディー化したものの一つで、現存する最古の速記は、明治23年(1890)「百花園」に連載された初代三遊亭円遊のものです。

その後、初代柳家小せん、五代目三升家小勝らが大正から昭和初期まで高座に掛け、その後途絶えていたのを、戦後六代目三遊亭円生が復活させました。円生没後は後継者はありません。

円生のオチは、「火をつけたらどうしたというんだ」「だから火の用心に気をつけねえ」というもので、ここから「火の用心」の別題があります。

ほかに「お産見舞い」とも呼ばれますが、別話「お七の十」の別題も「お七」というので、それと区別するためでもあったでしょう。

落語、歌舞伎、お七伝説

お七伝説は、歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺」に取り入れられるなど、歌舞伎ではポピュラーな題材です。落語でも「強情灸」のオチに使われるほか、マクラ噺で「もぐら泥」「七段目」などにも使われます。「本堂建立」では、托鉢坊主が髪結いで、自分は実はお七の恋人吉三の後身だとヨタ話をします。

釜屋武兵衛

噺の中に出る「釜屋武兵衛」は、芝居や浄瑠璃でお七に横恋慕する人物で、やはりお七伝説をパロディー化した河竹黙阿弥の歌舞伎世話狂言「三人吉三」でも悪役として登場します。

湯灌場

八五郎が嫌がらせを並べ立てる場面に登場する「湯灌場」。現在でも「湯灌」といって、納棺や葬式の前に、遺体を湯で洗い清める風習が広く残っています。江戸時代は、地主や家持ちは自宅で、借家人は納棺して寺に運び、墓地の一隅の湯灌場で行いました。1坪程度の空間でした。地主や家持ちでない者は民家で湯灌することがご法度でした。

湯灌場買い

江戸時代には「湯灌場買い」と呼ばれる業者がいました。湯灌場で死者から脱がせた衣服を買い取る商売です。古着屋です。死者には経帷子を着せる風習でした。

歌舞伎では、黙阿弥作「湯灌場吉三」の主人公がこの湯灌場買いをなりわいにしています。「真景累ケ淵」の「聖天山」に湯灌場が描写され、「ちきり伊勢屋」では若だんなが、生き弔い(生前葬)で湯灌の代わりに風呂に入ります。「こんにゃく問答」でも「湯灌場踊り」の話が出ますが、実態は不明です。

経帷子

経帷子とは、死者に着せる着物をいいます。白麻などでつくり、その白地に真言、名号、題目などを書いて死者を冥土に送るものです。ですから、仏教での葬式で行われるものです。きょうえ、寿衣とも。

縁起かつぎ

この噺では、ゲンかつぎの人間にわざと縁起の悪いことを並べて嫌がらせするくだりが中心ですが、こうしたモチーフは、ほかに「かつぎや」「しの字ぎらい」「けんげしゃ茶屋」(上方)などがあります。

よくある都会のデカダン趣味、偽悪趣味のの一種でしょう。やられる人間もけっこう楽しんでいるわけで、こうしたことにムキになって怒ると、シャレのわからないヤボ天としてよけいばかにされ、いじめられるわけです。

土左衛門

ドゼエムともいいます。水死体のことで、享保年間の関取、成瀬川土左衛門の顔色が悪く、水死人にそっくりだったことからとも、肥った人間を称した「どぶつ」の変化ともいわれます。

お初徳兵衛

近松門左衛門作の人形浄瑠璃「曾根崎心中」(元禄16=1703年5月、大坂竹本座初演)のカップル。大坂内本町の醤油屋の手代と、北新地「天満屋」抱えの芸妓(芝居では遊女)で、同年4月7日に梅田堤(同・曾根崎の森)で心中したものです。落語でも「船徳」のもととなった同題の人情噺があり、五代目古今亭志ん生が好んで演じました。

【語の読みと注】
湯灌場 ゆかんば
伯父貴 おじき
骨揚げ こつあげ:火葬にした死者の遺骨を拾い上げること。灰よせ、骨拾い
餓鬼 がき
戒名 かいみょう
ご託宣 ごたくせん
土左衛門 どざえもん
小姓 こしょう
釜屋武兵衛 かやまぶへえ
市中引き廻し しじゅうひきまわし
軽口浮瓢箪 かるくちうかれひょうたん
男達 おとこだて:江戸初期の侠客
元服 げんぷく:成人式
獄門 ごくもん
京鹿子娘道成寺 きょうかのこむすめどうじょうじ
河竹黙阿弥 かわたけもくあみ
三人吉三 さんにんきちさ
経帷子 きょうかたびら:死者に着せる着物
湯灌場買い ゆかんばがい:死者の着物を買い取る古着屋
真景累ヶ淵 しんけいかさねがふち
生き弔い いきとむらい:生前葬
聖天山 しょうてんやま
成瀬川土左衛門 なるせがわどざえもん
お初徳兵衛 おはつとくべえ
曾根崎心中 そねざきしんじゅう

短命 たんめい 演目

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美人と結婚するとろくなことがないという、ひがみ丸出しのお話です。

別題:長命 長生き

【あらすじ】

大店の伊勢屋。

養子が、来る者来る者、たて続けに一年ももたずに死ぬ。

今度のだんなが三人目。

おかみさんは三十三の年増だが、めっぽう器量もよく、どの養子とも夫婦仲よろしく、その上、店は番頭がちゃんと切り盛りしていて、なんの心配もないという、けっこうなご身分だというのに……。

先代から出入りしている八五郎、不思議に思って、隠居のところに聞きにくる。

「夫婦仲がよくて、家にいる時も二人きり。ご飯を食べる時もさし向かい。原因はそれだな」

八五郎、なんのことだかわからない。

「おまえも血のめぐりが悪い。いいかい、店の方は番頭任せ、財産もある。二人でしょっちゅう朝から退屈して、うまいもの食べて、暇があるってのは短命のもとだ」
「短命って、なんです?」
「命の短いのを短命、長ければ長命」
「じゃあなんですか、いい女だと、だんなは短命なんで?」
「まあ、そういうことかな」

早い話、冬なんぞはこたつに入る。そのうちに手がこう触れ合う。白魚を五本並べたような、透き通るようなおかみさんの手。顔を見れば、ふるいつきたくなるいい女。そのうち指先ではすまず、すーっと別の所に指が触って……。

なるほど、これでは短命にもなるというもの。

三度同じことを言わせて、ようやく納得した八五郎、ついでにお悔やみの言い方も
「悲しそうな顔で口許でぼそぼそ言っていればそれでいい」
と、教えてもらった。

家に帰ると、女房が、早くお店に行け、とせっつく。

その前に茶漬けをかき込んで、というところでふと思いつき
「おい、夫婦じゃねえか。給仕をしろやい。おい、そこに放りだしちゃいけねえ。オレに手渡してもらいてえんだ」

ブスっ面で邪険に突き出したかみさんの指と指が触れ
「顔を見るとふるいつきたくなるようないい女……。あああ、オレは長命だ」

底本:五代目柳家小さん

【しりたい】

短命

この噺のようなケースは、江戸時代には「腎虚」とされました。

つまりはアッチの方が過ぎ、精気を吸い取られてあえなくあの世行きというわけです。男の精水(山田風太郎流だと「精汁」)は「腎水」とも呼ばれ、腎臓が出所と誤って考えられていたことによります。

腎虚と内損は二大道楽病とされ、それぞれ「のむ」「打つ」がもたらす災いです。三道楽のうち、残る一つの「打つ」の結果は言うまでもなく「金欠病」ですが。

五代目古今亭志ん生の速記でも、隠居が「内損か腎虚とわれは願うなり、とも百歳も生きのびし上」と、言っています。

思わずニヤリ

昔はこの程度でも艶笑落語のうちに入り、なかなか高座には掛けにくかったといいます。現在は、ちょっと味のあるお色気噺として、普通に演じられます。

まあ、オトナの味わいというのか、以心伝心のやりとりは、むしろほほえましく、なかなかよろしいものです。

五代目古今亭志ん生、五代目小さんが得意にしていました。志ん生は、最後のかみさんとの会話にくすぐりを多く用いるなど工夫し、オチは「おめえとこうしてると、オレは長生きができる」というものでした。

オチから別題は「長命」ですが、噺の全体のプロットからしてやはり「短命」が妥当でしょう。

志ん生のくすぐりから

●その1

隠「二階へ、あの奥さんが上ってゆかァ」
八「ええ、ええ」
隠「二階には、だァれもいないやァ」
八「ええ」
隠「で、短命なんだよ」
八「二階にだァれもいないで、短命ですか」
隠「そうだよ」
八「二階から、落っこちたんですかァ」

●その2

八「え、二階に上ろうじゃねえか」
女「家にゃァ二階はないよ」
八「じゃあ、屋根へ」

【語の読み】
大店 おおだな:大商店
腎虚 じんきょ:房事過度で起こる衰弱症
精水 せいすい:精液
腎水 じんすい:精液
内損 ないそん:酒による内臓障害、主に肝の病

垂乳根 たらちね 演目

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上方由来のおとしばなしの代表格。笑っちゃいますね。

別題:延陽伯(上方)

【あらすじ】

長屋でただ一人の独り者の八五郎のところに、大家が縁談を持ちかけてきた。

年は十九で、近所の医者の姪だという。

器量は十人並み以上、夏冬の着物もそろえているという、まことに結構な話。

結構すぎて眉唾なくらい。

「そんな女が、あっしのような男のところへ来るわけがない。なんか、疵でもあるんじゃないですか」
「ないと言いたいが、たった一つだけある」

もとは京の名家の出で、言葉が女房言葉。

馬鹿丁寧すぎてまるきりわからないという。

この間も、目に小石が入った時「ケサハドフウハゲシュウシテ、ショウシャガンニュウス」つまり「今朝は怒風激しゅうして、小砂眼入す」と、のたもうたそうな。

そんなことはなんでもないと八五郎が承諾したので、その日のうちに祝言となった。

なるほど美人なので、八五郎は大喜びだが、いざ話す段になると、これが相当なもの。

名を聞くと
「そも我が父は京都の産にして姓は安藤名は慶三あざなを五光、母は千代女と申せしが、わが母三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴の夢を見てはらめるがゆえに、たらちねの胎内を出でしときは鶴女と申せしがそれは幼名、成長の後これを改め清女と申しはべるなぁりいー」
「ナアムミョウ、チーン、ご親類の方からご焼香を」

