【会津屋敷】

あいずやしき


成城石井

松平肥後守(会津藩、23万石)の下屋敷のことで、芝三田綱坂(港区三田2)にありました。現在の慶応女子高のあたり。

綱坂の由来は、頼光四天王の一人、渡辺綱(953-1025)の出生地とされています。ここの当光寺(真言宗→真宗本願寺派)がまさに生誕の地だそうで、なるほど、この寺の山号は「綱生山」です。

現在の普連土学園(港区三田4-14-16)は功運寺の跡地だったそうで、この寺の境内には綱塚があったそうです。

綱町三井倶楽部(港区三田2-3-7)には産湯に使った井戸などが残っています。ただし、一般公開はしていません。

会津藩の上屋敷は和田倉御門内にありました。ちなみに、中屋敷は源助町海手(港区東新橋1丁目、2丁目)。江戸絵図に「松平肥後」とあるのは会津藩です。

藩祖は保科正之(1611-73)。徳川家光(1605-51)の異母弟です。親藩。

左手前が会津屋敷。右は伊予松山藩の中屋敷

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