【三笑亭可楽・初代】さんしょうていからく・しょだい 噺家 落語 あらすじ

成城石井

【芸種】はなし
【活躍地】江戸
【本名】不明。通称は京屋又五郎
【生没年月日】安永6年(1777)-天保4年(1833)3月8日
【出身地】日本橋馬喰町
【前歴】櫛職人
【ネタ】
【出典】Wiki 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)
【蛇足】扇子一本で素噺をするのが芸風。式亭三馬『浮世風呂』(文化6-10年)は三笑亭可楽の芸風に想を得たものとされています。

■初代三笑亭可楽の年譜

安永6年(1777)日本橋馬喰町に生まれる。櫛職人になる
寛政10年(1798)岡本万作の寄席興行に触発される。6月、下谷稲荷神社で寄席、「風流浮世おとし噺」の看板を掲げる。持ちネタが5日で枯渇し、職人に戻る。9月28日、目黒不動尊に参詣、櫛つくり道具を売り払う。10月1日、山生亭花楽として越谷で再起の興行、札銭12文で大入り。松戸では三笑亭可楽と改名して興行
寛政12年(1800)江戸で咄の会
享和2年(1802)咄本『山しょ味噌』刊
享和4年(1804)咄本『恵都真衛』刊
文化元年(1804)6月、下谷広徳寺門前の孔雀茶屋で落咄の夜会で三題噺(弁慶、辻君、狐) ※三題噺の嚆矢
文化6年(1809)咄本『いさみにつき馬 生るい三句佐里』刊。※短い咄をつないで全編一話に
文化8年(1811)咄本『新作 種が島』刊。※門弟25人の名が載る
文化11年(1814)『身振噺寿賀多八景』刊。謎坊主春雪の謎解きが評判に
文化12年(1815)1月2日、芝神明社内で、春雪に対抗した謎解きを。できがよく評判に
文化13年(1816)1月21日、初代烏亭焉馬の咄初めに出席
文政6年(1823)咄本『新作可楽即考』刊
文政7年(1824)成田山に絵馬を奉納
天保2年(1832)咄本『十二支紫』刊
天保3年(1833)滑稽本『滑稽 枯木の花』刊
天保4年(1834)3月8日(4月27日)、死去。57歳。辞世句は「人ごみをのがれて見ればはなし塚」。浅草の潮江院に葬られる。戒名は「三笑亭安誉可楽信士」

成城石井

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