これではかみ合わない。

ネギが一文字草、米はしらげと、通訳がいるくらい。

朝起きれば起きたで
「アーラ、わが君、しらげのありかはいずこなりや」

頼むから、そのアーラワガキミてえのはやめてくれと言っているところへ、葱屋がやって来た。

「こーれ、門前に市をなすあきんど、一文字草を朝げのため買い求めるゆえ、門の敷居に控えておれ」
「へへへー」

ようやく味噌汁ができたが、
「アーラわが君。日も東天に出御ましまさば、うがい手水に身を清め、神前仏前へ燈灯(みあかし)を備え、御飯も冷飯に相なり候へば、早く召し上がって然るべう存じたてまつる、恐惶謹言」
「飯を食うのが恐惶謹言なら、酒ならよって(=酔って)くだんの如しか」

【しりたい】

女房言葉

宮中の女官が用いた言葉です。代表的なものに「かもじ」=髪、「いしいし」=団子、「おすもじ」=寿司、「うちまき」=米、「あか」=小豆、「こもじ」=鯉、「しゃもじ」=杓子などがあります。

たらちね

垂乳根と書き、「母」に掛かる枕詞です。父の枕詞は「たらちを(垂乳男)」です。

東西の演出

大阪の「延陽伯」が東京に移されたものです。大阪では、女は武家娘という設定なので、漢語をやたらに使いますが、東京では京女ということで、女房ことばや京ことばを使うことになっています。

求む!暗号(-)解読

明治27年(1884)4月の「百花園」誌上に掲載された四代目橘家円喬の速記では、女の珍言葉の部分がさらに長く、「天は梵天地は奈落比翼連理とどこまでも……」などとありますが、まったく解読不能なのが、「せんにせんだんにあって是を学ばざれば 金たらんと欲す」(原文通り) というフレーズです。どなたか、博識な方で意味のおわかりになる方がおられましたら、当サイトまでお知らせ頂ければ幸いです。

さてさて、「落ちこぼれ古典教師」さんが「正解」案を提供してくださいました。深謝。

続編「つる女」

大阪では、「つる女」という「たらちね」の後日談があります。今はもう、誰も演じ手はないようですが。

なかなか言葉が普通にならない細君が、大家の夫婦喧嘩の仲裁に入り、「御内儀には白髪秋風になびかせたまう御身にて、嫉妬に狂乱したまうは、省みて恥ずかしゅうは思し召されずや。早々にお静まりあってしかるべく存じたてまつる」とケムに巻き、火を消します。

「どないして急にピタリと治まったんやろ?」
「つる(鶴女=東京の清女)の一声」

【垂乳根 柳家喬太郎】

天災 てんさい 演目

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八五郎が心学先生に心服。鸚鵡返しで長屋にまき散らし俄先生に。

別題:先妻 俄心学 人の悪き(上方)

【あらすじ】

隠居の家に気短な八五郎がいきなり飛び込んできて
「女房のとおふくろのと、離縁状を二本書いてくれ」
と言う。

鯵を猫に盗まれたことから夫婦げんかになり、 止めに入ったおふくろをけっ飛ばしてきた というので、あきれた隠居、
「長谷川町新道の煙草屋裏に、紅羅坊名丸(べにらぼうなまる)という偉い心学の先生がいるから話を聞いて精神修行をし、心を和らげてこい」
と紹介状を書いて送り出す。

八五郎は先方に着くや、
「ヤイ、べらぼうになまける奴、出てきやがれッ」
とどなり込んだから先生も驚いた。

紹介状を見て
「おまえさんは気が荒くて、よく人とけんかをするそうだが、短気は損気。堪忍の成る堪忍は誰もする。ならぬ堪忍するが堪忍、気に入らぬ風もあろうに柳かな」
「堪忍の袋を常に首へかけ破れたら縫え破れたら縫え」
と諭すが、いっこうに通じない。

先生が
「往来で人に突き当たられたらどうするか」
と聞くと、八は
「殴りつける」
と言うし、
「もし軒下を歩いていて屋根瓦が落ちてきてけがをしたら」
と問うと
「そこの家に暴れ込まァ」
「家の人がしたのではないぞ」
「しなくたってかまわねえ」
「それでは、表で着物の裾に水を掛らけられたら? 子供なら堪忍しますか」
「しねえ。その家に暴れ込む」

「それでは」と先生。

「五町四方もある原っぱでにわかの夕立、びっしょり濡れて避ける所もないときは、誰を相手にけんかする?」
と突っ込むと、さすがの八五郎もこれには降参。

「それ、ごらん。そこです。天災というもので、災難はちゃんとその日にあることに決まっている。先の屋根から落ちた瓦もそうです。わざわざこちらからかかりに行くようなもので、災難天災といいます。人間は天災てえことを知って、何事も勘弁しなければいけません」

わかったのかわからないのか、ともかく八五郎、すっかり心服して、
「なるほどお天道さまがすると思えば腹も立たない、天災だ天災だ」
と、すっかり人間が丸くなって帰る。

なにやら隣の家で言い争っているので、何事かと聞くと、吉兵衛が、かみさんの知らぬ間に女を連れ込んでもめているという。

ここぞと止めに入った八五郎、
「まあ落ち着け。ぶっちゃあいけねえ。奈良の堪忍、駿河堪忍」
「なんだよ」
「気に入らぬ風も蛙かな。ずた袋よ。破れたら縫うだろう?」
「だからなんでえ」
「原ン中で夕立にあって、びっしょり濡れたらどうする? 天災だろう」「なに、天災じゃねえ。先妻だ」

底本:二代目古今亭今輔、八代目林家正蔵(彦六)

【しりたい】

心学

石田梅岩(1685-1744)が創始しました。「心学」は梅岩の人生哲学と、それをもとにした民衆教化運動の、両方を指します。

この噺を見るかぎり、単なる運命肯定、「諦めの勧め」と理解されやすいのですが、実際は、人間の本性を率直にとらえ、人間の尊厳を通俗的なたとえで平易に説いた教えです。そこから四民平等、商業活動の正当性を最初に提唱したのも梅岩一派だったといわれています。

石門心学ともいい、梅岩門下によって天保年間(1830-44)にいたるまで、町人を中心に大いに興隆しました。この噺のように、師弟の辛抱強い問答によって教義を理解させる方法が特徴で、原則として教習料はタダでした。

意外な人気作

原話は不詳。かなり古くから江戸で口演されてきた噺のようです。

明治二十二年の二代目古今亭今輔の速記が残り、三代目小さんから四代目、五代目と伝わりました。八代目林家正蔵のは、晩年の三代目小さんからの直伝だそうです。

地味で笑いも少なく、短いので前座噺の扱いを受けることもあって、滅亡寸前と思いきや、意外に人気があって、現在も比較的よく演じられています。

心学噺、ほかには

心学の登場する噺は、昔はかなりあったようですが、現在は「中沢道二」「由辰」が生き残っているほか、「堪忍袋」も、心学の教義が根底にあるといわれます。

上方の「人の悪き」は、「人の悪きはわが悪きなり」と教わって、帰りに薪屋の薪を割らせてもらい、「人の割る木はわが割る木なり」と地口(ダジャレ)で落とすもので、「天災」とよく似ていますが、同じ心学噺でも別系統のようです。

雑排 ざっぱい 演目

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落語と言えば、コレです。おまけつきの俳句で丁々発止のご隠居と八五郎。

別題:りん廻し[前半] 雪てん[後半]

【あらすじ】

長屋の八五郎が、横町の隠居の所に遊びに行くと、このごろ雑俳に凝っていると言う。

題を出して五七五に読み込むというので、おもしろくなって、二人でやり始める。

最初の題は「りん」。

隠居が
「リンリンと綸子(りんず)や繻子(しゅす)の振り袖を娘に着せてビラリシャラリン」
とやれば、八五郎が
「リンリンと綸子や繻子はちと高い襦袢(じゅばん)の袖は安いモスリン」

隠「リンリンとリンと咲いたる桃桜嵐につれて花はチリ(=散り)リン」
八「リンリンとリンとなったる桃の実をさも欲しそうにあたりキョロリン」「リンリンと淋病病みは痛かろう小便するたびチョビリチョビリン」

今度はぐっと風雅に「初雪」。

隠「初雪や瓦の鬼も薄化粧」
八「初雪やこれが塩なら金もうけ」

「春雨」では、八五郎の句が傑作。

「船端をガリガリかじる春の鮫」

隠居の俳句仲間が来て、この間「四足」の題で出されたつきあいができたという。

「狩人が鉄砲置いて月を見ん今宵はしかと(=鹿と)隈(=熊)もなければ……まだ天(最秀句)には上げられない」
と隠居が言うと八五郎、
「隠居さん、初雪や二尺あまりの大イタチこの行く末は何になるらん」
「うん、それなら貂(=天)だろう」

底本:初代三遊亭円遊ほか

【しりたい】

雑俳

万治年間(1658-61)に上方で始まり、元禄(1688-1704)以後、江戸を初め全国に広まった付け句遊びです。

七七の題の前に五七五を付ける「前句付け」は、「めでたくもあり めでたくもなし」の前に「門松は 冥土の旅の 一里塚」と付けるように。

五文字の題に七七を付ける「笠付け」、五文字の題を折り込む「折句」などがあり、そこから、「文字あまり」「段々付け」「小倉付け」「中入り」「切句」「尽くし物」「もじり」「廻文」「地口」など、さまざまな言葉遊びが生まれました。

俳諧で、句を添削・評価する人を「点者」といい、雑俳では、天・地・人の三段階で判定します。

柳昇の十八番

文化13年(1816)刊の笑話本『弥次郎口』中の「和歌」ほか、いくつかの小ばなしを集めてできたものです。

前半で切る場合は「りん廻し」といい、伸縮自在なので、前座噺としてもポピュラーです。

新作落語を得意とした、春風亭柳昇の数少ない古典の持ちネタの一つで、その飄逸な個性で十八番にしていました。柳昇がこの噺をやったときは、いつも爆笑の渦。あの高っ調子で鼻に抜けるような「ふなばたを……」は今も耳に残ります。

最後の「大イタチ……」の狂歌は「三尺の」となっている速記もありますが、大田蜀山人(1749-1823)作と伝わります。

高砂や たかさごや 演目

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めでたい席での「高砂や」は謡です。落語流はみょうちきりんな出来に。

