【角兵衛の婚礼】かくべえのこんれい 落語演目 あらすじ
【どんな?】
珍妙奇天烈。
こんなくだらない噺。
よくもまあ、考えついたもの。
別題:越後屋角兵衛 恋わずらい 子返り どんつく
【あらすじ】
長屋の熊五郎。
人間は堅いし、付き合いもよく、店賃は溜めたことがないという、マジメ人間だが、このところ家に引きこもって仕事もせずにボーッとしているので、大家が心配して、ようすを見に来る。
問いただしてみると、なんのことはない恋煩い。
惚れた相手が、近所の豆屋、越後屋の娘。
名は、おししという。
なにしろ熊五郎、娘に会いたいばっかりにこの二年の方、毎日豆屋に通いづめで、溜まった豆が大樽にぎっしり。
一人娘なので婿取りだが、きっと添わしてやるからと、大家は請け負って、豆屋に行って話しをしてみた。
おししは、実は自分には願いごとがあって、それは婚礼の晩に婿の前でしか言えないことなのだが、その願いごとさえ聞いてくれる人なら、どんな男でも文句はない、と言う。
今まで五、六人養子を迎えたが、どの男も願いごとを言うと、あきれてかえってしまうので、いまだに亭主を持つことができない、というわけ。
話を聞いて、熊五郎は大喜び。
先方の両親も異存がないというので、さっそく、婚礼が取り決められ、無事、三三九度も終わった、その晩。
「実は」
と打ち明けた、おししの願いごととは、
「家の先祖が越後で角兵衛獅子をやっていたので、婚礼の晩にそのまねをして踊らなければ、先祖に相済まないから、婿になる人には、自分がピキピキピキーと言ったら、用意の赤い襦袢を着て獅子をかぶり、太鼓を背負ってツクツクドンドンと踊ってほしい」
というもの。
しかも、
「これを一週間続けてもらいたいので、もしおいやなら、ご縁がなかったものと、あきらめてほしい」
と言うから、熊五郎は仰天したが、もとより死ぬほど恋焦れた女のこと。
照れくさいが、しかたがない。
「それ、ピキピキピキピキ」
「ツクドンツクドンツク」
「ピキピキピキ」
「ツクドンツクドン」
世にも変わった儀式が一週間。
めでたく夫婦の契りを交わした。
かくてめでたく婿入りした熊は、角兵衛と改名し、身を粉にして働いたので、みるみる店は繁盛し、その上、おししの腹が大きくなって子供ができたとあって大喜び。
いよいよ予定日になったが、おししが、産婆さんの前で
「あれをやってほしい」
と言いだした。
ピキピキドンドンをやらないと、赤ん坊が出てこないというからどうしようもない。
あっけにとられる産婆さんの前で、
「アイタタ、ウーン、ピキピキピキ」
「ツクドンツクドンツク」
「あなた、たいそううまくなりました。ピキピキピキ」
「ツクドンツク」
「ぴきぴき…オギャー」
「まあ、本当に、玉のような男の子が」
「子がえり(逆子のこと)ですか」
「なあに、洞返り(越後獅子のアクロバット)です」
【しりたい】
角兵衛
「越後獅子」とも呼ばれ、アクロバットを兼ねた子供の獅子舞で、親方一人に子供二、三人が普通でした。
多くは十五、六の年かさの方が囃し方に回り、より身の軽い七、八歳から十歳前後の子供が実演します。
「角兵衛」の語源については、応永年間(1394-1428)に越後国蒲原郡の角兵衛なる者が創始したからとも、獅子頭つくりの名工の名ともいわれます。
のちには、大人の獅子舞をもこの名で呼ぶことがありました。
近世以後、非人道的な児童虐待の代名詞として扱われ、事実、「人買い」の同義語として、親が子供を脅かす時に「角兵衛獅子にやってしまう」というのはお決まりでした。
大正初期までにはすたれ、姿を消したようです。
明治後期以後は親の脅し文句も「曲馬団(=サーカス)に……」と変わりました。
歌舞伎の常磐津所作事として演じられる「角兵衛」(後の月酒宴島台)は、越後国月潟村から出た角兵衛芸人と門付けの女太夫との恋のからみを描いています。
洞返り
螺返りとも書きます。
昔のとんぼ返り、今でいう連続バック転ですね。
昭和26年(1951)、美空ひばりが「とんぼ返り道中」(松竹)で角兵衛獅子の少年に扮して歌ったヒット曲「越後獅子の唄」を思い出される方もいるかもしれません。
歌丸が復活
原話や噺の成立ははまったく不明で、明治24年(1891)3月、初代三遊亭(鼻の)円遊が雑誌「百花園」に載せた速記が、最古で唯一のものです。
この中で円遊は「まだ寄席で一遍も高座へ掛けた事が御坐いません」で、「初めて速記に致して出します」と断っていて、自分の創作または改作であることをにおわせていますが、この噺、「越後屋」「越後屋角兵衛」「角兵衛」「子返り」「どんつく」「恋わずらい」と、やたらに別題が多いところをみると、当時はけっこう多くの演者が手掛けていたのでしょう。
円遊没後は、昭和初期に七代目春風亭柳枝が「恋わずらい」として前半のみを演じ、SPレコードにも吹き込みました。
戦後はほとんど忘れられていたところを、桂歌丸が「越後屋」と題してオムニバスの一編ながら復活させました。
【語の読みと注】
螺返り ほらがえり