落語の演目数はいくつあるのか。
二千。
難しいですね。
東大落語会の『増補 落語事典』には八百超席でしたかね。
一般には五百ほどある、といわれていますが、誰も正確な数字を出せません。
千字寄席は四百五十席。これだけ。
志ん生の音源は百二十五ほどありましたかね。意外に多いんです。でも、ほんとにすごいのは二十ほどでしょう。その二十の中に入るかどうかは知りませんが、「後生鰻」なんか最高ですね。あとは、なんだかよくわかりません。でも、それはそれでおもしろかったりして。
文楽が六十八でしたっけ。高名になってからは三十席を死守してました。少ない。でも、どれもいつでもうならせられる珠玉の演目。これはこれですごい。磨き上げた芸です。とびきりおいしい中華料理店(たとえば六本木の中国飯店)は品数がそんなにありません。でも、その中のどれを頼んでもおいしい。文楽の芸はそんなかんじです。
志ん生と文楽ではスタンスが、まったく違ってました。
円生は三百席。どうでもよいですか。
スタジオ録音は資料にはあるでしょうが、あれは聴いててあんまりおもしろくありませんね。お客を前にして作った料理と試食の違い、みたいなもんでしょうかね。魂が入っていないし、落語はライブ感がどうしても必須です。芸なんですね。客が必要なんです。
円朝は四十二席こさえてます。
これは長講も入れての数です。しかも、やってるばかりか、つくってるわけです、この人は。誰もがこうべを垂れてしまいます。
晩年は、支離滅裂なのもあるし、はりまぜみたいなのもあるし。円朝作の名で世に出ていながら、そのじつ、条野採菊がつくったものだったり、河竹黙阿弥からもらったものだったりで。「心中時雨傘」はあやしい、なんていわれてますね。これはもう、近代における作り手と個人のありようと関係してきますね。ややこしいから、ここではやめときます。
まあ、落語は二百も知ったら、周りは仰天。マニアの域です。みなさん、そんなに知らない。せいぜい二十くらいでしょうか。
千字寄席をしっかり読み込んでいただければ、それはそうとうな落語通になれます。そこらへんの落語評論家が知らないことも記してたりしてますし。ほかのどこでも語られてない説も、たまには記してあります。これは保証できますよ。(古木優)