別題:仲人役

【あらすじ】

八五郎が、質両替屋・伊勢久の婚礼に仲人役を仰せつかった。

伊勢久と言えば財産家。

長屋住まいの八五郎が仲人とはちと不釣り合い。

これには、わけがある。

若だんなのお供で深川不動に参詣の帰り、木場の材木町辺を寄り道した。

若だんな、そこの女にひとめぼれ。

八五郎がいっしょにいてまとまったので、ぜひ八五郎に仲人を、ということになったわけ。

八五郎、隠居の所に羽織袴を借りにきた。

ついでに仲人の心得を教えてもらい、
「仲人ともなればご祝儀に『高砂やこの浦舟に帆をあげて』ぐらいはやらなくてはいけない」
と隠居にさとされる。

謡などとは、無縁の八五郎はびっくり。

「ほんの頭だけうたえば、あとはご親類方がつけるから」
との、隠居の言葉だけをたよりに、
「とーふー」
と豆腐屋の売り声を試し声とし、なんとか、出だしだけはうたえるようになった。

隠居からは羽織を借りて、女房と伊勢久へ。

婚礼の披露宴なかばで、
「お仲人さまに、ここらでご祝儀をひとつ」
と頼まれた八五郎、いきなり
「とーふー」
と声の調子を試したあと、「高砂」をひとくさりやって、
「あとはご親類方で」
と言うと、
「親類一同不調子で、仲人さんお先に」

八五郎は泣きっつら。

「高砂やこの浦舟に帆を下げて」
「下げちゃ、だめですよ」
「高砂やこの浦舟に帆をまた上げて」
などとやっているうち、一同が巡礼歌の節で「高砂や」をうたいだす。

一同そろって「婚礼にご報謝(=巡礼にご報謝)」

底本:四代目柳亭左楽

【しりたい】

高砂

世阿弥の能で、相生(あいおい)の松と高砂の浦(兵庫県高砂市)の砂が夫婦であるという伝説に基づきます。

謡(うたい)の部分は昔から夫婦愛、長寿の理想をあらわした歌詞として有名で、「高砂」を朗々と吟詠するのは、婚礼の席の祝儀には欠かせない儀式でした。

詞章は次のとおりです。

高砂や 
この浦舟に 帆を上げて
この浦舟に 帆を上げて
月もろともに 出汐(いでしお)の
波の淡路の 島影や
遠く鳴尾の 沖過ぎて
はやすみのえに 着きにけり
はやすみのえに 着きにけり

四海(しかい)波 静かにて
国も治まる 時つ風枝を鳴らさぬ
御代(みよ)なれや

あひに相生の松こそ
めでたかれげにや仰ぎても 
事も疎(おろ)かやかかる代(よ)に住める 
民とて豊かなる君の恵みぞ 
ありがたき君の恵みぞ 
ありがたき

巡礼歌

霊場の巡礼にうたうご詠歌で、短歌体(五七五七七)です。

オチの「巡礼にご報謝」は、巡礼が喜捨を乞うときの決まり文句で、歌舞伎の「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」で、巡礼姿で笈鶴(おいづる)を背負った真柴久吉(=羽柴秀吉)が南禅寺楼門上の石川五右衛門を見上げて言うセリフで有名です。

明治以来のやり手

古い速記では、「仲人役」と題した、明治32年(1899)の四代目柳亭左楽のものが残りますが、謡が豆腐屋の売り声になるくすぐりはそれ以来、変わりません。

よくも百年以上も同じくすぐりを使い古しているものと、つくづく感心します。

その後は、昭和に入って八代目春風亭柳枝、六代目春風亭柳橋、五代目柳家小さんがよく演じました。

いずれにしても古色蒼然、若手がやりたい意欲のわく噺とも思えません。

オチの変遷

上方では、一同が謡をつけないので困って、「浦舟」にかけて「助け舟」と叫ぶオチで、古くは東京でもこのやり方だったといいます。

明治中期から、あらすじのように「巡礼にご報謝」とすることが多くなり、前述の四代目左楽もこのオチです。

しかし、最近では当然ながらこのシャレが通じなくなり、帆を上げたか下げたか忘れてしまったところで「先祖返り」して「助け舟」とすることもあるようです。

松曳き まつひき 演目

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粗忽噺。殿さまと三太夫さらには八五郎も入って、粗忽者同士の珍妙やりとり。

別題:粗忽大名(上方)

【あらすじ】

ある大名の江戸屋敷。

殿さまがそそっかしく、家老の田中三太夫がこれに輪をかけて粗忽者。

同気相求めるで、これが殿さまの大のお気に入り。

ある日、殿さまが、
「庭の築山の脇にある赤松の大木が月見のじゃまになるので、泉水の脇にひきたいが、どうであるか」
と三太夫にご下問。

三太夫が
「あれはご先代さまご秘蔵の松でございますので、もし枯らすようなことがありますと、ご先代さまを枯らすようなものではないかと心得ます」
と諌めるが、殿さまは、
「枯れるか枯れないかわからないから、今屋敷に入っている植木屋に直接聞いてみたい」
と言い張る。

そこで呼ばれたのが、代表者の八五郎。

「さっそく御前へまかりはじけろ」
と言うからまかりはじけたら、三太夫が側でうるさい。

「あー、もっとはじけろ。頭が高い。これ、じかに申し上げることはならん。手前が取り次いで申し上げる」
「それには及ばん。直接申せ」
「はっ、これ、八五郎。ていねいに申し上げろ」

頭に「お」、終わりに「たてまつる」をつければよいと言われた八五郎、
「えー、お申し上げたてまつります。お築山のお松さまを、手前どもでお太いところへは、おするめさまをお巻き申したてまつりまして、おひきたてまつれば、お枯れたてまつりません。恐惶謹言、お稲荷さんでござんす」

よくわからないが、枯れないらしいと知って、殿さまは大喜び。

植木屋に無礼講で酒をふるまっていると、三太夫に家から急な迎え。

国元から書状が来ているというので、見ると字が書いていない。

「だんなさま、そりゃ裏で」
「道理でわからんと思った。なになに、国表において、殿さま姉上さまご死去あそばし……」

これは容易ならぬと、あわてて御前へ。

殿さま、
「なに? 姉上ご死去? 知らぬこととは言いながら、酒宴など催して済まぬことをいたした。して、ご死去はいつ、なんどきであった?」
「ははっ……とり急ぎまして」
「そそっかしいやつ。すぐ見てまいれ」

アワを食って、家にトンボ返り。

動転して、書状が自分の懐に入っているのも気がつかない。

やっと落ち着いて読みなおすと
「……お国表において、ご貴殿姉上さま……?」

自分の姉が死んだのを殿と読み間違えた。

いまさら申し訳が立たないので、いさぎよく切腹してお詫びしようとすると、家来が、殿に正直に申し上げれば、百日の蟄居(ちっきょ)ぐらいですむかもしれないのに、あわてて切腹しては犬死にになると止めたので、それもそうだと三太夫、しおしお御前へまかり出た。

これこれでと報告すると、殿さまは
「ナンジャ? 間違いじゃ? けしからんやつ。いかに粗忽とは申せ、武士がそのようなことを取り違えて、相済むと思うか」
「うへえ、恐れ入りました。この上はお手討ちなり、切腹なり、存分に仰せつけられましょう」
「手討ちにはいたさん。切腹申しつけたぞ」
「へへー、ありがたき幸せ」
「余の面前で切腹いたせ」

三太夫が腹を切ろうとすると、しばらく考えていた殿さま、
「これ、切腹には及ばん。考えたら、余に姉はなかった」

底本:初代三遊亭金馬=二代目三遊亭小円朝

【しりたい】

使いまわしのくすぐりでも

「粗忽の使者」とよく似た、侍の粗忽噺です。特に、職人がていねいな言葉遣いを強要され、「おったてまつる」を連発するくすぐりは「粗忽の使者」のほか、「妾馬」でも登場します。

ただ、基本形は同じでも、それぞれの噺で状況も八五郎(「粗忽の使者」では留五郎)の職業もまったく違うわけです。

この「松曳き」では殿さまの前でひたすらかしこまるおかしみ、「粗忽の使者」では後で地が出て態度がなれなれしくなる対照のおかしさと、それぞれ細部は違い、演者の工夫もあって、同じくすぐりを用いても、まったく陳腐さを感じさせないところが、落語のすぐれた点だと思います。

殿さまの正体

御前に出た八五郎に、三太夫が叱咤して「まかりはじけろ」と言います。「もっと前に出ろ」という意味ですが、実はこれは仙台地方の方言だそうです。

とすれば、このマヌケな殿さまは、恐れ多くも仙台59万5千石の太守・伊達宰相にあらせられる、ということになりますが。

小里ん語り、小さんの芸談

この噺は、小さん、十代目馬生、談志あたりがやっていました。その流れで、柳家喜多八(2016年没、小三治の弟子)や桃月庵白酒(雲助の弟子)も。あまり聴かない噺ですが、以下は小さんが弟子の小里んに語った芸談です。芸の奥行きをしみじみ感じさせます。

語りの芸は演じきっちゃいけないだなァ。
それと師匠は「昔は大名が職人と酒盛りなんかするわけがない。それは噺のウソだってことは腹に入れとかなくちゃいけない」と言ってました。ありえないことだけれど、それを愉しく演じなきゃいけない。かといって、無理に拵えた理屈をつけてはいけない。「ウソだと分かって演るなら、ウソでいいんだ」と言ってたのは、「噺のウソを、ウソのまま取っておく大らかさが落語にはあった方がいい」という教えですね。無理に辻褄合わせで理屈をつけると解説になって理屈っぽくなっちゃうでしょ。

五代目小さん芸語録 柳家小里ん、石井徹也(聞き手)著、中央公論新社、2012年

出来心 できごころ 演目

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オチによっては「花色木綿」とも。泥棒噺。江戸前。間抜け泥、いかにもの笑い。

別題:花色木綿

【あらすじ】

ドジな駆け出しの泥棒。

親分に、
「てめえは素質がないから廃業した方がいい」
と言われる。

心を入れ替えて悪事に励むと誓って、この間土蔵と間違って寺の練塀を切り破って向こうに出たとか、電話がひいてあるので入ったら交番だったなどと話すので、親分はあきれて、おめえにまともな盗みはできねえから、空き巣狙いでもやってみろと、こまごまと技術指導。

まず声をかけて、返事がなかったら入るが、ふいに人が出てきたら
「失業しておりまして、貧の盗みの出来心でございます」
と泣き落としで謝ってしまう。

返事があったら人の家を訪ねるふりをして
「何の何兵衛さんはどちらで?」
とゴマかせばいいと教えられ、さっそく仕事に出かける。

ある家で
「ええ、何の何兵衛さんはどちらで?」
「なにを?」
「いえその、イタチ西郷兵衛さんは……」
としどろもどろで逃げ出した。

次の家では、主人が二階にいるのも気づかず、羊羹を盗み食いして見つかり、
「イタチ西郷兵衛さんはどちらで?」
「オレだよ」
「えっ? その、もっといい男の西郷兵衛」
「なにを?」
「よろしく申しました」
「誰が?」
「あたしが」
「この野郎ッ」
……あわてて逃げ出す。

「あんな、まぬけの名の野郎が本当にいるとは思わなかった」
と胸をなで下ろしながらたどり着いたのが、長屋の八五郎の家。

畳はすり切れ、根太はボロボロ。

転がっているのは汚い褌一本きり。

しかたなく懐に入れ、八五郎が帰ってきたので、あわてて縁の下に避難。

八五郎は、粥が食い散らされているのを見て、
「ははあ泥棒か」
と見当をつけるが、かえって泥棒を言い訳に家賃を待ってもらおうと、大家を呼びに行った。

「それじゃしかたがねえ。待ってやろう」
とそこまではいいが、盗難届けを出さなくてはならないと、盗品をいちいち聞かれるから、はたと困った。

苦し紛れに布団をやられたと嘘をつくと
「どんな布団だ? 表の布地はなんだ?」
「大家さんとこに干してあるやつで」
「あれは唐草だ。裏は?」
「行きどまりです」
「布団の裏だよ」
「大家さんのは?」
「家は、丈夫であったけえから、花色木綿だ」
「家でもそれなんで」

羽二重も帯も蚊帳も南部の鉄瓶も、みんな裏が花色木綿。

「あきれて話しにならねえ。あとは?」
「お礼で。裏は花色木綿」

縁の下の泥棒、これを聞いて我慢できずに下から這い出てくる。

「さっきから聞いてりゃ、ばかばかしい。笑わせるない」
「おやっ、そんなとこから這いだしゃあがって。てめえは泥棒だな?」
「この家にはなにも盗めるものなんぞねえ」

警察に突き出すと言われ、あわてて
「えー、どうも申し訳ござんせん。失業しておりまして、六十五を頭に三人の子供が……これもほんの貧の出来心で……と哀れっぽく持ちかけたら、銭の少しもくれますか?」
「誰がやるもんか。八、てめえもてめえだ」

お鉢が回ってきたので、八五郎、こそこそ縁の下へ。

「おい、なにも盗られてねえそうじゃねえか。どうしてあんな、うそばかり並べたんだ?」
「これもほんの出来心でございます」

【しりたい】

「出来心」ならお上のお慈悲?

落語には泥棒噺が多く、「穴泥」「もぐら泥」「だくだく」「釜泥」「締め込み」「転宅」「夏どろ」……まだまだあります。

そのほとんどが、まぬけで愛すべき空き巣の失敗をおおらかに笑う噺で、いかにのどかな江戸時代でも犯罪の実態は陰惨なものが多かったことを考えれば、落語の泥棒は、むしろ、こういう泥テキばかりなら……という庶民の願望のあらわれともいえるでしょう。

しかし、現実にはお奉行のお裁きは峻厳だったのです。

十両盗めば初犯でも死罪は有名ですが、窃盗を重ねて盗んだ金額が累積で十両に達すれば、その時点で一巻の終わりです。空き巣で初犯なら「出来心」でお上のお慈悲にあずかれますが、土蔵を切り破ったり、家人の在宅しているところに押し入れば、重罪の押し込み強盗ですから、初犯、かつ未遂でも主犯は原則死罪でした。

三度目で首が飛ぶ

空き巣では初犯敲き、再犯刺青、再々犯は有無を言わさず首が飛びました。

極端にいえば、一回に三文盗んだ場合は敲きで済みますが、初犯一文、再犯一文、再々犯一文と三回に分けて合計三文盗めば、あわれ、この世の別れというわけ。

1994年に米カリフォルニア州で制定された「スリーストライク法案」も、重罪を三度重ねれば仮釈放ナシの禁固25年-終身刑という過酷さ。なんと空き巣三回、三回目にたった152ドル盗んだだけで懲役52年という判決が出て、世論を震撼させたことがありますが、こちらは命がないのですから、まさに究極の「スリーストライク、アウト」でしょう。

オチで変わる演題

泥棒噺は、柳家小さん代々が得意にした江戸前の滑稽噺の典型で、この噺も、三代目から五代目小さんまで継承され、五代目春風亭柳朝、入船亭扇橋、桂文朝などの持ちネタでもあります。特に柳朝の泥棒のすっとぼけた味は絶品でした。

泥棒が入る家の主人の珍名は、演者によって「ちょうちん屋ブラ右衛門」などと変わります。

オチは二通りあり、あらすじで紹介した小さんのものが基本形ですが、現実にはそこまでいきません。 寄席などでは「下駄を忘れてきちゃった」で終わる「間抜け泥」が多いようです。 八代目春風亭柳枝のように、大家と泥棒の会話でのもあります。

大「どこから入った?」
泥「裏です」
大「裏はどこだ?」
泥「裏は花色木綿」

このオチでの演目は「花色木綿」となります。

花色木綿

「花色」は「縹色(はなだいろ)」の省略で、薄い藍色の木綿地になります。

「出来心」も死語に

噺のタイトルにもなっているこの言葉も、最近はだんだん使われなくなってきているようです。

「出来」はこの場合、「とっさに」「即席に」という意味。古くは、即席のシャレのことを「出来口」といいました。

要するに、計画してやった犯行ではなく、ついとっさに魔がさしたものなのでご勘弁を、という言い訳ですね。

コソ泥どころか、重大な犯罪をしでかしても、しおらしく謝るどころか、「逆ギレ」して居直るヤカラばかりが増えた昨今ですから、こんな言葉が消えていくのも無理はありません。

小里ん語り、小さんの芸談

こういうネタは「間抜けな奴が本気じゃないといけない」と師匠も言ってました。

五代目小さん芸語録 柳家小里ん、石井徹也(聞き手)著、中央公論新社、2012年

蒟蒻問答 こんにゃくもんどう 演目

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無言の話芸、仕方噺の極致。古寺に居合わした蒟蒻屋と托鉢僧との問答。

【あらすじ】

八王子在のある古寺は、長年住職のなり手がなく、荒れるに任されている。

これを心配した村の世話人・蒟蒻屋の六兵衛は、江戸を食い詰めて自分のところに転がり込んできている八五郎に、出家してこの寺の住職になるように勧めたので、当人もどうせ行く当てのない身、二つ返事で承知して、にわか坊主ができあがった。

二、三日はおとなしくしていた八五郎だが、だんだん本性をあらわし、毎日大酒を食らっては、寺男の権助と二人でくだを巻いている。

金がないので
「葬式でもない日にゃあ、坊主の陰干しができる。早く誰かくたばりゃあがらねえか」
とぼやいているところへ、玄関で
「頼もう」
と声がする。

出てみると蘆白(あじろ)笠を手にした坊さん。

越前永平寺の僧で沙弥托善と名乗り、
「諸国行脚の途中立ち寄ったが、看板に『葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず』とあるので禅寺と見受けた、ぜひご住職に一問答お願いしたい」
と言う。

なんだかわけがわからないが、権助が言うには、
「問答に負けると如意棒でぶったたかれた上、笠一本で寺から追い出される」
とのこと。

住職は留守だと追っ払おうとしたが、
「しからば命の限りお待ち申す」
という。

大変な坊主に見込まれたものだと、八五郎が逃げ支度をしていると、やって来たのが六兵衛。

事情を聞くと、
「俺が退治してやろう」
と身代わりを買ってでた。

「問答を仕掛けてきたら黙ったままでいるから、和尚は目も見えず口も利けないと言え。それで承知しやがらなかったら、咳払いを合図に飛びかかってぶち殺しちめえ」

さて翌日。

住職に成りすました六兵衛と托善の対決。

「法界に魚あり、尾も無く頭もなく、中の鰭骨を保つ。大和尚、この義はいかに」

六兵衛もとより、なんにも言わない。

坊主、無言の行だと勘違いして、しからば拙僧もと、手で○を作ると六兵衛、両手で大きな○。

十本の指を突き出すと、片手で五本の指を出す。

三本の指にはアッカンべー。

托善、
「恐れ入ったッ!!」
と逃げ出した。

八五郎が追いかけてわけを聞くと
「なかなか我らの及ぶところではござらん。『天地の間は』と申すと『大海のごとし』というお答え。『十方世界は』と申せば『五戒で保つ』と仰せられ、『三尊の弥陀は』との問いには『目の下にあり』。いや恐れ入りました」

六兵衛いわく
「ありゃ、にせ坊主に違えねえ。ばかにしゃあがって。俺が蒟蒻屋だてえことを知ってやがった。指で、てめえんとこの蒟蒻はこれっぱかりだってやがるから、こォんなに大きいと言ってやった。十でいくらだと抜かすから、五百だってえと、三百に負けろってえから、アカンベー」

【しりたい】

実在した沙弥托善

この噺、禅僧から落語家になったという二代目林家(屋)正蔵が、幕末の嘉永年間に作ったものだそうです。

噺の中であやうく殺されかかる(?)旅の禅僧・托善(沙弥は出家し立ての少年僧のこと)は、正蔵の坊主時代の名です。

原典については、このほかに、やはり禅僧出身の二代目三笑亭可楽とする説、もっとずっと古く、貞享年間(1684-88)刊の笑話本『当世はなしの本』中の「ばくちうち長老になる事」とする説もあります。

仏教と落語の深い関係

まあ、こういうことを言い出すと辛気臭くなって、落語がおもしろくなくなるかもしれませんが、「落語家の元祖」といわれる安楽庵策伝(「てれすこ」「子ほめ」参照)からして高僧でしたし、「寿限無」「後生鰻」「宗論」など、仏教の教説に由来する噺は少なくありません。

仏教と落語の結びつきは強いのです。

落語はもともと、節談説教(僧が言葉に抑揚を付け、美声とジェスチャーで演技するように語りかける説教)から起こったといわれているのです。関山和夫の一連の著作が根拠となります。

現在の落語協会会長である三遊亭円歌が日蓮宗の僧籍にあるのも、落語の伝統からして、別に珍しいことではない、ということになりますね。

ヴィジュアルで楽しむ仕方噺

「蒟蒻問答」では、後半の六兵衛と托善の禅問答は無言で、パントマイムのみになります。このように、動作のみによって噺の筋を展開するものを「仕方噺(しかたばなし)」といいます。目で見る落語のことです。

「愛宕山」「狸賽」「死神」など、一部分に仕方噺を取り入れている噺は多いのですが、「蒟蒻問答」ほど長くて、しかもストーリーの重要部分をジェスチャーだけで進めるものはほかにありません。

苦肉の実況解説付き

そのため、実際に寄席やテレビなど目の前で見ている客はいいのですが、レコードやラジオなどで耳だけで聞いていると、噺のもっともオイシイ部分で音声がとぎれてしまい、なにがなんだかわからなくなってしまいます。

そこで、この噺を得意にした五代目古今亭志ん生がこの噺をラジオ放送したときは、苦肉の策で、なんと歌舞伎並みの同時解説がつきました。「山藤章二の志ん生ラクゴニメ」の音源も同じのを使っています。

このように手間がかかるためか、昔から「蒟蒻問答」のレコードや放送は数少なく、現在出ているCDは、志ん生、八代目正蔵のものくらいです。

ホントはくだらない禅問答

噺では、六兵衛のジェスチャーを托善が勝手に誤解し、一人で恐れ入って退散してしまいますが、最初の「法界に魚あり……」は、魚という字から頭と尾(上下)を取れば、残るのは「田」。そこから、鰭骨(きこつ=中骨)、つまり|の部分を取り除けば、「日」の字になります。単なる言葉遊びです。これこそハッタリというものでしょう。

次の「十万世界」は、東西南北、艮(うしとら=北東)巽(たつみ=東南)坤(ひつじさる=南西)乾(いぬい=西北)の八方位に上下を加えた世界で、広大無辺の宇宙を表します。

「五戒」は禅の戒律(タブー)で、殺生戒 殺さない偸盗戒 盗まない邪淫戒 エッチしない妄語戒 うそをつかない飲酒戒 酒を飲まないの五つをさします。

こぼればなし

「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」は禅寺の表看板として紋切型ですね。「葷」とは、ネギやニンニなど臭気を放つ野菜のことです。以下は、三代目三遊亭金馬の思い出話。

明治の昔、大阪の二代目桂文枝が上京して、柳派の寄席に出演。ところがさらに、対立する三遊派の席にも出て稼ごうとすると止められました。楽屋内の張り紙に「文枝、三遊に入るを許さず」。

浮世根問 うきよねどい 演目

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「根問」とはルーツを尋ねること。さかしげなガキの「どーして?」ですね。

【あらすじ】

三度に一度は他人の家で飯を食うことをモットーとしている八五郎。

今日もやって来るなり「お菜は何ですか?」と聞く厚かましさに、隠居は渋い顔。

隠居が本を読んでいるのを見て八五郎、
「本てえのはもうかりますか」
と聞くので
「ばかを言うもんじゃない。もうけて本を読むものじゃない。本は世間を明るくするためのもので、おかげでおまえが知らないことをあたしは知っているのだから、なんでも聞いてごらん」
と隠居が豪語する。

そこで八五郎は質問責め。

まず、今夜嫁入りがあるが、女が来るんだから女入りとか娘入りと言えばいいのに、なぜ嫁入りかと聞く。

隠居、
「男に目が二つ、女に目が二つ、二つ二つで四目入りだ」
「目の子勘定か。八つ目鰻なら十六目入りだ」

話は正月の飾りに移った。

「鶴は千年亀は万年というけど、鶴亀が死んだらどこへ行きます?」
「おめでたいから極楽だろう」
「極楽てえのはどこにあります?」
「西方弥陀の浄土、十万億土だ」
「サイホウてえますと?」
「西の方だ」
「西てえと、どこです?」

隠居、うんざりして、
「もうお帰り」
と言っても八五郎、御膳が出るまで頑張ると動じない。

この間、岩田の隠居に
「宇宙をぶーんと飛行機で飛んだらどこへ行くでしょう」
と聞くと、
「行けども行けども宇宙だ」
とゴマかすので、
「じゃ、その行けども行けども宇宙をぶーんと飛んだらどこへ行くでしょう?」

行けどもぶーん、行けどもぶーんで三十分。

向こうは喘息持ちだから、だんだん顔が青ざめてきて、
「その先は朦々(もうもう)だ」
「そんな牛の鳴き声みてえな所は驚かねえ。そこんところをぶーんと飛んだら?」
「いっそう朦々だ」
「そこんところをぶーん」

……モウモウブーン、イッソウブーンで四十分。

「そこから先は飛行機がくっついて飛べない」
「そんな蠅取り紙のような所は驚かねえ。そこんところをぶーん」
とやったらついに降参、五十銭くれた。

「おまえさんも極楽が答えられなかったら五十銭出すかい?」
「誰がやるか。極楽はここだ」
と隠居が連れていったのが仏壇。

こしらえものの蓮の花、線香を焚けば紫の雲。鐘と木魚が妙なる音楽というわけ。

「じゃ、鶴亀もここへ来て仏になりますか?」
「あれは畜生だからなれない」
「じゃ、なにになります?」
「ごらん。この通りロウソク立てになってる」

【しりたい】

根問

ねどい。「根問」は上方ことばで「根掘り葉掘り聞くこと」を意味します。

小さん二代が確立

上方落語の「根問もの」の代表作で、明治期に東京に移されたものです。上方では短くカットして前座の口ならしに演じられますが、初代桂春団治の貴重な音源が残ります。

明治時代にはまだ、東京では「薬缶」と「浮世根問」の区別が曖昧で、たとえば、明治期の四代目春風亭柳枝の速記はかなり長く、「無学者」の題で演じています。

いろいろな魚の名前の由来を聞いていく前半は「薬缶」と共通しています。

今回のあらすじは、師匠の四代目小さん譲りで演じた、五代目柳家小さんのものを底本にしましたが、この二代の小さんが上方のやり方を尊重し、この噺を独立した一編として確立したわけです。

鶴亀のろうそく立て

オチの「ろうそく立て」については、今ではなんのことやらさっぱりわからなくなっているので、現行の演出ではカットし、最後までいかないことが多くなっています。

これは、寺などで使用した燭台で、亀の背に鶴が立ち、その頭の上にろうそくを立てるものです。

鶴亀はいずれも長寿を象徴しますから、要するに縁起ものでしょう。

目の子

「目の子勘定」といって、公正を期すため、金銭などを目の前で見て数えることです。

黙阿弥の歌舞伎世話狂言『髪結新三』で、大家の長兵衛が悪党の新三の目の前で小判を一枚一枚並べる場面が有名です。

原話について

もっとも古いものは、京都辻噺の祖・露の五郎兵衛(1643-1703)の『露休置土産』中の「鶴と鷺の評論」です。

これは、二人の男が鶴の絵の屏風について論じ合い、一人が「この鳥は白鳥にしてはちょっと足が長い」と言うと、もう一人が「はて、わけもない。これは鷺だ」と反論します。見かねた主人が「これは鶴の絵ですよ」と口をはさむと、後の男が「人をばかにするでない。鶴なら、ろうそく立てをくわえているはずだ」。

時代が下って、安永5年(1776)、江戸で刊行された『鳥の町』中の小ばなし「根問」になると、以下のようになっています。

「鶴は千年生きるというが、本当かい?」
「そうさ。千年生きる証拠に、鎌倉には頼朝の放したという鶴がまだ生きているじゃないか」
「じゃ、千年たったらどうなる?」
「死ぬのさ」
「死んでどうなる?」
「十万億土(極楽)に行くのさ」
「極楽へ行ってどうする?」
「うるさい野郎だな。ろうそく立てになるんだ」

ぐっと現行に近くなります。

厩火事 うまやかじ 演目

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働き者の女房と道楽者の亭主。皿か、女房か。究極の選択。

【あらすじ】

女髪結いで、しゃべりだすともう止まらないお崎が、仲人のだんなのところへ相談にやってくる。

亭主の八五郎とは七つ違いの姉さん女房で、所帯を持って八年になるが、このところ夫婦げんかが絶えない。

それというのも、この亭主、同業で、今でいう共稼ぎだが、近ごろ酒びたりで仕事もせず、女房一人が苦労して働いているのに、少し帰りが遅いと変にかんぐって当たり散らすなど、しまつに負えない。

もういいかげん愛想が尽きたから別れたい、というわけ。

ところが、だんなが
「女房に稼がせて自分一人酒をのんで遊んでいるような奴は、しょせん縁がないんだから別れちまえ」
と突き放すと、お崎はうって変わって、
「そんなに言わなくてもいいじゃありませんか」
と、亭主をかばい始め、はては、
「あんな優しいいい人はない」
と、逆にノロケまで言いだす始末。

あきれただんな、
「それじゃひとつ、八の料簡を試してみろ」
と、参考に二つの話を聞かせる。

その一。

昔、唐(もろこし=中国)の国の孔子という偉い学者が旅に出ている間に、廐から火が出て、かわいがっていた白馬が焼け死んでしまった。

どんなおしかりを受けるかと青くなった使用人一同に、帰ってきた孔子は、馬のことは一言も聞かず、
「家の者に、けがはなかったか」

これほど家来を大切に思ってくださるご主人のためなら命は要らないと、一同感服したという話。

その二。

麹町に、さる殿さまがいた。

「猿の殿さまで?」
「猿じゃねえ。名前が言えないから、さる殿さまだ」

その方が大変瀬戸物に凝って、それを客に出して見せるのに、奥さまが運ぶ途中、あやまって二階から足をすべらせた。

殿さま、真っ青になって、
「皿は大丈夫か。皿皿皿皿」
と、息もつかず三十六回。

あとで奥さまの実家から、
「妻よりも皿を大切にするような不人情な家に、かわいい娘はやっておかれない」
と離縁され、一生寂しく独身で過ごした、という話。

「おまえの亭主が孔子さまか麹町か、なにか大切にしている物をわざと壊して確かめてみな。麹町の方なら望みはねえから別れておしまい」

帰ったお崎、たまたま亭主が、「さる殿さま」よりはだいぶ安物だが、同じく瀬戸物の茶碗を大事にしているのを思い出し、それを持ち出すと、台所でわざとすべって転ぶ。

「……おい、だから言わねえこっちゃねえ。どこも、けがはなかったか?」
「まあうれしい。猿じゃなくてモロコシだよ」
「なんでえ、そのモロコシてえのは」
「おまえさん、やっぱりあたしの体が大事かい?」
「当たり前よ。おめえが手にけがでもしてみねえ、あしたっから、遊んでて酒をのめねえ」

【しりたい】

題名は『論語』から

厩は、馬小屋のこと。

文化年間(1804-18)から口演されていたという古い江戸落語です。

演題の「厩火事」は『論語』郷党篇十二から。

「厩(うまや)焚(や)けたり。子、朝(ちょう)より退き、『人を傷つけざるや』とのみ言いて問いたまわず」

明治の速記では、初代三遊亭遊三、三代目柳家小さんのものが残ります。

文楽の十八番

戦後は八代目桂文楽が、お崎の年増の色気や人物描写の細やかさで、押しも押されぬ十八番としました。

ライバル五代目志ん生も得意にし、お崎のガラガラ女房ぶりで沸かせました。

志ん生は、マクラの「三角関係」(出雲の神さまが縁結びの糸をごちゃごちゃにする)で笑わせ、「どうしてあんな奴といっしょになったの?」「だって、一人じゃさぶい(寒い)んだもん」という小ばなしで男女の機微を見事に表現し、すうっと「厩火事」に入りました。

女髪結い

寛政年間(1789-1801)の初め、三光新道(東京都中央区日本橋人形町三丁目あたり)の下駄屋お政という女が、アルバイトに始めたのが発祥とされます。

文化年間から普及しましたが、風俗紊乱のもととなるとの理由で、天保の改革に至るまで、たびたびご禁制になっています。

噺にも階級あり

晩年、名古屋で活躍した故・雷門福助の回想。

兄弟子で師匠でもある八代目桂文楽に、「『厩火事』を稽古してください」と頼むと、「ああいいよ、早く真打ちになるんだよ。真打ちになったら稽古してやる」と言われたという。

それだけ、ちょっとやそっとでは歯が立たない噺ということで、昔は、二つ目が「厩火事」なぞやろうものなら「張り倒された」。

それが今では、二つ目はおろか、へたすれば前座のぴいぴいでも平気で出しかねません。いやあ、いい時代になったもんです。

芝居の「皿屋敷」

同じ「皿屋敷」でも、一枚の皿が欠けたため腰元お菊をなぶり殺しにする青山鉄山は麹町の猿よりさらに悪質。

これに対して、岡本綺堂(1872-1939)の戯曲『番町皿屋敷』の青山播磨はモロコシ……ですが、芝居だけに一筋縄ではいかず、播磨は自分の真実の恋を疑われ、自分を試すために皿を割られた怒りと悲しみで、残りの皿を全部粉々にした後、お菊を成敗します。

昭和初期の名横綱・玉錦三右衛門(1903-38)はモロコシだったようで、大切にしていた金屏風を弟子がぶっ壊しても怒らず、「おまえたちにけがさえなきゃいい」と、鷹揚なところを見せたそうです。さすがです。

御慶 ぎょけい 演目

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珍しい江戸の産。小さんが代々伝える、にぎやかでなんとなくめでたい噺。

【あらすじ】

この三年この方、富くじに入れ込み過ぎてる八五郎。

はずれてもはずれてもあきらめるどころか、一攫千金への果てなき夢は燃えさかるばかり。

おかげで商売は放りっぱなし、おかみさんが、いくら当たりっこない夢から覚めて、まじめに働いとくれと、意見をしても、馬の耳に念仏。

もう愛想が尽きたから、これ以上富を買うのなら別れると、脅してもダメ。

はや、年の暮れが近づき、借金を申し込んでも、もう誰も貸してくれる者がいないから、富くじ代一分どころか、年を越せるだけの金もない。

そんなことは富さえ当たれば万事済むと、八五郎はむりやりかみさんの半纏をむしり取り、質屋でマゲて、千両富のくじ代をこしらえると、湯島天神へまっしぐら。

八が強気なのはわけがあって、昨夜見たのが鶴がはしごの上に止まっている夢。

必至に夢解きをした結果、鶴は千年、はしごはハシゴで八四五。

だから、鶴の千八百四十五番のくじを買えば大当たり間違いなしというわけ。

途中に大道易者が出ていたので、夢のことを話して占ってもらうと、
「なるほど。それで鶴の千八百四十五とは考えたが、そこが素人の甘さだな」
「なぜ?」
「ハシゴは下るより登る方に役立つもの。八百四十五と下りてくるより、逆に五百四十八と登るのが本当だ。鶴の五百四十八番にしなさい」

なるほどと思って、興奮しながらその札を買う。

いよいよ、子供のかん高い声で当たり籤の読み上げ。

「つるのおォ、ごひゃくゥ、よんじゅう、はちばーん」
「あ、あた、あたあたあたたた……」

八五郎、腰を抜かして気絶寸前。

当たりは千両だが、すぐ受け取ると二百両差し引かれる。

来年までなんぞ待ってられるけえと、二十五両の切り餠で八百両受け取ると、宙を飛ぶように長屋へ。

聞いてかみさんは卒倒。

水をのんで息を吹き返すと
「だからあたしゃ、おまえさんに富をお買いって言った」
「うそつきゃあがれ、こんちくしょー」

さあ、それから大変な騒ぎ。

正月の年始回り用に、着たこともない裃と脇差しを買い込むやら、大家に家賃を二十五両たたきつけるやら。

酒屋が来て餠屋が来てまだ暮れの二十八日というのに、一足先にこの世の春。

年が明けて、元旦。

大家に、年始のあいさつを聞きに行くと、一番短い「御慶」を教えられたので、八五郎、裃袴に突袖をしてしゃっちょこばり、長屋中をやたら
「ギョケイ、ギョケイッ」
とどなって歩く。

仲間の半公、虎公、留公がまゆ玉を持って向こうから来るので、まとめて三人分と、
「ギョケ、ギョケ、ギョケイッ」
「なんでえ、鶏が卵産んだのかと思ったら八公か」
「てやんでえ、ギョケイッ言ったんだい」
「ああ、恵方(えほう)詣りィ行ってきた」

【しりたい】

御慶あれこれ

大家の説明の中に、「長松が親の名で来る御慶かな」「銭湯で裸同士の御慶かな」などの句を入れるのが普通です。

子供のしつけとして、七、八歳になると、親の名代として近所に年始参りに行かせる習慣がありました。

「永日」という挨拶があります。

これは、噺の中で八五郎が、年始先で屠蘇などを勧められた場合、全部回りきれなくなると言うので、大家が「春永(日が長くなってから)になってお目にかかりましょう」の意で、「永日」と言って帰れと教える通り、別れの挨拶です。

小さん代々の演出

純粋の江戸落語で、柳家小さん系に代々伝わる噺です。

「御慶」の演題は、昭和に入って四代目小さんが採用したもので、それまでは「八五郎年始」「富の八五郎」が使われました。

五代目小さんが継承し、八五郎が大家に「御慶」を教わるくだりを、富くじに当った当日ではなく、元日に年始に行った時にするなど工夫を加え、十八番の一つとしていました。

富くじ

千両富はめったになく、五百両富がほとんどでした。即日受け取ると、実際は二割でなく、三割程度は引かれ、二月まで待っても、寄付金名目で一割は差し引かれたようです。

詳しくは「宿屋の富」で。

恵方詣り

「恵方(えほう)」は、その年の干支に基いて定めた吉の方角で、「あきのかた」ともいいます。

「恵方詣り」は、その吉の方角に当たる神社に参拝することです。

薬缶 やかん 演目

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なるほど、やかん命名の由来とは。落語はまったくためになる……。

【あらすじ】

この世に知らないものはないと広言する隠居。

長屋の八五郎が訪ねるたびに、別に何も潰れていないが、グシャ、グシャと言うので、一度へこましてやろうと物の名の由来を次から次へ。

ところが隠居もさるもの、妙てけれんなこじつけでケムにまく。

最初に、いろいろな魚の名前は誰がつけたかという質問で戦闘開始。

「おまえはどうしてそう、愚なることを聞く。そんなことは、どうでもよろしい」
「あっしは気になるんで。誰が名をつけたんです?」
「うるさいな。あれはイワシだ」

「イワシは下魚といわれるが、あれで魚仲間ではなかなか勢力がある」
とゴマかす。

「じゃ、イワシの名は誰がつけた」
と聞くと、ほかの魚が名をもらった礼に来て、
「ところであなたの名は」
と尋ねると、
「わしのことは、どうでも言わっし」

これでイワシ。

以下、まぐろは真っ黒だから。

ほうぼうは落ち着きがなく、方々泳ぎ回るから。

こちはこっちへ泳いでくるから。

ヒラメは平たいところに目があるから。

「カレイは平たいところに目が」
「それじゃヒラメと同じだ」
「うーん、あれはヒラメの家来で、家令をしている」

鰻はというと、昔はのろいのでノロといった。
あるとき鵜がノロをのみ込んで、
大きいので全部のめず四苦八苦。

鵜が難儀したから、
鵜、難儀、鵜、難儀、鵜難儀でウナギ。

話は変わって日用品。

茶碗は、置くとちゃわんと動かないから茶碗。

土瓶は土で、鉄瓶は鉄でできているから。

「じゃ、やかんは?」
「やでできて……ないか。昔は」
「ノロと言いました?」
「いや、これは水わかしといった」
「それをいうなら湯わかしでしょ」
「だからおまえはグシャだ。水を沸かして、初めて湯になる」
「はあ、それで、なぜ水わかしがやかんになったんで?」
「これには物語がある」

昔、川中島の合戦で、片方が夜討ちをかけた。

かけられた方は不意をつかれて大混乱。

ある若武者が自分の兜をかぶろうと、枕元を見たがない。

あるのは水わかしだけ。

そこで湯を捨て、兜の代わりにかぶった。

この若武者が強く、敵の直中に突っ込む。

敵が一斉に矢を放つと、水わかしに当たってカーンという音。

矢が当たってカーン、矢カーン、やかん。

蓋は、ボッチをくわえて面の代わり。

つるは顎へかけて緒の代わり。

やかんの口は、名乗りが聞こえないといけないから、耳代わり。

「あれ、かぶったら下を向きます。上を向かなきゃ聞こえない」
「その日は大雨。上を向いたら、雨が入ってきて中耳炎になる」
「それにしても、耳なら両方ありそうなもんだ」
「ない方は、枕をつけて寝る方だ」

【しりたい】

やかんが釜山から漂着

明和9年(1772)刊『鹿の子餅』中の「薬罐」は、この噺の後半部分の、もっとも現行に近い原話ですが、これは、日本の薬罐がはるばる釜山まで流れ着き、韓国人が、これは兜ではないかと議論することになっています。

さまざまな伸縮自在

一昔前は、知ったかぶりを「やかん」と呼んだほど、よく知られた噺です。

題名に直結する「矢があたってカーン」以外は、自由にギャグが入れられる伸縮自在の噺なので、昔から各師匠方が腕によりをかけて、工夫してきました。名前の由来に入る前の導入部も、演者によってさまざまです。

「矢がカーン」の部分では、隠居が「矢があたって」と言う前に八五郎がニヤリと笑い、「矢が当たるからカーンだね」と先取りする演出もあります。

オチまでいかず、文字通り「矢カン」の部分で切ることも、時間の都合でよくあります。

「やかん」のくすぐりいろいろ

●蛇はノソノソして、尻っぽばかりの虫なので屁といった。そのあとビーとなった(五代目志ん生)

●クジラは、必ず九時に起きるので、クジらあ。

●ステッキは、西洋人のは飾り付きで「すてっき」だから。

●ランプは、風が吹くとラン、プーと消えるから。

●ひょっとこは、不倫して、ヒョットして子ができるのではと、口をとがらしてふさいでばかりいると、月満ちてヒョッと産まれた子の口も曲がっていた。だから「ヒョット・子」(以上、初代三遊亭円遊)

「浮世根問」について

五代目小さんがよく演じた「浮世根問」は、上方の「根問いもの」の流れをくみ、「やかん」とモチーフは似ていますが、別系統の噺です。

「やかん」に比べると噺もずっと長く、質問もはるかに難問ぞろいです。

上方では、別に「やかん根問」があります。

根問

「根」はルーツ、物事の根源を意味します。

それを「問う」わけですから、要はいろいろなテーマについて質問し、知ったかぶりの隠居がダジャレを含めてでたらめな回答をする、という形式の噺のことです。

上方の根問ものには、テーマ別に「商売根問」「歌根問」「絵根問」など、さまざまなバージョンがありました。
                       
「やかん」は、形式は似ていても、単に語源を次々と聞いていくだけですから、「根問もの」よりもずっと軽いはなしになっています。

ついでに

「根問」という題名は上方のものに限定されます。

どんなに似た内容の噺でも、「やかん」「千早振る」など東京起源のものは「根問」とは呼びません。

子褒め こほめ 演目

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他人の子を褒めるのは気を使います。愚者が半端に真似して失敗するおかしさ。

【あらすじ】

人間がおめでたくできている熊五郎がご隠居のところに、人にただ酒をのましてもらうにはどうすればいいかと聞いてくる。

そこで、人に喜んでごちそうしようという気にさせるには、まずうそでもいいからお世辞の一つも言えなけりゃあいけないと教えられ、例えば、人は若く言われると気分がいいから、四十五の人には厄(四十一~三)そこそこ、五十なら四十五と、四、五歳若く言えばいいとアドバイスされる。

たまたま仲間の八五郎に赤ん坊が生まれたので、祝いに行けば酒をおごってもらえると算段している熊公、赤ん坊のほめ方はどうすればいいか聞くと、隠居がセリフを教えてくれる。

「これはあなたさまのお子さまでございますか。あなたのおじいさまに似てご長命の相でいらっしゃる。栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳しく、蛇は寸にしてその気をのむ。私も早くこんなお子さまにあやかりたい」

喜んで町に出ると、顔見知りの伊勢屋の番頭に会ったから、早速試してやろうと、年を聞くと四十歳。

四十五より下は聞いていないので、むりやり四十五と言ってもらい、
「えー、あなたは大変お若く見える」
「いくつに見える?」
「どう見ても厄そこそこ」
「馬鹿野郎ッ」
としくじった。

さて、八つぁんの家。

男の子で、奥に寝ているというから上がると、
「妙な餓鬼ィ産みゃあがったな。生まれたてで頭の真ん中が禿げてやがる」
「そりゃあ、おやじだ」

いよいよほめる段になって、
「あなたのおじいさまに似て長命丸の看板で、栴檀の石は丸く、あたしも早くこんなお子さまにかやつりてえ」
「なんでえ、それは」
「時に、この赤ん坊の歳はいくつだい?」
「今日はお七夜だ」
「初七日」
「初七日じゃねえ。生まれて七日だからまだ一つだ」
「一つにしちゃあ大変お若い」
「ばか野郎、一つより若けりゃいくつだ」
「どう見てもタダだ」

【しりたい】

これも『醒睡笑』から

安楽庵策伝の『醒睡笑』(「てれすこ」参照)巻一中の「鈍副子第十一話」が原話です。

これは、脳に霞たなびく小坊主が、人の歳をいつも多く言うというので和尚にしかられ、使いに行った先で、そこの赤ん坊を見て、「えー、息子さんはおいくつで?」「今年生まれたから、片子(=満一歳未満)ですよ」「片子にしてはお若い」というもので、「子ほめ」のオチの原型になっています。

小ばなしがいくつか合体してできた噺の典型で、自由にくすぐり(=ギャグ)も入れやすく、時間がないときはいつでも途中で切れる、「逃げ噺」の代表格です。

大看板の「子ほめ」

そういうわけで前座噺として扱われますが、五代目志ん生、三代目金馬といったかつての大物も時々気軽に演じました。故人春風亭柳朝の、ぶっきらぼうな口調も耳に残っています。

オチは、満年齢が定着した現在は、通じにくくなりつつあるため、上方の桂米朝は、「今朝生まれたばかりや」「それはお若い。どう見てもあさってに見える」としています。

蛇は寸にしてその気をのむ

「その気を得る」「その気を顕す」ともいいます。解釈は「栴檀は双葉より芳し」と同じで、大人物は幼年からすでに才気を表している、という意味。「寸」は体長一寸の幼体のことです。

長命丸

俗に薬研堀(やげんぼり)、実は両国米沢町の「四ツ目屋」で売り出していた強精剤です。同店はこのほか「女悦丸」「朔日丸」(避妊薬)など、ソノ方面の怪しげな薬を一手に取り扱っていました。

田舎のおやじが、長生きの妙薬と勘違いして長命丸を買っていき、セガレの先に塗るのだと教えられていたので、さっそく、ばか息子の与太郎の頭に塗りたくると、夜中に頭がコックリコックリ持ち上がった、という艶笑噺があります。

道灌 どうかん 演目

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ご隠居と八のやりとり。道灌の故事が題材の前座がよくやる鸚鵡返し型の滑稽噺。

【あらすじ】

八五郎が隠居の家に遊びに行った。

地口(駄洒落)を言って遊んでいるうち、妙な張りまぜの屏風絵が目に止まる。

男が椎茸の親方みたいな帽子をかぶり、虎の皮の股引きをはいて突っ立っていて、側で女が何か黄色いものを持ってお辞儀している。

これは大昔の武将で歌詠みとしても知られた太田道灌が、狩の帰りに山中で村雨(にわか雨)に逢い、あばら家に雨具を借りにきた場面。

椎茸帽子ではなく騎射笠で、虎の皮の股引きに見えるのは行縢(むかばき)。

中から出てきた娘が黙って山吹の枝を差し出し引っ込んでしまった。

道灌、意味がわからずに戸惑っていると、家来が畏れながらと
「これは『七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき』という古歌をなぞらえて、『実の』と『蓑』を掛け、雨具はないという断りでございましょう」
と教える。

道灌は
「ああ、余は歌道にくらい」
と嘆き、その後一心不乱に勉強して立派な歌人になった、という隠居の説明。

「カドウ」は「和歌の道」の意。

八五郎、わかったのかわからないのか、とにかくこの「ナナエヤエー」が気に入り、自分でもやってみたくてたまらない。

表に飛び出すと、折から大雨。

長屋に帰ると、いい具合に友達が飛び込んできた。

しめたとばかり
「傘を借りにきたんだろ」
「いや、傘は持ってる。提灯を貸してくんねえかな。これから本所の方に用足しに行くんだが、暗くなると困るんだ」

そんな用心のいい道灌はねえ。

傘を貸してくれって言やあ、提灯を貸してやると言われ、しかたなく「じゃしょうがねえ。傘を貸してくんねえ」
「へっ、来やがったな。てめえが道灌で、オレが女だ。こいつを読んでみな」
「なんだ、ななへやへ、花は咲けどもやまぶしの、みそひとだると、なべとかましき……こりゃ都々逸か?」
「てめえは歌道が暗えな」
「角が暗えから、提灯を借りにきた」

【しりたい】

前座の悲哀「道灌屋」

「道灌」は前座噺で、たいてい入門すると、このあたりから稽古することが多いようです。

前半は伸縮自在で、演者によってギャグその他、自由につくれるので、後に上がる先輩の都合で引き伸ばしたり、逆に短く切って下りたりしなければならない前座にとっては、まずマスターしておくべき噺なのでしょう。

八代目桂文楽が入門して、初めて教わったのもこの「道灌」。一年間、「道灌」しか教えてくれなかったそうです。

雪の降る寒い夜、牛込の藁店という席に前座で出たとき、お次がまったく来ず、つなぎに立て続けに三度、それしか知らない「道灌」をやらされ、泣きたい思いをしたという、同師の思い出話。

そのとき付いたあだ名が「道灌屋」。

たいして面白くもないエピソードですが、文楽師の人となりが想像できますね。

志ん生や金馬の「道灌」

あらすじの参考にしたのは五代目志ん生の速記ですが、どちらかというと後半の八五郎の「実演」に力を入れ、全体にあっさりと演じています。

かつての大看板でほかによく演じたのが、三代目金馬でした。金馬では、姉川の合戦のいくさ絵から「四天王」談義となり、ついで「太平記」の児島高徳を出し、大田道灌に移っていく段取りです。

太田道灌

太田道灌(1432-86)は、長禄元年(1457)、江戸城を築いたので有名です。

この人、上杉家の重臣なんですね。

主人である上杉(扇谷)定正に相模国糟谷で、入浴中に暗殺されました。

歌人としては、文明6年(1474)、江戸城で催した「江戸歌合」で知られています。

七重八重……

『後拾遺集』所載の中務卿・兼明親王の歌です。

行縢

むかばき。狩の装束で、獣皮で作られ、腰に巻いて下半身を保護するためのものです。

【道灌 立川談志】

新聞記事 しんぶんきじ 演目

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新聞が新鮮だった時代の噺。前座がよくやってます。

別題:阿弥陀が池(上方、改作)

【あらすじ】

慌て者で少しぼーっとした八五郎。

ご隠居のところでバカを言っているうちに、
「おまえ、新聞は読むか」
と聞かれる。

「へえ、月初めに一月分」
「そりゃ古新聞だろ。じゃ、まだ今朝のを見てないな」

急に隠居の声が低くなって、
「おまえの友達の天ぷら屋の竹さんが、昨夜夜中に泥棒に殺された」
という。

竹さんが寝ていると、枕元でガサガサ物音がするので電気をつけると、身の丈六尺はあろうという大男。

そいつがギラリと日本刀を抜いて、
「静かにしろ」
と脅したが、竹さん、なまじ剣術の心得があるものだから、護身用の樫の棒を取るとピタリと正眼に構えた。

泥棒は逆上して、ドーンと突いてくる。竹さん、ヒラリとかわして馬乗りになり、縛ろうとすると、泥棒がのんでいたあいくちで胸元をグサッ! 

「あっ」
と後ろへのけぞって一巻の終わり。

家は右往左往の大騒ぎで、そのすきに泥棒は逃げ出した。

しかし、悪いことはできないもので、五分たつかたたないうちにアゲられた。

それもそのはず、天ぷら屋……。

なんのことはない、落とし噺でからかわれただけ。

ところが八五郎、これを聞いてすっかり感心し、自分もやってみたくなった。

当の本人の家で
「天ぷら屋の竹が殺されたよ」
とやって、ほうほうの体で逃げ出した。

それでもまだ懲りずに、もう一人のところへ上がり込んだ。

隠居の
「おい、ばあさん、八っつあんが来たよ。茶を出してやんな」
のセリフからそっくり始めたから、
「おい、なんでウチの女房をばあさんにしやがるんだ」
とケンツクを食わされてミソをつける。

こうなれば、もう乗りかけた船。

強引に殺人事件を吹きまくるが、ところどころおかしくなり、泥棒の身の丈が一尺六寸になったり、あいくちが出てこないで包丁になったり、竹さんがヒラリとタイをかわした、のタイが思い出せずに、二つ並んでいる→布袋大黒→恵比寿様→釣竿→魚→鯛で連想ゲームまでやってのける。

ようやく最後の、五分たつかたたないうちに、というところまで行き着いたが、またも肝心の「あげられた」が出ない。

四苦八苦していると、向こうが先に
「アゲられただろ。天ぷら屋だからな」
とやってしまった。

それを言いたいためだけに連想ゲームまで演じたのだから、立つ瀬がない。

「ところでおめえ、その話の続きを知ってるかい? 竹さんのかみさんが、亭主が死んで、もう二度とだんなは持たないと、尼さんになったてえのは」
「どうして」
「もとが天ぷら屋のかみさんだけに、衣をつけたがらあ」

底本:三代目三遊亭円歌

【しりたい】

上方落語の改作

昭和初期、二代目昔々亭桃太郎(1910-70)が「百田芦生」の筆名で作ったものです。

上方の「阿弥陀が池」の改作で、桃太郎は元ネタの後半の筋立てをうまく取り入れ、東京風にすっきり仕上げています。

桃太郎没後は先代柳亭痴楽に継承され、ついで三代目三遊亭円歌のレパートリーにもなりました。

ギャグも豊富で、筋立ても面白いので、最近は若手も手がけるようになりました。

「阿弥陀が池」

日露戦争後に初代桂文屋(1867-1909)が作ったといわれ、今も上方落語の代表作となっています。

「新聞記事」と筋は似ていますが、ヨタ話のネタの主人公は戦死した将校夫人の尼さん。忍んで来る泥棒が偶然夫の元部下で、それがわかって許しを請うと、「おまえが来たのも仏教の輪廻。誰かが行けと教えたのであろう」「阿弥陀が行け言いました」という、尼寺のある場所(阿弥陀が池のほとり)と掛けた洒落話で隠居にだまされる筋立てです。

桃太郎のこと

作者である二代目昔々亭桃太郎は柳家金語楼の実弟です。昭和初期から戦後にかけ、「桃太郎さんでございます」という開口一番のフレーズとともに、「桃太郎後日」など自作自演の明るい新作落語で親しまれました。時折、東条英機に落語を聴かせていたとか。

噺のカンどころ

「おうむと呼ばれる、くり返しの面白さで笑わせるはなしだけに、しこみ、つまり前半の部分の演じ方がむずかしいところなのです」
                            (三代目三遊亭円歌)

【新聞記事 六代目三遊亭円楽】

めかうま【妾馬】演目

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殿さまにみそめられた妹の住むお屋敷に兄が招かれ、とんちんかんなやり取り。

別題:八五郎出世

【あらすじ】

丸の内に上屋敷を持つ大名赤井御門守(あかいごもんのかみ)。

正室にも側室にも子供が生まれず、このままでは家が絶えるというので、この際身分は問わず、よさそうな女を見つけて妾にしようと、町屋まで物色している。

たまたま、好みの町娘が味噌漉を下げて、路地裏に入っていくのを駕籠の中から認め、早速家来をやって、大家に話させる。

すぐに、娘はその裏長屋住まいで名はお鶴、今年十七で、母親と兄の職人・八五郎の三人暮らしと知れた。

大家は名誉なことだと喜び、お鶴は美人の上利口者だから、何とか話をまとめて出世させてやろうと、すぐに八五郎の長屋へ。

出てきた母親にお鶴の一件を話して聞かせると大喜び。

兄貴の八五郎には、大家が直接話をする。

その八五郎、大家に、お屋敷奉公が決まれば、百両は支度金が頂けると聞き、びっくり仰天。

こうなると欲の皮を突っぱらかして二百両にしてもらい、めでたくお鶴はお屋敷へ。

兄貴の方は、持ちつけない大金を持ったので、あちこちで遊び散らし、結局スッカラカン。面目ないと長屋にも帰れない。

一方、お鶴、殿さまのお手がついて間もなく懐妊し、月満ちてお世継ぎを出産。

にわかに「お鶴の方さま」「お部屋さま」と大出世。

兄思いで利口者だから、殿さまに甘えて、一度兄にお目見えをと、ねだる。

お許しが出て、早速長屋に使いがきたが、肝心の八五郎は行方知れず。

やっと見つけ出し、一文なしなので着物も全部大家が貸し与え、御前へ出たら言葉をていねいにしろ。

何でも頭へ「お」、尻に「たてまつる」をつければそれらしくなると教えて送りだす。

さて、いよいよご対面。

側用人の三太夫が、どたまを下げいのしっしっだのと、うるさいこと。

殿さまがお鶴を伴って現れ、「鶴の兄八五郎とはその方か」と声をかけてもあがって声が出ない。

「これ、即答をぶて」と言うのを「そっぽをぶて」と聞き違え、いきなり三太夫のおつむをポカリ。

「えー、おわたくしはお八五郎さまで、このたびはお妹のアマっちょが餓鬼をひりだしたてまつりまして」と始めた。

殿さまは面白がり「今日は無礼講であるから、朋友に申すごとく遠慮のう申せ」

ざっくばらんにやっていいと聞いて、「しめこのうさぎよッ」と安心した八五郎、今度は調子に乗って言いたい放題。

まっぴらごめんねえとあぐらをかき「なあ、三ちゃん」

はてはお女中を「婆さん」などと始めたから、三太夫カリカリ。

殿さまは一向気に掛けず、酒を勧める。

八、酔っぱらうとお鶴を見つけ、感極まって「おめえがそう立派になってくれたって聞けば、婆さん、喜んで泣きゃあがるだろう。おい、殿さましくじんなよ。……すいませんね。こいつは気立てがやさしいいい女です。末永くかわいがってやっておくんなさい」と、しんみり。

最後に景気直しだと都々逸をうなる。

「この酒を止めちゃいやだよ酔わしておくれ、まさか素面じゃ言いにくい、なんてなぁどうでえ殿公」

「これっ、ひかえろ」「いや、面白いやつ。召し抱えてつかわせ」というわけでツルの一声、八五郎が侍に出世するという、おめでたい一席。

底本:五代目古今亭志ん生

【しりたい】

演題

「めかう(ん)ま」と読みます。本来は「下」もあって、侍に取り立てられた八五郎が、殿様に使者を申しつかり、乗り慣れぬ馬に乗って暴走。

必死にしがみついているところで、「そのように急いでいずれへおいでなさる?」「行く先は、馬に聞いてくれ」とサゲます。

緻密に演じると、一時間近くはかかろうという大ネタで、明治大正の名人・四代目円蔵なども屋敷の表門で八が門番と珍問答するあたりで切っていました。

もちろん眼目は大詰めで、べろべろになった八だけの一人芝居のような長台詞のうちにその場の光景、その場にいない母親の姿などをありあり浮かび上がらせる大真打の腕の見せ場です。

五代目志ん生は全体にごくあっさり演じていましたが、六代目円生は胃にもたれるほどすべての場面をたっぷりと、そして志ん朝は、前半を思い切ってカットし、最後の酔態で悲痛なほど、肉親の情愛と絆を浮き彫りにする演出でした。

はなしと芝居 1

「妾馬」で思い出すのが歌舞伎の「魚屋宗五郎」。河竹黙阿弥の傑作です。

酒に酔って殿様の面前で言いたい放題くだをまくのは共通していますが、こちらは悲劇で、旗本の屋敷奉公にあがった妹がこともあろうに無実の罪でお手討ちになったくやしさに、一本気な宗五郎が、やけ酒の勢いで屋敷に暴れ込み、斬られるのを覚悟で洗いざらい恨み言をぶちまけます。

おめでたい「妾馬」とは違って、弱者の精一杯の抵抗と抗議が観客の胸を打ちますが、殿様の「ゆるせ」のたった一言でへなへなになってしまいます。

悲劇と喜劇の違いこそあれ、権力者に頭をなでられれば、すぐ猫のように大人しくなる下層民のメンタリティは八五郎にも共通しているのでしょう。

松竹映画『運がよけりゃ』(1966)で賠償千恵子扮するおつるは、恋仲の若者への思いを貫くため、敢然と殿さまのお召しをはねつけ、長屋一同もそれを応援しますが、少なくとも江戸時代には、そのようなことは、天地がひっくりかえってもありえなかったでしょう。

はなしと芝居 2

四代目小さんの聞き書きによると、「妾馬」は昔、「御座り奉る」という名題で、歌舞伎で上演されたことがあるそうです。

そのほか、劇化された落語に、「大山まいり」「祇園会」「三軒長屋」「締め込み」「粗忽の使者」「らくだ」「ちきり伊勢屋」とあり、現在も上演されるものに「芝浜」「文七元結」があります。むろん、円朝の怪談ものなどは別です。

「大山まいり」「らくだ」はともに岡鬼太郎脚本で、それぞれ「坊主烏賊」「眠駱駝物語」の名題。

「大山まいり」(「坊主烏賊」)は初代中村吉右衛門、「祇園会」「芝浜」「文七元結」は六代目尾上菊五郎、「三軒長屋」は七代目松本幸四郎・十五代目市村羽左衛門、といずれも名優が主演しています。ただし、「どうも道具立てがどっさりで、落語から芝居にしたものは、妙にみんな面白くありませんな」。

(安藤鶴夫「四代目小さん・聞書」)

【妾馬 古今亭志ん生】